男娼館ハルピュイアの若き主人は、大陸最強の女魔道士

クナリ

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第一章 キーランドと薬術院の君9

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 キールがうんうんとうなずきながら、下方になにかを見つけた。
「ああ、あの馬車、マリューシー様のですね。これからシモンズの屋敷へ帰ったら、驚くでしょうね」
「言っとくけど、下宿部分は無傷で残してあるんだからね」

「存じてますよ。ほかの下宿利用者も、いきなりの爆発で驚いてはいるでしょうが。王宮の警備軍には通報されるよう手配しておきましたから、彼らに保護されて、今晩は皆さんヴァルジのどこかホテルに泊まることになるかも――」

「……あんた」

 リシュに話をさえぎられても、キールは不愉快そうな顔もせずに聞き返す。

「はい? 私ですか?」
「前にも訊いたけど、キール、あんたさ、どうしてそこまで、この魔道士ソーサラーに尽くすんだ? いや、もう、納得はある程度してるよ。ルリエルは、全然悪い人じゃないし、むしろこの国にとって利益になることばかりしているんだろうと思う。おれだって、もう信頼してる」

「ありがとうございます」とキールがにっこり笑った。
 な、なんかくすぐったいな。

「でもおれは、あんたのほうが気になる。……チェルシーズの騎士団長って話」
「元、ですよ」

「元だろうが先だろうが、そんな立場にいた人間がやる仕事じゃないだろう……?」

 キールが、珍しく、困ったような顔で私を見た。珍しくというのは、私以外の人間に困らされている、ということだけど。
 私は小さくうなずいて、促した。
 どの道、うちに帰るまで、時間はある。

 もう、一年近く経つんだなあ。
 私とキールが出会って、彼が、私の男娼館一人目の男子になってから。

「キールの口からは言いにくいこともあるだろうし、私から話してもいい?」
「助かります」とキール。
リシュも「もちろん」とうなずいた。

「そーねー、話すと長くなるんだけど。かいつまんで言うと、まず私が旅の途中に、チェルシーズの雪山の辺りで、魔獣の群れに襲われてたのね」
「あの時は、ルリエルにしては珍しくピンチだったんですよね」

「……どんな出だしだよ。ピンチもなにも、魔獣って、ただの獣じゃなくて『六つの悪魔』の手下だろ……」

 いつもだったら、それでも魔獣くらいわけないんだけど、あの時は結構危なかったのだ。

「そんな私を、騎士団長やってたキールが拾ってくれたの。で、キールのうちに泊めてもらってたんだけど、実はキールったら、チェルシーズのお姫様と幼馴染なのよ。といっても、指一本触れたことはなかったらしいけど」
「……へえ」

「そのお姫様が、ほかの国との政略結婚させられることになったんだけど、以前からキールとお姫様は相思相愛で、……でも、そんな理由で国同士の結婚を取りやめるなんて無理でしょ?」
「そりゃそうだ」

「で、私が一肌脱いで、結果から言うと、二人を静かな場所で一晩、二人っきりにするようお節介したわけ」
 リシュが、ほお、と息をついた「……粋なことするじゃないか。政略結婚前に、本当に好きな人と過ごす時間を、一時とはいえ作ってやったわけだ」

「だってお姫様が、もう一生、本当に愛する人と抱きしめあうことはできない……みたいなこと言うんだもん……」

 あの可愛らしい姫の、そう言った時の表情は今でも忘れられない。
一生分の切なさが詰まったようなあの瞳を見て、私にできることならなんでもしてあげようと思ったのだ。

 キールが、微笑んで言った。
「ええ。私は、あの夜のこと、今でもとても感謝しています。心から……」

「でもさ、あの時大変だったよね。キールを失脚させて城内の権力を一手に握ろうとしてた宰相にかぎつけられて、武装した軍隊が差し向けられてきてさー。あれ今思えば、単にキールを捕まえるためだけじゃなくて、なんか腕のある魔法使いもキールに加担してるっぽいなって感づいてて、それで百人単位の討伐隊が組まれたのよね、きっと」
「……へ?」とリシュが、私のほうへ首を巡らせる。
 この驚き方、癖になってるみたいだな。

 キールは申し訳なさそうな顔で、
「ですが、あの時私は建物の中で姫と過ごしていて、そんなことになっているとは、翌朝までまるで気づきませんでしたよ。ルリエルが宰相の手勢を壊滅させてくれなかったら、私も姫もどうなっていたか分かりません」

 リシュが半眼になって、私とキールを交互に見比べた。

「武装した何百人の討伐隊を……一人で壊滅……」
「苦労したんだから。爆音がしたらキールとお姫様の邪魔だと思って、火力を保ちながらも音を立てずに一軍を吹っ飛ばさなくちゃならなくて」

 二人を抱えているので、肩をすくめようとしても上手くいかなかった。

「ま、まあ、いいけどな。で、そのお姫様はキールとの逢瀬を経て、その後どこぞの王族と結婚したわけか」

「あー、……いや、それが」
「そうスムーズな話でもなくなりまして」
「……まだなにかあったのかよ?」

 これには、キールが答えた。

「リシュ殿もおっしゃっていたように、私とミルナエ姫とのスキャンダルは、その後チェルシーズ内どころか外国まで広まってしまいました。姫ももう隠し立てせずに堂々と王にそのことを打ち明け、結果、姫の結婚はその時はなくなったのです」
「ああ、そうか。そうだよな。で、キールが死刑になったと」

「ええ。ですが、私は王から温情を施され、記録としては斬首されたことになっているのですが、実際には秘密裏に逃がされて、今はここにいいます。二度とチェルシーズの地を踏まないという約束と引き換えに」
「それは、確かに温情だなあ。いくら騎士団長でも、王族の姫に手を出したんだから」

 私はそこにくちばしを突っ込んで、
「それまでにキールの功績が、チェルシーズにとって大きかったからよ。キールがしてきたことが、自分を救っただけよ。なんだって、やったことは自分に返ってくるんだから、だいたい」

「ふん。それで、ルリエルと二人してチェルシーズを出た?」
「そうです。私はあてのない旅に出ることになりましたし、ルリエルもそれは同じでしたから、一緒に夜中に国の門を出て。……ですが、私は、遠からずルリエルと別れるつもりでした。その時には、もう、これからは男娼として生きていこうと思っていましたから」
「いや待て待て待て。そこだ。そこが分からないって。なんでそんなに、極端にいくんだ?」

 キールは、少しだけ空を仰いだ。

「私は、敵国の軍隊や、魔獣を切り倒し続ける生き方に、少し疲れてしまったのです。というより、私には向いていないと思いました。そして、誰かを――ほかの生き物を傷つけるよりも、慰め、励まし続けて生きていきたいと思うようになりました。もちろん男娼というのも簡単な仕事ではありませんが、少なくともその時は、そんな風に人の役に立ちたいと思ったのです。幸い、体は鍛えていましたしね」

「……じゃあ、自分の体を使って女人にょにんに役立てたいと思えたきっかけっていうのは」
「やはり、姫と過ごした一夜の影響が大きいです。彼女と、男娼のお客様とでは、状況が全く異なるので比べられませんが。素肌を合わせ、温もりを与え合い、その時に伝えたいものを伝えるべく全力を尽くす……。たとえかりそめでも、こんな風に人の心と体を満たせるのならば、それを生業にしたいと思えました」

 ああ、とリシュが喉を震わせた。
「分かる気がするよ。一度でも、そんな体験をするとな……。人とつながるって、少し怖いところあるよな。……え、いや、それで、なんでルリエルがその後も関わっていくんだ?」

「私はキールからその話聞いて、それいいなって思ったんだよね。この大陸の女の人は、……悪魔との戦いがずっと続いているせいもあるんだろうけど、あんまり丁寧に扱われてないことが多いと思わない?」
「……それは、ちょっと思う。戦乱が続くと女性の立場が男に追いやられていくっていうのは、情けないが、どこの国でも珍しくないからな」

 リシュが、遠くを見やる。
 そのまなざしには、上辺だけじゃない優しさがあった。
 こういう人には、話のしがいがあるな。

「で、私なりにそれまでにも色々考えてたんだけど、キールの話を聞いて、女の人が満たしたいと思ってる欲求を、直接的に満たす仕事をするっていいなった思ったんだ。で、ああいう仕事って、後ろ盾がいるっていうか、なんの保証もなくやるには危なっかしいでしょ? それで――」

 地球でも、ちょっときわどいお店などでは、やくざさんなんかがバックについてることが多いって聞いたことがあるし。
 本当かどうかは分からないけど。ケツモチって言うんだっけ。

「――それで、私がキールの後ろ盾になろうと思って。いくらキールでも、初めての仕事で、一人じゃ厳しいところもあるだろうから。それで、人口が多いザンヴァルザンの首都に来て、世間の目が厳しそうだからそこからちょっと離れたところに家を建てて、『ハルピュイア』を作ったの。オーナーの私と、男子はキールたった一人、二人だけの男娼館を」

 リシュが、「確かに、シマ争いで多少もめても、『七つの封印』がバックにいれば強気で押せるよな……」と呟く。
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