君のぬくもりは僕の勇気

天渡清華

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その四

♪♪♪♪

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 髪にふれる直前で、感電したかのように手を引いた。晴輝相手になにぽわーんとなってんだよ、俺は!
 そして気づいた。晴輝のジーンズの尻ポケットから、カードキーがのぞいてる。
 俺が晴輝の部屋で寝た方が早そうだ。着替えとか、寝るまでの間に必要な物だけを見つくろい、部屋を出ようとして、振り返る。
 手紙も隆宣さんのこともただの口実で、晴輝なりに不器用に俺に近づきたかったんだとしたら?
 さっきの胸のうずきもまだ残って、胸がちくちくする。でももう眠くて、これ以上考えるのは面倒だ。
 俺は晴輝の部屋に入ると、バスルームに直行してばさばさ服を脱いだ。さっさとシャワーを浴びて寝るに限る。
 明日晴輝には文句の一つも言ってやらないと。大事なスタッフの体力を酔っ払いパワーで奪ってったんだからな。

 今日のライブも無事終わり、帰り支度を済ませて楽屋を出る。
「今日はすげえ気持ちよく歌えたよ。明日は移動するだけだから、今日は飲もうな」
 いたずらっ子のような笑みで、晴輝が言う。
「人の迷惑考えろっての」
 俺は晴輝の肩に肩をぶつけた。晴輝がふざけて、わざとらしくよろける。
「ごめんて、香水あげたじゃんか」
「そういう問題じゃなくて、ちょっとは反省しろよな」
 たわいない会話を交わしながら、会場の楽屋口から一歩外へ踏み出した、その瞬間。
 なにかが迫ってくる。とっさに晴輝を立ち止まらせて背中にかばい、立ち向かう。
 出待ちのファンの頭上を越え、歓声に混じって飛んでくるいくつもの白い球体。
 卵だと気づいたのは、ぶつかる直前。
 情けない音がして、卵は俺の胸と、顔をかばった肘にぶつかって割れた。
 一瞬のざわめき。重苦しい沈黙。
 怒りが噴き上げ、人だかりの背後をにらみつける。
 くそっ、誰だ? なんでだ? 卑怯者! 
 握りしめた拳が震えた。怒鳴ってやりたかったけど、怒りのあまり言葉にならない。
 一時停止をかけられたみたいに、ファンの群れはひそやかに固まってる。俺も怒りに縛られて動けない。
 悔しい。とにかく悔しい。なんで晴輝が卵なんか投げつけられなきゃいけないんだよ!
「静也? いったいなに……」
 晴輝が不安そうな声で俺の前に回ろうとして、指にふれた液体にびくりと手を引く。
「どうかした?」
 背後から大石さんの声。でも俺は唇を噛みしめたまま、なにも言えない。うっすら、血の味がする。
 振り返った俺を見て、さすがに大石さんの顔色が変わった。俺の身体を探り回ろうとする晴輝の手。がっしり握って止める。晴輝の顔がやけに白い。
「早く車に」
 大石さんの声に、ほとんど反射的に動く俺の身体。晴輝の表情がこわばっている。投げつけられた物の正体が分かったんだろう。
「晴輝、てめえムカつくんだよ!」
 どこからか降る罵声。大石さんと二人で追い立てるように、晴輝を待機していたワゴン車に乗せ、翔一郎さん達も乗りこんで、車は走り出す。
「……卵、投げつけられたんだな……」
 晴輝の声も唇も震えていた。
「早く気づけてよかった」
 まだ怒りはおさまらない。とにかく晴輝にぶつからなくてよかった、そう思う。でも言葉がとがって、慰めにならない。
 晴輝は俺の隣、一番後ろの座席の隅で、自分の身体を抱くようにしてうつむき、唇をかみしめている。
「村上君、明日費用うち持ちで新しいスーツ買わせて」
 助手席の大石さんの声も硬い。
「え、でも……」
「いいの、たとえクリーニングできれいになっても、私がそのスーツ見たくないから」
 それ以上、誰もなにも言えなかった。ウエットティッシュでスーツを拭く音だけが、やけに響く。
「……ごめんな」
 汚れを拭き終えた途端、それを待っていたようにぽつりと置かれる、晴輝の言葉。
 思わず晴輝を見つめ、次の言葉を待った。俺だけじゃなく、みんなの意識が晴輝に集中してるのが分かる。
「ごめんな、静也」
 どうして俺に謝るんだ? 謝る必要なんかない、むしろ、卵をぶつけられた後素早く対応できなかったから、俺が謝りたい。慰めたい。
 あわててノートをひっくり返すように言葉を探しても、どこまでも白紙で。
「なんで……」
 結局、出てきたのはそんな綿ゴミみたいな言葉だった。
「汚れちまっただろ」
 うつむいたまま、晴輝はかすかに唇をゆがめて笑った。
 ずき、と鼓動が跳ねた。痛い。すげえ痛い。それはとても、深い言葉のように思えた。
「そんなの、なんてことないよ。新しいスーツ買ってくれるって言うし」
 やっぱりどうでもいいことしか言えない俺に、そっか、と晴輝のかすれた声。
 小さくしぼんだその姿はとにかくせつなくて、なんの役にも立てない自分が悔しくて情けなくて、きつく拳を握る。
「どうする、このままホテルに帰る?」
 大石さんがバックミラー越しに晴輝を見る。うん、と力なくうなずく晴輝。
「晴輝、今夜は飲もう。部屋飲みしよう」
 とても見てられなくて、俺は思わず言っていた。
「お前さっきは、飲むの控えてくれって言ってなかった?」
 ようやく、晴輝はゆっくりと顔を上げた。目は真っ赤になってたけど、泣いてはいない。
「いいんだよ、今日は。もう絡まれるのにも慣れたよ」
「そっか、じゃあ飲もう」
 晴輝の明るい声に、車内の空気がほっとする。晴輝のいつもの笑顔に、一時的とは言え、俺の怒りも砂糖のように溶けていった。
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