【第一章完結】だから、わらわは聖女などではない!〜令嬢転生した魔王、人類をせん滅したいのに皆をどんどん幸せにしてしまう〜

イチノキ コウ

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第一章

第二十話 魔王、風呂に入る

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「はっはーっ!沸いておる、沸いておるわ!」

 一糸纏わぬ姿で仁王立つエリスの前には、もうもうと湯煙をあげ、溢れんばかりの温水をたたえる湯船があった。

 エリスは片手をぽちょんと湯に浸ける。

「ふむふむ。適温じゃ。これほど安定した火をムラなく出力できるとは。ウィンベル商会はヴァッテリーだけでなく通常の魔道具も優秀じゃな。流石は魔道具作りの第一人者じゃ」

 ウィスカーへの賛辞を呟きながら、エリスは後ろを振り向いた。

「どうした?遠慮せず……そうか、眼が見えないんじゃったな」

 声をかけられたのは、先程その手作り菓子をエリスに絶賛された少女、リィだった。

 エリス同様に服を脱いだ状態のまま、浴場の入り口でもじもじしている。

「よしよし、わらわが体を洗ってやろう。最大級の誉ぞ。光栄に思え」

「えっ!エリスさまが、ですか!?」

 恐縮するリィだが、エリスは単にお人形のようなリィを可愛がりたくてしょうがないだけである。
 手を引いて浴室の端に設置された大鏡の前に行き、ニマニマしながらエリスはリィを座らせた。

 鏡は湯煙で多少曇りながらも、二人の少女を映し出す。
 それを見て、ふとある事に気がついたエリスは、少し表情を強張らせた。

 ――……あれ?わらわの身体、こんなじゃったか?

 エリスは前世、魔性の色気溢れる絶世の美女だった。その色香に惑わされ、魔王軍に寝返った人間の国王もいたほどだ。

 そのボディラインは、大陸で最も険しいハイネス大山脈もかくや、というほどメリハリがあるものであった。
 エリス自身、そんな自分の身体を大層自慢に思っていたのだった。

 それが、人間のインドア派少女に転生した今となっては。

 ……そう、言うなればそれは、なだらかな丘陵であった。家畜の放牧には最適だろう。
 最近のエリス信者による食べ物を中心にした貢物攻勢もあり、その地は全体的にぷよぷよしている。

 そんな状況を見下ろし、エリスは割と真剣に焦りを覚えた。
 やがて魔王として再君臨した時……このつるぽにボディでは格好が付かない。

 しかしながら、すぐ隣に映る、ぷよぷよからは程遠いもののやはりなだらかである少女の様子を一眼見ると、

 ――うむ、人間の少女ならこんなものよな。成長すれば問題無しじゃ。

 と安堵するのだった。
 比較した相手が自分より五つは下である事などすっかり頭から抜けているエリスである。

「よし、では……」

 エリスが指で宙をなぞると、何もない空間から水が溢れ出した。
 それが無防備なリィの背中にかかると、リィは素っ頓狂な叫び声をあげる。

「ひゃぁ!つ、冷たいです!」

「おっと、湯にするのを忘れたわ」

 少し慌てたようなフリをしつつ、

 ――ううん、なんと可愛い反応なのじゃ!

 エリスは恍惚の表情を浮かべていた。

 ここまでくると軽く変態であるが、もちろん諌めるものはこの場にはいない。

 改めてお湯を魔法で召喚し、リィの髪にゆっくりとかける。そして最近世間で評判の、石鹸という湯浴みアイテムを鏡の横から取り出すと、エリスはリィの髪の毛をシャカシャカと洗ってやるのだった。

「よしよし、これでゴワゴワした髪も綺麗になるじゃろうて」

「ご、ごめんなさい。こんなことをしてもらって……」

 再びお湯で髪を洗い流すと、くすみの取れたリィの髪は実に美しい黄金色を露わにした。
 それを、エリスは満足げに眺める。

 ――うーむ、期待以上じゃ。これならあの服も似合うな。あのドレスも良さそうじゃ。くく、想像が膨らむのう。

 一般には妄想と呼ばれるものを膨らませながらエリスはニマニマしていたのであった。

 が、不意に、リィの身体が小刻みに震えていることに気がつく。

「……なんじゃ?どうした?」

「え?あ!ご、ごめんなさい!」

「ごめんではわからぬ。なにか気に入らぬことでもあったか?」

「いいえ!そうじゃないです。……その、なんだか昔、こうやって髪を洗ってもらったことがあるような気がして」

「ほう、記憶が戻ったか?」

「いえ……ただ、なんとなく、そんな感じがしたんです」

「ふむ。感覚で憶えていたのかもしれんな。お主の家族の誰かかもな」

「やっぱり……そう……ですよね」

 そう言うと……リィは今度は大きく肩を震わせ始めた。

「私、家族のこと、何も覚えていないんです。きっと、いたはずなのに」

 リィは、俯く。

「私の家族……どんな感じだったのかなぁ?……髪を洗ってくれたのは……お母さん……なのかなぁ……。それとも、お姉ちゃんとか、いたのかなぁ……?」

 光を失った眼から、大粒の涙が零れ落ちる。

「もし会えたら……思い出せるかな?眼が見えないから……無理かなぁ……」

 とうとう、リィはしゃくり上げながら泣き出した。

 エリスは、人間の負の感情を強く感じ取ることができる。例えば、欲望や、怒りなどの昏い感情。
 ……そして、痛みや悲しみ。

 家族も無く、光も記憶も無く……。
 奴隷商に酷使されてきた十歳ほどの幼い少女から溢れ出た感情に、エリスは全身を刺されるような感覚を覚えていた。



 しばし、泣きじゃくるリィを無言で見つめていたエリスだったが、不意に立ち上がると、

「いたっ!?」

 手のひらでリィの頭を突如張り倒した。

「……ええい!せっかくわらわが髪を洗ってやってるというのに、シラける奴じゃ!」

「ご、ごめんなさ……」

「とっとと身体を洗うのじゃ!」

 リィに柔らかい布を押し付け身体を洗わせている間に、エリスは自分もさっさと髪と身体を洗っていく。

 そしてリィの腕を引き湯船まで連れていくと、

「そりゃあ!」

 そのままリィをお湯に投げ入れた。

「きゃああああ!」

 だっばーんと湯柱を上げ、前後不覚でがぼがぼと溺れそうになるリィをむんずと掴んで引き上げると、エリスは唐突にこう質問した。

「眼はいつから見えぬのじゃ?」

「げほっ、げほっ……え?眼、ですか?えと、いつからとかは分からないのですが、木や、家とかの景色はわかるんです。知ってるんです。だから……」

「最初から見えないというわけではないのじゃな。どれ」

 エリスが『魔眼』を発動させる。
 魔眼は、リィの眼の状態を克明に映し出した。

「これは……病か。そうじゃなぁ、五年前くらいから、といったところか」

 エリスは、リィの眼の周りを手で撫でながらそう言った。

「では、次の質問じゃ。お主、魔法の心得はあるか?」

「……いえ、全然ないです。記憶を無くす前も、多分なかったです」

「そうか」

 するとエリスは、湯船の中で膝立ちになりながら、リィの手を自分の手で包み込んだ。

「今、覚えろ」

「え?」

 次の瞬間、エリスたちのいる湯船を中心に、光り輝く六芒星が発現した。
 浴室の端々に仕掛けられた新型ヴァッテリーを頂点としたそれは、エリスの魔力に同調しながら出力を高めていく。

 リィには光は見えなかったが、自分の周りで何か凄い力が渦巻いているのを感じ取った。
 その一方で、エリスに握られた自分の手の中に、微かに似た力を感じていた。

「……これは?」

「これが、魔力じゃ。今、『魔力増幅の儀式』によってお主の魔力を引き出しておる」

 エリスは自分の魔力を使い、リィの身体の内の魔力を誘導して手のひらに集める。

 ――ふむむ?これは……光の魔力か。珍しい属性じゃな。量は……ほう、中々のものじゃ。忌々しい力じゃが、今回に限っては都合が良いのじゃ。

「いまからなにを、するのですか?」

「黙って集中するのじゃ。良いか?今お主の手のひらに集まっているのが、お主の魔力じゃ。それを、徐々に自分の眼に移動させよ」

「眼に?移動?ど、どうやってですか?」

「わらわが手を添えてやる。手のひらから腕を通って、肩を通って……首筋を上って……そうじゃ、なかなか飲み込みが速いではないか」

「……これが、魔力……なんだか、不思議……とても、温かい……」

「お主のそれは光の魔力じゃ。破邪や治癒に特化した、クソ忌々し……いや、便利な力じゃ。それを……そうじゃ、お主の見えない眼に集中させよ。お主自身で取っ掛かりを作れれば……」

 エリスの両手が、輝き出す。


「あとはわらわがやってやる」
 

 エリスが、リィの両瞼に手を当てる。
 その部分に、リィが少し強い熱を感じた、

 次の瞬間。

 リィにとって、不思議なことが起きた。

 ……卵から孵る時の雛鳥は、こんな感覚なのだろうか。

 真っ暗闇だったリィの世界に、突如光が差し込んだ。

 それはあまりに眩しい光で、瞬く間に世界は白く白く輝き……。

 そして、徐々にだがはっきりと、世界が輪郭を持ち始めた。

「うそ……?」

 そこには、人影があった。
 最初に輪郭が結ばれた、目の前の人。
 湯煙の中で、その人はとてもとても、美しかった。

「どうじゃ?見えたか?」

 そう言ってその人は、笑った。
 リィにとってはとても懐かしい、空に昇る太陽のような、そんな笑顔だった。

「眼が……見える。私の眼が……」

 リィの眼から、またも大粒の涙が零れ落ちる。

「ほんとに……見える。信じられない……」

 再び溢れる感情の奔流。
 だが今度は、エリスは刺すような感覚を覚えなかった。

「わらわとて何年も前の事象を覆すのは至難じゃが……本人の魔力で内部から上手く補助が出来ればこの通りじゃ。お主の力が治癒に強い光の魔力だったことも幸いした」

 エリスは、リィの頭を軽くポンポンと叩いた。

「これが褒美じゃ。……また美味い菓子を期待しているぞ」
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