棘を編む繭

クナリ

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エピローグ 1

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エピローグ
 二人が待ち合わせた場所は、空き地だった。
 粗末な塀と野放図な雑草に囲まれて、二人は立ったまま向き合った。
 秋の夕日は、今にも闇に飲まれようとしている。
 灰色の髪をした青年が、黒髪の青年に向かって、口を開いた。
「誤解を解くのを忘れていた。僕は、君のことが二の次だったわけじゃない」
「どうかな。あまりご執心いただいていたようには思えなかったが」
「君に見向きもしなかった、ということじゃない。ただ、……君だけは、何があっても絶対に僕の友人でいてくれると信じていただけだ。勝手にもね」
「まあ、そういうことにしておくか。大変勝手だけどな。言っておくが、キリの繭の部分だけを鳴島から引きはがせないからって、鳴島の繭を無理矢理ごっそり切り取るような真似でもしてたら、今こうして平和になんて話してないからな」
「これも、誤解のないように言っておくが。それは彼女を不要に傷つけないためではなく、そんな不純物だらけの繭なんていらなかったんだろうね、あの時の僕は」
「ろくなもんじゃないな」
「欲しいものは、一部じゃ足りないし、無駄な部分もいらない。純粋だろう? 理解できないほどに」
 灰色の髪の青年は、別れの挨拶も交わさずに、空き地から出ようとした。その足元から伸びた影が長い。しかしその横には、同じくらい長く伸びた、黒髪の青年の影が並んでいるのを、彼は見た。こんな風に、並んで過ごした時期があった。ずっと昔に。今はもう違う。
「お前、今何をしていて、これからどうするんだ?」
「前にも言ったろう。今の僕なりの――償い方があるさ。君こそ、僕をどうにかしたいと思わないのか」
「考えたこともあるけどな。ただ、死者も生者も、その尊厳を守れるのは生者の理性しかない。そうとも思ってるよ。お前はまだ、僕にとってはかろうじて理性の範疇内ってことだ」
 二人とも、少し笑いたくなった。しかし、微笑みもしない。
「だから君の傍にはいられない。君に許されるわけにはいかない」
 誰も許すなんて言ってないだろうが、と言葉にする前に、空き地には黒髪の青年一人が残った。
「さて……帰るか。日曜日の日暮れって、何だか早く感じるよな」
 空を見上げる。血のような赤が、今まさに遥か遠くで点になり、消えようとしている。
 その時。
「クツナ」
 アルトが、再び空き地の入り口に立っていた。乏しい光の中、かろうじてその顔が見える。
「何だ」
「……僕が」
「ああ」
「僕が悪かった。取り返しのつかないことをした。済まなかった」
 周囲の街頭の光量が足りないのか、太陽が沈むと、周囲はひどく暗くなった。
 クツナが気がついた時には、もうそこに幼馴染の姿はなかった。
「遅いです。少し出かけるって、何時間経ってるんですか。誰と会ってたんです?」
 自分の家に戻ったクツナは、よく吠える飼い犬を尻目に玄関に入るや否や、アルバイトの高校一年生にそんな風に責められていた。
「いや、悪い。会ってた時間はほんの数分なんだが、家からはつい早く出ちまったんだよ。まあいいじゃないか、今日は依頼も午前中に終わったし」
「クツゲンさんも今日は遅くなるって言ってましたし、電話番しないといけないと思って残ってたんです。そうでなければ、尾幌先輩とどこか出かけられたかもしれないのに」
 尾幌エツには、夏休みが終わる前に、クツナの方から必要な範囲の事情を話してあった。エツは驚いてはいたものの、その後もシイカとはよい友人でいてくれている。
「ところで、どうだ鳴島。最近は何か、仕事内容に不満とかあるか?」
「不満てほどじゃないですけど……。ただ、私には繭も見えないし触れないので、クツナさんが繭使いをしている間、何もできないでぼーっとしているみたいで、それは時々何というか……いたたまれないものがあります。アルバイト料だって、多めにいただいてます
し」
「ん。手伝ってみたいか?」
「依頼者の人たち、皆、救われたような顔になって帰っていくじゃないですか。そういうのは、いいなって……思います。不思議なお仕事ですけど、でも、いいお仕事ですよね」
 二人は居間へ移った。シイカが紅茶を二人分淹れる。クツゲンはよく茶葉を大瓶で買ってくるのだが、それがしけってしまわないように、最近はクツナも半ば強制的に紅茶派となって、消費に協力していた。
「でも私、どうしてこのアルバイト始めたんでしたっけ。私、こんな不思議な能力のこと、簡単に信じるような性格じゃないと思うんです」
「まあな」
「私、ここで働くの好きですよ。でも、何か、時々……変なんです。辛いっていうか、あ、いえ、辛いといっても、嫌だとかではなくて……」
 シイカはぱたぱたと手を振った。口数は以前より増えたし、身振りも大きくなっている。しかし時折、一人で何かを悩んでいるのも事実だった。
「変な言い方になっちゃうんですけど……ここにいればいるほど、不安になることがあるんです。これでいいのかな、私ってなんでこうしてるんだっけって。何の役にも立ってませんし。依頼者の方を少し接客したり、ちょっとヒアリングするくらいじゃないですか。
私、アルバイトっていうほどのことできてるんでしょうか」
「見てみるか?」
 紅茶のカップをクツナがソーサーに置く。アールグレイの水面が小さく揺れていた。
「え?」
「君に何ができて、どんなことをしてくれたのか、見てみるか」
「どういうことです?」
 クツナは、長袖の青いシャツの胸の辺りを指さした。
「今ここに、君の記憶の繭がある。以前、君がある――依頼者に、与えたものだ。この繭は、一度はその依頼者の一部となって、彼を助けた。でもそいつが、二か月以上もかけてようやく、きれいに、過不足なく、自分の繭から切り離してくれた。そいつには、もう充分役に立ってくれたってな。僕がさっき会ってきたのは、そいつなんだ」
「私の……? どうして……」
「それも、この繭を君に戻せば分かる。ただ、楽しい思い出ばかりじゃない。それでもいいって気になったら言ってくれ。いつだって――」
「いいです。ください、その記憶」
 シイカは、両手の拳を握って、前のめりになって言った。
「お、おお。即決だな。いいのか?」
「分かるんです。それが、とても大切なものだって。私がずっと欲しかったものだって」
「承知した。辛かったら、すぐ言えよ」
 施術室でもないリビングで、二人はローテーブルを挟んで立った。
 クツナが慎重に、しかし手早く、自分の胸につなげていたシイカの記憶の繭を切り離し――そしてシイカにつなげていく。
 やがて、クツナの手がシイカの繭から離れた。術式は終わった。
 シイカは何も言わずに立ち尽くしている。
 一分。二分。
 クツナは身をかがめて、シイカの顔を覗き込んだ。面白いほど真っ赤になっている。
「鳴島」
「……はい」
「クツナサンノ記憶ヲナクシテモ、クツナサンノコトハ忘レナイヨウナ気ガスルンデス」
「わ……忘れてないじゃないですか」
「どこがだっ!? 今の今まできれいさっぱり忘れてただろうが!」
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