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7)寒雷は遠く
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◇ ◇ ◇
「いいか和都。お前のその目は、特別なんだ。神様からの贈り物なんだよ。だから大事にしなさい」
真っ黒な、夜空みたいなこの目が大嫌いだった。
嫌で嫌で仕方なくて、自分でこの目を潰そうとしたけれど、父さんはそれを止めて、大事にしなさいと自分に言った。
この目はジッと相手を見つめるだけで、見た相手はおかしくなる。
過剰な好意、過剰な憎悪、過剰な執着。
実の母親ですら、そうなった。なぜか父さんは平気だった。
だから人の目を見ないで話すようになった。なるべく、関わらないように無視をした。
でもなぜか、自分の周りには関わろうとしてくる人ばかりで、辟易した。
時々、父さんと同じように、大丈夫なヤツがいた。そういう人を見つけたら、なるべくそいつといるようにしていた。
いつかおかしくなるんじゃないかと、不安にならずに済んだから。
でもそうすると、そいつは他の人から非難され、罵倒され、傷つけられた。
きっと、自分の存在自体がこの世界のイレギュラーなんだ。
だからもう、なるべく他人と関わらないようにしていた。
だからずっと、本を読むようにした。本の中にいれば、何も考えなくていい。
あとは父さんだけいてくれれば、それでいいと思っていた。
その存在が消えた時、どうしたらいいか分からなかった。
この瞳で視える世界は、恐ろしくて気持ち悪いものしかないのに。
母さんは最初、努力してくれた。今の父さんも。家族になろうとはした。でもダメだった。
だから二人はおれから逃げた。最初は理由が分からなくて恨んだけど、理由を聞いて納得した。
二人を嫌うことで心を正当化して、飲み込んで、なんとか立っている。
それからは一人で『終わり』を探しているばかりだ。
自分という本の最後のページを、めくってもめくっても続くこの世界の終わりを、時々探しては彷徨っていた。
そんな時に、手を差し伸べられたら、誰だって縋るんじゃない?
だから縋ったんだ。
でも、やっぱり間違っていたのかもしれない。
いつもみたいに、見なかったことにするべきだった。
自分なんかのために、笑って大事なものを手放していく姿は、耐えられない。
だけど、彼は一度掴んだこの手を離してはくれなかった。
それに甘えている。
いつか、この手を離せるまで。
その時まではちゃんと生きるから。
本当は、離したくない。
でも、このままじゃダメだから。
それまでで、いいから。
◇ ◇ ◇
冬休みに入り、試験も目前に迫って来た頃。
去年のこともあり、年が明けてすぐ、祐介は塾の後、和都の家へ様子を見に行った。
年始だと言うのに和都の両親は相変わらず不在で、受験生の子どもを一人放置している事実には呆れるしかない。
ただ、一つだけいいことがあった。
祐介の母が、和都が両親からあまりいい扱いを受けていないと感じたのか、様子を見に行くついでに勉強を教えてくるという祐介に、お正月用の雑煮を持たせてくれたのだ。
それを夕飯に二人で食べた後、躓いているという数学の問題を見てやることになった。
「え? これをこっちに代入して計算?」
「いや、使う公式はそれじゃなくてこれ」
問題文を指しながら公式の説明をしてみるが、和都の眉間に皺が寄り、だんだんとふてくされたような顔になって来た。
──あ、分かんなくてムカついてるなコレ。
相変わらず、感情が分かりやすく顔に出るヤツだ。
「だーー! わかんないっ!」
和都はそう言いながら、机から逃げるように、すぐ脇にあるベッドの上に寝転がる。
「おいこら、まだ終わってないぞ」
「きゅーけぇ!」
仰向けのまま、不貞腐れた声でそう言うと、そのまま本当に寝息を立て始めた。
夕飯に持ってきた雑煮を、嬉しそうにたくさん食べていたので、その眠気がきたのもあるかもしれない。
とはいえ、もう少ししたら帰らなければいけないので、祐介は呆れるように息を吐いてベッドへ近づいた。
「和都」
無防備な、安心しきった寝顔。
柔らかそうな白い肌に、長い睫毛の影が落ちていた。触れると崩してしまいそうな、繊細な造りもののように綺麗な顔をしていると思う。
眠る顔の横に手をついて、ゆっくり顔を近づけた。
鼻先が触れそうな距離まで近づいても、和都は目を開けない。
自分は、どうしたいのだろう。
この気持ちが例え恋だった時に、彼の人生の重荷にならないだろうか。
助けてくれていたのは、結局下心があったからか、と落胆させるのではないだろうか。
彼がこの先、誰かを好きになった時に、困らせてしまうのではないだろうか。
息をのむように目を閉じて、そのままゆっくり身体を離した。
──これは、ただの『執着』だ。
ベッドの脇に腰を下ろして目を閉じる。
彼が『生きる』ために必要なものは、全て彼が選ぶべきだ。
彼が『生きる』ために邪魔なものは、全て自分が取り除けばいい。
──『全部』潰さないと。
彼を脅かす存在も、悪意も、自分の気持ちも、全部。
そうでなければ、彼の『味方』ではいられない。
あの夜の壁を越えられなかった自分に出来ることは、それだけだ。
──俺は、怪物を助ける少年になれなかった。
それから十五分だけ待って、何も知らずに眠る和都の肩を揺さぶった。
「んぁ……」
「十五分は経ったぞ。そろそろ休憩おわれ」
「……わかったよ」
そう答えて身体を起こすと、和都は大きな欠伸をして伸びをする。
「それで、さっきの公式のところだけど……」
「切り替え早すぎだっての!」
「そろそろ帰らないとだからな。さっさと理解しろ」
「はぁい」
祐介の言葉に、頬を膨らませながら和都がようやく椅子に座り、机に向かった。
「いいか和都。お前のその目は、特別なんだ。神様からの贈り物なんだよ。だから大事にしなさい」
真っ黒な、夜空みたいなこの目が大嫌いだった。
嫌で嫌で仕方なくて、自分でこの目を潰そうとしたけれど、父さんはそれを止めて、大事にしなさいと自分に言った。
この目はジッと相手を見つめるだけで、見た相手はおかしくなる。
過剰な好意、過剰な憎悪、過剰な執着。
実の母親ですら、そうなった。なぜか父さんは平気だった。
だから人の目を見ないで話すようになった。なるべく、関わらないように無視をした。
でもなぜか、自分の周りには関わろうとしてくる人ばかりで、辟易した。
時々、父さんと同じように、大丈夫なヤツがいた。そういう人を見つけたら、なるべくそいつといるようにしていた。
いつかおかしくなるんじゃないかと、不安にならずに済んだから。
でもそうすると、そいつは他の人から非難され、罵倒され、傷つけられた。
きっと、自分の存在自体がこの世界のイレギュラーなんだ。
だからもう、なるべく他人と関わらないようにしていた。
だからずっと、本を読むようにした。本の中にいれば、何も考えなくていい。
あとは父さんだけいてくれれば、それでいいと思っていた。
その存在が消えた時、どうしたらいいか分からなかった。
この瞳で視える世界は、恐ろしくて気持ち悪いものしかないのに。
母さんは最初、努力してくれた。今の父さんも。家族になろうとはした。でもダメだった。
だから二人はおれから逃げた。最初は理由が分からなくて恨んだけど、理由を聞いて納得した。
二人を嫌うことで心を正当化して、飲み込んで、なんとか立っている。
それからは一人で『終わり』を探しているばかりだ。
自分という本の最後のページを、めくってもめくっても続くこの世界の終わりを、時々探しては彷徨っていた。
そんな時に、手を差し伸べられたら、誰だって縋るんじゃない?
だから縋ったんだ。
でも、やっぱり間違っていたのかもしれない。
いつもみたいに、見なかったことにするべきだった。
自分なんかのために、笑って大事なものを手放していく姿は、耐えられない。
だけど、彼は一度掴んだこの手を離してはくれなかった。
それに甘えている。
いつか、この手を離せるまで。
その時まではちゃんと生きるから。
本当は、離したくない。
でも、このままじゃダメだから。
それまでで、いいから。
◇ ◇ ◇
冬休みに入り、試験も目前に迫って来た頃。
去年のこともあり、年が明けてすぐ、祐介は塾の後、和都の家へ様子を見に行った。
年始だと言うのに和都の両親は相変わらず不在で、受験生の子どもを一人放置している事実には呆れるしかない。
ただ、一つだけいいことがあった。
祐介の母が、和都が両親からあまりいい扱いを受けていないと感じたのか、様子を見に行くついでに勉強を教えてくるという祐介に、お正月用の雑煮を持たせてくれたのだ。
それを夕飯に二人で食べた後、躓いているという数学の問題を見てやることになった。
「え? これをこっちに代入して計算?」
「いや、使う公式はそれじゃなくてこれ」
問題文を指しながら公式の説明をしてみるが、和都の眉間に皺が寄り、だんだんとふてくされたような顔になって来た。
──あ、分かんなくてムカついてるなコレ。
相変わらず、感情が分かりやすく顔に出るヤツだ。
「だーー! わかんないっ!」
和都はそう言いながら、机から逃げるように、すぐ脇にあるベッドの上に寝転がる。
「おいこら、まだ終わってないぞ」
「きゅーけぇ!」
仰向けのまま、不貞腐れた声でそう言うと、そのまま本当に寝息を立て始めた。
夕飯に持ってきた雑煮を、嬉しそうにたくさん食べていたので、その眠気がきたのもあるかもしれない。
とはいえ、もう少ししたら帰らなければいけないので、祐介は呆れるように息を吐いてベッドへ近づいた。
「和都」
無防備な、安心しきった寝顔。
柔らかそうな白い肌に、長い睫毛の影が落ちていた。触れると崩してしまいそうな、繊細な造りもののように綺麗な顔をしていると思う。
眠る顔の横に手をついて、ゆっくり顔を近づけた。
鼻先が触れそうな距離まで近づいても、和都は目を開けない。
自分は、どうしたいのだろう。
この気持ちが例え恋だった時に、彼の人生の重荷にならないだろうか。
助けてくれていたのは、結局下心があったからか、と落胆させるのではないだろうか。
彼がこの先、誰かを好きになった時に、困らせてしまうのではないだろうか。
息をのむように目を閉じて、そのままゆっくり身体を離した。
──これは、ただの『執着』だ。
ベッドの脇に腰を下ろして目を閉じる。
彼が『生きる』ために必要なものは、全て彼が選ぶべきだ。
彼が『生きる』ために邪魔なものは、全て自分が取り除けばいい。
──『全部』潰さないと。
彼を脅かす存在も、悪意も、自分の気持ちも、全部。
そうでなければ、彼の『味方』ではいられない。
あの夜の壁を越えられなかった自分に出来ることは、それだけだ。
──俺は、怪物を助ける少年になれなかった。
それから十五分だけ待って、何も知らずに眠る和都の肩を揺さぶった。
「んぁ……」
「十五分は経ったぞ。そろそろ休憩おわれ」
「……わかったよ」
そう答えて身体を起こすと、和都は大きな欠伸をして伸びをする。
「それで、さっきの公式のところだけど……」
「切り替え早すぎだっての!」
「そろそろ帰らないとだからな。さっさと理解しろ」
「はぁい」
祐介の言葉に、頬を膨らませながら和都がようやく椅子に座り、机に向かった。
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