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第一章

第二十一話 魔王、ビビる

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 地方都市エルノウァール。

 南は王都エルヘブンへ、北はアルバハ聖王国へと至る大街道の中腹に位置する、ファントフォーゼ侯爵領の中心都市である。

 地方都市とはいうものの、交通の要所に位置するだけあってその賑わいは王都に見劣りしない。
 もちろん駐在の貴族などはいないため、贅沢品を扱う店や高級レストランなどは少ないが、庶民が欲しいものは大抵が労なく手に入る。

 今日も今日とてその中央市場は、互いに少し離れれば話すらできないほどの喧騒だった。
 あちこちで客の呼び込みの声が上がり、少し開けたところでは大道芸人が自慢の技を披露して喝采を浴びている。
 行き交う人々は皆笑顔であり、領内が良好に治められていることを物語る。

 そんな日常の一コマが、突如不穏な空気に包まれた。

 皆が視線を集中させたのは、現れた異様な黒の集団。

 総勢十名ほど、その全員が黒のロングコートで身を包む。

 コートの背面には銀色の刺繍で、十字架とそれを護るかのような二本の大剣が描かれている。
 首からも、同じデザインのトップが付いた銀のペンダントが下げられていた。

 ほぼ全員がコート越しにも分かるほどの立派な体格を備え、また腰にはモーニングスターと思しき、これまた銀色の鈍器がぶら下げられている。

 明らかにカタギの集団ではない。

「おい、あいつら……」

「しっ!目ぇ合わせるんじゃねぇよ!しょっぴかれるぞ!」

【神殿騎士団】。
 大陸全域に勢力を拡げる聖女神教会が有する、歴とした『武力』。

 教会の守護を主任務とするが、国の手が回らない地方の町を賊などの脅威から守ったり、慈善活動なども行う。
 信仰に根差した博愛の精神により広く人々に救いの手を差し伸べるため、神殿騎士団は民衆から絶大な人気を誇っている。
 国によってはその力を恐れ、神殿騎士団はその存在を禁じられたこともあったが、今では聖女神教会が根付いたほぼ全ての国で、設置が認められていた。

 エルハイム王国もその例外ではなく、王都にある中央教会には千名からなる屈強な騎士団が存在している。

 人気の高い彼らの中にあって、しかし民衆から強く畏怖される者たちがいた。

 神殿騎士団が有する【異端審問委員会】。
 その実行部隊である【執行者】。
 それが、今エルノウァールに現れた彼らである。

 エルノウァール教会支部への面通しを終え、彼らは任務についた。
 周囲に強烈なプレッシャーを放ちながら、足早に郊外へと向かうその姿は、人の集団というよりもむしろ、獲物を追う狼の群れを思わせた。

「聖女様……ねぇ。へっ、その面拝ませてもらおうじゃねぇか」

 屈強な大男たちを率い、先頭をいくのは、齢十七か十八ほどの黒髪短髪の女であった。

 黒コートの隙間から見える肢体は極限まで鍛えられた戦士のそれであったが、特に大柄というわけではない。

 だがその醸し出す危険な存在感は、大男たちの比ではなかった。肉食獣を思わせる大きく鋭い双眸と、剣呑な雰囲気は、すれ違う誰もが本能的に恐怖を感じ、思わず目を伏せてしまうほどだった。

「紛い物だった時にゃ……容赦はしねぇ。ギッタギタの、ボコボコだ」

 女は両拳を胸の前で叩き合わせる。
 体格に不釣り合いな厳つい鉄甲が、乾いた金属音を鳴り響かせた。


 ◆◆◆



「ふむ!これなどよく似合うな!」

 エリスの治癒魔法によりその視力を回復したリィは、今はエリスの部屋ですっかり着せ替え人形と化していた。

 エリスはウキウキしながら、クローゼットに眠っている昔の自分の服を大量に引っ張り出し、次から次へとリィに着せては恍惚の笑みを浮かべている。

「綺麗な服……」

 着替え用の大鏡に映し出される自分の姿を見て、リィは惚けたような声を出す。

「ふふ。長年見えてなかったのじゃからな。こんな色彩は眼に眩しかろう」

 両手に煌びやかなドレスを抱えてニマニマするエリスに、鏡越しに視線を合わせたリィは、恐る恐るといった様子で口を開いた。

「……どうして、エリスさまは私にこんなに良くしてくれるんですか?」

「ん?あー、んーと、それはじゃな……」

 もちろん、リィの境遇が可哀想だったから、などという同情の気持ちは、エリスにはほとんどない。
 主な理由はリィがお人形のように可愛いことと、リィのお手製お菓子にすっかり胃袋を掴まれてしまったことなのだが、前者についてはエリスは少し考えるところがあった。

 それが、エリス・ファントフォーゼ侯爵令嬢の記憶を元にしているからである。
 エリスはそれをよく理解していたし、自分の意思決定に、いわば外的要素――多分に内的なのだが――が介在してしまう状態を警戒していた。

 しかし一方で、最近ではそれを部分的にだが受け入れつつあった。

 ――世界の浄化には、まだまだ準備に時間がかかりそうじゃからな。多少息抜きがあっても良かろう。

 前世のエリスは、基本的には人間殲滅以外に興味を抱かなかった。無趣味の仕事人間……もとい仕事魔王である。
 人間社会潜伏を余儀なくされ、大手を振って浄化に打ち込めない今の状況は、仕事魔王のままであれば大層な苦痛であっただろう。
 だがインドア派令嬢の記憶と融け合い、適度に趣味、というか嗜好を得たエリスは、それをある程度、満喫することに決めたのであった。

「言うたであろう。褒美じゃ!」

「で、でも、お菓子作りでこんなにご褒美貰えるなんて、びっくりしてしまいます」

「ふふん、お主のようなチビは黙って大人に甘えておれば良いのじゃ」

 また、新型ヴァッテリーが完成し、魔力を取り戻すことにも一定の見通しが立った今、エリスの心は余裕に溢れていた。
 魔力増幅の儀式初日をリィに使い、治癒魔法のため自分の魔力のほぼ全てを消費してしまったことなど、今のエリスにとっては大したことではなかったのである。


 ……だがその行動を、エリスはすぐに後悔することになる。



「お嬢様、お客様です」

 エリスの部屋をノックし、扉越しにじいやがそう伝えてきた。
 心なしか、少し緊張しているように聞こえる。

「客じゃと?今日、そんな話は聞いていないが?」

「はい、突然の来訪でして……。ただ、相手が相手なので無下に追い返すわけにも……」

「なんじゃ?誰が来たのじゃ?」

「それが……」


 ◆◆◆


 ――【執行者】と名乗る女、じゃと……!?

 じいやからその名を聞くや否や、エリスは部屋を飛び出し、走るように応接間へと向かっていた。

 その背中を、部屋から顔だけ出して心配そうにリィが見つめている。

 ――マズイマズイマズイマズイ!!

 聖女神教は教義として博愛の精神を説いている。
 しかし、その『適用範囲』については、実は教会内で意見が割れていた。

 生きとし生けるもの全てを救うべきと考える者もいれば、信者に限るべきとする者もいる。
 特に後者の考えを持つ者の中には、異教や異端を心底憎み、積極的に排除しようとする者たちがいた。

 近年エルハイム王国の中央教会ではその考え方の者たちが実権を握り、異教徒や異端者を弾圧するための組織を作った。
 それが【異端審問委員会】である。

 その活動は苛烈を極め、一度異端と判断すれば実行部隊たる【執行者】が地の果てまで追い詰め、一切の慈悲無く殲滅する……とされている。

 多分に尾ひれがついた話であろうが、民衆は彼らを大いに恐れた。

 さて、廊下を急ぐエリスの表情も、ひどく恐れをなした者のそれであったが……実は、エリスは別に聖女神教会や異端審問委員会を怖く思っているわけではなかった。

 エリスが恐れたのは、別のこと。
 それは……執行者の『女』であった。

 ――わらわの『前世』の記憶が正しければ、エルハイムの執行者の女というのは……!!

 焦燥に駆られ応接間の扉に手をかけた時、いつもティータイムを楽しむ庭園の方から、話し声が聞こえた。

 エリスは廊下の窓からそちらを覗き見る。

 そこには、黒コートの集団と激しく睨み合いをする、コウガの姿があった。

「……先程の言葉、撤回してもらおうか」

 コウガは、黒コート団の先頭に立つ女に、強い口調で詰め寄っている。

「ああ?どの言葉だ?候補があり過ぎてわかんねぇよ。教えてくれよ、ほら」

 女はまったく怯むことなく、逆にニヤニヤと人を小馬鹿にした顔でコウガを煽っていた。

「決まっているだろう……!お嬢様を『そんなに言われても可愛いかどうかわからん』と言ったことだ!」

「そこかよ!?いや、そりゃ実物見てねぇんだから当たり前だろ!?バカかテメェ!?」

「バカはどっちだ!あれほどこの俺が熱弁を振るったにも関わらず、理解を示さんとは……!」

 バカは確実にお前の方だ、とエリスは思った。

「それに加えて、『聖女の名を騙る詐欺師』などと……!許されんぞ!」

「私は先にそっちを言われるんだと思ってたが……。まぁいいや。んで?言われた通りオモテに出てやったが、これからどうすんだ?」

 そう言って、女はすっと眼を細くする。

「私らと、ヤる気かよ?」

「ふ、俺とて騎士の端くれ。後ろの大男どもはいざ知らず、女を殴ることはしない」

「はっ、ご立派なきしどー精神だぜ。胸糞悪ぃ。じゃあどうすんだよ」

 女は少しイラッとした様子で眉を顰めていたが、次のコウガの言葉に目がくるりと丸くなった。

「俺を殴れ」

「……はぁ?」
 ――はぁ?

 思わず心の中で女と同調してしまうエリスだったが、コウガは大真面目な顔で、身につけていた軽鎧をガチャリと外した。

「いいか。俺は、お嬢様に加護魔法をかけていただいている」

 ――いや、かけてないが。

 エリスは即座に心の中で否定する。

「その厳つい鉄甲で、思いっきり殴ってみるがいい。聖女の御力、身をもって知ることができるぞ」

「……へぇ。面白ぇじゃん」

 空気が変わる。女が、臨戦態勢に入ったようだった。

「さぁ、遠慮なく打ち込んでこい」

 コウガは強い。
 エリスの魔力――と、その他色々と不可解な何か――によって、今やS級相当にまで実力を伸ばしている。
 攻撃力に比べればその防御力は見劣りするが、それでも、例えばB級モンスター程度の攻撃であれば毛程の傷もつかないであろう。

 だが……

「……上等だ。テメェこそ、身をもって知ることになるぜ?」

 女が、ゆっくりと身体を沈めた。



「【聖拳】の力をな」



「……いかん!コウガ!離れ……」

 エリスが咄嗟にあげた声は、コウガには届かなかった。

「いくぜオラアアアアア!!!!」

 叫びと共に、女の姿が、消える。

 地を蹴る音。駆ける音。踏み込む音。

 そして、尋常でないインパクトの音。

 その全てが、一瞬遅れてエリスの耳に届く。

 全動作が音速を超えた「正拳突き」が、コウガの鳩尾に深々と突き刺さっていた。

「ぐっ……!?……っはああああああ!?」

 メリメリと音を立て、身体をくの字に折り曲げたコウガは、その格好のまま恐ろしい勢いで後ろへと吹き飛ばされた。

 そのまま、屋敷の正門に激突する。

 じいやの迅速な手配によって修復を終えようとしていた正門は、無惨にも今度は内側から大きくねじ曲がってしまった。

 青銅の格子に包まれるようにめり込みながら、コウガは完全に白目を剥いていた。

 踏み込みの衝撃で激しく抉られた地面の上で、女が獰猛な笑みを浮かべる。

「かはははっ!!加護魔法とやらも大したことねぇなぁ!!そんなもんホントにかかってるのかよ?!」

 その首が、ぐりんと回る。
 その射竦めるような眼光は、屋敷の窓際に立つエリスを捉えていた。

「なぁ、聖女様ぁ?」

 視線を合わせたエリスは、背筋にひどく冷たいものを感じ、戦慄する。

 ――間違いないのじゃ……!多少若いがあやつのあの顔、そして今の一撃は……!



【聖拳】オリヴィス。

 執行者たちのリーダー。

 今から『十年後』に『勇者一行』の特攻隊長として四天王の一角を崩し、その獅子奮迅の働きでもって魔王軍を大きく後退せしめる、人類最強の女傑。

 その、若かりし頃の姿であった。
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