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第四章
その二 四
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結果、琢馬は今年もあざやかに勝った。初戦では相手を圧倒して手も足も出させず、二戦目でも相手に一本取られたが、切れのある動きであとの二本をあっという間に取った。決勝戦ではさすがに相手も強く、息もつかせぬ攻防に場は人などいないかのような静寂に覆われたほどだった。
源次郎の隣で、ただ静かに試合を見ていた由貴。目だけがせわしなく動きを追い、口もとには笑みを浮かべたまま、澄んだ湖のようなたたずまいだった。
由貴は、変わった。
「なにを考えておるのだ?」
いえ、とだけ応えて、源次郎は貴之の肩に頭を預ける。由貴が帰ってきてからも、貴之が源次郎の所に来るのは変わらない。
変わらず来てくれるのはうれしいが、本当は貴之は由貴のところに行きたいのではないか、という思いが、炎のように揺らめいて消えない。
「これからどうなさるおつもりですか」
ぴくりと反応する貴之。言葉にしたことを後悔してももう遅い。
しかし貴之はなにも言わず、しばらくただ静かに源次郎の背中をなでた。
「こうするに決まっておる」
片手が源次郎の襟をなぞり、胸まで下りたところですっと懐に入りこむ。一方の手は裾を割って脚をゆっくりなで上げる。
「殿……」
耳を食み、貴之は低い声を吹きこむ。
「決めてはいる」
顔を見ようとしたが、それは貴之の腕が許さなかった。
「だが、お前だけに言うわけにはいかん」
源次郎はそっとため息をついた。それ以上聞くべきではない。今はただ求めに応えよう。
「それにしても、暖かくなったものだ。もうこうして肌を出しても寒くない」
楽しげに笑う貴之。その胸中が分からないからといって、いちいち不安になっていては身がもたない。お互い分からないことばかりだからこそ、言葉を重ね肌を重ね、ともに歩む中でなじみあい分かりあっていくのだ。今はまだ、ようやくなじみ始めたばかりではないか。
信じるのだ。
恒例の花見の日程が発表されたその翌日、突如御伽衆御殿の者達が招集された。
ついに、その時が来たのだろう。主だった者達が勢ぞろいした広間で、最前列の端の方に座った源次郎は、緊張しながら貴之が現れるのを待った。
隣で四郎はそわそわと落ち着かず、さらにその隣にいる由貴は目を閉じて微動だにしない。
台所役人の頭など、御伽衆だけでなく奥向きに関係する者達が大方呼ばれていて、いったいなにが沙汰されるのか、座敷中に不安と疑問が満ちている。
やがて衣ずれの音をさせ、御伽衆頭の田山が現れた。いっせいに会釈をする一同に、田山は緊張のせいか青白く見える顔で返す。その懐には、これから読み上げられるだろう書付。
「殿のお成りである」
田山の大声が響き、一段高い上座に貴之がついた。
「本日は重要な御沙汰ゆえ、まずそれがしが御沙汰書を読みあげ、そののち殿直々にお言葉をいただく。心せよ」
平伏する者達の中で、一人田山だけが立って、うやうやしく沙汰書を掲げて読み始めた。
「この度家中に問題山積し、しかのみならず日本国全体が国難に直面致しおり候折柄、五月十五日をもって御伽衆を廃す旨、一同に申し渡すものなり」
場は当然、騒然となった。あまりにも思いがけなく大胆な決定に、源次郎は言葉を失う。しかしそっと貴之の表情をうかがっても、一同を見渡しているその瞳はどこまでも静かだ。
「この御決定に際し、みなにはそれぞれ新たな職が与えられる。もはや御奉公がならぬということではない、安心いたせ」
そう言って田山は、ひときわ大きな声で人事について読み上げ始めた。
御伽衆頭だった田山は御小姓頭。源次郎は表小姓、四郎は御手弓頭。つまりは弓が得意な四郎をのぞいて、ほとんどの者が変わらず貴之のそばに仕える職に就くということらしかった。
「以上、なお一層お勤めに励むべき事。詳しくは、各人に追って沙汰する。最後に、大久保由貴殿」
ははっ、と鋭く応えてかしこまる由貴。そういえば、由貴だけが新たな職を与えられていない。源次郎は思わずちらちらと由貴の横顔を盗み見たが、その表情は動かない。その静けさは、貴之と同じものだった。覚悟を決めた者のみが持つ静けさなのか。
「その方、十年の間よく御伽衆の職を全うし、またかねて病気療養中の身なれば、土地屋敷を下され、今後は年二十両の隠居料を与え、隠居を差し許すものとする」
「ありがたき幸せにござりまする」
朗々とした声。その余韻が消えるのを待っていたかのように、貴之がおもむろに口を開く。
「いきなりのことで、みなにもいろいろ意見があろうが、新たな職はよくよく考慮の上のもの。国事多難の折、いつ御公儀より海岸警備などの命が下るか分からず、それに備えるため思いきった処置を取った。御伽衆だけでなく、奥御殿についても人員整理を考えておる。分かってくれ」
貴之の説諭に、座にある者達は誰もが声もなく平伏した。源次郎も平伏したまま、貴之の見事な処置にただただ恐れ入った。まさか由貴を湯治に出したのも、この日のためだったのだろうか。これですべてが、丸く収まった。
「花見を送別の宴と心得、今年はいっそう楽しいものとしようぞ」
奥から、表へ。これまでのように濃密な時間は持てないかも知れないが、そばにいられる。国を背負う凛とした姿を、間近で見ていられる。なんと名誉な役だろう。
これからもずっと、貴之とともに時を重ねていこう。
源次郎は改めて誓い、貴之のそばにいられることを本当に幸せだと思った。
源次郎の隣で、ただ静かに試合を見ていた由貴。目だけがせわしなく動きを追い、口もとには笑みを浮かべたまま、澄んだ湖のようなたたずまいだった。
由貴は、変わった。
「なにを考えておるのだ?」
いえ、とだけ応えて、源次郎は貴之の肩に頭を預ける。由貴が帰ってきてからも、貴之が源次郎の所に来るのは変わらない。
変わらず来てくれるのはうれしいが、本当は貴之は由貴のところに行きたいのではないか、という思いが、炎のように揺らめいて消えない。
「これからどうなさるおつもりですか」
ぴくりと反応する貴之。言葉にしたことを後悔してももう遅い。
しかし貴之はなにも言わず、しばらくただ静かに源次郎の背中をなでた。
「こうするに決まっておる」
片手が源次郎の襟をなぞり、胸まで下りたところですっと懐に入りこむ。一方の手は裾を割って脚をゆっくりなで上げる。
「殿……」
耳を食み、貴之は低い声を吹きこむ。
「決めてはいる」
顔を見ようとしたが、それは貴之の腕が許さなかった。
「だが、お前だけに言うわけにはいかん」
源次郎はそっとため息をついた。それ以上聞くべきではない。今はただ求めに応えよう。
「それにしても、暖かくなったものだ。もうこうして肌を出しても寒くない」
楽しげに笑う貴之。その胸中が分からないからといって、いちいち不安になっていては身がもたない。お互い分からないことばかりだからこそ、言葉を重ね肌を重ね、ともに歩む中でなじみあい分かりあっていくのだ。今はまだ、ようやくなじみ始めたばかりではないか。
信じるのだ。
恒例の花見の日程が発表されたその翌日、突如御伽衆御殿の者達が招集された。
ついに、その時が来たのだろう。主だった者達が勢ぞろいした広間で、最前列の端の方に座った源次郎は、緊張しながら貴之が現れるのを待った。
隣で四郎はそわそわと落ち着かず、さらにその隣にいる由貴は目を閉じて微動だにしない。
台所役人の頭など、御伽衆だけでなく奥向きに関係する者達が大方呼ばれていて、いったいなにが沙汰されるのか、座敷中に不安と疑問が満ちている。
やがて衣ずれの音をさせ、御伽衆頭の田山が現れた。いっせいに会釈をする一同に、田山は緊張のせいか青白く見える顔で返す。その懐には、これから読み上げられるだろう書付。
「殿のお成りである」
田山の大声が響き、一段高い上座に貴之がついた。
「本日は重要な御沙汰ゆえ、まずそれがしが御沙汰書を読みあげ、そののち殿直々にお言葉をいただく。心せよ」
平伏する者達の中で、一人田山だけが立って、うやうやしく沙汰書を掲げて読み始めた。
「この度家中に問題山積し、しかのみならず日本国全体が国難に直面致しおり候折柄、五月十五日をもって御伽衆を廃す旨、一同に申し渡すものなり」
場は当然、騒然となった。あまりにも思いがけなく大胆な決定に、源次郎は言葉を失う。しかしそっと貴之の表情をうかがっても、一同を見渡しているその瞳はどこまでも静かだ。
「この御決定に際し、みなにはそれぞれ新たな職が与えられる。もはや御奉公がならぬということではない、安心いたせ」
そう言って田山は、ひときわ大きな声で人事について読み上げ始めた。
御伽衆頭だった田山は御小姓頭。源次郎は表小姓、四郎は御手弓頭。つまりは弓が得意な四郎をのぞいて、ほとんどの者が変わらず貴之のそばに仕える職に就くということらしかった。
「以上、なお一層お勤めに励むべき事。詳しくは、各人に追って沙汰する。最後に、大久保由貴殿」
ははっ、と鋭く応えてかしこまる由貴。そういえば、由貴だけが新たな職を与えられていない。源次郎は思わずちらちらと由貴の横顔を盗み見たが、その表情は動かない。その静けさは、貴之と同じものだった。覚悟を決めた者のみが持つ静けさなのか。
「その方、十年の間よく御伽衆の職を全うし、またかねて病気療養中の身なれば、土地屋敷を下され、今後は年二十両の隠居料を与え、隠居を差し許すものとする」
「ありがたき幸せにござりまする」
朗々とした声。その余韻が消えるのを待っていたかのように、貴之がおもむろに口を開く。
「いきなりのことで、みなにもいろいろ意見があろうが、新たな職はよくよく考慮の上のもの。国事多難の折、いつ御公儀より海岸警備などの命が下るか分からず、それに備えるため思いきった処置を取った。御伽衆だけでなく、奥御殿についても人員整理を考えておる。分かってくれ」
貴之の説諭に、座にある者達は誰もが声もなく平伏した。源次郎も平伏したまま、貴之の見事な処置にただただ恐れ入った。まさか由貴を湯治に出したのも、この日のためだったのだろうか。これですべてが、丸く収まった。
「花見を送別の宴と心得、今年はいっそう楽しいものとしようぞ」
奥から、表へ。これまでのように濃密な時間は持てないかも知れないが、そばにいられる。国を背負う凛とした姿を、間近で見ていられる。なんと名誉な役だろう。
これからもずっと、貴之とともに時を重ねていこう。
源次郎は改めて誓い、貴之のそばにいられることを本当に幸せだと思った。
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