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その五
♪♪
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失敗した。言い出すのが早すぎたかも知れない。でも俺は、一刻も早くいつもの晴輝に戻って欲しかった。晴輝はその名の通り、いつも青空みたいな笑顔でいるべきだ。遠慮がちにひっそり笑うなんてらしくない。
沈黙のうちにセットのサラダが来た。かごに入ってるフォークを渡して、サラダが置かれた場所を教える。晴輝は無言のままテーブルに指を滑らせ、サラダの位置を確かめて食べ始めた。
やがて俺のパスタが来て晴輝のドリアも来て、俺が食べ終わってしまっても、晴輝は暗い表情のまま無言でただ食べ続ける。
このままじゃ埒があかない。晴輝を落ちこませてるのは、いったいなんなんだろう。俺にだって悩みを聞くぐらいはできる。いや違う、それしかできない。それしかできないなら、せめてそのできることをしたい。
「ごめんな、静也のせいじゃないのに」
俺のいらだちを感じ取ったのか、突然晴輝がつぶやいた。
「いや、いきなり訊いた俺も悪いよな。ごめん」
晴輝は小さく首を横に振った。うつむいたままで。
一人で抱えないで、言って欲しい。笑って欲しい。いつまでもこんな晴輝を見てるのはつらい。
だけど晴輝は、ドリアをすっかり食べ終わっても、ドリンクを飲みながらなにか考え続けてるようだった。
その白い横顔が日に透けるようで、俺はなんとなく怖くなった。すうっと溶けて消えてしまいそうに、目の前の晴輝があやうげで、やけに心細くなる。
「そろそろ出ようか?」
「……見えるふりがしたい」
耐えきれず言った俺の声と、晴輝のつぶやきが重なった。
「見えるふり?」
「白杖持たないで、いかにも見えてるように歩いてみたいんだよ」
ひらべったい声。ニュースを読んでるみたいに、声にも顔にも表情がない。それだけに晴輝のつらさが見えて、水が傷にしみるように、心が痛む。
俺はいいよ、とだけ答えて、椅子から立ち上がった晴輝の左に立った。
晴輝が俺の腕に肩を押しつけてくる。そのままレジへと歩き出すと、晴輝の指が俺の手首にさりげなく絡んできた。
ゆっくり貼りあわされる、晴輝のぬくもり。興奮のような、幸福感のような。そんな感情がじわじわと身体を熱くする。心を大きく柔らかく包む。
ああ俺、晴輝が好きだ。
今この瞬間、ささやかなふれあいがやっと俺にそう認めさせた。
「やっぱこの香水お前に似あうよ」
消えそうなぐらい、かすかなささやき。俺は胸を締めつけられ、思わず拳を握る。
晴輝は今まで、少なくても俺の前では、見えないことを負担に思ってる様子を見せたことがない。晴輝が出会ったばかりの頃俺に言ったのも、「俺はただ見えないだけだから」という言葉だった。
いったい晴輝になにがあったのか、すごく気になる。でも無理に聞き出せば、さっきみたいに晴輝を傷つけてしまう。とにかく待とう。言う言わない、知る知らないは大したことじゃない、だ。
これからの時間が少しでも晴輝の気分転換になって、せめてステージ上ではいつもの晴輝に戻って欲しい。そのために俺にできることなら、なんでもしてやりたい。
ぶらぶらアーケードを歩いて、あちこち店に入った。晴輝はこんなにも男同士くっついて歩いてるのを不審に思われないためなのか、無理してふざけて肩で押してきたり、ぶつかってきたりする。
俺も押し返したり、わざとよろけたりした。でもそうしてふざけてる間にも、晴輝の笑顔はやっぱり少し暗い。
「CD買いたいんだけど、近くに店ある?」
「うん、ちょっと行った左側にあるね」
「新譜視聴してみて、いいのがあったら欲しいんだよね」
俺は店に入ると、晴輝を試聴機の前に連れて行った。晴輝の見えるふりを手伝って、耳元でそっとささやいてヘッドホンや操作ボタンの場所を教える。
晴輝は試聴という言葉が似つかわしくないほど、全身で集中して曲を聴く。時には、曲の奥の奥まで潜っているのか、ってぐらい真剣に。時には、頬を緩ませて幸せそうに。
晴輝の横顔を見つめていると、音楽が晴輝の気持ちを晴らしていくのが、はっきり分かった。
「今聴いてるアルバムが欲しい」
試聴機のディスプレイを見て、その番号のアルバムを取って晴輝に渡す。フロアを移動して、試聴機から試聴機へと渡り歩いて、晴輝は五枚アルバムを買った。
「行こう」
いくらかいつもの晴輝を取り戻してきた笑顔。まばゆく胸にしみる。ずっとふれあわせているうちに、その場所の体温が溶けあい、熱くなる。幸せだと思った。本当に。ふるふると心が弾むようだった。
この幸せを全身で味わいたい。手を握ってしまいたい。抱きしめたい。守りたい。
沈黙のうちにセットのサラダが来た。かごに入ってるフォークを渡して、サラダが置かれた場所を教える。晴輝は無言のままテーブルに指を滑らせ、サラダの位置を確かめて食べ始めた。
やがて俺のパスタが来て晴輝のドリアも来て、俺が食べ終わってしまっても、晴輝は暗い表情のまま無言でただ食べ続ける。
このままじゃ埒があかない。晴輝を落ちこませてるのは、いったいなんなんだろう。俺にだって悩みを聞くぐらいはできる。いや違う、それしかできない。それしかできないなら、せめてそのできることをしたい。
「ごめんな、静也のせいじゃないのに」
俺のいらだちを感じ取ったのか、突然晴輝がつぶやいた。
「いや、いきなり訊いた俺も悪いよな。ごめん」
晴輝は小さく首を横に振った。うつむいたままで。
一人で抱えないで、言って欲しい。笑って欲しい。いつまでもこんな晴輝を見てるのはつらい。
だけど晴輝は、ドリアをすっかり食べ終わっても、ドリンクを飲みながらなにか考え続けてるようだった。
その白い横顔が日に透けるようで、俺はなんとなく怖くなった。すうっと溶けて消えてしまいそうに、目の前の晴輝があやうげで、やけに心細くなる。
「そろそろ出ようか?」
「……見えるふりがしたい」
耐えきれず言った俺の声と、晴輝のつぶやきが重なった。
「見えるふり?」
「白杖持たないで、いかにも見えてるように歩いてみたいんだよ」
ひらべったい声。ニュースを読んでるみたいに、声にも顔にも表情がない。それだけに晴輝のつらさが見えて、水が傷にしみるように、心が痛む。
俺はいいよ、とだけ答えて、椅子から立ち上がった晴輝の左に立った。
晴輝が俺の腕に肩を押しつけてくる。そのままレジへと歩き出すと、晴輝の指が俺の手首にさりげなく絡んできた。
ゆっくり貼りあわされる、晴輝のぬくもり。興奮のような、幸福感のような。そんな感情がじわじわと身体を熱くする。心を大きく柔らかく包む。
ああ俺、晴輝が好きだ。
今この瞬間、ささやかなふれあいがやっと俺にそう認めさせた。
「やっぱこの香水お前に似あうよ」
消えそうなぐらい、かすかなささやき。俺は胸を締めつけられ、思わず拳を握る。
晴輝は今まで、少なくても俺の前では、見えないことを負担に思ってる様子を見せたことがない。晴輝が出会ったばかりの頃俺に言ったのも、「俺はただ見えないだけだから」という言葉だった。
いったい晴輝になにがあったのか、すごく気になる。でも無理に聞き出せば、さっきみたいに晴輝を傷つけてしまう。とにかく待とう。言う言わない、知る知らないは大したことじゃない、だ。
これからの時間が少しでも晴輝の気分転換になって、せめてステージ上ではいつもの晴輝に戻って欲しい。そのために俺にできることなら、なんでもしてやりたい。
ぶらぶらアーケードを歩いて、あちこち店に入った。晴輝はこんなにも男同士くっついて歩いてるのを不審に思われないためなのか、無理してふざけて肩で押してきたり、ぶつかってきたりする。
俺も押し返したり、わざとよろけたりした。でもそうしてふざけてる間にも、晴輝の笑顔はやっぱり少し暗い。
「CD買いたいんだけど、近くに店ある?」
「うん、ちょっと行った左側にあるね」
「新譜視聴してみて、いいのがあったら欲しいんだよね」
俺は店に入ると、晴輝を試聴機の前に連れて行った。晴輝の見えるふりを手伝って、耳元でそっとささやいてヘッドホンや操作ボタンの場所を教える。
晴輝は試聴という言葉が似つかわしくないほど、全身で集中して曲を聴く。時には、曲の奥の奥まで潜っているのか、ってぐらい真剣に。時には、頬を緩ませて幸せそうに。
晴輝の横顔を見つめていると、音楽が晴輝の気持ちを晴らしていくのが、はっきり分かった。
「今聴いてるアルバムが欲しい」
試聴機のディスプレイを見て、その番号のアルバムを取って晴輝に渡す。フロアを移動して、試聴機から試聴機へと渡り歩いて、晴輝は五枚アルバムを買った。
「行こう」
いくらかいつもの晴輝を取り戻してきた笑顔。まばゆく胸にしみる。ずっとふれあわせているうちに、その場所の体温が溶けあい、熱くなる。幸せだと思った。本当に。ふるふると心が弾むようだった。
この幸せを全身で味わいたい。手を握ってしまいたい。抱きしめたい。守りたい。
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