~魂鎮メノ弔イ歌~

宵空希

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第二章 子守唄

十四話 幽世

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座敷牢で他愛もない事を話す玖々莉と雪奈。
傍から見れば歳の離れた姉妹か、或いは玖々莉にとってはちょっと年齢的に早いが、叔母と姪っ子と言ったところだろうか。

「雪奈ちゃんって頭が良いんだね。いろんなこと知ってるんだ」

先程からずっと、主に雪奈の知見に触れていた玖々莉は感心しきっていた。
五歳でそこそこの漢字の読み書きができ、史実にも通じているのだから、きっと蒼も顔を青褪めさせるか捻くれた発言をする事だろう。
手毬に至っては自分よりも年下がいない為、雪奈に何をするか未知数なのでちょっとアレだなと玖々莉は思った。

『父上が、勉強は子供の頃からしておきなさいって。わたしが大人になった時、きっと役に立つからって』

「えらいね。お父さんも凄いと思うけど、雪奈ちゃんもそれにちゃんと応えてるんだから凄いよ。私なんて、なにやってもダメだから」

そう言って玖々莉は雪奈を褒めた。
照れた様に笑う雪奈だが、今度は五歳児とは思えない程の気配りをしてくれる。

『おねえちゃんはダメなんかじゃないよ。だってわたしのこと、こんなにも安心させてくれるんだから。母上が言ってた、人にやさしくできる人は真に強い人だって』

「……雪奈ちゃん」

『おねえちゃんは、わたしを救いにきてくれた救い主さまなんだよ。だからだいじょうぶだよ!おねえちゃんはダメな人なんかじゃぜんぜんない!』

目を大きく見開いて玖々莉は一生懸命にそう言ってくれる雪奈を見た。
先程まで絶望の淵を彷徨って、惨めに取り乱していた自分が強いなんて事もないのだが。
いや、自分は強いと思い込んでいただけで何もかもが足りていなかった、それが事実。
でもこの子と話していると、そんな事すらどうでもよく思えてくるのは何故だろうか。

(……あ、そっか。雪奈ちゃんの言ってる強さって、魂鎮メとしての強さとは違う物なんだ)

玖々莉は自分に足りていなかった物にようやく気付いた。
強さに奢る事なく、弱さに挫ける事なく。
そうやって積み重ねていく精神面において、自分は全く至らなかったのだと。
どんなに絶望的な状況下ですら、負の感情に呑まれないような強さが自分には必要な物だったのだと玖々莉は納得する。

「……雪奈ちゃん、やっぱり頭が良いんだ。私じゃ考えてもわからなかったこと、こんなにも簡単に教えてくれるなんて」

『?おねえちゃん、なんのお話?』

きょとんとしている少女に対し、玖々莉は一層の微笑みを見せた。
こんな僅かな時間を共有しただけの間柄なのに、随分と仲良くなれたものだと我ながらに思う。
思うのだが、でも。
いつかは祓ってあげなければならない。
それが少女が輪廻転生の軌道に乗れる、唯一の方法なのだから。

(でも、私に雪奈ちゃんを救えるのだろうか。救い主になんて、なれるのだろうか)

恐らくこの場所では祓えない、何かこの敷地内に結界らしきものが掛けられている。
蒼はきっと検討を付けて乗り込んでいるのだろうが、玖々莉にはそれを感じ取れても詳細までは分からなかった。
つまりここを無事に抜けなければ、雪奈の救い主には成れないのだ。
未だ玖々莉は不安と迷いの狭間に揺れていた。



『ふふふ~ん♪ふんふ~ん♪』

「……その唄」

何気なく口ずさんだのだろう、それは子守唄であった。
明るく歌ってはいるが、メロディーはやはり物静かな独特の雰囲気を感じる。

「それ、私も知ってるんだ」

『そうなんだ。おねえちゃんも伝承にあやかりたいの?』

「伝承?」

『そうだよ。この子守唄は昔からこの辺りに伝わる唄でね、眠りはと一番近くに繋がれる時間なんだって。だから天国にいってしまった人たちに逢えるかもしれないのが、眠りの中なんだって母上が言ってた』

「そんな意味があったんだ」

幽世かくりよはこの世とあの世の狭間を意味し、魂鎮メの内でも使われる事はある。
例えば子供が神隠しにあったという依頼が入った時なんかは、幽世に閉じ込められたと表現したりもする。
だが実際には霊的干渉が多く、神様がやったというよりは霊の力が働いて閉じ込められているケースが最も多かった。
つまり幽世の定義は未だ曖昧な物なのだ。
でも死者に逢えるなんて、玖々莉にとっても初耳である。

『かくりよともっと繋がれるようにするための唄が、この子守唄なんだって。伝承ではそう言われてるけど、わたしは死んじゃった叔父上に逢えなかったから信じてない。おねえちゃんには逢いたい人がいるの?』

雪奈の素朴な疑問に、玖々莉は大きく目を見開く。
まさか自分が訊ねられるとは思ってもみなかった。
一瞬だけ父の顔が思い浮かんだが、きっといつだって玖々莉たち親子を見守ってくれている。
逢いたいかと問われれば勿論逢いたいのだが、けれどそれ以上に。
まだ天国にはいない、白百合舞唯の姿が思い浮かんだ。

「……私には、命の恩人がいるの。ずっと探してるんだけど、見つからなくて。でも、その人は必ず生きてるから。私はそう信じてる」

『……うん。おねえちゃんなら、いつか見つけられるよ。きっとまた逢えるね』

「ありがとう」

そうして今度は雪奈の方から玖々莉の手に触れようとしてきた。
重なり合って、けれど触れ合う事は出来ない手を、それでもはにかんだような表情で雪奈は満足そうにしている。

『おねえちゃんって、やっぱりなんかふしぎ。初めて会った人に思えないや。そういえば、おねえちゃんのお名前はなんて言うの?』

と問われて玖々莉は自分が名乗っていない事にようやく気付いた。

「あ、うっかりしてた。私の名前は八重桜玖々莉。遅くなってごめんね」

すると雪奈はどこか驚いたような表情を見せる。

『……え、玖々莉ちゃん?あの玖々莉ちゃんなの?』

「え?」

玖々莉は何を言われているのか分からず、ただ聞き返すだけであった。
雪奈はそのまま続ける。

『覚えてないかな?前にわたしたち、一度会ってるんだよ。その時も今みたいに、玖々莉ちゃんは座敷牢に迷い込んできて。あ、そっか。じゃあ子守唄をおねえちゃんに教えたのって、わたしだ』

「……。」

恐らくは幼少期の頃の事を言っているのだろう。
だが玖々莉にはその時の記憶が一切残っていない。
だから何と言っていいのか分からないが、玖々莉も少し驚いていた。
まさか昔に自分が迷い込んでいたこの地で、既に雪奈と出会っていたとは。
短い時間でこんなにも仲良くなれたのは、そんな前段階を踏んでいたからであろうかとも考えた。
覚えていない点については、率直に寂しく感じる。

『そっかあ、そう言う事だったんだね。あの時玖々莉ちゃんは、すぐに女の人が助けにきてくれて帰って行ったけど。でもその時わたしと約束してくれたんだ。いつか必ず助けに来てくれる、って。やっぱりおねえちゃんは、最初からわたしの救い主さまだったんだよ!』

「……私が、そんな事を」

言っている女の人とは舞唯で間違いないだろう。
しかし自分がそんな事を口にしていただなんて、意外であった。
勿論そうなりたいという思いはある。
現実が伴ってくれるかは分からないが。

『でも、そっか。あの時の玖々莉ちゃんはもっと小さかったから。外ではもう、そんなに時間が経っちゃってるんだね。父上も母上も、みんな元気にしてるかな……』

「雪奈ちゃん……」

いたたまれない気持ちになる玖々莉。
元気にしている筈もなく、外はもれなく地獄である。
流石にそれをそのまま伝える事は出来ず、玖々莉は言葉を詰まらせた。

そうしている内に、事は動き出す。
通路の更に外側から、玖々莉は邪気を感じ取った。
すると先程までびくともしなかった柵の扉が自然と開き、思わず玖々莉と雪奈は顔を見合わせる。

「……雪奈ちゃん、私と一緒にここから出よう」

『え……でも。出たいけど、外は怖いって』

「大丈夫。私が守ってあげるから」

今度は強く微笑んで見せる玖々莉。
その表情に、先程までの絶望の色はない。

「私、こう見えても天才って言われてるの」

そう言って玖々莉は触れられない雪奈の手を、けれども力強く握った――。
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