1 / 1
もう証拠はいらない
しおりを挟む
「浮気調査です」
そう言った彼女は、椅子に座るなり背筋を伸ばした。
年齢は三十代前半。きれいだが、色気より疲れが先に来るタイプ。
「証拠写真をお願いします。言い逃れできないやつ」
「はは、また修羅場の匂いだ」
俺がそう言うと、彼女は眉ひとつ動かさない。
「仕事ですから」
……ああ、これは重いやつだ。
三日で終わった。
旦那は実に分かりやすい男だった。
決まった曜日、決まった女、決まったホテル。
ロマンも罪悪感もない。
シャッターを切りながら、俺はため息をつく。
「もう少し頭使えよ、既婚者」
約束の日。
事務所に来た彼女は、前より少しやつれて見えた。
「はい、証拠」
俺は封筒を差し出す。
自信作だ。慰謝料コース一直線。
……なのに。
彼女は受け取らなかった。
「……いらないです」
「は?」
俺は思わず聞き返した。
「今さら何言ってんだ。これで人生変わるんだぞ?」
「分かってます」
彼女は、困ったように笑った。
「私、本当は……」
少し間があって、彼女は言った。
「浮気を“知りたい”わけじゃなかったんです」
「ほう?」
「決めない理由が、欲しかっただけ」
俺は黙った。
「疑ってる間は、まだ何も決めなくていいでしょう?」
「証拠を見たら、別れるか、許すか……どっちか選ばなきゃいけない」
彼女は肩をすくめる。
「どっちも、怖くて」
「つまり」
俺は軽く口笛を吹いた。
「現実を直視する猶予期間が欲しかった、と」
「……はい」
正直だ。
そして、かなり人間らしい。
俺は封筒を引っ込めた。
「なら、こいつは没収だ」
「え?」
「証拠は突きつけるもんじゃない。
使う覚悟ができたときに出すもんだ」
彼女は驚いた顔をして、
それから、ふっと力を抜いた。
「……ありがとうございます」
立ち上がる彼女に、俺は言った。
「決めるのはあんたのタイミングでいい」
「誰かに背中押されてする決断は、たいてい後悔する」
彼女は少しだけ笑った。
「そうですね。……もう少し、考えます」
ドアが閉まる。
俺は机の引き出しに封筒を放り込み、椅子に深く座った。
夜の街は相変わらずだ。
裏切りも、欲望も、言い訳も、山ほど転がってる。
それでも。
証拠より大事なものを、
人はちゃんと持ってる。
……ま、そういう依頼だけは、
嫌いじゃない。
そう言った彼女は、椅子に座るなり背筋を伸ばした。
年齢は三十代前半。きれいだが、色気より疲れが先に来るタイプ。
「証拠写真をお願いします。言い逃れできないやつ」
「はは、また修羅場の匂いだ」
俺がそう言うと、彼女は眉ひとつ動かさない。
「仕事ですから」
……ああ、これは重いやつだ。
三日で終わった。
旦那は実に分かりやすい男だった。
決まった曜日、決まった女、決まったホテル。
ロマンも罪悪感もない。
シャッターを切りながら、俺はため息をつく。
「もう少し頭使えよ、既婚者」
約束の日。
事務所に来た彼女は、前より少しやつれて見えた。
「はい、証拠」
俺は封筒を差し出す。
自信作だ。慰謝料コース一直線。
……なのに。
彼女は受け取らなかった。
「……いらないです」
「は?」
俺は思わず聞き返した。
「今さら何言ってんだ。これで人生変わるんだぞ?」
「分かってます」
彼女は、困ったように笑った。
「私、本当は……」
少し間があって、彼女は言った。
「浮気を“知りたい”わけじゃなかったんです」
「ほう?」
「決めない理由が、欲しかっただけ」
俺は黙った。
「疑ってる間は、まだ何も決めなくていいでしょう?」
「証拠を見たら、別れるか、許すか……どっちか選ばなきゃいけない」
彼女は肩をすくめる。
「どっちも、怖くて」
「つまり」
俺は軽く口笛を吹いた。
「現実を直視する猶予期間が欲しかった、と」
「……はい」
正直だ。
そして、かなり人間らしい。
俺は封筒を引っ込めた。
「なら、こいつは没収だ」
「え?」
「証拠は突きつけるもんじゃない。
使う覚悟ができたときに出すもんだ」
彼女は驚いた顔をして、
それから、ふっと力を抜いた。
「……ありがとうございます」
立ち上がる彼女に、俺は言った。
「決めるのはあんたのタイミングでいい」
「誰かに背中押されてする決断は、たいてい後悔する」
彼女は少しだけ笑った。
「そうですね。……もう少し、考えます」
ドアが閉まる。
俺は机の引き出しに封筒を放り込み、椅子に深く座った。
夜の街は相変わらずだ。
裏切りも、欲望も、言い訳も、山ほど転がってる。
それでも。
証拠より大事なものを、
人はちゃんと持ってる。
……ま、そういう依頼だけは、
嫌いじゃない。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない
翠月るるな
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。
始めは夜会での振る舞いからだった。
それがさらに明らかになっていく。
機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。
おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。
そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
愛してないから、離婚しましょう 〜悪役令嬢の私が大嫌いとのことです〜
あさとよる
恋愛
親の命令で決められた結婚相手は、私のことが大嫌いだと豪語した美丈夫。勤め先が一緒の私達だけど、結婚したことを秘密にされ、以前よりも職場での当たりが増し、自宅では空気扱い。寝屋を共に過ごすことは皆無。そんな形式上だけの結婚なら、私は喜んで離婚してさしあげます。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる