28 / 28
2
しおりを挟む
「ユフィ、おれの妃のことだが」
「う、うんっ。聞くよ、ちゃんと聞く」
「以前、君の出していた条件があったな」
「あ、うん、あったね、そんなの」
「そのすべてに合致する人なんだ」
えっ、とユーフィニアが飛び上がった。
「全部!? やったじゃない、リル! おめでとう! 最高のお妃様だね!」
「ああ。そうなんだ。だから、これは受け取れない」
リルベオラスがポケットから取り出したのは、きれいに畳まれた紙片である。
「おれと君の離婚が成立していないのはな、これこの通り、まだおれがこれをここに持っているからだ」
「え? ……ああ、うん? 成立していない?」
「これを受け取るわけにはいかない。おれは、君と離婚はしない。うぬぼれるようだが、君は、本心からおれとの別れを望んだわけではないはずだ」
ユーフィニアが、顔をしかめながら、人差し指の先をこめかみに当てる。
「なっ……そ、それは、あっでも、あれ? ご、ごめん、なんだからよく分からなくなってきた……? リルには理想的なお妃様がもういて、でも、私とは離婚してなくて?」
「そうだ。おれの妃は、君しかいない」
リルベオラスが、まっすぐに、ユーフィニアのアイスブルーの瞳を見つめて、そう言った。
雷に打たれたように、ユーフィニアが短く、しかし激しく体を震わせた。
「そ、……でも、あれ、私じゃ、例の条件になんて全然……」
「その条件て、なんだったっけな?」
「えっと、確か……きれいで、優しくて……」
クライネが、「ユーフィニア様はとってもおきれいですよ! あたし、見習わないとっていつも思ってます!」
ミルノルドが「ふん、それに、私たちに心を砕くだけでなく、農夫にも分け隔てなく優しく接したと聞いているわね」
メサイアが「メイドにもですよ! 私たち、そういうユーフィニア様のお世話をするのがとても幸せなんです!」
「あ、ありがとう!? そ、それに、地位があっても偉ぶらなくて、働き者で、頭がよくて、多才で……?」
ヒルダが、「ゆ、ユーフィニア様は一度も、ちゃんとお話もできないわたくしめに、偉ぶったりされませんでした。て、手品などいろいろなことをお出来になって、パーティの支度だって、み、自らされたと聞きましたし」
ムシュが「エルダースの栽培に目をつけたのもユーフィニア様ですし、賢くておいでですねえ。ご自分でも畑を耕されて、働き者です」
ユーフィニアが、たたらを踏みながらも続ける。
「あ、あとえーと、そう、おしゃれで、いいにおいがして」
マティルダが「私と市に行った時には、特別値が張らなくても上品で仕立てのいい服をよく選んでおいででしたね」
リビエラが「ユーフィニア様のつけておられる香水、とても自然でいい香りです。リルベオラス様も、たいそうお気に召しておいでとうかがっております」
「えっ、それは嬉しい……じゃ、じゃなくて、ほかには、そう、清潔好きで、整理整頓が得意で、自立もしていて、あと芸術的な感性も豊かで、動物や草花を愛でられる感覚と人柄も持ち合わせていて」
エドンサルテが「このごみごみした小屋の中にあって、お前さんはすぐにそこら辺を片づけるよのう。それにここへ来た時には自分がどう暮らしていくかを考えておったし、まあまあ真面目に働いておるし、自立しているとも言えるじゃろ」
それから、リルベオラスがさらに進み出てきた。
ユーフィニアの手を取る。薬草を摘んだり加工するために荒れた指先を見られて、ユーフィニアが小さく震えた。
「どうした? 美しい手だ。城門前のあのバラ園は、城の中のおれの執務室からよく見える。バラを見るたびにおれは、君を想っている。いつか君と行った丘の上でも、君が優しい目で野の花を見ていたのを覚えているよ」
その時には、ユーフィニアの双眸からは、大粒の涙がこぼれ出していた。
それでも弱弱しい声で、続ける。
「あ、頭が、よくてえ……夫に頼らなくても生きていけるくらいの、商才なんかも、あったりしてえ……」
「エルダースだけでも充分だがな。商談に君も同席して成功させたし。それに、君があれと一緒に植えていたプラナス。実をつけたから、生のものやドライフルーツにしたものを売り出してみたんだが、かなり評判がいい。これも君の手柄だな」
ユーフィニアは完全に涙声になっていた。
「つ、つけ足してよければぁ……戦争が嫌いでぇ、リルが、リルが危険な目に遭うような戦争、この大陸からなくせるくらいの、超凄い人が理想ですぅ……」
「ああ、エルダースもプラナスもな、特にグリーシャの富裕層に大人気だ。小国連合とことを構えると、どちらも手に入らなくなるのではないかとあって、グリーシャでは政治に影響力のある大商家から反戦の表明が続いている」
「じゃ、じゃあ、リルは」
「ああ。君のおかげでおれは、もう戦いに出なくてもいい。少なくとも、戦で死ぬことは当分ないよ。……おれの記憶違いでなければ、妻の条件はもう一つあったな?」
「……こ、心から、リルを……愛しています……!」
こらえきれなくなったように、ユーフィニアはリルベオラスを強く抱きしめた。
「ユフィ、自分の悪評を、ずいぶん気にしていたな。でも、必ず変わるさ。おれたちのように。世の中、そんなに分からず屋ばかりじゃない」
「リル、わ、私……帰ってもいいのかなあ。またリルのところに戻って、リルのお妃様やっていいのかなあ。お姫様たちや、メイドさんたちや、大好きなみんなと、一緒に過ごしてもいいのかなあ。そんなに幸せになって、いいのかなあ……!」
リルがユーフィニアの髪をさらさらとなでる。
それを横目で見つつ、エドンサルテがわざとらしく嘆息する。
「まあ、そこそこ働き者ではあったが、帰る場所のあるやつはさっさと帰んな。ついでに、あれも見せてやったらどうじゃ」
あれ? と一同が首をかしげる。
エドンサルテが嘆息して言った。
「まったく、ちょっとよくできた調合の褒美に絵の具なんぞくれてやったら、仕事が終われば夜更けまでぺたぺたぺたぺた、うっとうしいったらありゃせん」
「あっ。エドンサルテ、それは言わない約束」
「した覚えがないな、そんなもの。ほれ、猫や。見せておやり」
黒猫――ルリが、ひょいひょいと奥のほうへ歩いていった。
そこには赤黒いカーテンがかかっている。ユーフィニアの部屋がその向こう側にあった。
ルリが、カーテンのひもに爪をかけて器用に引っ張る。
しゃっ、と音を立てて幕が開いた。
「な」「わあ」「ひゃっ」「えーっ」
口々に、驚きと感嘆の声が漏れる。
そこには、ユーフィニアの背丈ほどの高さのイーゼルが一台と、何枚かの油絵のキャンバスが置いてあった。
いずれも、人物が一人ずつ描かれた肖像画である。
「おれ……だよな?」とリル。
「わたくしでしょうか……これは」とマティルダ。
「わ、わたくしめも、……ここに」とヒルダ。
口々に、自分の肖像画を見つけた者が、目を見開いていった。
「わ、わらわは!? わらわが見当たらないような!?」
「あ、ミルノルドは後回しにしてあって」
「後回しっ!? わ、わらわが後回し!」
「だ、だってそのぎらぎらの金髪ちゃんと塗るの大変そうだから! あれだよ別に後でいいやとかそういうんじゃないよ!? て、ていうか、みんな勝手に描いたりしてごめん!」
ユーフィニアがぺこんと頭を下げる。
「もう、二度と会えないんだろうと思ってたから……それで、つい……。じ、実は私、もともと画家になりたくて! 似顔絵とか肖像画は得意じゃないんだけど、でもやっぱり私が今描きたいものって、これしかなくて……ま、まずかった……かな?」
深く腰を折ったままそう言い終えたユーフィニアが、再び顔を上げると。
そこには、全員の、満面の笑顔があった。
マティルダが言う。
「リルベオラス様の妻の条件の中で、残っていたのは、芸術的な感性でしたね。私たちが証人です。素敵な絵を描かれるのですね。画才がおありとは、存じませんでした。まるで本職の画家ではございませんか。……また一つ、末永くまでのお仕えのし甲斐が増えましたよ」
■
ややあって。
帰途につく馬車には、リルベオラスの隣に、ユーフィニアが乗ったものが一台あった。
来る時にはリルが騎乗していた黒い馬は、今はその馬車を引いている。
当然のように、ルリがしっぽを揺らして、彼らの足元に乗り込んでいた。
なお、肖像画は描きかけのものも含めて、すべてほかの馬車に、画材ごと積んで運んでいる。
エドンサルテに借りた茶器でメサイアが入れてくれた紅茶――茶葉は持参していた――をリルベオラスが薄い陶製のマグにつぎ、プラナスの実と共にユーフィニアに渡してきた。
栽培されたプラナスの実を口に入れるのは、ユーフィニアは初めてだった。
穏やかな甘さに、木の実らしい酸味が加わり、本当にユスラウメにそっくりで、大変味がいい。
いいものができたんだな、とユーフィニアは、栽培の発起人としてはたいぶ遅めの感銘を受けていた。
「ユフィ、提案なんだが。別邸はアトリエにでもして、城で暮らさないか。君が別邸で暮らすと聞いた時、正直なところ、王と王妃を含め城の中の者はみな胸をなでおろしたと思う。君の前評判を聞く限り、そのほうがいらぬいさかいを起こさないで済むとな。だが、今はむしろ君のことを見て欲しいんだ、おれの国のみんなに。いや外のみんなにも」
ユーフィニアが体を固くした。
だがこれは、リルベオラスと共に生きていくことを選んだのなら、避けられない道であることはすでに分かっている。
「うん。そうさせて。私もやっと、その覚悟が決まったから。きっと、私の評価をいいほうに変えてみせるね」
「いいほうに変化、か。喜ばしいことだ。うぬぼれでなければ、おれもようやく閨で君に触れる許可をもらえそうだしな」
「えっ!?」ユーフィニアの体が、さっきよりも硬直する。「そ、れ、は、……その。あの、なんというか」
ユーフィニアがうつむく。口の中で、なにかをぼそぼそとつぶやいていた。
馬車の音にかき消されてしまい、なんと言っているのかは隣にいても分からない。
からかい過ぎたか、とリルベオラスが反省して、妻の髪を撫でようとした時。
「……ます」
「ん?」
ユーフィニアが、ぱっと顔を上げた。頬がプラナスの実のように赤く染まっている。
「こんな私でいいのなら、お、お、お気に召すがままに、差し上げます! って言ったの! ……え? な、なんで笑うの!?」
「いや、悪い悪い。そういえばユフィ、以前、少し気になったことがあったんだが」
ふくれっ面のユーフィニアの顔に、冷や汗が浮かんだ。
「……気になることと言われれば……心当たりは山ほどあるけど、どれでしょーか……」
「前におれが君に迫った時、『この体の私と』と言っていたんだ。その言い方が、なんだか引っかかってな。その体じゃない君がいるのか?」
ユーフィニアは、少し考えてから――言うべきかどうかを迷ったのではなく、どう説明するのがいいのかを考えたために――、彼女の身に起きたことを少しずつ語り始めた。
この世界で、初めて瞼を開いた時とは違う。
今は、ここに、愛も信頼もある。
自分が何者で、どう生きていくかも自分で決めた。それは、とても幸福なことだ。
だから本当のことを言うのは、まったく怖いことじゃない。
まだ日は高い。
彼らの行くべき新たな道程も、まだ始まったばかりだった。
終
「う、うんっ。聞くよ、ちゃんと聞く」
「以前、君の出していた条件があったな」
「あ、うん、あったね、そんなの」
「そのすべてに合致する人なんだ」
えっ、とユーフィニアが飛び上がった。
「全部!? やったじゃない、リル! おめでとう! 最高のお妃様だね!」
「ああ。そうなんだ。だから、これは受け取れない」
リルベオラスがポケットから取り出したのは、きれいに畳まれた紙片である。
「おれと君の離婚が成立していないのはな、これこの通り、まだおれがこれをここに持っているからだ」
「え? ……ああ、うん? 成立していない?」
「これを受け取るわけにはいかない。おれは、君と離婚はしない。うぬぼれるようだが、君は、本心からおれとの別れを望んだわけではないはずだ」
ユーフィニアが、顔をしかめながら、人差し指の先をこめかみに当てる。
「なっ……そ、それは、あっでも、あれ? ご、ごめん、なんだからよく分からなくなってきた……? リルには理想的なお妃様がもういて、でも、私とは離婚してなくて?」
「そうだ。おれの妃は、君しかいない」
リルベオラスが、まっすぐに、ユーフィニアのアイスブルーの瞳を見つめて、そう言った。
雷に打たれたように、ユーフィニアが短く、しかし激しく体を震わせた。
「そ、……でも、あれ、私じゃ、例の条件になんて全然……」
「その条件て、なんだったっけな?」
「えっと、確か……きれいで、優しくて……」
クライネが、「ユーフィニア様はとってもおきれいですよ! あたし、見習わないとっていつも思ってます!」
ミルノルドが「ふん、それに、私たちに心を砕くだけでなく、農夫にも分け隔てなく優しく接したと聞いているわね」
メサイアが「メイドにもですよ! 私たち、そういうユーフィニア様のお世話をするのがとても幸せなんです!」
「あ、ありがとう!? そ、それに、地位があっても偉ぶらなくて、働き者で、頭がよくて、多才で……?」
ヒルダが、「ゆ、ユーフィニア様は一度も、ちゃんとお話もできないわたくしめに、偉ぶったりされませんでした。て、手品などいろいろなことをお出来になって、パーティの支度だって、み、自らされたと聞きましたし」
ムシュが「エルダースの栽培に目をつけたのもユーフィニア様ですし、賢くておいでですねえ。ご自分でも畑を耕されて、働き者です」
ユーフィニアが、たたらを踏みながらも続ける。
「あ、あとえーと、そう、おしゃれで、いいにおいがして」
マティルダが「私と市に行った時には、特別値が張らなくても上品で仕立てのいい服をよく選んでおいででしたね」
リビエラが「ユーフィニア様のつけておられる香水、とても自然でいい香りです。リルベオラス様も、たいそうお気に召しておいでとうかがっております」
「えっ、それは嬉しい……じゃ、じゃなくて、ほかには、そう、清潔好きで、整理整頓が得意で、自立もしていて、あと芸術的な感性も豊かで、動物や草花を愛でられる感覚と人柄も持ち合わせていて」
エドンサルテが「このごみごみした小屋の中にあって、お前さんはすぐにそこら辺を片づけるよのう。それにここへ来た時には自分がどう暮らしていくかを考えておったし、まあまあ真面目に働いておるし、自立しているとも言えるじゃろ」
それから、リルベオラスがさらに進み出てきた。
ユーフィニアの手を取る。薬草を摘んだり加工するために荒れた指先を見られて、ユーフィニアが小さく震えた。
「どうした? 美しい手だ。城門前のあのバラ園は、城の中のおれの執務室からよく見える。バラを見るたびにおれは、君を想っている。いつか君と行った丘の上でも、君が優しい目で野の花を見ていたのを覚えているよ」
その時には、ユーフィニアの双眸からは、大粒の涙がこぼれ出していた。
それでも弱弱しい声で、続ける。
「あ、頭が、よくてえ……夫に頼らなくても生きていけるくらいの、商才なんかも、あったりしてえ……」
「エルダースだけでも充分だがな。商談に君も同席して成功させたし。それに、君があれと一緒に植えていたプラナス。実をつけたから、生のものやドライフルーツにしたものを売り出してみたんだが、かなり評判がいい。これも君の手柄だな」
ユーフィニアは完全に涙声になっていた。
「つ、つけ足してよければぁ……戦争が嫌いでぇ、リルが、リルが危険な目に遭うような戦争、この大陸からなくせるくらいの、超凄い人が理想ですぅ……」
「ああ、エルダースもプラナスもな、特にグリーシャの富裕層に大人気だ。小国連合とことを構えると、どちらも手に入らなくなるのではないかとあって、グリーシャでは政治に影響力のある大商家から反戦の表明が続いている」
「じゃ、じゃあ、リルは」
「ああ。君のおかげでおれは、もう戦いに出なくてもいい。少なくとも、戦で死ぬことは当分ないよ。……おれの記憶違いでなければ、妻の条件はもう一つあったな?」
「……こ、心から、リルを……愛しています……!」
こらえきれなくなったように、ユーフィニアはリルベオラスを強く抱きしめた。
「ユフィ、自分の悪評を、ずいぶん気にしていたな。でも、必ず変わるさ。おれたちのように。世の中、そんなに分からず屋ばかりじゃない」
「リル、わ、私……帰ってもいいのかなあ。またリルのところに戻って、リルのお妃様やっていいのかなあ。お姫様たちや、メイドさんたちや、大好きなみんなと、一緒に過ごしてもいいのかなあ。そんなに幸せになって、いいのかなあ……!」
リルがユーフィニアの髪をさらさらとなでる。
それを横目で見つつ、エドンサルテがわざとらしく嘆息する。
「まあ、そこそこ働き者ではあったが、帰る場所のあるやつはさっさと帰んな。ついでに、あれも見せてやったらどうじゃ」
あれ? と一同が首をかしげる。
エドンサルテが嘆息して言った。
「まったく、ちょっとよくできた調合の褒美に絵の具なんぞくれてやったら、仕事が終われば夜更けまでぺたぺたぺたぺた、うっとうしいったらありゃせん」
「あっ。エドンサルテ、それは言わない約束」
「した覚えがないな、そんなもの。ほれ、猫や。見せておやり」
黒猫――ルリが、ひょいひょいと奥のほうへ歩いていった。
そこには赤黒いカーテンがかかっている。ユーフィニアの部屋がその向こう側にあった。
ルリが、カーテンのひもに爪をかけて器用に引っ張る。
しゃっ、と音を立てて幕が開いた。
「な」「わあ」「ひゃっ」「えーっ」
口々に、驚きと感嘆の声が漏れる。
そこには、ユーフィニアの背丈ほどの高さのイーゼルが一台と、何枚かの油絵のキャンバスが置いてあった。
いずれも、人物が一人ずつ描かれた肖像画である。
「おれ……だよな?」とリル。
「わたくしでしょうか……これは」とマティルダ。
「わ、わたくしめも、……ここに」とヒルダ。
口々に、自分の肖像画を見つけた者が、目を見開いていった。
「わ、わらわは!? わらわが見当たらないような!?」
「あ、ミルノルドは後回しにしてあって」
「後回しっ!? わ、わらわが後回し!」
「だ、だってそのぎらぎらの金髪ちゃんと塗るの大変そうだから! あれだよ別に後でいいやとかそういうんじゃないよ!? て、ていうか、みんな勝手に描いたりしてごめん!」
ユーフィニアがぺこんと頭を下げる。
「もう、二度と会えないんだろうと思ってたから……それで、つい……。じ、実は私、もともと画家になりたくて! 似顔絵とか肖像画は得意じゃないんだけど、でもやっぱり私が今描きたいものって、これしかなくて……ま、まずかった……かな?」
深く腰を折ったままそう言い終えたユーフィニアが、再び顔を上げると。
そこには、全員の、満面の笑顔があった。
マティルダが言う。
「リルベオラス様の妻の条件の中で、残っていたのは、芸術的な感性でしたね。私たちが証人です。素敵な絵を描かれるのですね。画才がおありとは、存じませんでした。まるで本職の画家ではございませんか。……また一つ、末永くまでのお仕えのし甲斐が増えましたよ」
■
ややあって。
帰途につく馬車には、リルベオラスの隣に、ユーフィニアが乗ったものが一台あった。
来る時にはリルが騎乗していた黒い馬は、今はその馬車を引いている。
当然のように、ルリがしっぽを揺らして、彼らの足元に乗り込んでいた。
なお、肖像画は描きかけのものも含めて、すべてほかの馬車に、画材ごと積んで運んでいる。
エドンサルテに借りた茶器でメサイアが入れてくれた紅茶――茶葉は持参していた――をリルベオラスが薄い陶製のマグにつぎ、プラナスの実と共にユーフィニアに渡してきた。
栽培されたプラナスの実を口に入れるのは、ユーフィニアは初めてだった。
穏やかな甘さに、木の実らしい酸味が加わり、本当にユスラウメにそっくりで、大変味がいい。
いいものができたんだな、とユーフィニアは、栽培の発起人としてはたいぶ遅めの感銘を受けていた。
「ユフィ、提案なんだが。別邸はアトリエにでもして、城で暮らさないか。君が別邸で暮らすと聞いた時、正直なところ、王と王妃を含め城の中の者はみな胸をなでおろしたと思う。君の前評判を聞く限り、そのほうがいらぬいさかいを起こさないで済むとな。だが、今はむしろ君のことを見て欲しいんだ、おれの国のみんなに。いや外のみんなにも」
ユーフィニアが体を固くした。
だがこれは、リルベオラスと共に生きていくことを選んだのなら、避けられない道であることはすでに分かっている。
「うん。そうさせて。私もやっと、その覚悟が決まったから。きっと、私の評価をいいほうに変えてみせるね」
「いいほうに変化、か。喜ばしいことだ。うぬぼれでなければ、おれもようやく閨で君に触れる許可をもらえそうだしな」
「えっ!?」ユーフィニアの体が、さっきよりも硬直する。「そ、れ、は、……その。あの、なんというか」
ユーフィニアがうつむく。口の中で、なにかをぼそぼそとつぶやいていた。
馬車の音にかき消されてしまい、なんと言っているのかは隣にいても分からない。
からかい過ぎたか、とリルベオラスが反省して、妻の髪を撫でようとした時。
「……ます」
「ん?」
ユーフィニアが、ぱっと顔を上げた。頬がプラナスの実のように赤く染まっている。
「こんな私でいいのなら、お、お、お気に召すがままに、差し上げます! って言ったの! ……え? な、なんで笑うの!?」
「いや、悪い悪い。そういえばユフィ、以前、少し気になったことがあったんだが」
ふくれっ面のユーフィニアの顔に、冷や汗が浮かんだ。
「……気になることと言われれば……心当たりは山ほどあるけど、どれでしょーか……」
「前におれが君に迫った時、『この体の私と』と言っていたんだ。その言い方が、なんだか引っかかってな。その体じゃない君がいるのか?」
ユーフィニアは、少し考えてから――言うべきかどうかを迷ったのではなく、どう説明するのがいいのかを考えたために――、彼女の身に起きたことを少しずつ語り始めた。
この世界で、初めて瞼を開いた時とは違う。
今は、ここに、愛も信頼もある。
自分が何者で、どう生きていくかも自分で決めた。それは、とても幸福なことだ。
だから本当のことを言うのは、まったく怖いことじゃない。
まだ日は高い。
彼らの行くべき新たな道程も、まだ始まったばかりだった。
終
296
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
親友面した女の巻き添えで死に、転生先は親友?が希望した乙女ゲーム世界!?転生してまでヒロイン(お前)の親友なんかやってられるかっ!!
音無砂月
ファンタジー
親友面してくる金持ちの令嬢マヤに巻き込まれて死んだミキ
生まれ変わった世界はマヤがはまっていた乙女ゲーム『王女アイルはヤンデレ男に溺愛される』の世界
ミキはそこで親友である王女の親友ポジション、レイファ・ミラノ公爵令嬢に転生
一緒に死んだマヤは王女アイルに転生
「また一緒だねミキちゃん♡」
ふざけるなーと絶叫したいミキだけど立ちはだかる身分の差
アイルに転生したマヤに振り回せながら自分の幸せを掴む為にレイファ。極力、乙女ゲームに関わりたくないが、なぜか攻略対象者たちはヒロインであるアイルではなくレイファに好意を寄せてくる。
《完結》当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!
犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。
そして夢をみた。
日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。
その顔を見て目が覚めた。
なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。
数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。
幼少期、最初はツラい状況が続きます。
作者都合のゆるふわご都合設定です。
日曜日以外、1日1話更新目指してます。
エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。
お楽しみ頂けたら幸いです。
***************
2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます!
100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!!
2024年9月9日 お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます!
200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!
2025年1月6日 お気に入り登録300人達成 感涙に咽び泣いております!
ここまで見捨てずに読んで下さった皆様、頑張って書ききる所存でございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!
2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております!
こんなにも多くの方に呼んでいただけるとか、本当に感謝感謝でございます。こんなにも長くなった物語でも、ここまで見捨てずに居てくださる皆様、ありがとうございます!!
2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?!
なんですと?!完結してからも登録してくださる方が?!ありがとうございます、ありがとうございます!!
こんなに多くの方にお読み頂けて幸せでございます。
どうしよう、欲が出て来た?
…ショートショートとか書いてみようかな?
2025年7月8日 お気に入り登録600人達成?! うそぉん?!
欲が…欲が…ック!……うん。減った…皆様ごめんなさい、欲は出しちゃいけないらしい…
2025年9月21日 お気に入り登録700人達成?!
どうしよう、どうしよう、何をどう感謝してお返ししたら良いのだろう…
どうやら悪役令嬢のようですが、興味が無いので錬金術師を目指します(旧:公爵令嬢ですが錬金術師を兼業します)
水神瑠架
ファンタジー
――悪役令嬢だったようですが私は今、自由に楽しく生きています! ――
乙女ゲームに酷似した世界に転生? けど私、このゲームの本筋よりも寄り道のミニゲームにはまっていたんですけど? 基本的に攻略者達の顔もうろ覚えなんですけど?! けど転生してしまったら仕方無いですよね。攻略者を助けるなんて面倒い事するような性格でも無いし好きに生きてもいいですよね? 運が良いのか悪いのか好きな事出来そうな環境に産まれたようですしヒロイン役でも無いようですので。という事で私、顔もうろ覚えのキャラの救済よりも好きな事をして生きて行きます! ……極めろ【錬金術師】! 目指せ【錬金術マスター】!
★★
乙女ゲームの本筋の恋愛じゃない所にはまっていた女性の前世が蘇った公爵令嬢が自分がゲームの中での悪役令嬢だという事も知らず大好きな【錬金術】を極めるため邁進します。流石に途中で気づきますし、相手役も出てきますが、しばらく出てこないと思います。好きに生きた結果攻略者達の悲惨なフラグを折ったりするかも? 基本的に主人公は「攻略者の救済<自分が自由に生きる事」ですので薄情に見える事もあるかもしれません。そんな主人公が生きる世界をとくと御覧あれ!
★★
この話の中での【錬金術】は学問というよりも何かを「創作」する事の出来る手段の意味合いが大きいです。ですので本来の錬金術の学術的な論理は出てきません。この世界での独自の力が【錬金術】となります。
天才魔導医の弟子~転生ナースの戦場カルテ~
けろ
ファンタジー
【完結済み】
仕事に生きたベテランナース、異世界で10歳の少女に!?
過労で倒れた先に待っていたのは、魔法と剣、そして規格外の医療が交差する世界だった――。
救急救命の現場で十数年。ベテラン看護師の天木弓束(あまき ゆづか)は、人手不足と激務に心身をすり減らす毎日を送っていた。仕事に全てを捧げるあまり、プライベートは二の次。周囲からの期待もプレッシャーに感じながら、それでも人の命を救うことだけを使命としていた。
しかし、ある日、謎の少女を救えなかったショックで意識を失い、目覚めた場所は……中世ヨーロッパのような異世界の路地裏!? しかも、姿は10歳の少女に若返っていた。
記憶も曖昧なまま、絶望の淵に立たされた弓束。しかし、彼女が唯一失っていなかったもの――それは、現代日本で培った高度な医療知識と技術だった。
偶然出会った獣人冒険者の重度の骨折を、その知識で的確に応急処置したことで、弓束の運命は大きく動き出す。
彼女の異質な才能を見抜いたのは、誰もがその実力を認めながらも距離を置く、孤高の天才魔導医ギルベルトだった。
「お前、弟子になれ。俺の研究の、良い材料になりそうだ」
強引な天才に拾われた弓束は、魔法が存在するこの世界の「医療」が、自分の知るものとは全く違うことに驚愕する。
「菌?感染症?何の話だ?」
滅菌の概念すらない遅れた世界で、弓束の現代知識はまさにチート級!
しかし、そんな彼女の常識をさらに覆すのが、師ギルベルトの存在だった。彼が操る、生命の根幹『魔力回路』に干渉する神業のような治療魔法。その理論は、弓束が知る医学の歴史を遥かに超越していた。
規格外の弟子と、人外の師匠。
二人の出会いは、やがて異世界の医療を根底から覆し、多くの命を救う奇跡の始まりとなる。
これは、神のいない手術室で命と向き合い続けた一人の看護師が、新たな世界で自らの知識と魔法を武器に、再び「救う」ことの意味を見つけていく物語。
どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
わんこな旦那様の胃袋を掴んだら、溺愛が止まらなくなりました。
楠ノ木雫
恋愛
若くして亡くなった日本人の主人公は、とある島の王女李・翠蘭《リ・スイラン》として転生した。第二の人生ではちゃんと結婚し、おばあちゃんになるまで生きる事を目標にしたが、父である国王陛下が縁談話が来ては娘に相応しくないと断り続け、気が付けば19歳まで独身となってしまった。
婚期を逃がしてしまう事を恐れた主人公は、他国から来ていた縁談話を成立させ嫁ぐ事に成功した。島のしきたりにより、初対面は結婚式となっているはずが、何故か以前おにぎりをあげた使節団の護衛が新郎として待ち受けていた!?
そして、嫁ぐ先の料理はあまりにも口に合わず、新郎の恋人まで現れる始末。
主人公は、嫁ぎ先で平和で充実した結婚生活を手に入れる事を決意する。
※他のサイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる