君のぬくもりは僕の勇気

天渡清華

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その一

♪♪

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「大石さん、俺についてくれる人が来たの?」
 ソファに座り、膝に置いた白い紙を指でなぞっていた晴輝が、俺達の気配に顔を向けて微笑む。
 点字が並んでる白い紙が、日光を反射してまばゆい。まるで晴輝の顔を下から照らすライトだ。
 俺はじっと晴輝を見た。
 テレビや写真で見てたのと、そう印象は違わない。いつもかけてるサングラスを、今日はしてないだけだ。
 とても見えないとは思えない、くるくるとよく動きそうな、大きくて澄んだ瞳。小さく形のいい鼻。長めに伸ばした少し色素の薄い髪が、窓から差しこむ光に溶ける。
 黒のTシャツにジーンズの格好は、高校生と言っても通るだろう。
「今書類印刷中なの、持ってくる間お相手してて。すみません、お二人ともどうぞおかけになってお待ち下さい」
 大石さんはばたばたと行ってしまった。
「どうぞ、座って下さい」
 至近距離でじっと見ていても、晴輝の瞳は動かない。焦点があってない。こんなにきれいな目してるのに本当に見えないのかと、俺は改めて衝撃を受けた。
 課長が俺を肘でつつき、ソファをあごでしゃくる。
「失礼します」
 あわてて晴輝の向かい側のソファに座る。晴輝は膝に置いていたファイルを閉じて脇によけ、テーブルの上の缶コーヒーを慎重に探り当てると、一口飲んだ。
 その一連の動作に、俺は軽い違和感を覚えた。いっさい手元を見ない。見えないから見ないだけなんだろうけど、普通に見える俺からしたらやっぱ妙だ。
「はじめまして、一条晴輝です。俺についてくれるのはどちらですか?」
「僕です。村上静也といいます、よろしくお願いします」
「よろしく」
 にっこり笑って手を差し出してくる晴輝。俺はとまどいながら晴輝と握手した。
「もう一人の方は?」
「村上の上司の近藤と申します」
「今日はわざわざすみません、よろしくお願いします」
 晴輝が差し出した手を、課長はうれしさを隠しきれない顔で握る。
「村上さんは、俺より背高いみたいだね。年は?」
 俺の声を聞くと、晴輝は俺の顔が見えてるみたいに、少し顔を上げて言った。
「二十四です」
 確かに今、座ってる晴輝の頭のてっぺんを、俺は余裕で見てる。それから考えると、晴輝は身長百六十センチ前後ってとこで、結構小さい。
 でも、どうしてすぐに背が高いなんて分かったんだろう。見えないはずだろ?
「ならタメじゃん。堅苦しいのは嫌だから、敬語は使わないでもらえる? 俺のことも晴輝って呼び捨てにして。俺も静也って呼ぶからさ。ハルって呼ぶ人もいるから、それでもいいよ」
 会ってまず最初に、タメ口で名前も呼び捨てにしてくれって? ずいぶん唐突な要求だ。
 思わずちらりと課長を見る。課長が真顔でうなずくから、俺はしぶしぶ晴輝に返事をした。
「四ヶ月間、よろしくな。俺、目見えないから手かかるけど。なんとか明暗が分かる程度なんだ」
 とそこへ、大石さんが書類を手に戻ってきた。
「どうもお待たせしました」
 俺達は改めて大石さんと挨拶を交わし、名刺を交換した。大石さんの名刺には、「取締役専務 大石未知」とある。
 大石さんは赤みがかった茶髪でショートカット、ファッションもラフな重ね着にジーンズで、かなり活発そうな感じだ。年は四十代前半ぐらいだろうか。とても重役には見えない。
「必要だと思われることは、だいたいこの中にまとめてあります。すでにお知らせしている事もありますが、公演日の標準的スケジュールや仕事のマニュアル、注意事項などです」
 大石さんは早口に要領よく、自分でまとめた書類に添って説明をしていく。時々晴輝に確認を求めながらの説明は分かりやすくて丁寧で、まるで学校の先生みたいだ。
 晴輝は大石さんに聞かれれば答えるけど、自分からはほとんど話さず、ずっと穏やかな笑みを浮かべて座っている。
 説明を聞いてるうち、俺はまあどうにかなるだろう、という気になってきた。一対一の警備は初めてだけど、まさかファンがサッカーのサポーターみたいに暴れたりすることはないだろうし。
 最後に課長がいくつか質問をして、俺としては課長が聞いた事の他に特に疑問もなかったから、それで打ち合わせは済んだ。
「じゃあ、今日はこれで。私達はこれからリハーサルなので、下までお送りしますよ」
 立ち上がった大石さんが、晴輝のファイルを左脇に抱える。晴輝はゆっくり立ち上がり、目の見えない人が使う白い杖をぱっと伸ばして右手に持つと、左手で大石さんの右腕をつかんだ。
 大石さんは俺達を先に行かせて歩き出した。晴輝は杖を使いながら大石さんの腕をつかんで、大石さんの半歩後ろを歩く。リードする方もされる方も、ごく平然と歩いている。
 ツアー中はこれを俺がやることになる。二人の様子を見て、説明もされたし、そう心配することもないんじゃないかと、俺は少しほっとした。
 帰りの車の中、課長は渋い顔で黙りこんでいる。晴輝に会う前のあのテンションは、どこに行っちまったんだろう。
「結構いけそうな気がしてきました」
 俺は安心させるつもりで、課長の横顔に話しかけた。
「……お前、本当に分かってるんだろうな?」
 課長は顔を上げ、前を見据えたまま言う。怒ったような、真剣なまなざしだ。
「分かってるって、なにをですか」
 ハンドルを切りながら訊くと、
「マニュアルを説明されたぐらいで分かった気になって、誘導に慣れてる大石さんを見て、簡単そうだとか思っただろう?」
と、鋭い視線を向けられた。
 図星だ。ファンに煩わされはするかも知れないけど、いろんな所のうまいもん食えるんだろうな、なんて運転しながら思っていたところだった。
「はい、まあ」
「お前、見えないってことがどういうことだか、分かってないな」
 課長の声が硬い。ご機嫌を損ねちまったらしい。
「分かってますよ」
「お前は若いが、一応警備のプロだ。それを忘れるな」
 そうは言うけど、要するにファンからガードして安全を確保できれば、それでいいんじゃないのか?
「……はい」
 俺の間を置いた返事に、わざとらしいため息。
「俺はお前を買い被りすぎてたかも知れんな」
 重い一言。
 俺は一瞬課長に怒りの視線を向け、乱暴にブレーキを踏んだ。
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