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夢の中の片想い(1)
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眩しいほどに輝くライト。
女の子たちの黄色い歓声。
ステージには、彼女たちの視線を一斉に集めるひとりの男性。
彼は、きらきらと光る汗を散らしながら、歌い、踊り、舞台の上を駆け回った。
彼ひとりの存在が、会場を埋めた数万の人の心を惹き付けて離さない。
彼は、文字通り「カリスマ」だった。
突然、会場の照明が一気に落とされ、一筋のスポット・ライトに浮かび上がる彼の姿。
そして、彼は歌う。
よく通る澄んだ声、独特のビブラート。
なんて素敵なんだろう……彼の歌を聴くたびに全身が痺れる。
やがて、彼が手を伸ばす。
暗闇に包まれた観客席で、胸を震わせるあたしに向かって。
――ずっとずっと、君を探していた。
ああ、嘘みたい。
こんな幸せ、あってもいいのかな。
これが夢なら、絶対に覚めないで欲しい……。
ジリリリリ――。
無粋な目覚ましのベルに、あたし、樫村藍(かしむらあい)ははっと目を開けた。
……やっぱり、夢か。
嘆息して見上げたそこには、愛しい彼の優しい笑顔。
「おはよう、蒼」
彼は何も答えず、ただ白い歯を見せて微笑んでいるだけだ。
なぜなら……それは、天井に貼り付けられたポスターだから。
天井だけじゃない。
あたしの部屋の壁という壁は、彼の写真やポスター、雑誌の切抜きなどで埋め尽くされている。
どこを向いても、大好きな彼と目が合うように。
彼の名前は、鷹宮蒼(たかみやそう)。
歌手であり、俳優であり、雑誌の好感度調査でも抱かれたい男アンケートでもいつもダントツの1位、日本中の誰もが認める「国民的」アイドル。
あたしの、憧れの人。
今どき、アイドルに熱を上げるなんてって、友達はみんな笑うけど、好きなんだからしょうがない。
どんなに馬鹿にされても、この気持ちは止められない。
いくら想っても報われない人だってことくらい、ちゃんとわかってる。
だから、あたしは夢の中で彼に恋をする。
叶わなくても、届かなくてもいい……ただ、想っていたい。
彼の歌を聴くと、元気になれる。
彼の姿を目にすると、自分も頑張ろうって気持ちになれる。
蒼は……あたしの生命力の源だから。
* * * * *
もう1度、名残惜しい気持ちで天井のポスターを見上げたあたしは、ベッドの上に起き上がった。
大きなあくびとともに、両手を挙げて伸びをひとつ。
知らず頬が緩むのを止められない。
確かに素敵な夢だったけど、今日はもっとイイコトがある。
今夜は、蒼のコンサートに行くんだ。
電話の前に何時間も陣取って、やっと手に入れたチケット。
夢じゃなく、生身の彼に会える。
彼の声が聴ける。
そう思ったら居ても立ってもいられなくって。
あたしは猛ダッシュで支度をすると、朝ごはんも食べずに家を飛び出した。
どんなに早く学校に行っても、帰りの時間が早まるわけじゃないから、本当は無駄なんだけど、逸る気持ちは抑えきれないんだからしょうがない。
学校でも、授業なんて手につかなかった。
英語の構文も数学の公式も、右の耳から入って左から抜けていく感じだった。
頭の中は蒼でいっぱいで、あたしの心はとっくにコンサート会場に飛んでいた。
でも……世の中、そうそう上手くは運ばないのが常。
帰りのHRが終わって、速攻でかばんを引っつかみ教室を出ようとしたあたしを、仲良しの友紀ちゃんが呼び止めた。
「藍、今日の放課後、委員会があること忘れてないよね?」
うわ、いけない……忘れてました、すっかり。
あたしと友紀ちゃんは、クラスの図書委員をやっていた。
金曜日はその委員会の定例日。
「この間みたいに、図書室の整理当番、全部あたしに押し付けて、自分だけ蒼のラジオの公開録音へ、なんて許さないからね」
先手を取ってそう言われて、あたしは言い訳を飲み込んでしまった。
あたしの様子でそう思っていたことが読めたのか、友紀ちゃんは呆れたような溜息を吐く。
「何よ、今日もサボるつもりだったの?」
「いや、最初からそのつもりだったわけじゃなくて、忘れてたって言うか、その――」
そこまで言って、あたしは友紀ちゃんの腕をがしっと掴んだ。
「お願い、見逃して! 6時から蒼のコンサートがあるの、家に帰って着替えてたら今からでもギリギリなの、この通り、一生のお願いだから!」
縋るような瞳で見上げたあたしと、そんなあたしを見下ろす友紀ちゃんの目が合う。
あ……友紀ちゃん、怒ってる?
「あのさあ、藍が蒼に夢中だってことはわかってるし、あたしだってできれば見逃してあげたいよ。でもね、いつもひとりで委員会に出てるあたしの身にもなって。顧問の望月先生にだって、2Cの図書委員はひとりか、なんて嫌味言われているんだよ。今日はちゃんと出てもらわないと困る。そうじゃなきゃ、絶交だから」
「ぜ、絶交?!」
思わず声が裏返った。
そんな……友紀ちゃんは唯一無二の親友だと思ってたのに!
「どーしても、だめ?」
「だ~め」
「苦労してチケット取ったんだよぉ」
「だったら、図書委員としての仕事、さっさと終わらせてから行きなさい」
友紀ちゃんは、腰に手を当てて冷たく言い切った。
このときばかりは、親友の顔が鬼に見えた。
蒼のコンサートは、もちろんこの1回きりじゃないし、熱心な追っかけをやっている子は、首都圏はもちろん、地方にまでついて行くらしいけど、あたしはまだ高校生で、そんな真似をする時間もお金もない。
年に何度かある都内でのコンサートに行ければ万々歳なのだ。
なのに、そんな貴重な機会をみすみす逃すなんて、あたしにとっては拷問に等しい。
「友紀様~」
「媚びてもだめ。今日は何が何でも出てもらうからね、委員会」
無慈悲な親友に腕を取られて、あたしは引きずられるようにして図書室に向かった。
考えてみれば、友紀ちゃんの言い分は100%正しい。
いくらあたしが蒼にお熱だからって、図書委員としての仕事を全部彼女に押し付けていいって理由にはならないし。
「あたしだって、藍に意地悪したくてこんなこと言ってるんじゃないんだよ。とりあえず顔だけ見せたら、上手いこと言って早めに帰らせてあげるから。ね、頑張ろ?」
「うん、わかった……」
あたしが頷くと、友紀ちゃんはホッとしたように笑った。
早く蒼に会いたいのは山々だけど、やっぱり親友は失くせない。
友達は、何物にも代え難い宝物だもの。
待っててね、蒼。
どんなに遅くなっても、あたし……あなたの元に駆けつけるから。
そんな想いが蒼に届くわけはなかったけど、あたしはそう願わずにはいられなかった。
女の子たちの黄色い歓声。
ステージには、彼女たちの視線を一斉に集めるひとりの男性。
彼は、きらきらと光る汗を散らしながら、歌い、踊り、舞台の上を駆け回った。
彼ひとりの存在が、会場を埋めた数万の人の心を惹き付けて離さない。
彼は、文字通り「カリスマ」だった。
突然、会場の照明が一気に落とされ、一筋のスポット・ライトに浮かび上がる彼の姿。
そして、彼は歌う。
よく通る澄んだ声、独特のビブラート。
なんて素敵なんだろう……彼の歌を聴くたびに全身が痺れる。
やがて、彼が手を伸ばす。
暗闇に包まれた観客席で、胸を震わせるあたしに向かって。
――ずっとずっと、君を探していた。
ああ、嘘みたい。
こんな幸せ、あってもいいのかな。
これが夢なら、絶対に覚めないで欲しい……。
ジリリリリ――。
無粋な目覚ましのベルに、あたし、樫村藍(かしむらあい)ははっと目を開けた。
……やっぱり、夢か。
嘆息して見上げたそこには、愛しい彼の優しい笑顔。
「おはよう、蒼」
彼は何も答えず、ただ白い歯を見せて微笑んでいるだけだ。
なぜなら……それは、天井に貼り付けられたポスターだから。
天井だけじゃない。
あたしの部屋の壁という壁は、彼の写真やポスター、雑誌の切抜きなどで埋め尽くされている。
どこを向いても、大好きな彼と目が合うように。
彼の名前は、鷹宮蒼(たかみやそう)。
歌手であり、俳優であり、雑誌の好感度調査でも抱かれたい男アンケートでもいつもダントツの1位、日本中の誰もが認める「国民的」アイドル。
あたしの、憧れの人。
今どき、アイドルに熱を上げるなんてって、友達はみんな笑うけど、好きなんだからしょうがない。
どんなに馬鹿にされても、この気持ちは止められない。
いくら想っても報われない人だってことくらい、ちゃんとわかってる。
だから、あたしは夢の中で彼に恋をする。
叶わなくても、届かなくてもいい……ただ、想っていたい。
彼の歌を聴くと、元気になれる。
彼の姿を目にすると、自分も頑張ろうって気持ちになれる。
蒼は……あたしの生命力の源だから。
* * * * *
もう1度、名残惜しい気持ちで天井のポスターを見上げたあたしは、ベッドの上に起き上がった。
大きなあくびとともに、両手を挙げて伸びをひとつ。
知らず頬が緩むのを止められない。
確かに素敵な夢だったけど、今日はもっとイイコトがある。
今夜は、蒼のコンサートに行くんだ。
電話の前に何時間も陣取って、やっと手に入れたチケット。
夢じゃなく、生身の彼に会える。
彼の声が聴ける。
そう思ったら居ても立ってもいられなくって。
あたしは猛ダッシュで支度をすると、朝ごはんも食べずに家を飛び出した。
どんなに早く学校に行っても、帰りの時間が早まるわけじゃないから、本当は無駄なんだけど、逸る気持ちは抑えきれないんだからしょうがない。
学校でも、授業なんて手につかなかった。
英語の構文も数学の公式も、右の耳から入って左から抜けていく感じだった。
頭の中は蒼でいっぱいで、あたしの心はとっくにコンサート会場に飛んでいた。
でも……世の中、そうそう上手くは運ばないのが常。
帰りのHRが終わって、速攻でかばんを引っつかみ教室を出ようとしたあたしを、仲良しの友紀ちゃんが呼び止めた。
「藍、今日の放課後、委員会があること忘れてないよね?」
うわ、いけない……忘れてました、すっかり。
あたしと友紀ちゃんは、クラスの図書委員をやっていた。
金曜日はその委員会の定例日。
「この間みたいに、図書室の整理当番、全部あたしに押し付けて、自分だけ蒼のラジオの公開録音へ、なんて許さないからね」
先手を取ってそう言われて、あたしは言い訳を飲み込んでしまった。
あたしの様子でそう思っていたことが読めたのか、友紀ちゃんは呆れたような溜息を吐く。
「何よ、今日もサボるつもりだったの?」
「いや、最初からそのつもりだったわけじゃなくて、忘れてたって言うか、その――」
そこまで言って、あたしは友紀ちゃんの腕をがしっと掴んだ。
「お願い、見逃して! 6時から蒼のコンサートがあるの、家に帰って着替えてたら今からでもギリギリなの、この通り、一生のお願いだから!」
縋るような瞳で見上げたあたしと、そんなあたしを見下ろす友紀ちゃんの目が合う。
あ……友紀ちゃん、怒ってる?
「あのさあ、藍が蒼に夢中だってことはわかってるし、あたしだってできれば見逃してあげたいよ。でもね、いつもひとりで委員会に出てるあたしの身にもなって。顧問の望月先生にだって、2Cの図書委員はひとりか、なんて嫌味言われているんだよ。今日はちゃんと出てもらわないと困る。そうじゃなきゃ、絶交だから」
「ぜ、絶交?!」
思わず声が裏返った。
そんな……友紀ちゃんは唯一無二の親友だと思ってたのに!
「どーしても、だめ?」
「だ~め」
「苦労してチケット取ったんだよぉ」
「だったら、図書委員としての仕事、さっさと終わらせてから行きなさい」
友紀ちゃんは、腰に手を当てて冷たく言い切った。
このときばかりは、親友の顔が鬼に見えた。
蒼のコンサートは、もちろんこの1回きりじゃないし、熱心な追っかけをやっている子は、首都圏はもちろん、地方にまでついて行くらしいけど、あたしはまだ高校生で、そんな真似をする時間もお金もない。
年に何度かある都内でのコンサートに行ければ万々歳なのだ。
なのに、そんな貴重な機会をみすみす逃すなんて、あたしにとっては拷問に等しい。
「友紀様~」
「媚びてもだめ。今日は何が何でも出てもらうからね、委員会」
無慈悲な親友に腕を取られて、あたしは引きずられるようにして図書室に向かった。
考えてみれば、友紀ちゃんの言い分は100%正しい。
いくらあたしが蒼にお熱だからって、図書委員としての仕事を全部彼女に押し付けていいって理由にはならないし。
「あたしだって、藍に意地悪したくてこんなこと言ってるんじゃないんだよ。とりあえず顔だけ見せたら、上手いこと言って早めに帰らせてあげるから。ね、頑張ろ?」
「うん、わかった……」
あたしが頷くと、友紀ちゃんはホッとしたように笑った。
早く蒼に会いたいのは山々だけど、やっぱり親友は失くせない。
友達は、何物にも代え難い宝物だもの。
待っててね、蒼。
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