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<エピローグ ユーフィニア・ヘルハウンズ>
六月の風は、湿気を濃くはらんでいる。
その中で、草原を、湿原を、砂地を、荒れ地を、ひたすら走り続けてきた黒い馬。
馬に続く、何台かの馬車。
すべてがようやく動きを止めたのは、ある森のはずれだった。
馬と馬車から降りてきた人々は、森の奥へと歩を進めていく。
先頭に立つのは、黒ずくめの男だった。髪も、服も、軽装に仕立てた皮の鎧も、身にまとうものはなにもかもが黒い。ただ、透けるような白い肌と、金色の瞳が、木漏れ日を受けて輝いている。
さほども進まないうちに、一行は足を止めた。
目当てにしていた木組みの小屋に到着した彼らは、一様に喉を鳴らす。
黒ずくめの男が、ドアに手を伸ばした、その時。
小屋の中から、年老いた女の声が聞こえた。
「おい。お前さん、香草の棚をいじったかね」
それに応える、若い女の声。
「いじったっていうか、ちょっと使いやすく順番買えただけですよ。あと埃は払いました。」
その声こそは、半年もの間、一行が探し続けていた人物のものだった。
軽く息を呑んだ彼らをよそに、小屋の中の会話は続く。
「そーれーを、いじったと言うんじゃ! 多少仕事を覚えたとはいえ、まだ半人前以下のくせに!」
「だーかーら、そうメモに書いたじゃないですか! しょっちゅう留守にするんだから、口頭でなんてそうそう伝えられないでしょ?」
「わしは忙しいんじゃ! ったく、グリーシャで横暴な王が追い落とされて、そのおかげでこっちへ侵攻しに来なくなったのはいいが、戦を当て込んで作っとった薬草の類が無駄になっちまう! お前さん、あのエルなんとかいういいにおいのする草はここじゃ作れんのかい!」
「だって、リルたちの商売敵になりたくないですもん。エルダースがなくたって、エドンサルテは別に困らないでしょ」
そこが、馬の一行の我慢の限界だった。
黒ずくめの男が、ノックしてドアを開ける。
そして、低い声で――務めて穏やかに――言った。
「エルダースは、予想を超えた大反響を起こしている。戦がなくなったおかげで、売り上げを戦費で消費することもなくなり、国庫が潤う一方だ。さらにはエルダースを取引材料にした商売がどれもえらく儲かってな。じきに、経済的には小国連合がグリーシャを凌駕するんじゃないかなんてジョークまで街では聞かれる――」
リルベオラス・ヘルハウンズがそう滔滔と述べるのを、小屋の中の二人――声の通り、老婆と、粗末なベージュの作業着を着た若い女――は、ぴたりと固まって聞いていた。
老婆はただ突然の闖入者に驚いているに過ぎなかったが、若い女のほうは「ヒェ……?」とうめいたきり、絶句している。
「――その最大の功労者を、この数ヶ月、延々延々延々延々と探し続けていたわけだが。ここにいたとはな」
「リ……ル? どうして……」
「森の魔女に、君の行方を占ってもらいに来たことはあったが、その時はここに君の影も形もなかった。魔女が何も言わなかったところを見ると、口止めをして居留守でも決め込んでいたわけか」
魔女――エドンサルテが、肩をすくめる。当たり、ということだ。
「で、でも、どうして、それなのに、私がここにいるって」
「城の医師が、薬の処方箋を訊くのに、そこの魔女へメールスワロウを時折飛ばしているだろう。その返事に、猫の黒い毛がついていた。君のメイドのムシュがたまたまそれを見つけてな。おそらく、君とともにいなくなった黒猫の……ルリ、と名づけたらしいな。その猫の毛に間違いないから、君が一緒にいるのではないかと推量してな」
ニャア、とくだんの黒猫が、悪気もなく床を歩いている。
「わ、私、ここでなら、手に職つけられると思って……リルたちのほかに知り合いもいないし、行くところもないから」
「知り合い? いるじゃないか。四人の妹姫だとか」
「そ、それは」
「つまり、おれに見つからない程度におれと縁遠いなんていう都合のいい知り合いが、魔女殿しかいなかったということだろう」
「う、ううう……そうですう……」
しおれたようにこうべを垂れてから、再び、ユーフィニアは顔を上げた。
「でも本当に、どうして今さら私を……って、あっ!? 離縁状の書き方が間違ってて、処理不可で戻ってきたとか?」
「いや、離縁状はよく書けていた。だが――」
その時、リルベオラスの後ろから、けたたましい声と共に何人もの人影が小屋の中に躍り込んできた。
まずは四人。
「四の五の言わずに! わらわと帰るのです! あなたがいないとつまらないのですよ!」
「わたくしも……そう願っております。あなた様が隠遁されるいわれがありませんでしょう」
「あたしもあたしも! ねえっ、またリルベオラス様のお妃様として、一緒にパーティしましょうよ! 今度はうちの国で!」
「わ、わたくしめも……参りました。あれから、わ、わたくしめは、以前よりもずっと多くの人と、こ、交流を持てるようになったのです。どうか、ゆ、ユーフィニア様に、その姿を見てもらいたいく……」
「え、ええっ!? ミルノルドに、リビエラに、クライネに、ヒルダ!?」
さらに、そこへ三人。
「ユーフィニア様……申し上げたはずですよ。もう少し思慮深くなっていただきたいと」
「エルダースの農園、さらにでっかくなったんですよ! あたしとユーフィニア様から始まったんですからね、あれは!」
「私、……またユーフィニア様に、お茶を入れて差し上げたいです……ほかのどなたでもなく、ユーフィニア様だけに……」
ユーフィニアが目を剥いて、彼女らの名を呼ぶ。
「ま、マティルダ、ムシュ、メサイア! ど、どうして……」
ひたすら狼狽するユーフィニアに、集まった女たちは、一度「どうしてって」と顔を見合わせてから、同時に――
「帰ってきてください!」
ユーフィニアが、力なくたたらを踏んだ。
「みんな……で、でも、だめだよ。もう、私はリルとは離婚していて……」
そこで、リルベオラスが女たちをかき分けて前に出た。
「一通り顔は見せたか。なら、最後はおれだ。……おれの、今の妃の話をしようか」
ユーフィニアの顔がゆがんだ。
努めて笑顔を作ろうとしているが、完全に失敗している。
「う……うん。リル、再婚したんだ? 分かってるよ、相手が誰だか」
「ほう? それは話が早いな」
「うん。……アリスでしょ?」
リルベオラスが、かくんと肩をコケさせる。
「アリス? あの、グリーシャから来た娘か? ああ、確かに、アーノルドたち四人はずいぶん惚れ込んでるようだな。もしかしたら、いずれあいつらの誰かと結婚するかもしれん」
「え? リルは違うの?」
「おれはまったく。多少あの子の生活の世話はしたが、そのくらいだ」
あれ、なんで、あっもしかして神様の言ってた摂理から解放ってそういうこと? フラグ立っても恋愛ルートに必ずしも入りませんよ的な? うーんそれは確かに開放かも、……と、ユーフィニアが口の中でぶつぶつとつぶやく。それから、ぱっと顔を上げた。
「で、でも、ほら、最初にアリスがヘルハウンズに来た時、白バラくれたりとかしてたし、それでこうきゅんときたり」
「ああ、あったなそんなことも。だがおれは、それよりもずっとおれの心を惹きつけてやまないバラをとうに見ていたのでな」
そんなのイベントであったっけ、とユーフィニアがつぶやく。
「バラをきれいに咲かせるのが難しいことくらい、おれでも知っている。だからこそ、見事な大輪が咲き乱れているのを見れば、込めてくれた気持ちを想わずにはおれんさ」
「あ、じゃ、じゃあ、新しいお妃様は、バラの手入れが上手な人なんだね。私なんかもう全然下手で、本読んで庭師さんたちとあれこれして、ようやくだったから」
今度は、メイドの三人ががくりと肩を落とした。ユーフィニアには見えていなかったが。
その中で、草原を、湿原を、砂地を、荒れ地を、ひたすら走り続けてきた黒い馬。
馬に続く、何台かの馬車。
すべてがようやく動きを止めたのは、ある森のはずれだった。
馬と馬車から降りてきた人々は、森の奥へと歩を進めていく。
先頭に立つのは、黒ずくめの男だった。髪も、服も、軽装に仕立てた皮の鎧も、身にまとうものはなにもかもが黒い。ただ、透けるような白い肌と、金色の瞳が、木漏れ日を受けて輝いている。
さほども進まないうちに、一行は足を止めた。
目当てにしていた木組みの小屋に到着した彼らは、一様に喉を鳴らす。
黒ずくめの男が、ドアに手を伸ばした、その時。
小屋の中から、年老いた女の声が聞こえた。
「おい。お前さん、香草の棚をいじったかね」
それに応える、若い女の声。
「いじったっていうか、ちょっと使いやすく順番買えただけですよ。あと埃は払いました。」
その声こそは、半年もの間、一行が探し続けていた人物のものだった。
軽く息を呑んだ彼らをよそに、小屋の中の会話は続く。
「そーれーを、いじったと言うんじゃ! 多少仕事を覚えたとはいえ、まだ半人前以下のくせに!」
「だーかーら、そうメモに書いたじゃないですか! しょっちゅう留守にするんだから、口頭でなんてそうそう伝えられないでしょ?」
「わしは忙しいんじゃ! ったく、グリーシャで横暴な王が追い落とされて、そのおかげでこっちへ侵攻しに来なくなったのはいいが、戦を当て込んで作っとった薬草の類が無駄になっちまう! お前さん、あのエルなんとかいういいにおいのする草はここじゃ作れんのかい!」
「だって、リルたちの商売敵になりたくないですもん。エルダースがなくたって、エドンサルテは別に困らないでしょ」
そこが、馬の一行の我慢の限界だった。
黒ずくめの男が、ノックしてドアを開ける。
そして、低い声で――務めて穏やかに――言った。
「エルダースは、予想を超えた大反響を起こしている。戦がなくなったおかげで、売り上げを戦費で消費することもなくなり、国庫が潤う一方だ。さらにはエルダースを取引材料にした商売がどれもえらく儲かってな。じきに、経済的には小国連合がグリーシャを凌駕するんじゃないかなんてジョークまで街では聞かれる――」
リルベオラス・ヘルハウンズがそう滔滔と述べるのを、小屋の中の二人――声の通り、老婆と、粗末なベージュの作業着を着た若い女――は、ぴたりと固まって聞いていた。
老婆はただ突然の闖入者に驚いているに過ぎなかったが、若い女のほうは「ヒェ……?」とうめいたきり、絶句している。
「――その最大の功労者を、この数ヶ月、延々延々延々延々と探し続けていたわけだが。ここにいたとはな」
「リ……ル? どうして……」
「森の魔女に、君の行方を占ってもらいに来たことはあったが、その時はここに君の影も形もなかった。魔女が何も言わなかったところを見ると、口止めをして居留守でも決め込んでいたわけか」
魔女――エドンサルテが、肩をすくめる。当たり、ということだ。
「で、でも、どうして、それなのに、私がここにいるって」
「城の医師が、薬の処方箋を訊くのに、そこの魔女へメールスワロウを時折飛ばしているだろう。その返事に、猫の黒い毛がついていた。君のメイドのムシュがたまたまそれを見つけてな。おそらく、君とともにいなくなった黒猫の……ルリ、と名づけたらしいな。その猫の毛に間違いないから、君が一緒にいるのではないかと推量してな」
ニャア、とくだんの黒猫が、悪気もなく床を歩いている。
「わ、私、ここでなら、手に職つけられると思って……リルたちのほかに知り合いもいないし、行くところもないから」
「知り合い? いるじゃないか。四人の妹姫だとか」
「そ、それは」
「つまり、おれに見つからない程度におれと縁遠いなんていう都合のいい知り合いが、魔女殿しかいなかったということだろう」
「う、ううう……そうですう……」
しおれたようにこうべを垂れてから、再び、ユーフィニアは顔を上げた。
「でも本当に、どうして今さら私を……って、あっ!? 離縁状の書き方が間違ってて、処理不可で戻ってきたとか?」
「いや、離縁状はよく書けていた。だが――」
その時、リルベオラスの後ろから、けたたましい声と共に何人もの人影が小屋の中に躍り込んできた。
まずは四人。
「四の五の言わずに! わらわと帰るのです! あなたがいないとつまらないのですよ!」
「わたくしも……そう願っております。あなた様が隠遁されるいわれがありませんでしょう」
「あたしもあたしも! ねえっ、またリルベオラス様のお妃様として、一緒にパーティしましょうよ! 今度はうちの国で!」
「わ、わたくしめも……参りました。あれから、わ、わたくしめは、以前よりもずっと多くの人と、こ、交流を持てるようになったのです。どうか、ゆ、ユーフィニア様に、その姿を見てもらいたいく……」
「え、ええっ!? ミルノルドに、リビエラに、クライネに、ヒルダ!?」
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「ユーフィニア様……申し上げたはずですよ。もう少し思慮深くなっていただきたいと」
「エルダースの農園、さらにでっかくなったんですよ! あたしとユーフィニア様から始まったんですからね、あれは!」
「私、……またユーフィニア様に、お茶を入れて差し上げたいです……ほかのどなたでもなく、ユーフィニア様だけに……」
ユーフィニアが目を剥いて、彼女らの名を呼ぶ。
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ユーフィニアが、力なくたたらを踏んだ。
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「え? リルは違うの?」
「おれはまったく。多少あの子の生活の世話はしたが、そのくらいだ」
あれ、なんで、あっもしかして神様の言ってた摂理から解放ってそういうこと? フラグ立っても恋愛ルートに必ずしも入りませんよ的な? うーんそれは確かに開放かも、……と、ユーフィニアが口の中でぶつぶつとつぶやく。それから、ぱっと顔を上げた。
「で、でも、ほら、最初にアリスがヘルハウンズに来た時、白バラくれたりとかしてたし、それでこうきゅんときたり」
「ああ、あったなそんなことも。だがおれは、それよりもずっとおれの心を惹きつけてやまないバラをとうに見ていたのでな」
そんなのイベントであったっけ、とユーフィニアがつぶやく。
「バラをきれいに咲かせるのが難しいことくらい、おれでも知っている。だからこそ、見事な大輪が咲き乱れているのを見れば、込めてくれた気持ちを想わずにはおれんさ」
「あ、じゃ、じゃあ、新しいお妃様は、バラの手入れが上手な人なんだね。私なんかもう全然下手で、本読んで庭師さんたちとあれこれして、ようやくだったから」
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