81 / 124
退行
2
しおりを挟む
秀一と大和、そして凛子を含めて相談した結果、佐和に連絡することにした。
凛子はとても娘の幼児退行に対応できる精神状態になく、秀一も大和も仕事がある為、ずっと付きっ切りではいられない。
幼いころ最も一緒に時間を過ごし、愛情を与えてくれていた佐和がいれば、美姫も精神的に安らげるだろうし、美姫の世話も慣れているので安心だということで、世話係を頼む為だ。
佐和は葬儀の後、東京のホテルに滞在していた。翌朝の新幹線で、岡山に戻る予定だった。
「お嬢、様が……そんなことに……」
事態を聞いた佐和は涙を流し、一も二もなく美姫の世話係を引き受けた。翌日から美姫専属の家政婦として住み込みで働き、美姫の症状が回復するまでいてくれることになった。
秀一は美姫の誕生日に合わせて帰国し、その際にツアーの打ち合わせ等をするために2週間の滞在を予定していたので、誠一郎の社葬まではいられる。ホテルに滞在する予定だったが、佐和がまだいない状態で美姫と離れるのは心配なので、今夜はここに泊まることになった。
それを聞き、大和は焦燥に駆られて声を上げた。
「だったら俺もここに泊まる!」
本当は美姫を自宅に連れて帰りたかったが、そんなことをすればパニックを起こすのは間違いない。それに、今の美姫は、美姫であって、美姫ではない。だったらせめて、ここにいたいと思った。
だが、秀一は首を振った。
「先ほど貴方は美姫を無理やり連れて行こうとし、美姫を怯えさせました。
貴方がここにいては、美姫は落ち着くことはできません」
大和は反論したかったが、秀一に抱きついて膝の上に座る美姫を見て、そんな力を失くした。3歳以降の記憶がない美姫にとって、大和は『どこかのしらないこわいおにーちゃん』でしかないのだ。
警戒しているように自分を見上げる美姫を見つめ、大和の胸が引き千切れそうだった。
「分かった……
でも、また様子は見にくるから」
美姫は完全に自分のことを3歳児だと思っていた。20年も経っている母や秀一の顔は認識できるのに、鏡に映る20年後の自分の姿を見てパニックを起こした。
話し方も幼児独特の舌足らずな喋り方で、秀一のことを「しゅーちゃん」と呼んで離れようとせず、何をするにも一緒だった。
「みき、しゅーちゃんだぁいすき。ずぅぅっといっしょにいてね」
瞳をキラキラさせて話す美姫に、秀一は切なさの籠った優しい瞳で微笑んだ。
「私も、美姫が好きですよ」
そんな二人を見て、大和は唇を震わせ、拳を握り締めた。
「ック……」
もうこれ以上見ていられなくなり、大和は家を飛び出した。
夜、寝る時間になり秀一が美姫に声をかけた。
「美姫、もう寝る時間ですよ」
ベッドに寝かせて部屋を出て行こうとした秀一の袖を美姫が掴む。
「しゅーちゃん、いっしょにねて」
泣きそうな顔で見上げる美姫に、秀一は優しく頭を撫でた。
「では、眠るまで傍についていますよ」
「やだぁ! やだぁ! しゅーちゃんとねるのぉ!!
おねがい……さみしいよぉ。ひとりにしないでよぉ……ッグ、ウウゥッ」
泣きじゃくる美姫に、秀一の心臓がグシャッと握り潰されるようだった。
幼かった美姫ですら、ここまで言うことはなかったのに。
あの時抑えていた気持ちが、ここで爆発してしまったのか……
秀一はライトグレーの瞳を揺らした。
「わかりました」
隣に添い寝すると、美姫が嬉しそうに頭を秀一の胸に擦り付けた。
「しゅーちゃんのにおいがする。しゅーちゃんのにおい、だぁいすき」
「そう、ですか……」
熱くなった瞳の奥から涙が零れ、耳の後ろへと伝っていく。華奢な美姫の躰は、以前にも増して小さく感じた。
凛子はとても娘の幼児退行に対応できる精神状態になく、秀一も大和も仕事がある為、ずっと付きっ切りではいられない。
幼いころ最も一緒に時間を過ごし、愛情を与えてくれていた佐和がいれば、美姫も精神的に安らげるだろうし、美姫の世話も慣れているので安心だということで、世話係を頼む為だ。
佐和は葬儀の後、東京のホテルに滞在していた。翌朝の新幹線で、岡山に戻る予定だった。
「お嬢、様が……そんなことに……」
事態を聞いた佐和は涙を流し、一も二もなく美姫の世話係を引き受けた。翌日から美姫専属の家政婦として住み込みで働き、美姫の症状が回復するまでいてくれることになった。
秀一は美姫の誕生日に合わせて帰国し、その際にツアーの打ち合わせ等をするために2週間の滞在を予定していたので、誠一郎の社葬まではいられる。ホテルに滞在する予定だったが、佐和がまだいない状態で美姫と離れるのは心配なので、今夜はここに泊まることになった。
それを聞き、大和は焦燥に駆られて声を上げた。
「だったら俺もここに泊まる!」
本当は美姫を自宅に連れて帰りたかったが、そんなことをすればパニックを起こすのは間違いない。それに、今の美姫は、美姫であって、美姫ではない。だったらせめて、ここにいたいと思った。
だが、秀一は首を振った。
「先ほど貴方は美姫を無理やり連れて行こうとし、美姫を怯えさせました。
貴方がここにいては、美姫は落ち着くことはできません」
大和は反論したかったが、秀一に抱きついて膝の上に座る美姫を見て、そんな力を失くした。3歳以降の記憶がない美姫にとって、大和は『どこかのしらないこわいおにーちゃん』でしかないのだ。
警戒しているように自分を見上げる美姫を見つめ、大和の胸が引き千切れそうだった。
「分かった……
でも、また様子は見にくるから」
美姫は完全に自分のことを3歳児だと思っていた。20年も経っている母や秀一の顔は認識できるのに、鏡に映る20年後の自分の姿を見てパニックを起こした。
話し方も幼児独特の舌足らずな喋り方で、秀一のことを「しゅーちゃん」と呼んで離れようとせず、何をするにも一緒だった。
「みき、しゅーちゃんだぁいすき。ずぅぅっといっしょにいてね」
瞳をキラキラさせて話す美姫に、秀一は切なさの籠った優しい瞳で微笑んだ。
「私も、美姫が好きですよ」
そんな二人を見て、大和は唇を震わせ、拳を握り締めた。
「ック……」
もうこれ以上見ていられなくなり、大和は家を飛び出した。
夜、寝る時間になり秀一が美姫に声をかけた。
「美姫、もう寝る時間ですよ」
ベッドに寝かせて部屋を出て行こうとした秀一の袖を美姫が掴む。
「しゅーちゃん、いっしょにねて」
泣きそうな顔で見上げる美姫に、秀一は優しく頭を撫でた。
「では、眠るまで傍についていますよ」
「やだぁ! やだぁ! しゅーちゃんとねるのぉ!!
おねがい……さみしいよぉ。ひとりにしないでよぉ……ッグ、ウウゥッ」
泣きじゃくる美姫に、秀一の心臓がグシャッと握り潰されるようだった。
幼かった美姫ですら、ここまで言うことはなかったのに。
あの時抑えていた気持ちが、ここで爆発してしまったのか……
秀一はライトグレーの瞳を揺らした。
「わかりました」
隣に添い寝すると、美姫が嬉しそうに頭を秀一の胸に擦り付けた。
「しゅーちゃんのにおいがする。しゅーちゃんのにおい、だぁいすき」
「そう、ですか……」
熱くなった瞳の奥から涙が零れ、耳の後ろへと伝っていく。華奢な美姫の躰は、以前にも増して小さく感じた。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる