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第三章 リシュとザンヴァルザン妃王の君4

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 私は、キールに手早くブリーズを紹介した。
 キールはここの副社長みたいなものなので、早く顔合わせさせたかったため、助かった。

「き、きゃああ、かっこいい。こ、このかっこいいお兄さんが、この建物のお部屋であんなことやこんなことを……て、ていうか、今さっきまでそんなことやどんなことを!」

 顔を赤らめるブリーズに、キールが「そうですね」と苦笑する。

「ちょうどよかったわ、キール。明日にでもみんなには話すけど、キールは先に聞いておいて欲しいから。今日の王宮での話」
「ええ、ぜひ。……リシュも、関わるお話なのですね?」

 キールは自分の分のお茶を入れようとしたリシュに断りを入れて、座らせた。
 リシュは神妙な面持ちで、口を開く。

「まず、おれの本名は、メリシュラ・ラウスネヴィル・カニシュカンドという。さっきも言った通り、カニシュカンドの王子だ。……王子、だった。一年前、カニシュカンドが滅ぼされるまではな」

 ごく、と私の喉が鳴った。
 カニシュカンドが悪魔に滅ぼされたのは聞いている。でも、その失われた国の当事者と向かい合っていると、話に聞いていたのとはまるで別種の生々しさがあった。

「ルリエルやキーランドも知ってると思うけど、カニシュカンドは、大国とは言えないけどな、小国でもない。特に騎士団の強さには定評があった――はずだ。で、このベルリ大陸で騎士団が強力な国っていうのは、大抵、六つの悪魔の討伐を目指す。……今までそれで悪魔の逆鱗に触れて滅ぼされた国は十やそこらじゃないはずだが、みんな『自分の国ならやれる』って思うものらしいな」

 私も魔法の修行で大陸史を習ったので、分かるところがある。
「ああ……そうかも」

「カニシュカンドもその例にもれなかった。王――おれの父は、歴代の王にも増して軍備を増強して、悪魔討伐の計画を進めていたよ。それが一気に動き出したのは、国内に七つの封印の一人が訪れたことだった。王から協力を求められたその人は、喜んで了承してくれたらしい。なんでも、もともと住んでた村が悪魔に滅ぼされたことがあるらしくてな。村の仇討ちってわけだ」

「え、待ってよリシュ」と、つい口を挟んでしまう。「そんなの一人くらいいたって、悪魔なんてそうそう倒せるものじゃないわよ。七つの封印が勢揃いしたって、勝てる保証なんてないのに。……ちなみに、なんて人? 私知ってるかな」

 「名前は、ヒュー……ヒューリー……なんとかいったかな。顔合わせの時は向こうがローブ被ってたから、顔は分からすじまいになった」と言って、リシュが苦笑する。「なんにせよ無謀だよな。でも、当事者たちはそうは思わなかった。実際、自分たちの戦力が充分ではないって自覚はあったようで、十重二十重の作戦を立てて、確実に準備を進めてた。……でも、ある日、悪魔のほうからやってきた。東大陸をあてもなく放浪しているという、六つの悪魔の一つ。スノウ・アーチローダーが」

 リシュの手の中のカップが、強く握りしめられている。指先が真っ白になって、今にもカップが割れてしまいそうなほどの力が込められているのが分かった。

「激戦だった。準備していただけあって、カニシュカンド軍も、七つの封印の一人も、かなり善戦していたらしい。でも、常に綱渡りのような戦況で、とうとう、王族には避難命令が王から出された。おれを含めて五人いた王子は、深夜に馬車に乗せられて、ばらばらの方向へと脱出する……はずだった」

「はず?」と私が聞きとがめる。

「脱出を決行した、まさにその日。カニシュカンド軍が敗れたんだ。騎士団は追い散らされ、七つの封印は殺され、城壁は破られて、首都も王城も悪魔に踏みにじられたのさ」

 私も、キールも、ブリーズも息を呑む。

「真っ先に、王と第一王子が殺された。……その時にはもうおれたちは馬車に押し込められていたから、その時一緒だった女従者たちから聞いた話だけどな。そして全速力で城から逃げ出したおれたちに、悪魔が追いすがってきて、……南へ逃げたおれ以外の三人の王子が、馬車は別々だったが、どれも追いつかれて殺された。おれだけは北へ逃げたんだ」

 リシュの手が震える。
 カップの中身がテーブルにこぼれ、褐色の液体が広がった。

「おれの馬車に一緒に乗っていたのは、五人ほどの従者だ。全員、女だった。男の戦士は戦場に出ていたからな。従者の中には、小さい頃からずっとおれの面倒を見てくれた、乳母代わりの、三つ年上の城つきのメイドもいた。貧しい家の出身だったが、教養と学問を身に着けて、王族というだけでなにもできない子供だったおれを、なにくれとしつけてくれた。おれの、一番の恩人だよ。家族同然で、いつも一緒にいた。でも……」

 リシュの目から、涙がこぼれ出す。
 声に嗚咽が混じって、絞り出される言葉は、うめき声のようだ。

「でも、……ほかの王子を殺したアーチローダーが、北進しておれの馬車にも迫っていると聞いたあいつは、おれの服を奪うと自分で着て、馬車から飛び降りた。そして、道を戻っていった。腰に剣を帯びて」

私は、「剣……」と呟く。

「カニシュカンドは、キールのいたチェルシーズほどじゃないが、武術の盛んな国だ。城のメイドなんかでも、剣は扱えるように鍛えられる。……彼女を連れ戻そうとしたおれは、残った四人の女従者に薬をかがされて、……気がついたら、馬車に一人残されて、隣国の関所近くに寝かされていた」

 キールが、ハンカチを差し出しながら、訊く。
「ほかの従者の方々は……?」

「馬車の中にあった剣が、人数分なくなっていた。恐らくは、あいつらも道を戻ったんだ。おれを安全な場所に置いて、引き返して……。それから、カニシュカンドの生き残りがいるという話は聞かない。おれ以外にはな。ただし、アーチローダーも無傷じゃすまなかったらしく、その後はなりを潜めてるって聞くな。……はっは、ざまあみろ。ただで済むわけないんだ、おれの……カニシュカンドの騎士団と、まともに戦ったら……、しかも七つの封印だって、いたんだから……」

 リシュがカップを置いた。涙ももう引いている――引かせている。「ほら、実際、その後スノウ・アーチローダーが現れたって話は聞かないだろ? これは、甚大なダメージを負った証拠なんだよ。悪魔が傷を癒すには、確か、一際魔素の多い空間でじっとしていることなんだよな? 人間みたいに、肉体的な治療ってのはなくて」

 まくしたてるリシュに、私はゆっくりうなずいた。その通りだ。悪魔は実体を持ってはいるけど、その体は主に、桁外れの密度で凝縮した魔素で構築されている。
 けがをした場合は魔素で癒すしかないので、必然的に、大陸でも有数の魔素の集積地のどれかに赴くという。まあ、悪魔が傷を負うこと自体が滅多にないんだけど。
 あとは、人間の魔法使いから魔力を吸い取って我が物にすることでも、治療が可能らしい。
 もっとも、一人や二人の魔法使いの魔力くらいじゃ、悪魔の足しにはあまりならなそうな気はするけども。

「おれは、それからは、身分を隠して諸国を渡り歩いた。身寄りのない元王族なんて、どう扱われるか分からなかったからな。根無し草みたいな放浪をして、もう生きている意味もないような気もしたが、このままは死ねないと思った。……それで、自分にできる金の稼ぎ方を考えて、実行して、……なんだかんだ、一年か。それで、ルリエルたちに出会ったんだよ」

 その時のリシュにできる、お金の稼ぎ方。
 出会った頃の彼の様子を思い出して、想像する。おおよその予想はできる。
 そこへ、キールが、穏やかな声で告げてきた。

「王族というのは、……特に東大陸では、王位継承権の低い王子は政略結婚に使われます。身分ある女性に婿に行くことが多いので、つまり――自分の体で女性を喜ばせる術を身に着けることが多いといいますね」

「え!? そうなの!?」

 驚く私に、ブリーズが
「え、知らなかったんですか?」
 と目を丸くする。この大陸での常識らしい。くっ、すみませんね、まだまだ疎くて。

 リシュがうなずいて、
「その通りだ。おれの場合は、見た目が多少小ぎれいだったのもあって、他国の男にあてがわれる可能性もあったから、相手の性別がなんであろうと相手ができるように仕込まれた。その『稽古』はまあ、羨ましがるやつもいるけど、望んでのことじゃない分、おれなりにつらいところはあったよ。人を悦ばせる技術であって、おれが愉しむためのものではないしな。でも、そんな時はいつも……」

 さっきの話を思い返す。

「そのメイドさんが、リシュを励ましてくれてたんだ?」
「ああ。あいつがいつも隣にいなかったらと思うと、今でも体が震える。……それから、結局、おれの婿入り先の相手は女性に決まった」

 私とブリーズが、同時に声を上げた。
「あ、それが」


「そうだ。おれがあてがわれたのは、西大陸の大国、ザンヴァルザンのカーミエッテ妃王陛下だ。だから陛下はおれを機にかけてくださってるし、おれもふらふらとこの首都ヴァルジまでやってきた。体を使って、日銭を稼ぎながらだけどな」

「あのぅ、それならぁ……早く妃王陛下のところへ行けばいいんじゃないですかぁ?」

 右手を挙げて発言するブリーズに、リシュは答える。

「全くだな。世俗で体を穢れさせたとみられるのが嫌だったとか、そんな理由もあったけど、一番は……怖かったからだ」

「怖い、ですかぁ?」

 リシュがうつむく。

「ああ。もうおれには身寄りも国もない。ただ、妃王陛下のお体を悦ばせることだけが存在価値の、もとから実質的にはそうだったとはいえ、もはや建前すら取り繕う余地のない情夫だ。妃王陛下は、情け深い方だと聞く。一度頼れば、おれを放り出すようなことはしないだろう。昔の約束を守って、おれを囲い、……そうして、そのままおれは歳を取っていく。やがて情夫として用済みになれば、なんの取柄もない中年男の出来上がりだ。無駄飯食らいの、誰のなんの役にも立たない人間のな」

 そうか、と思った。
 今までにあった不幸を、リシュは、この小さな体で、現実のこととしてきっちり受け止めている。
 でも、これから先の人生が、すっかり見えたものになって、しかも未知の可能性に恐ろしく乏しいものだと見当がついてしまっている。
 その生き方は、ヴァルジの王宮で妃王陛下に拝謁した瞬間に決まってしまう。
 それでは、二の足を踏んでしまうのは分かるような気がした。

 ……でも。はて。
 一つ、思いついたことがあった。

「あのさ。妃王様って、まだ再婚されてないし、今のところする様子もないじゃない?」

 私の発言に、三人が首をかしげながらうなずく。

「そこで、リシュが、まあお体の相手としてでも、王宮に入るとするじゃない」
「なんだか、王宮っていうより、後宮って感じですぅ」

 私は、そこでブリーズに向き直った。勢い込んでいたせいで、ブリーズが「ひえっ」とのけぞる。

「それよ! もし、することして妃王との間の子供ができたら、リシュは次期王様の父親でしょ!? 結構な権力が手に入っちゃうんじゃないの!? リシュ凄いじゃん!」
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