男娼館ハルピュイアの若き主人は、大陸最強の女魔道士

クナリ

文字の大きさ
9 / 39

第一章 キーランドと薬術院の君7

しおりを挟む

 それまで黙っていたキールが、冷静な声でリシュに告げた。

「リシュ殿。当館では、いわゆる研修とか指導とか、そうしたことは行っていません。もちろん、お客様の満足度の確認や、男子の行為についてのチェックはしますが」
「そ……そんなことで、成り立つのか? あんな仕事が?」

「私たちハルピュイアの男子は、研修を受けて技術を身に着けたのではありません。それぞれに思うところがあり、それぞれに一度ずつのお客様と向き合い、そうして成長していったのです。最もルリエルとのつき合いの長い私でさえ、彼女の前で下着姿になったこともありません」

 私の、リシュをつかんでいる両手が、わなわなと震える。

「あ、あ、当たり前でしょ! き、キールが……ダンテやみんなが、私に、そんなこと……そんなことおおお!」
「ルリエル、できれば、そんなにぎゅっと瞼を閉じないで、目を開けてください。進行方向がずれています」

「だ、だって、リシュが……リシュが、なんかもう破廉恥なことを!」
「う、うわああ、手! ルリエル、手の力が抜けてる! おれが悪かった、もう言わない! すみませんでした! ルリエルはそんなことしない! だから、放さないでくれッ!」

空中散歩(というかダッシュ)は、二十分ほどで終わった。

「生き……てる……」

 空地の下草に下ろされたリシュが、自分の両手のひらを見下ろしながら呟いていた。
 前方百メートルくらいのところに、レンガ造りの、二階建ての建物が見える。上から見るとロの字型をしていて、中庭があるのだろうと思われた。
 ハルピュイアよりは、立地的にヴァルジの中枢に近いけど、かといって民家が近くにあるわけでもない。周囲は、なだらかな丘陵地で、大きくはないものの牧場になっているらしい。
 典型的な、小規模貴族の屋敷だった。

「あそこが、マリューシーさんの家ね、キール」
「ええ。早速、始めますか」

リシュが、ぽつぽつと明かりを灯した屋敷のほうへ、手のひらをひさしのようにかざした。
夜なのであまり意味はないと思ったけど、癖みたいなものなのだろう。
 私のほうも、もう、癖みたいなものだ。魔力を発動させる。魔素を集めて、威力よりは距離が出せるように空中で編成し、魔力で炎の属性を持たせるよう編成する。

「爆ぜろ、――」
「え?」

 ふい、とこちらを見たリシュの顔の、遥か向こうで。

「――爆炎よッ!」

 ずどおん、と屋敷の壁の一角が、眩しく炎上した。
 レンガは砕け落ちて、屋敷の内部が露出している。よしよし、上出来。

「なっ!? なんで!?」

 ぶんぶんと首を振って私と屋敷を見比べているリシュをよそに、キールはすでに抜刀している。
 十字架を模したロングソードが、鈍く、白く、光をまとっていた。
 この世界の剣士は、一定以上の腕前になると、ただ剣術が達者なだけではなくて、法術や魔術を併用するのが当たり前になる。
 そうでないと、ただの剣じゃ魔獣となんて到底勝負にならないからだ。

「リシュ殿、なぜと問われるのか。これ以上接近して魔道を放てば、すぐに屋敷内から応戦される恐れがあります。特にボウガンの類は、ルリエルとて危険でしょう。もっとも、矢ぐらいならば、二三十本飛んできたところで、私が叩き落せますが」
「だ、誰が戦術的意義を訊いたんだよ!? おれが驚いてるのは、」

「この距離であれだけの威力が出せることですね? 確かにルリエルはけた外れの魔道士ソーサラーです、私もこんな芸当は見たことがなく、チェルシーズの魔法部隊でさえ――」
「違あああうっ!」

「あ。キール、出てきた」

 楽しそうにやっているリシュたちには悪かったけれど、壊れたレンガ壁の奥から、わらわらと人が出てきたのだ。
 遠目にも、全員武装しているのが分かる。
 このくらいの備えは、珍しいことじゃなかった。
 特に――悪事を働いている貴族なら。

「二十人、くらいでしょうか」
「そうね。こっちを見つけていない、しかも固まってくれてる今がチャンス!」

 そして再び、魔素の構成と錬成。

「な、なあ、二人とも……」
「逆巻け、――」
「頼むから、説明を……」
「――渦炎かえんよ!」

 ぎゅばばば……という独特の音を立てて、横倒しにした竜巻のような、渦を巻く炎の帯が、用心棒たち――だろう、多分――へと襲いかかる。

「ぎゃあああっ!?」「ま、魔法!?」といった悲鳴の後に、着弾の音が響いた。
 屋敷のレンガが、あとついでに粗暴そうな男たちが、改めて吹っ飛ぶ。

 私は舌なめずりをして、炎上する屋敷を眺めた。
「くっくっく……手ごたえありね。私お気に入りなんだ、今の魔道……フッ!」
「完全に悪役だ……」

「ルリエル、真打が出てきそうです。大駒が三人ほどいるようですね。私が行きますか?」

 キールの、剣士としての勘は、抜刀して臨戦態勢になると、剣にかけられた法術の効果もあってなお研ぎ澄まされる。私がこの力に助けられたことは、一度や二度じゃなかった。

「ううん、もうひと超え、敵の戦力をそいでからにしよう。この状況でもったいぶって出てくるなら、敵の切り札的な人たちなんでしょうね。腕が鳴るわあ」
「こんなところから一方的に狙撃して、そんな得意げになられても」

 リシュが耳の痛いことを言った気がしたので、戦術的理由から無視し、私は次の魔道を準備した。

穿うがて、――」
「向こうだ! あの丘のほうから炎が飛んできた!」と用心棒たちの声が聞こえる中。
紫焔しえんよッ!」

 私が突き出した右手のひらから、紫色の炎でできた、野太い矢が飛び出した。
 全部で五本、次々に射出された矢は、それぞれに独自の軌道を描きながら、目標を撃ち抜く。
 手加減した三発が、弧を描いて、敵の切り札(仮)三人のみぞおちを突いた。声もなく、三人は崩れ落ちる。もう、しばらくは立てないだろう。
 手加減なしの二発は、半壊状態の屋敷の壁に二つの風穴を空ける。
 二種類のダメージは、私が想定していたより、こちらとあちらの戦力差を雄弁に語ったようだった。
 みるみるうちに、前方から伝わってくる殺気が萎えていく。

「……ルリエル、私、ついてきた意味がありましたか?」
「え、それはあるよ。一人と二人じゃ、できることが全然違うんだから。それにこれで私だけ出ていったら、すっごく暴力的な魔道士が殴り込みかけてきただけみたいでしょ。正義はこちらにありっていう、説得力がないと」

「どう取り繕おうと、やってることは、暴力的な殴り込みにほかならない気がするが」と、リシュがまた、聞きたくない話をしていた。

 私とキールは、マスクをして、屋敷へと歩き出す。リシュにはマントを羽織ってもらった。一応、顔を隠しておくに越したことはないだろう。
 徒歩だと屋敷に到着するのに数分かかったけれど、その間の時間はなんとなく間抜けだった。

 ようやく、煙を上げている屋敷に到着し、もんどりうって転がっている男たちに、私はびしりと人差し指を突きつけて――品がないのであまりやりたくないけど、迫力重視で――言い放つ。

「ここの主人の、ビロウサー・シモンズを出しなさい! 言っとくけど、裏から逃げたとか、今日は留守とか、そういうしょーもない言い逃れはしないよーに!」

 すると、瓦礫に足を取られかけながら、屋敷の壁の破れ目からよろよろと、中年の男性が現れた。
 ナイトガウンを着て、顔は赤らんでいる。お酒を飲んでいたのかもしれない。

「な、なんなんだ。お前たちは何者だ。わしが誰だか知っての狼藉――」

 キールがずいと進み出る。

「むろん承知の上だ。ビロウサー・シモンズ。薬術院やくじゅついん主査しゅさにあって、その地位を利用し、研究員の女性を我欲によって辱めたな。これは天罰と思え」
「なっ……」

 シモンズの顔色が変わる。
 リシュが、そっと私に耳打ちで訊いてきた。

「なに今の。本当なのか?」
「本当よ。トリスタンがここのところ留守にしてたでしょ。彼の魔術を駆使した調査で、完璧に裏は取れてるのよ」

「あの根暗……いや大人しそうなやつが、そんなことを……」
「その手のことやらせたら、トリスタンの右に出る者はいないと思うわ。ふっ、それにしても、キールの騎士口調は効果覿面ねっ。主人の私が口上を述べるより、軽く十倍近い圧力があるわ!」

「いいのかそれで……?」とリシュが半眼になる。
「あっ」

 私は、右上方に目を向けた。そちらから、攻撃的な気配が放たれている。
 そこには、夜空を背景にして、物見櫓が建っていた。地上五メートルほどの位置にあるてっぺんに、人影は、見えたような見えないような――でも、いる。

「キール、」
「はい」

 物見櫓の上から、矢が飛んできた。続けざまに三本。クロスボウだろう。
 キールが、白く光るロングソードを閃かせて、それを叩き落とす。
 私が魔道を放って、とりあえず物見櫓は爆砕しておいた。

 シモンズが叫ぶ。
「お、お前たちも撃て! ボウガンを持ってるやつは、あの男を狙い撃ちしろ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

処理中です...