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第五章 初の実践練習

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 再び練習のため、レース開始位置に戻っていく。けれど、ここでもまた時間が掛かり、思うようにいかない。与えられた練習時間は50分で、有効に使わなければならないのに、悪戯に時間だけが過ぎていく。私たちは予定していたよりも少ないレース回数をこなし、今日の実践練習を終えた。

 その後、男女に分かれて更衣室でシャワーを浴びてから、反省会をした。海くんがまず、口火を切る。

「今日の練習で、気がついたことがあったら教えてくれ」

 きっとみんなに対するダメ出しから始まるんだろうなって思ってたから、意外だった。海くんもあれから、色々と考えたのかもしれない。練習中は相変わらず厳しいけど、部活や用事で遅れたり、来られないことに対しての文句は言わなくなったし、練習が終わってからの表情も柔らかくなった。けど今は、いつもより厳しい顔つきではあるけれど……

「まぁ初日は、こんなもんだが」

 勇気くんは気楽に、そう言った。

「勇気、お前自分勝手に漕ぎ過ぎだ。自分がペーサーだって、自覚あるのか? お前がパドラーの指針になるんだぞ。もっとみんなの動きを考えてパドルを漕げ!」

 海くんの厳しい言葉に眉を寄せつつも、勇気くんは「分かったがよ」と返事をした。

「他に、意見は?」
「美和子さんの掛け声が早すぎてついていけんが! それに、声もよぉ聞こえんし」
「鼓手はよかど、太鼓叩いて声かけるだけ楽だが。ボート漕ぐ俺らは必死だが!」

 ドラゴンボート大会に何度か出場したことのある前田くんと吉元くんに言われ、思わず俯いて唇を噛み締めた。

 本当は、私だって去年の大会で漕手をやってるから漕手の気持ちだって少しは分かるし、だからこそ今年の大会では鼓手を任されたんだって言いたかった。けど、漕手としても鼓手としても自分が未熟なことが分かってたし、ここで反論して波風をたてることもしたくなかった。

 海くんの重く低い声が、響いた。

「誰が、鼓手が楽だって?」

 それは、威圧的で静かな怒りを含んでいた。

「だったら、鼓手をやってみたらいい。どれだけ大変か、分かるから。鼓手はただ単に太鼓でリズムとってカウントするだけじゃない。漕手の動きや体力の消耗具合い、空気を読みながらレース展開を考え、どこでピッチを上げていくか常に頭で計算し、漕手のモチベーションが下がらないようにも気を遣いながらゴールまで引っ張っていく重要な役割を担っているんだ」
「も、もういいよ海くん……私、そこまで出来てるレベルじゃないし、未熟なのは確かだから」

 慌てて声を掛けると、海くんは黙り込んだ。それから少し気まづい空気が流れ、私は明るく声を掛けた。

「前田くん、吉元くん、頼りない鼓手でごめんね。私、漕手のみんなが安心して任せられる鼓手に少しでもなれるように頑張るから。私もね、去年は漕手としてパドル漕いでたから気持ち分かるよ。鼓手って体力使ってないように見えるし、楽そうに思えちゃうよね。でも今年、トロントのドラゴンボート大会に出て鼓手やらせてもらって、どんなに鼓手が難しいのか、レースの勝敗に関わっているのか知って、驚いたし、怖いとも思った。だけど、そんな鼓手に魅力も感じたし、自分の掛け声とリズムが漕手のパドリングと合った時の爽快感は忘れられない。それは、チームワークあってのものなの。
 だから、不満はあるかもしれないけど、どうか私を鼓手として受け入れてくれませんか?」

 頭を下げた私に、前田くんと吉元くんの声がすぐに返ってきた。

「ご、ごめん、美和子さん! 俺ぇ、鼓手の役割全然分かっとらずに文句言っとったがよ」
「太鼓叩いて声かけるだけぇなんて言って、わりがった……」

 顔を上げると、笑顔でふたりを見つめた。

「ううん。これは他の漕手メンバーも思ってたことかもしれないし、二人が正直に気持ちを伝えてくれて良かった。私も、鼓手がどんな役割を担ってるのかみんなに知ってもらえて嬉しかったし。
 いいチームにしようね!」

 その声に応えるかのように、座ってた郁美が立ち上がった。

「もっちろん! うちのチームが一番ね!!」

 勇気くんも郁美に微笑んだ。

「あったりまえだが!」

 さっきまで固い表情を見せてたチームのメンバー全員が笑顔を見せ、チームの雰囲気が変化していく。

「いさドラゴンカップ、楽しみやね」 

 少し離れたところに立って反省会の様子を見守っていた松元先生の声が耳に届いて、振り返ると笑顔で頷いた。
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