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第一章
第十九話 魔王、幸せになる
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「ここをこうして、と」
エリスは、屋敷内に新たに作らせたエリス専用の浴室の中で、なにやらいそいそと新型ヴァッテリーを配置していた。
大陸には、お湯に入るという慣習はあまりない。寒い日にお湯に入る幸せを皆が知らないというわけではないが、なにぶんお湯を準備するには手間がかかる。大量の水を汲んできて、そして沸かす必要があるからだ。
そのため、市民はおろか貴族でさえも、水で身体を拭いて清めるのが一般的である。
しかしながらヴァッテリーの普及により、家で魔道具を用いて簡単に水を発生させたり、湯を沸かしたりすることができるようになってきた。
まだまだファントフォーゼ領内に限られるが、世間は空前の風呂ブームである。
ファントフォーゼ領の大工には浴槽の作成依頼が殺到、大忙しとなっている。
エリスも領内の大工に命じて屋敷内に大きな浴室を作ったわけだが、では単に風呂ブームに乗っかっているのか、というと、実はそれだけではない。
ただ風呂に入るだけなら市販のヴァッテリーと魔道具で事足りる。
大容量の新型ヴァッテリーを用いるエリスの意図は、他にあった。
「新型ヴァッテリーを六芒星の頂点に配置した。そして風呂場全体にわらわが魔法式を描けば……半永続型の『魔力増強の儀式』付き風呂が完成じゃ!」
『魔力増強の儀式』とは、通常は魔道士六人がかりで行われる、魔力を底上げするための儀式であるが、ヴァッテリーのおかげでなんと無人で実行可能となった。
毎日のんびり風呂に浸かってるだけで勝手に魔力が増強し、いずれ魔王の魔力を取り戻せる、という、なんともお気楽極楽な算段だったのである。
「くく。湯浴みが楽しみなのじゃ。果たしてどれくらい魔力が戻ってくるかのう?」
全ての準備を終えたエリスは、足取り軽やかに浴室から出て行った。
すぐに湯を沸かして入りたいのはやまやまだったが、もうじきティータイムである。今やすっかり三度の飯より紅茶とお茶菓子になってしまったエリスは、そそくさと庭に向かうのであった。
さて、エリスがふよふよな至福の表情を隠すことなくティータイムを満喫していると、コウガが壊れた正門から辺りを警戒した様子で見回しつつ、こちらに歩いてきた。
「ティータイム中は護衛は要らんぞ。外回りでもしておれ」
「はい。……しかし、その、どうにも気になりまして」
エリスは、コウガが何を気にしているのかをすぐに察した。ヴァッテリオ山の件以降、コウガがこのような浮かない表情をするのは初めてではないからだ。
「実は伯爵がちょくちょく自分の屋敷を留守にしているとの噂を聞いたのです」
「またそういう話か」
エリスが露骨にうんざりした顔をする。
エリスの叔父にあたるゴルドーが、事もあろうに彼女の命を狙った可能性があると知り、コウガの彼に対する警戒心はとてつもなく大きくなっていた。
「ネックレスの件もそうですが、以前暗殺ギルドに襲われた件も伯爵の依頼だったとすれば、また刺客を送ってこないとも限らないかと。最近屋敷を空けているというのも、よからぬ連中となにか企んでいるのではないでしょうか」
「最近、怪しい場所があると聞けば踏み込んでいるのはそれが理由か?」
この間コウガが奴隷商人を潰した時も、事前になにか情報があったわけではなく、ただ怪しい古屋敷があったから乗り込んでみた、ということである。奴隷商人にとっては運がなかったと言う他ない。
「はい。お嬢様の周りの危険は極力排除するのが役目と心得ております」
「まぁ、職務熱心なのは結構じゃが……ゴルドーは今は放っておけと何度も言っているじゃろうが」
「しかし」
「奴のことはよく知っておる。尊大で傲慢で、しかしそれでいて小心者じゃ。二度失敗している以上、次は確実にわらわを殺れると思わねば出ては来ぬ」
「!ですがそうなってしまっては手遅れということも……!」
「わらわがそう簡単に殺られるものか。むしろ確実に成功すると相手が考えている時こそ、失敗の時に尻尾を捕まえやすい。その時、一気にカタをつけるわ」
「……はい」
実際、S級レベルの騎士が護衛についた元魔王相手に暗殺を成し遂げられる人間など皆無に等しい。
だが、急激な成長の過程にあっていまいち自分の実力を把握しきれていないコウガにとっては、不安な気持ちはなかなか拭い去れないのであった。
「……しかし、なぜ伯爵はお嬢様のお命を狙うのでしょう?」
「さあの。後継問題とかあるのではないか?」
そうは言ったものの、理由については実はエリスにもとんと分からなかった。実際、後継問題――エリスの父亡き後、領地を奪い取りたい――など考えているのならば、もっと以前から仕掛けてきても良いはずだった。
――まぁ、次の手を打ってきた時にボコボコのギタギタにして理由を吐かせればよいのじゃ。
今はそんな瑣末な事に頭を使う事なく、このティータイムを楽しみたい。
そんなエリスが、コウガを追い払おうと手を上げたところへ……。
「お嬢様、本日のおやつをお持ちしました」
音もなく現れた執事のじいやが、銀製のクロッシュが被せられた皿を丁寧にエリスの前に置いた。
「おお、待ちかねたぞ!」
満面の笑みを浮かべるエリスとは対照的に、なぜかじいやは少し困ったような表情だ。
じいやがゆっくりとクロッシュを持ち上げると、中からエリスにとってこれまで見たことのない食べ物が現れた。
卵が使われているのか黄色で薄い生地に、見たところ少し硬そうな白いクリームが包まれている。……それだけの物だった。
飾り気がないどころか、包み方が少々ずれていて、あまり見栄えは良くなかった。
日々、眼にも美味しいお菓子やフルーツを堪能しているエリスは、少々、いや、かなり表情を曇らせた。
「……じいや、これは?」
「申し訳ございません、私も詳細を聞いてはいないのですが、タミールがお嬢様に是非に、と」
「シェフが?まぁ、奴がそこまで言うならきっと美味しいのだろうが……」
フォークでツンツンと生地を突く。いかにも、民草の手作りお菓子という感じだ。それならそれで、周囲を飾るなり、何かやりようはあったんじゃないか、とエリスは不満げに眉を顰めた。
「まぁ、よいわ」
あまり気乗りしない表情で、エリスは生地とクリームをナイフで切り取り、フォークで口に運ぶ。
目を閉じて、しばしもぐもぐと口を動かし……
エリスは突如、開眼した。
それは、周囲の人間が皆、カッ!!という音を幻聴するほどの完璧な開眼だった。
――……んっはあああああああああ!!??
エリスがガタンッと椅子を後ろに吹き飛ばしながら立ち上がる。
「ど、どうされましたお嬢様!?」
先ほどゴルドー陰謀論を語ったばかりのコウガである。もしや毒……?!などと嫌な想像が頭をよぎる。
しかしそんなコウガの心配顔には一切反応を示すことなく、全身をわなわなとうち震わせたエリスは、
「シェフを!シェフをここに呼ぶのじゃ!!」
大声でじいやに命令するのだった。
◆◆◆
まもなく、じいやに連れられてファントフォーゼ侯爵家のお抱えシェフ、タミールが足早に姿を現す。
「お、お嬢様、いかがなさいましたか?」
はぁはぁと大きなお腹を上下させながら、タミールは不安そうにエリスの表情を窺い見ている。
「シェフ!!一体これはなんじゃ!?」
伝承にでてくる魔王もかくや、という凄みで迫ってくるエリスに、タミールは驚きすくみあがった。
「ほ、本日のスイーツですか?……なにか、お気に召さぬことでも……?」
その言葉にエリスは目線を下げ、ぶるぶると拳を震わせる。
「お気に召すもなにも無いわ!!これは……滅茶苦茶……」
再び、この場の全員がカッという音を幻聴する!
「滅茶苦茶、美味しいではないか!!!!」
……そして空間は静寂に支配された。
少しだけ間を置いて、堰を切ったようにエリスの口が動き始めた。
「少し硬そうな見た目とは裏腹にまるで雲を食べているような圧倒的ふわふわ感!かつとろりと溶けて舌全体を至高の甘みが包み込む未だかつて無い食感!そんな絶品白クリームを、甘じょっぱさが絶妙なパイ皮が更なる高みへと引き上げる!実に、お茶菓子の究極の頂きに最も近いと言えよう!こ、こんな食べ物を今の今まで知らなかったとは、まさに一生の不覚じゃーーーーー!!」
……自身に集中する、ぽかーんとした視線たちを気に留めることなく、はぁはぁと肩で息をしながら、エリスは歓喜に満ちた表情をしていた。
「実に見事じゃシェフ!!褒めてつかわす!!」
急に指をさされてびくっと背筋を伸ばしながらも、すぐにシェフは申し訳なさそうに苦笑いをした。
「いえ、お嬢様。実はそのお菓子は私が作ったものではないのです」
「……なんと?では誰が作ったのじゃ?」
「おととい、新たに雇い入れた新人なのですが……」
「ほう!新人とな!なんとも有望な奴じゃ!すぐここに連れてくるのじゃ!」
エリスの命令に、タミールはまた少し苦笑いを浮かべながら厨房へと戻っていった。
少しして、タミールはエプロン姿の小柄な人物を、ゆっくりゆっくりと手を引きながら連れてきた。
――うん?あやつ、眼が見えぬのか?
タミールが連れてきたのは、齢十歳くらいの女の子だった。くすんだ色の金髪は少しゴワゴワしており、服から見える手足は同世代の子供と比べて明らかに細い。少なくともこれまで、あまり良い栄養状態になかったのだろう。
エリスの想像通り、両眼とも開いているものの、そこに、光は無かった。
タミールが口を開く。
「先日、コウガ殿が討伐した奴隷商人の下で働かされていた者です。他の奴隷たちの給仕を担当していたようで、解放されたものの行く先が無いということで、こちらで住み込みで引き取りました」
そういえば雇ってもよいかと聞かれたな、とエリスは思い出していた。
「才能なのか、一通り調理器具の場所を覚えた途端、テキパキと料理を作るのです。他のはまだまだお嬢様にはお出しできないものの、ことお菓子の出来に関しては私も驚いてしまいまして。是非お嬢様にご賞味いただきたく、私の勝手な判断で今日お出ししてしまいました」
「うむ、いや、もう、なんというか、すごかったぞ!」
あまり人を褒め慣れていないことがバレバレな元魔王であったが、その言葉に少女は顔を赤らめ、頬に手をあてた。
少し恥じらいのあるその仕草に、
――おおう?!
突如エリスは稲妻を喰らったような衝撃を覚える。
――か、可愛い。
……転生したエリスは、覚醒前の記憶が趣味嗜好にかなり影響を与えている。
特に顕著なのは、お人形大好き、なところである。
今目の前にいる少女は、その身長や体型が、実に可愛らしいお人形を彷彿とさせるものだった。
「お、お主、名はなんと言う?」
「あ、えと、あの……」
エリスの、当然するであろう質問に、少女はなぜか口籠った。
「……どうやら、記憶がないようなのです。奴隷商人に攫われた時に、かなりのショックを受けたようで……」
タミールが哀れむような表情で少女を見る。
「そうか。名前も覚えていないのか」
「その……昔、誰かから呼ばれていた名前なら……。リィというんですけど……」
「あだ名か何かか?」
「わかりません……でも、多分、そうです」
「そうか。では、リィ」
「は、はい」
「見事な手並みであった。お主に褒美をやろう。くく、立派な仕事をした部下に報いるのは上に立つものとして当然じゃからな」
前世の部下たちが聞いたら『どの口で仰るのですか魔王様?』と一斉に反論していただろうが、今はそんなことを言うものはここにはいない。
エリスは薄く笑みを浮かべると、おもむろにリィの手を取り、驚く少女をそのまま屋敷の中へと連れていくのだった。
エリスは、屋敷内に新たに作らせたエリス専用の浴室の中で、なにやらいそいそと新型ヴァッテリーを配置していた。
大陸には、お湯に入るという慣習はあまりない。寒い日にお湯に入る幸せを皆が知らないというわけではないが、なにぶんお湯を準備するには手間がかかる。大量の水を汲んできて、そして沸かす必要があるからだ。
そのため、市民はおろか貴族でさえも、水で身体を拭いて清めるのが一般的である。
しかしながらヴァッテリーの普及により、家で魔道具を用いて簡単に水を発生させたり、湯を沸かしたりすることができるようになってきた。
まだまだファントフォーゼ領内に限られるが、世間は空前の風呂ブームである。
ファントフォーゼ領の大工には浴槽の作成依頼が殺到、大忙しとなっている。
エリスも領内の大工に命じて屋敷内に大きな浴室を作ったわけだが、では単に風呂ブームに乗っかっているのか、というと、実はそれだけではない。
ただ風呂に入るだけなら市販のヴァッテリーと魔道具で事足りる。
大容量の新型ヴァッテリーを用いるエリスの意図は、他にあった。
「新型ヴァッテリーを六芒星の頂点に配置した。そして風呂場全体にわらわが魔法式を描けば……半永続型の『魔力増強の儀式』付き風呂が完成じゃ!」
『魔力増強の儀式』とは、通常は魔道士六人がかりで行われる、魔力を底上げするための儀式であるが、ヴァッテリーのおかげでなんと無人で実行可能となった。
毎日のんびり風呂に浸かってるだけで勝手に魔力が増強し、いずれ魔王の魔力を取り戻せる、という、なんともお気楽極楽な算段だったのである。
「くく。湯浴みが楽しみなのじゃ。果たしてどれくらい魔力が戻ってくるかのう?」
全ての準備を終えたエリスは、足取り軽やかに浴室から出て行った。
すぐに湯を沸かして入りたいのはやまやまだったが、もうじきティータイムである。今やすっかり三度の飯より紅茶とお茶菓子になってしまったエリスは、そそくさと庭に向かうのであった。
さて、エリスがふよふよな至福の表情を隠すことなくティータイムを満喫していると、コウガが壊れた正門から辺りを警戒した様子で見回しつつ、こちらに歩いてきた。
「ティータイム中は護衛は要らんぞ。外回りでもしておれ」
「はい。……しかし、その、どうにも気になりまして」
エリスは、コウガが何を気にしているのかをすぐに察した。ヴァッテリオ山の件以降、コウガがこのような浮かない表情をするのは初めてではないからだ。
「実は伯爵がちょくちょく自分の屋敷を留守にしているとの噂を聞いたのです」
「またそういう話か」
エリスが露骨にうんざりした顔をする。
エリスの叔父にあたるゴルドーが、事もあろうに彼女の命を狙った可能性があると知り、コウガの彼に対する警戒心はとてつもなく大きくなっていた。
「ネックレスの件もそうですが、以前暗殺ギルドに襲われた件も伯爵の依頼だったとすれば、また刺客を送ってこないとも限らないかと。最近屋敷を空けているというのも、よからぬ連中となにか企んでいるのではないでしょうか」
「最近、怪しい場所があると聞けば踏み込んでいるのはそれが理由か?」
この間コウガが奴隷商人を潰した時も、事前になにか情報があったわけではなく、ただ怪しい古屋敷があったから乗り込んでみた、ということである。奴隷商人にとっては運がなかったと言う他ない。
「はい。お嬢様の周りの危険は極力排除するのが役目と心得ております」
「まぁ、職務熱心なのは結構じゃが……ゴルドーは今は放っておけと何度も言っているじゃろうが」
「しかし」
「奴のことはよく知っておる。尊大で傲慢で、しかしそれでいて小心者じゃ。二度失敗している以上、次は確実にわらわを殺れると思わねば出ては来ぬ」
「!ですがそうなってしまっては手遅れということも……!」
「わらわがそう簡単に殺られるものか。むしろ確実に成功すると相手が考えている時こそ、失敗の時に尻尾を捕まえやすい。その時、一気にカタをつけるわ」
「……はい」
実際、S級レベルの騎士が護衛についた元魔王相手に暗殺を成し遂げられる人間など皆無に等しい。
だが、急激な成長の過程にあっていまいち自分の実力を把握しきれていないコウガにとっては、不安な気持ちはなかなか拭い去れないのであった。
「……しかし、なぜ伯爵はお嬢様のお命を狙うのでしょう?」
「さあの。後継問題とかあるのではないか?」
そうは言ったものの、理由については実はエリスにもとんと分からなかった。実際、後継問題――エリスの父亡き後、領地を奪い取りたい――など考えているのならば、もっと以前から仕掛けてきても良いはずだった。
――まぁ、次の手を打ってきた時にボコボコのギタギタにして理由を吐かせればよいのじゃ。
今はそんな瑣末な事に頭を使う事なく、このティータイムを楽しみたい。
そんなエリスが、コウガを追い払おうと手を上げたところへ……。
「お嬢様、本日のおやつをお持ちしました」
音もなく現れた執事のじいやが、銀製のクロッシュが被せられた皿を丁寧にエリスの前に置いた。
「おお、待ちかねたぞ!」
満面の笑みを浮かべるエリスとは対照的に、なぜかじいやは少し困ったような表情だ。
じいやがゆっくりとクロッシュを持ち上げると、中からエリスにとってこれまで見たことのない食べ物が現れた。
卵が使われているのか黄色で薄い生地に、見たところ少し硬そうな白いクリームが包まれている。……それだけの物だった。
飾り気がないどころか、包み方が少々ずれていて、あまり見栄えは良くなかった。
日々、眼にも美味しいお菓子やフルーツを堪能しているエリスは、少々、いや、かなり表情を曇らせた。
「……じいや、これは?」
「申し訳ございません、私も詳細を聞いてはいないのですが、タミールがお嬢様に是非に、と」
「シェフが?まぁ、奴がそこまで言うならきっと美味しいのだろうが……」
フォークでツンツンと生地を突く。いかにも、民草の手作りお菓子という感じだ。それならそれで、周囲を飾るなり、何かやりようはあったんじゃないか、とエリスは不満げに眉を顰めた。
「まぁ、よいわ」
あまり気乗りしない表情で、エリスは生地とクリームをナイフで切り取り、フォークで口に運ぶ。
目を閉じて、しばしもぐもぐと口を動かし……
エリスは突如、開眼した。
それは、周囲の人間が皆、カッ!!という音を幻聴するほどの完璧な開眼だった。
――……んっはあああああああああ!!??
エリスがガタンッと椅子を後ろに吹き飛ばしながら立ち上がる。
「ど、どうされましたお嬢様!?」
先ほどゴルドー陰謀論を語ったばかりのコウガである。もしや毒……?!などと嫌な想像が頭をよぎる。
しかしそんなコウガの心配顔には一切反応を示すことなく、全身をわなわなとうち震わせたエリスは、
「シェフを!シェフをここに呼ぶのじゃ!!」
大声でじいやに命令するのだった。
◆◆◆
まもなく、じいやに連れられてファントフォーゼ侯爵家のお抱えシェフ、タミールが足早に姿を現す。
「お、お嬢様、いかがなさいましたか?」
はぁはぁと大きなお腹を上下させながら、タミールは不安そうにエリスの表情を窺い見ている。
「シェフ!!一体これはなんじゃ!?」
伝承にでてくる魔王もかくや、という凄みで迫ってくるエリスに、タミールは驚きすくみあがった。
「ほ、本日のスイーツですか?……なにか、お気に召さぬことでも……?」
その言葉にエリスは目線を下げ、ぶるぶると拳を震わせる。
「お気に召すもなにも無いわ!!これは……滅茶苦茶……」
再び、この場の全員がカッという音を幻聴する!
「滅茶苦茶、美味しいではないか!!!!」
……そして空間は静寂に支配された。
少しだけ間を置いて、堰を切ったようにエリスの口が動き始めた。
「少し硬そうな見た目とは裏腹にまるで雲を食べているような圧倒的ふわふわ感!かつとろりと溶けて舌全体を至高の甘みが包み込む未だかつて無い食感!そんな絶品白クリームを、甘じょっぱさが絶妙なパイ皮が更なる高みへと引き上げる!実に、お茶菓子の究極の頂きに最も近いと言えよう!こ、こんな食べ物を今の今まで知らなかったとは、まさに一生の不覚じゃーーーーー!!」
……自身に集中する、ぽかーんとした視線たちを気に留めることなく、はぁはぁと肩で息をしながら、エリスは歓喜に満ちた表情をしていた。
「実に見事じゃシェフ!!褒めてつかわす!!」
急に指をさされてびくっと背筋を伸ばしながらも、すぐにシェフは申し訳なさそうに苦笑いをした。
「いえ、お嬢様。実はそのお菓子は私が作ったものではないのです」
「……なんと?では誰が作ったのじゃ?」
「おととい、新たに雇い入れた新人なのですが……」
「ほう!新人とな!なんとも有望な奴じゃ!すぐここに連れてくるのじゃ!」
エリスの命令に、タミールはまた少し苦笑いを浮かべながら厨房へと戻っていった。
少しして、タミールはエプロン姿の小柄な人物を、ゆっくりゆっくりと手を引きながら連れてきた。
――うん?あやつ、眼が見えぬのか?
タミールが連れてきたのは、齢十歳くらいの女の子だった。くすんだ色の金髪は少しゴワゴワしており、服から見える手足は同世代の子供と比べて明らかに細い。少なくともこれまで、あまり良い栄養状態になかったのだろう。
エリスの想像通り、両眼とも開いているものの、そこに、光は無かった。
タミールが口を開く。
「先日、コウガ殿が討伐した奴隷商人の下で働かされていた者です。他の奴隷たちの給仕を担当していたようで、解放されたものの行く先が無いということで、こちらで住み込みで引き取りました」
そういえば雇ってもよいかと聞かれたな、とエリスは思い出していた。
「才能なのか、一通り調理器具の場所を覚えた途端、テキパキと料理を作るのです。他のはまだまだお嬢様にはお出しできないものの、ことお菓子の出来に関しては私も驚いてしまいまして。是非お嬢様にご賞味いただきたく、私の勝手な判断で今日お出ししてしまいました」
「うむ、いや、もう、なんというか、すごかったぞ!」
あまり人を褒め慣れていないことがバレバレな元魔王であったが、その言葉に少女は顔を赤らめ、頬に手をあてた。
少し恥じらいのあるその仕草に、
――おおう?!
突如エリスは稲妻を喰らったような衝撃を覚える。
――か、可愛い。
……転生したエリスは、覚醒前の記憶が趣味嗜好にかなり影響を与えている。
特に顕著なのは、お人形大好き、なところである。
今目の前にいる少女は、その身長や体型が、実に可愛らしいお人形を彷彿とさせるものだった。
「お、お主、名はなんと言う?」
「あ、えと、あの……」
エリスの、当然するであろう質問に、少女はなぜか口籠った。
「……どうやら、記憶がないようなのです。奴隷商人に攫われた時に、かなりのショックを受けたようで……」
タミールが哀れむような表情で少女を見る。
「そうか。名前も覚えていないのか」
「その……昔、誰かから呼ばれていた名前なら……。リィというんですけど……」
「あだ名か何かか?」
「わかりません……でも、多分、そうです」
「そうか。では、リィ」
「は、はい」
「見事な手並みであった。お主に褒美をやろう。くく、立派な仕事をした部下に報いるのは上に立つものとして当然じゃからな」
前世の部下たちが聞いたら『どの口で仰るのですか魔王様?』と一斉に反論していただろうが、今はそんなことを言うものはここにはいない。
エリスは薄く笑みを浮かべると、おもむろにリィの手を取り、驚く少女をそのまま屋敷の中へと連れていくのだった。
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※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
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