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2)西日、射す
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◇ ◇ ◇
「せっかく来てくれたのにごめんなさいね。あの子、ちょっと夏風邪をこじらせちゃって、寝込んでるの」
夏休みにはいり、日野と一緒に相模の家を訪ねると、玄関先で応対してくれた相模の母がそう言った。
相模の家は、公園の近くにある白い壁と黒い屋根が印象的な二階建ての一軒家で、こぢんまりとした庭と車一台が駐められる駐車場がある。夏休みの間は、基本そんな家の中で過ごしていると聞き、日野の提案で来てみたのだが、どうやら会うことは難しいらしい。
「あ、じゃあお見舞いに……」
「でも、感染しちゃうと悪いから」
顔だけでも見たいと、日野が食い下がってみたが、相模の母はニコニコと優しい笑顔のまま、感染すわけにいかないからと繰り返し、謝るばかりだ。
「……そうですか。では、お大事にと伝えてください」
「ええ。本当にごめんなさいね」
日野を宥めつつ、春日はそう言って大人しく引き下がり、玄関ドアが閉まるのを見届けてから、出入り口の門を出る。
病気の子どもがいると主張するわりに、相模の母は髪も化粧も綺麗に整え、まるでこれから出掛けるのだというような、そんな格好をしていた。
相模の母親を見かけたのは、体育祭や授業参観などの保護者がくるような行事の時だけだが、日曜の午後だというのに、その時のような『よそいき』の姿だったのが気になる。もちろん、休日でも身嗜みをしっかりしないと気が済まない人がいることは知っているが、あの格好で寝込んだ病人の世話など、本当に出来ているのだろうか。
たびたび相模の家に来ることはあったし、両親と相模が三人揃っている姿も見たことはあった。だが彼らは、家族と言うには少し、妙な距離感があるように思える。
「夏風邪かぁ。見るからに身体弱そうだもんな、アイツ」
しきりに残念がる日野の言葉に、春日は考える。
確かに病弱そうに見えるが、彼は発作で倒れることはあっても、一度も風邪などの病気で欠席したことはない。
そのことを思い出しながら、改めて相模の家の方を振り返った春日は足を止めた。
「……どうだろうな」
「ん?」
春日が足を止めたのにつられて、日野も立ち止まる。
視線の先を追うと、相模の家のちょうど二階部分を見ていた。
そこには大きなガラスをはめた出窓があって、白いレースのカーテンがかかっている。カーテンの端の方が捲れていて、その隙間から相模が顔を覗かせていた。
「……えっ」
驚いて見ていると、どこか悲しそうな表情をした相模の口が、何事か呟いたように動く。
そしてすぐ、カーテンが閉じられて、相模の姿は見えなくなってしまった。
「は? な、なんか、普通に元気そうだったけど?」
「理由が、あるんだろう」
動揺する日野に、春日はそう答える。
『いいよ、お前は平気そうだし』
以前、相模に言われた言葉をなんとなく思い出していた。
「きっと、本人にも俺たちにも、どうしようもできない理由だ」
◇
結局その日は、相模を誘って行こうと思っていた商店街で、日暮れ近くまで日野と遊び、自宅に帰ると母親がちょうど夕飯の支度をしている時間だった。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
台所で忙しなく動き回りつつも、母親はこちらを向いてそう返す。
しかし、鍋に火をかける母親の口から次に出てくるのは、呆れたような声で。
「……なぁに祐介、また日野くんと遊んでたの?」
「うん」
「夏休みだからって、遊んでばっかじゃダメよ」
「分かってる」
答えながら冷蔵庫から牛乳を取り出した春日は、コップに注いで一気に飲み干した。
ふと、リビングの方へ視線を向けると、台所とリビングのちょうど間にあるゴミ箱に目が留まる。葉書や封筒など様々な書類をまとめて置いている棚の、すぐ横に置かれたゴミ箱の中。
葉書が一枚、落ちているのが見えた。
母が調理に集中しているのを見計らい、春日は静かにゴミ箱へ近づくと、それをそっと拾い上げ、こっそりとポケットにしまう。
「祐介は、お姉ちゃんみたいにならないでよ」
「……うん」
「あの子みたいに、人様に迷惑ばっかりかける子にならないでちょうだいね。そのためにも、一緒に遊ぶ子もちゃんと選ばないと……」
手を動かしながらも口を動かす母親の、決まり文句のような小言が始まった。
春日はそれには何も言わず、取り出した牛乳パックを冷蔵庫に戻す。
「塾の課題やるから、飯出来たら呼んで」
「はいはい」
母親の返事を背中で聞きながら、逃げるように二階の自室へ向かった。
自室のドアを閉めて、ようやく息をつく。
それからポケットにしまった葉書を取り出して、そっと裏面を見た。そこには、綺麗な青い海がよく晴れた空の下でキラキラと輝いている風景が、紙面いっぱいに写し出されている。
宛先には自分の名前が、差出人は、春日美桜と書かれていた。七歳上の姉だ。
現在歳の離れた姉は、隣県の一般企業で事務員をしている。よく旅行へ行くらしく、旅先からいろんな景色のポストカードを送ってくれた。
春日は本棚からクリアポケットのファイルを取り出し、姉から届いたポストカードを空いている箇所にいれると、またすぐに本棚へ戻す。
今でこそ元気に過ごしているが、春日が小学六年に上がる年の春休み、高校を卒業したばかりの姉は、この家で自殺した。
当時、こっそり付き合い、将来の約束もしていたという教師が、既婚者だったからだ。
その日は、たまたま早く帰宅した春日が、風呂場で血塗れになって倒れている姉を見つけ、すぐに救急車を呼んだ。発見が早かったことから大事に至らずに済んだが、客商売である美容室を営んでいた母は、姉の自殺未遂やその理由のおかげでしばらく休業を余儀なくされ、ただでさえ反りの合わなかった二人の仲はより険悪になってしまった。今でも姉から届く手紙の類は、例え弟宛の物でも、すぐにゴミ箱に捨てられてしまうような状態が続いている。
母は姉のことがあってから、春日への期待が大きくなった。
口癖のように『お姉ちゃんのようにならないで』と言うようになり、良い高校、良い大学、周りに自慢できるような企業や仕事に就くことを期待された。
元々成績は悪い方ではなかったけれど、柔道より進学塾へ行けと言われるようになり、中学からは塾通いを始め、週に三日は三駅隣にある塾へ通っている。
密かに抱いていた、消防隊やレスキュー隊への道はそこで諦めた。
母の期待に応えていれば、自分が『自慢の息子』にさえなれば、姉に対して投げつけられる悪口も、悪意も、減らせるのではないかと考えたからだ。
春日は再び息をつく。
それから勉強用の机に向かうと、やりかけだった問題集を開いた。
「せっかく来てくれたのにごめんなさいね。あの子、ちょっと夏風邪をこじらせちゃって、寝込んでるの」
夏休みにはいり、日野と一緒に相模の家を訪ねると、玄関先で応対してくれた相模の母がそう言った。
相模の家は、公園の近くにある白い壁と黒い屋根が印象的な二階建ての一軒家で、こぢんまりとした庭と車一台が駐められる駐車場がある。夏休みの間は、基本そんな家の中で過ごしていると聞き、日野の提案で来てみたのだが、どうやら会うことは難しいらしい。
「あ、じゃあお見舞いに……」
「でも、感染しちゃうと悪いから」
顔だけでも見たいと、日野が食い下がってみたが、相模の母はニコニコと優しい笑顔のまま、感染すわけにいかないからと繰り返し、謝るばかりだ。
「……そうですか。では、お大事にと伝えてください」
「ええ。本当にごめんなさいね」
日野を宥めつつ、春日はそう言って大人しく引き下がり、玄関ドアが閉まるのを見届けてから、出入り口の門を出る。
病気の子どもがいると主張するわりに、相模の母は髪も化粧も綺麗に整え、まるでこれから出掛けるのだというような、そんな格好をしていた。
相模の母親を見かけたのは、体育祭や授業参観などの保護者がくるような行事の時だけだが、日曜の午後だというのに、その時のような『よそいき』の姿だったのが気になる。もちろん、休日でも身嗜みをしっかりしないと気が済まない人がいることは知っているが、あの格好で寝込んだ病人の世話など、本当に出来ているのだろうか。
たびたび相模の家に来ることはあったし、両親と相模が三人揃っている姿も見たことはあった。だが彼らは、家族と言うには少し、妙な距離感があるように思える。
「夏風邪かぁ。見るからに身体弱そうだもんな、アイツ」
しきりに残念がる日野の言葉に、春日は考える。
確かに病弱そうに見えるが、彼は発作で倒れることはあっても、一度も風邪などの病気で欠席したことはない。
そのことを思い出しながら、改めて相模の家の方を振り返った春日は足を止めた。
「……どうだろうな」
「ん?」
春日が足を止めたのにつられて、日野も立ち止まる。
視線の先を追うと、相模の家のちょうど二階部分を見ていた。
そこには大きなガラスをはめた出窓があって、白いレースのカーテンがかかっている。カーテンの端の方が捲れていて、その隙間から相模が顔を覗かせていた。
「……えっ」
驚いて見ていると、どこか悲しそうな表情をした相模の口が、何事か呟いたように動く。
そしてすぐ、カーテンが閉じられて、相模の姿は見えなくなってしまった。
「は? な、なんか、普通に元気そうだったけど?」
「理由が、あるんだろう」
動揺する日野に、春日はそう答える。
『いいよ、お前は平気そうだし』
以前、相模に言われた言葉をなんとなく思い出していた。
「きっと、本人にも俺たちにも、どうしようもできない理由だ」
◇
結局その日は、相模を誘って行こうと思っていた商店街で、日暮れ近くまで日野と遊び、自宅に帰ると母親がちょうど夕飯の支度をしている時間だった。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
台所で忙しなく動き回りつつも、母親はこちらを向いてそう返す。
しかし、鍋に火をかける母親の口から次に出てくるのは、呆れたような声で。
「……なぁに祐介、また日野くんと遊んでたの?」
「うん」
「夏休みだからって、遊んでばっかじゃダメよ」
「分かってる」
答えながら冷蔵庫から牛乳を取り出した春日は、コップに注いで一気に飲み干した。
ふと、リビングの方へ視線を向けると、台所とリビングのちょうど間にあるゴミ箱に目が留まる。葉書や封筒など様々な書類をまとめて置いている棚の、すぐ横に置かれたゴミ箱の中。
葉書が一枚、落ちているのが見えた。
母が調理に集中しているのを見計らい、春日は静かにゴミ箱へ近づくと、それをそっと拾い上げ、こっそりとポケットにしまう。
「祐介は、お姉ちゃんみたいにならないでよ」
「……うん」
「あの子みたいに、人様に迷惑ばっかりかける子にならないでちょうだいね。そのためにも、一緒に遊ぶ子もちゃんと選ばないと……」
手を動かしながらも口を動かす母親の、決まり文句のような小言が始まった。
春日はそれには何も言わず、取り出した牛乳パックを冷蔵庫に戻す。
「塾の課題やるから、飯出来たら呼んで」
「はいはい」
母親の返事を背中で聞きながら、逃げるように二階の自室へ向かった。
自室のドアを閉めて、ようやく息をつく。
それからポケットにしまった葉書を取り出して、そっと裏面を見た。そこには、綺麗な青い海がよく晴れた空の下でキラキラと輝いている風景が、紙面いっぱいに写し出されている。
宛先には自分の名前が、差出人は、春日美桜と書かれていた。七歳上の姉だ。
現在歳の離れた姉は、隣県の一般企業で事務員をしている。よく旅行へ行くらしく、旅先からいろんな景色のポストカードを送ってくれた。
春日は本棚からクリアポケットのファイルを取り出し、姉から届いたポストカードを空いている箇所にいれると、またすぐに本棚へ戻す。
今でこそ元気に過ごしているが、春日が小学六年に上がる年の春休み、高校を卒業したばかりの姉は、この家で自殺した。
当時、こっそり付き合い、将来の約束もしていたという教師が、既婚者だったからだ。
その日は、たまたま早く帰宅した春日が、風呂場で血塗れになって倒れている姉を見つけ、すぐに救急車を呼んだ。発見が早かったことから大事に至らずに済んだが、客商売である美容室を営んでいた母は、姉の自殺未遂やその理由のおかげでしばらく休業を余儀なくされ、ただでさえ反りの合わなかった二人の仲はより険悪になってしまった。今でも姉から届く手紙の類は、例え弟宛の物でも、すぐにゴミ箱に捨てられてしまうような状態が続いている。
母は姉のことがあってから、春日への期待が大きくなった。
口癖のように『お姉ちゃんのようにならないで』と言うようになり、良い高校、良い大学、周りに自慢できるような企業や仕事に就くことを期待された。
元々成績は悪い方ではなかったけれど、柔道より進学塾へ行けと言われるようになり、中学からは塾通いを始め、週に三日は三駅隣にある塾へ通っている。
密かに抱いていた、消防隊やレスキュー隊への道はそこで諦めた。
母の期待に応えていれば、自分が『自慢の息子』にさえなれば、姉に対して投げつけられる悪口も、悪意も、減らせるのではないかと考えたからだ。
春日は再び息をつく。
それから勉強用の机に向かうと、やりかけだった問題集を開いた。
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