【証拠はいらない】普通はどこにもない

Wataru

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【証拠はいらない】普通はどこにもない

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相談者は、二十歳そこそこの男だった。

派手な服でもない。
地味すぎるわけでもない。
顔を覚えようとしても、すぐに輪郭がぼやける。

「普通になりたいんです」

椅子に座るなり、彼はそう言った。

「普通?」

「はい」
「ちゃんと大学に行って」
「安定した会社に入って」
「結婚して」
「子どもがいて」

一息で言う。

「目立たず」
「失敗せず」
「誰にも何も言われない人生がいい」

相棒が、ちらりと俺を見る。
今日は口を挟まないらしい。

「今は?」

「やりたいことがありません」
「でも、ないまま進むのは不安で」

男は、指先を組み直した。

「周りは、もう動いてるんです」
「夢があるとか」
「海外行くとか」
「起業するとか」

「置いていかれてる気がする?」

「……はい」

正直な顔だった。

「だから、普通でいたい?」

「はい」
「普通なら」
「間違いない気がして」

俺は、しばらく黙っていた。

「なあ」

「はい」

「普通って」
「誰が決めてる?」

男は、答えに詰まった。

「世の中……ですか?」

「世の中って誰だ」

沈黙。

「親ですか」
「友達ですか」
「SNSですか」

男の喉が、小さく鳴った。

「……全部、です」

「じゃあ」

俺は椅子にもたれた。

「それを全部満たしたら」
「あんたは、安心できるか?」

「……たぶん」

「幸せか?」

男は、首を振った。

「分かりません」

俺は頷いた。

「普通になりたいってのはな」
「安全に生きたいって意味じゃない」

男が顔を上げる。

「“失敗した自分を見たくない”ってことだ」

図星だったのか、視線が落ちた。

「目立たなければ」
「選ばなくて済む」
「責任も取らなくて済む」

「……はい」

「でもな」

俺は、ゆっくり言った。

「普通を目指すのも」
「十分、選択だ」

男が、少し驚いた顔をする。

「逃げでも」
「妥協でもない」

「……そうなんですか」

「ああ」

「ただし」

少し間を置く。

「“自分で選んだ”って感覚だけは」
「捨てるな」

男は、深く息を吸った。

「やりたいことがなくても?」

「なくていい」

「夢がなくても?」

「構わない」

俺は、男を見る。

「でも」
「自分の人生を」
「誰かのテンプレで生きるな」

しばらく、静かだった。

「……普通って」

男が、小さく言った。

「意外と、難しいですね」

俺は、それ以上、何も言わなかった。



事務所に静けさが戻る。

相棒が、ぽつりと言う。

「結局、どうなると思う?」

「さあな」

窓の外を見る。

「でも」
「自分で選んだ普通なら」
「案外、悪くない人生になる」

相棒は、肩をすくめた。

「今日もいい天気だね」

「洗濯日和だな」

普通は、どこにもない。

だからこそ、
選んだ場所が――
その人の居場所になる。

証拠は、いらない。
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