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第十四話 黒霊獣再び
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黒霊獣が、神宮寺クルミに襲いかかる、その直前。
俺は咄嗟に、手に握っていた支給の剣を投げていた。
振りかぶっている時間も惜しかったので、フォームも何も無茶苦茶で投擲された剣は、力無くクルクルと飛んでいく。
そして、神宮寺クルミがへたりこんでいるすぐそばの木に突き立った。
「よし!命中だ!」
……いや、別に負け惜しみじゃない。
ちゃんと意味がある行動だ。
俺の剣に気づいてか気づかずか、特に反応することなく黒霊獣が神宮寺クルミに躍りかかる。
「きゃあああああーーー!」
彼女の叫び声が発せられるのと……俺の剣が突き立った木が微かに震え、傷ついた幹から噴水のように大量の白煙を噴き出したのは、ほぼ同時だった。
「バァァ!?」
白煙の塊が黒霊獣の顔を直撃し、短い叫びと共に、黒霊獣が後方に飛び退く。
木はなおも白煙を吐き出し続け、黒霊獣と神宮寺クルミとの間に分厚い煙のカーテンを築き上げた。
「早く立て!!」
飛び出した俺は神宮寺クルミの腕を取り、引っ張り起こす。
本当はお姫様抱っこでも出来ればカッコいいんだろうけど、この巨大ハンマーが重すぎて無理。
神宮寺クルミは状況が飲み込めていないようだったが、俺に言われるがままに起き上がって一緒に駆け出した。
そして、少し離れたところに群生していた背の高い草むらに飛び込む。
「あ、あの……!」
「しっ!見つかるぞ」
徐々に、白いカーテンが薄くなっていく。黒霊獣は、まだその場で佇んでいるようだ。
「な、なにが起こったんですか……?」
声をひそめて、神宮寺クルミが俺に問いかける。
「【煙草樹】を傷つけただけだよ」
【煙草樹】とは、ダンジョンの森フロアでよく見られる木だ。その樹液は空気と触れると爆発的に気化して白色の煙となる。
かつて受験した時にうっかり傷つけてえらい目にあったから、よく覚えていた。
神宮寺クルミもその木は知っていたのか、俺の短い説明で納得してくれたようだ。
「さて、これからどうしたもんかな……」
草陰から見える黒霊獣は、その場でぼーっと動かない。まだ、こちらの居場所に気付いてはいないようだ。
今頃、出口ゲート近くの本部には、さっき逃げていった人たちが着いて事情を話しているだろう。
試験官がやられたことも気づくだろうし、すぐに本腰を入れて救助活動を始めてくれるはずだ。
「それまで隠れていられるかな……」
「……あの」
「どうしたの?」
上目遣いで、クルミがおずおずとこう切り出した。
「あの真獣……頑張ったら倒せませんかね?」
「……見てただろ?ぶっとい木を、簡単に吹き飛ばしちゃう奴だよ。勝てっこないって」
確かにアレを倒せれば、合格間違いなしだろう。
だけど、それは流石に無理だ。俺だって、こないだ倒せたのはナナミさんの黒梟獣の剣と融合したからで、今の支給の剣では……あ、投げたの忘れてた。そもそも手ぶらだったわ。ダメだこりゃ。
「でも……私、どうしても合格したくて……」
「何か事情があるのかもしれないけど、どっちにしてもその足じゃ無理だよ」
本人は気づいていなかったようだが、草むらに飛び込んでから、彼女の足はずっと震えていた。
あの真獣は、本能的な恐怖を呼び起こす。こうなってはもう、面と向かい合うことすら不可能だろう。
「今回はイレギュラーだよ。また半年後に試験はあるし、今は逃げ延びることに集中して……」
「半年後じゃ、遅いかも知れないんです……」
クルミは、肩を落としてそう呟いた。
「母が……癌なんです。でも、ダンジョンには、きっと病気を治す方法があるって……そう、思って」
「……だとしても、ここで無駄に命を落としたら、お母さんをただ悲しませるだけじゃないか?」
俺の言葉に、彼女は俯き、黙ってしまった。
可哀想だけど……仕方ないよな。探検者は一攫千金狙いばかりじゃなくて、色々事情を抱えてる人も多い。でも、どんなことだってまずは命あってのことなんだ。
「……ん?あれ?」
黒霊獣が、いない?
話をしている間に姿を見失った。
俺たちを諦めて、立ち去ったのか?
「そ、ソータ、さん」
「どうした?」
明らかに様子の変わった、クルミの声。
そして次に聞こえた声で……俺の血の気はすっかり引いた。
「バァァ」
クルミが震える手で指差す先に……あの、虚ろな眼があった。
――見つかった!!
いつの間にこんなに近づかれたのか。
草むらの側面から、回り込まれていた。その距離、三メートルほど。
しまった。ここは間違いなく……こいつの、射程内!
ボッ……と、ガスコンロに点火したような音がして……
――視界いっぱいに、黒い影が飛び込んできた。
――
「うわああああああ!?」
視界が高速回転を始め、前後上下が分からなくなる。
――なんだ?!俺は攻撃を喰らったのか?
背中に鈍い衝撃を感じ、回転が強制的に終了した。
やや間を置いて、後ろからメリメリと軋むような音がして……直後に地面が大きく揺れた。
どうやら木に叩きつけられていたようだ。衝撃に耐えきれず幹から折れた木が、俺の後ろで哀れな姿となっている。これが【煙草樹】なら、あたり一面大変なことになっていただろう。
俺はなんとか身体を起こす。
両手に痺れが残っている。反射的に、顔か腹かを庇ったようだ。
「……ソータさん?その、姿は……」
クルミが、先程黒霊獣を見ていた時と同じような顔で、こちらを凝視していた。
【真眼融合】・【赤爪狼】モード
支給の防具との融合。自分の筋肉が大幅に隆起し、毛皮の鎧が金属のように硬化して光沢を放ちながら俺の身体を包み込んでいる。
鎧の細部に至るまで神経が通っているような感覚がある。まるで生まれた時からこんな身体のような。まさに、一体化だった。
五指の先からは、血で濡れたように赤い爪がゾロリと伸びている。
鏡がないので分からないが、クルミの顔を見れば、俺がどれだけ人間離れした格好になっているのかは想像がついた。
……だけど。
足りない。
一度、黒梟獣の剣と融合しているから、わかる。
身体をめぐる力の格が違う。
この真装具では、黒霊獣は倒せない。
赤爪狼は黒刃狼と同じ、五階級程度の真獣だ。融合で潜在能力を解放したところで、三十階級の黒霊獣には届かないようだ。
「……くそっ」
もともと防具であることもあってか、攻撃はなんとか耐えられそうだ。
しかし制限時間は一分。その間に、果たして何ができるのか。
黒霊獣は、俺のほうをじーっと窺ったまま動かない。
……こうなったら、一か八か。
俺は、全速力で横方向に駆け出す。
黒霊獣が、それに合わせたように地面を蹴ったのが見えた。
――速い!
強化されているはずの俺の足でも、あっという間に追いつかれてしまった。
「バァァ」
耳に残る嫌な声を上げて、黒霊獣が拳を振り上げた。
「ここだっ!!」
俺は、目の前の【煙草樹】を爪で切り付ける。
噴き出した白煙が、再び辺りを包み込む。
俺は足と手を止めず、近くの【煙草樹】を手当たり次第に切り裂いた。
「ソータさん!?」
煙の向こうで、クルミの声がする。
一方で、黒霊獣の気配が消えた。
煙を警戒して、動きを止めたのだろう。
……やはりコイツは、目で獲物を追っている。
まぁ、どんな生き物も大体そうだとは思うんだけど、匂いや赤外線センサーとか言われたらお手上げだった。
こいつが見えていないこの状況こそ、
俺の眼が、活きる。
いくぞ、このゴリラ野郎。
――【真眼】発動だ。
俺は咄嗟に、手に握っていた支給の剣を投げていた。
振りかぶっている時間も惜しかったので、フォームも何も無茶苦茶で投擲された剣は、力無くクルクルと飛んでいく。
そして、神宮寺クルミがへたりこんでいるすぐそばの木に突き立った。
「よし!命中だ!」
……いや、別に負け惜しみじゃない。
ちゃんと意味がある行動だ。
俺の剣に気づいてか気づかずか、特に反応することなく黒霊獣が神宮寺クルミに躍りかかる。
「きゃあああああーーー!」
彼女の叫び声が発せられるのと……俺の剣が突き立った木が微かに震え、傷ついた幹から噴水のように大量の白煙を噴き出したのは、ほぼ同時だった。
「バァァ!?」
白煙の塊が黒霊獣の顔を直撃し、短い叫びと共に、黒霊獣が後方に飛び退く。
木はなおも白煙を吐き出し続け、黒霊獣と神宮寺クルミとの間に分厚い煙のカーテンを築き上げた。
「早く立て!!」
飛び出した俺は神宮寺クルミの腕を取り、引っ張り起こす。
本当はお姫様抱っこでも出来ればカッコいいんだろうけど、この巨大ハンマーが重すぎて無理。
神宮寺クルミは状況が飲み込めていないようだったが、俺に言われるがままに起き上がって一緒に駆け出した。
そして、少し離れたところに群生していた背の高い草むらに飛び込む。
「あ、あの……!」
「しっ!見つかるぞ」
徐々に、白いカーテンが薄くなっていく。黒霊獣は、まだその場で佇んでいるようだ。
「な、なにが起こったんですか……?」
声をひそめて、神宮寺クルミが俺に問いかける。
「【煙草樹】を傷つけただけだよ」
【煙草樹】とは、ダンジョンの森フロアでよく見られる木だ。その樹液は空気と触れると爆発的に気化して白色の煙となる。
かつて受験した時にうっかり傷つけてえらい目にあったから、よく覚えていた。
神宮寺クルミもその木は知っていたのか、俺の短い説明で納得してくれたようだ。
「さて、これからどうしたもんかな……」
草陰から見える黒霊獣は、その場でぼーっと動かない。まだ、こちらの居場所に気付いてはいないようだ。
今頃、出口ゲート近くの本部には、さっき逃げていった人たちが着いて事情を話しているだろう。
試験官がやられたことも気づくだろうし、すぐに本腰を入れて救助活動を始めてくれるはずだ。
「それまで隠れていられるかな……」
「……あの」
「どうしたの?」
上目遣いで、クルミがおずおずとこう切り出した。
「あの真獣……頑張ったら倒せませんかね?」
「……見てただろ?ぶっとい木を、簡単に吹き飛ばしちゃう奴だよ。勝てっこないって」
確かにアレを倒せれば、合格間違いなしだろう。
だけど、それは流石に無理だ。俺だって、こないだ倒せたのはナナミさんの黒梟獣の剣と融合したからで、今の支給の剣では……あ、投げたの忘れてた。そもそも手ぶらだったわ。ダメだこりゃ。
「でも……私、どうしても合格したくて……」
「何か事情があるのかもしれないけど、どっちにしてもその足じゃ無理だよ」
本人は気づいていなかったようだが、草むらに飛び込んでから、彼女の足はずっと震えていた。
あの真獣は、本能的な恐怖を呼び起こす。こうなってはもう、面と向かい合うことすら不可能だろう。
「今回はイレギュラーだよ。また半年後に試験はあるし、今は逃げ延びることに集中して……」
「半年後じゃ、遅いかも知れないんです……」
クルミは、肩を落としてそう呟いた。
「母が……癌なんです。でも、ダンジョンには、きっと病気を治す方法があるって……そう、思って」
「……だとしても、ここで無駄に命を落としたら、お母さんをただ悲しませるだけじゃないか?」
俺の言葉に、彼女は俯き、黙ってしまった。
可哀想だけど……仕方ないよな。探検者は一攫千金狙いばかりじゃなくて、色々事情を抱えてる人も多い。でも、どんなことだってまずは命あってのことなんだ。
「……ん?あれ?」
黒霊獣が、いない?
話をしている間に姿を見失った。
俺たちを諦めて、立ち去ったのか?
「そ、ソータ、さん」
「どうした?」
明らかに様子の変わった、クルミの声。
そして次に聞こえた声で……俺の血の気はすっかり引いた。
「バァァ」
クルミが震える手で指差す先に……あの、虚ろな眼があった。
――見つかった!!
いつの間にこんなに近づかれたのか。
草むらの側面から、回り込まれていた。その距離、三メートルほど。
しまった。ここは間違いなく……こいつの、射程内!
ボッ……と、ガスコンロに点火したような音がして……
――視界いっぱいに、黒い影が飛び込んできた。
――
「うわああああああ!?」
視界が高速回転を始め、前後上下が分からなくなる。
――なんだ?!俺は攻撃を喰らったのか?
背中に鈍い衝撃を感じ、回転が強制的に終了した。
やや間を置いて、後ろからメリメリと軋むような音がして……直後に地面が大きく揺れた。
どうやら木に叩きつけられていたようだ。衝撃に耐えきれず幹から折れた木が、俺の後ろで哀れな姿となっている。これが【煙草樹】なら、あたり一面大変なことになっていただろう。
俺はなんとか身体を起こす。
両手に痺れが残っている。反射的に、顔か腹かを庇ったようだ。
「……ソータさん?その、姿は……」
クルミが、先程黒霊獣を見ていた時と同じような顔で、こちらを凝視していた。
【真眼融合】・【赤爪狼】モード
支給の防具との融合。自分の筋肉が大幅に隆起し、毛皮の鎧が金属のように硬化して光沢を放ちながら俺の身体を包み込んでいる。
鎧の細部に至るまで神経が通っているような感覚がある。まるで生まれた時からこんな身体のような。まさに、一体化だった。
五指の先からは、血で濡れたように赤い爪がゾロリと伸びている。
鏡がないので分からないが、クルミの顔を見れば、俺がどれだけ人間離れした格好になっているのかは想像がついた。
……だけど。
足りない。
一度、黒梟獣の剣と融合しているから、わかる。
身体をめぐる力の格が違う。
この真装具では、黒霊獣は倒せない。
赤爪狼は黒刃狼と同じ、五階級程度の真獣だ。融合で潜在能力を解放したところで、三十階級の黒霊獣には届かないようだ。
「……くそっ」
もともと防具であることもあってか、攻撃はなんとか耐えられそうだ。
しかし制限時間は一分。その間に、果たして何ができるのか。
黒霊獣は、俺のほうをじーっと窺ったまま動かない。
……こうなったら、一か八か。
俺は、全速力で横方向に駆け出す。
黒霊獣が、それに合わせたように地面を蹴ったのが見えた。
――速い!
強化されているはずの俺の足でも、あっという間に追いつかれてしまった。
「バァァ」
耳に残る嫌な声を上げて、黒霊獣が拳を振り上げた。
「ここだっ!!」
俺は、目の前の【煙草樹】を爪で切り付ける。
噴き出した白煙が、再び辺りを包み込む。
俺は足と手を止めず、近くの【煙草樹】を手当たり次第に切り裂いた。
「ソータさん!?」
煙の向こうで、クルミの声がする。
一方で、黒霊獣の気配が消えた。
煙を警戒して、動きを止めたのだろう。
……やはりコイツは、目で獲物を追っている。
まぁ、どんな生き物も大体そうだとは思うんだけど、匂いや赤外線センサーとか言われたらお手上げだった。
こいつが見えていないこの状況こそ、
俺の眼が、活きる。
いくぞ、このゴリラ野郎。
――【真眼】発動だ。
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