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第一章

第四十八話 魔王、降臨する

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 その声は、カイエの背中側から聞こえた。

 カイエが振り向くより速く、声の主はカイエの腰にしがみつく。

「もう【風神壁シルフドール】とやらを打ち消す魔力は無かったからのう。隙あり、というやつじゃな」

「オマエ……!まだ余力が?!」

「ど阿呆。もうすっからかんじゃったわ。全く……少しはわらわを休ませてくれても良いじゃろうに」

 そう言うと、エリスは地上から不安げにこちらを見上げるリィの方を見遣り、小さく笑みを浮かべる。

黒翼天翔レブラス】。
 エリスの得意とする高速飛翔魔法であり、生み出した強力な推進力で、音速を超えて飛行することが可能だ。

 その勢いが、捕まえられたカイエにそのまま伝わる。

「うああ!?くそっ!体勢が……!」

 カイエはエリスを振り解こうと試みるが、うまくいかない。
 禁術に魔力を傾けているため魔法も使えない。

「地獄に付き合ってもらうぞ」

 エリスはカイエを捕まえたまま、リィの儀式でわずかに回復していた魔力を出し惜しみなく全開にした。

 とうとう耐えきれなくなったカイエが、エリスに大きく引っ張られ、空を滑る。

「くそっ!なにをするつもりだ!?」

 カイエの集中が妨げられたことで、圧縮されていた風が一部解放され、暴風となってエリスの背中を押す。

 その威力も手伝って、エリスはカイエを捕まえたまま、一直線に地上へと向かっていった。

「このまま地面に叩きつけるつもりか?!バカだな、そんなことでこの僕をどうこうできるとでも思っているのかい!?キミが死ぬだけだよ!!」

「くく。さっき言ったばかりじゃろうが。……地獄に付き合ってもらうとな」

「え?」

 何かに気がついたカイエが、向かっている先に眼を向ける。

 そこにあったものは。

「……ゲート……!!」

 いまだゴルドーを依代とし、この地に存在を続けていた、黒き球体。

 地上と魔界を繋ぐ門、ゲートだった。

「お嬢様!」

 ウィスカーが叫ぶ。

「いけません!魔界は、生身の人間が行くとあっという間にバラバラになってしまうと……!!」

 その言葉に、エリスは反応を見せない。

 飛翔の速度はさらに増し、一気にゲートに肉薄した。

「くそっ!離せ!そんなことをしたら、本当にただでは済まないぞ!!」

 カイエが必死の形相で暴れるが、禁術詠唱の反動か、力が入らずエリスを引き剥がすには至らない。



「ふふ。……じゃあの」



 ゲートに到達する直前。
 エリスがコウガたちの方を見た。
 
 
 コウガはその一瞬が、もう二度と訪れない時間のように感じた。


 そしてそのまま……

 エリスは、カイエと共にゲートへと音も無く吸い込まれていった。



「お嬢様ーーーーーーーーー!!」

 

 エリスの姿が消えたその場所で……
 コウガの叫びは、ただ虚しく、響くだけだった。





 ◆◆◆




 
「う……!はっ!?」

 首すじにひんやりとしたものを感じ、カイエは目を覚ました。

 慌ててあたりを見渡すが、周囲は完全な暗闇に覆われており、何かを見つけることはできない。

 しかし一切明かりが無いにも関わらず、自分の体ははっきりと闇に浮き上がり、視認できる。


 元居た世界と、異なる理を持つ空間。


 カイエはすぐに、自分が魔界に落ちたことを悟った。

「……何も無いところを見ると、ゲートと魔界の繋ぎ目あたり、かな」

 特に狼狽えるでもなく、まるで前にも来たことがあるかのような口振りでカイエは独りごちた。

 禁術に失敗した反動で身体が軋んでいることに不快な顔をしながら、カイエは再度周囲をぐるりと見渡した。

 どこにも、ターゲットであるエリスの姿は見当たらない。
 普通の人間では入っただけでバラバラになってしまう魔界である。まぁ当然だな、とカイエは肩をすくめた。

「相打ちを狙ったんだろうけど。あいにく、僕は普通の人間じゃないんでね。残念でした」

 服についた砂埃を軽く払った後、カイエが片手で軽く印を結び、周囲にむけて魔力を放出した。
 
 何かモノに魔力が触れれば、術者がそれを感知できる、ごく簡単な探索魔法である。

「さて……ゲートはどこかな?そんなに遠くには飛ばされていないと思うけど」

 早くゲートから脱出しなければ、外の連中が悔し紛れにゲートを破壊するかも知れない。そうなっても戻れないことはないだろうが、面倒が増えるのはカイエは嫌だった。

 そして間も無く、カイエの飛ばした魔力が、何かに触れた。



 
「……え?」

 
 カイエの元にフィードバックされた情報。
 
 それは、カイエをひどく狼狽させた。
 

「なんだ?これは魔力!?」


 カイエが目を剥いて後ずさる。


「デ、デカすぎる!S級……SS級……?いや、それどころじゃない!!」

 
 信じ難いほど、鮮烈で濃密な魔力。
 

 それは、もう探知魔法無しでも感じるくらいに、カイエのすぐ近くまで溢れてきていた。

 その量はカイエの比ではなく、その純度は、まるで底が見えない。

 戦慄しながら、カイエが叫ぶ。

「だ、誰だ!!そこにいるのは誰なんだよ!?」



 ……まもなくして、声が聞こえた。

 

『くく。一か八かの賭けじゃったが……思いの外、上手くいったようじゃのう』



「この声……!?」



『闇の精霊たちが、わらわを歓迎して集まってきよるわ。……この力……久しぶりの感覚じゃ』


 声は、全方位から聞こえた。
 まるでここが、その得体の知れないものの、体内であるかのように。
 

「まさか……?ただの人間が魔界に落ちて、無事でいられるはずが……!」


『――誰が、人間じゃと?』


 空間に、大きな波紋が生じた。

 直後、暗闇から溶け出るように、ズルリと輪郭を持った影が現れる。

 それは徐々に色を帯び……
 その様子に、カイエは目を見開いた。

 

「誰だ……オマエは……?」



 現れたのは、妙齢の女性。
 
 妖艶な輝きを放つ黒髪と、透き通るような白い肌。
 血のような赤い瞳を擁するその容貌は、喩えようもないほど美しかった。

 その者を明確に人間と別つのは、額にある、大きな二本の黒いツノ。そして、身に纏う、破壊的魔力と渦巻く瘴気だ。

 凶悪なプレッシャーを撒き散らしながら、その者は、カイエの眼前に立った。


『誰だ……とは、つれないのぅ。共に魔界に堕ちた仲ではないか』

「ち、違う!それは、エリスという女だ!オマエじゃない!!」

『エリス。やはり、わらわのことではないか』

「は……?」



『教えてやろう。わらわは、魔を統べる王にして、地上最強の魔女……』

 彼女を取り巻く瘴気が、まるで炎のように轟き、うねる。

『魔王エリスじゃ!!頭が高いぞ愚か者!』


 
「ま、魔王だって?!」


 ビリビリと肌を震わす強烈な魔力に、カイエはそう返すのがやっとだった。


『そうじゃ。小僧……貴様は少し、おいたが過ぎた』


 エリスの瞳が、妖しく輝いた。


 

『――さあ、お仕置きの時間じゃ』






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