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後編

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 それから、トニは毎日ザラに掃除の仕方や、料理、この国の人々の生活を教えた。ザラは口は悪いが、それは素直なだけで、その分何でも素直に受け入れるものだから、何をさせても上達が早かった。
 そしてザラはトニを見て、こんなにも力強く生きている人間がいるんだと、段々彼を男性として意識するようになってきた。

 おじさんに手伝ってもらった畑は、見事に作物が実り、ザラは毎朝畑に行って野菜を収穫し、朝食の準備をするようになっていた。
 
 その手はかつての白く柔らかそうな肌から、畑仕事で出来たマメで固くなった手の平に、沢山の小傷のある労働者の手へと変わっていた。

 トニは目をこすりながら起きてきて、ザラにおはようと挨拶してからイスに座る。ザラは出会った時とは比べ物にならない程手際よく料理をトニの前に出して、後片付けもし、街に畑でとれた野菜をトニと一緒に売りに行く。

 トニはザラを見つめながら思った。一緒に暮らしていくうちに色々と気づかされた。

 (ザラは素直なんだな。だからどんどん吸収していく。口の悪さも、悪意があって人を悪く言うわけじゃなく、良かれと思って指摘した事で今まで相手を怒らせていた。不器用とでもいうのか……)

 トニにはザラのその不器用さが可愛くて仕方なかった。勤勉で努力家な姿にも、日々尊敬と憧れの気持ちが湧いている。

 笑顔で野菜を売るザラは本当に綺麗で、トニはいつの間にかザラを見つめてぼーっとしていた自分に驚き、頭を振って雑念を振り払った。
 
 「お姉ちゃん美人だなあ。野菜を買うから、今晩俺と過ごさないか?」

 トニが雑念に囚われている間にザラが下衆な輩に絡まれていた。

 「いえ、貴方のような無粋な方とは過ごしません。そんな条件なら野菜は買わなくて結構です」

 きっぱりと断るザラの態度が相手の羞恥心に響いたのか、男は顔を真っ赤にして手を振り上げる。トニが咄嗟に男の手を掴むと、相手の男はその握力の強さと気迫にたじろいだ。

 「妻の口が悪くすみません。お代はいいんで、この野菜を持って帰ってください」

 男は手を振り払い、野菜を貰って、負け犬の遠吠え的な捨て台詞を吐いて去って行く。

 トニは男の姿が見えなくなったのを確認してからザラを見ると、彼女は何故か頬を赤く染めていた。

 「どうした?」
 「トニが私を妻って……」

 トニも顔を赤くした。男から守るために咄嗟に口にしてしまったが、自分の願望を無意識に口にして、隠していた気持ちを自分自身も正確に認識してしまったのだ。

 「……こんな貧しい男に妻なんて言われて気分を悪くしたよな。ザラを助けるために咄嗟に出た嘘だから気にしないでくれ」
 「嘘なの?」

 何故か彼女は泣きそうな顔をし始め、トニは混乱した。

 (こんな矜持きょうじの高そうなお嬢さんが、まさかこんなに貧しい男に恋をすることがあるのか? いやいや、ないだろう。もし気持ちなんか伝えたら、この生活が終わってしまう……)

 トニは頭の中で考えをぐるぐると巡らせ、二人の生活を守るために無難だと思った言葉で返事をする。

 「当たり前だろ」

 ザラはこらえていた涙を一気に流し、トマトを掴んでトニに投げつけて走って行ってしまった。

 トニは服に着いた潰れたトマトを拭いながら追いかけると、ザラは隣の国に向かって走っている事に気がつく。

 「ザラ! おい、どこに向かってる! 何を泣いて怒ってんだよ!」

 トニがザラの肩を掴んで止めると、彼女は泣きながら恨めしそうにトニを見た。

 「貴方に振られて傷ついてるからに決まってるじゃない」
 
 トニは目を丸くして驚き、動かなくなった。この貧しい男の事が好きだと言ったのか耳を疑っていた。

 「何を見て……ザラは俺が好きになったんだ? 金もないし、身なりもこんなんだ」
 「何を言ってるの? 貴方は素晴らしいじゃない。こんなよくわからない女のお願いを聞いて、毎日必死に色々教えてくれて、温かい家と食事を与えて、だからと言って身体を要求してきたことは一度もない。あなた以上に素敵な男性はどこにもいないわ」
 
 トニが黙り込むと、ザラはまた隣国に向かって歩き出してしまった。
 慌ててトニは追いかけるが、ザラはトニの呼び掛けにも答えず黙って歩き続ける。トニはそんなザラを放っておく事も無理矢理止まらせる事も出来ずに、ただついて行くことしか出来なかった。
 
 日が落ちそうになる頃、やっとザラは歩みを止めた。
 
 目の前には大きな屋敷があり、その屋敷の主人であろう年配の男性と、妻らしき女性、そして小さな男の子が幸せそうに寄り添いながら屋敷の中に入っていく姿が見えた。

 「父と継母の間に跡取りの弟が生まれたの。父にとって待望の男児で、それはもう大切にしているわ」
 
 ザラは木陰から屋敷を眺めながら、その声は震えている。

 「私は継母から嫌われていたし、早々に嫁がせて家族三人で過ごしたかったようだけど、私が求婚者達を怒らせて中々結婚が出来なくて……」
 「ザラ……」
 「ある舞踏会で、ずっと憧れていたアントワーヌ王太子殿下がいらしたの。あの方となら愛のある温かい家庭が築けるのではないかと一人勝手に思って、早く嫁ぎ先を見つけなくてはいけない焦りと、それなら相手は王太子殿下がいいと思う欲に自分を止められなくて、無礼にも私から殿下に声をかけてしまって……」

 ザラの美しい瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。トニはザラを背中から抱きしめる。

 「王太子殿下に無礼を働く娘なんて、弟の将来を大切にしている父には害でしかないわ。いつかは出される家とは思っていたけど、でもまさか、文字通り服と食料だけ渡されて追い出されるとは思わなかった」
 
 やっとザラはトニに振り向き、目を合わせてくれた。

 「でも、それで良かったと心から思ってたの。愛し合えない家族といた時よりも何倍も幸せだったから。愛する人に出会えて温かい生活を過ごせたの……貴方の事よ」

 ザラはトニの唇にゆっくりと手の平の指先をあてる。

 「愛する貴方の唇から、私を妻と呼ぶ声がして、夢みたいだった。結局それは夢だったのだけど……」

 ザラの顔は涙でくしゃくしゃになり、トニを押して離し、また背を向けた。
 トニはザラの背中を先ほどとは比べ物にならない力できつく抱きしめて告白する。
 
 「ザラ、違うんだ! 今まで必死に気持ちを隠していた。君に振られてこの生活を終わらせたくなかったから。君とずっとずっと一緒にいたくて——」

 トニはザラを自分の方へと身体を向かせて、しっかりと目を合わせる。

 「勇気を出して言うよ……俺の……私の妻になってくれますか?」
 
 ザラは目を見開き、トニの瞳を見つめる。

 「ねえ、返事を頂戴? 貰えないと、俺の心臓が持たないよ」

 ザラは極度の緊張からか、紅潮した顔と固い動作でこっくりと頷いた。
 トニはザラの小柄な顔を両手で包み、顔を近づけてそっと囁く。

 「……キスしていい?」

 ザラは目を逸らしながらも頷いた。伏し目がちなザラのその目元には長いまつ毛がかかり、トニにはその表情が堪らなく色っぽく感じた。

 トニはゆっくりとザラに初めてのキスをする。唇が触れた瞬間、まるで身体中に電気でも走ったかのような感覚に襲われ、トニはザラから離れる事が出来なくなった。
 何とか正気に戻って唇を離し彼女と目を合わせれば、お互いに怒涛のように恥ずかしさが込み上げてきて顔を両手で隠す。
 二人ともお互いが顔を隠している事に気がつくと、くすくすと笑いがこぼれ出し、段々心拍数も落ち着いてきて、トニはザラの手を取り二人の家に向かって歩き出した。

 「ザラ、生活をもっと良くするために、領主様の城で働かないか? ちょうど使用人をやらないかと街の人に聞かれていたんだ」

 トニの暮らす場所の領主様とはアントワーヌ王太子殿下の事である。
 ザラは王太子に会いたくなかったが、王太子が下級使用人と顔を合わすことなど殆どないだろうし、会ってもこちらに気づくわけないと思い、二人の生活の為に了承した。
 歩きながらトニの横顔を見るたびに、若いのに白髪混じりのトニの髪の毛が目につき、その姿がなんだか苦労を物語っていて、ザラはもっともっと美味しいものを彼に食べさせてあげたかったのだ。

 帰路の途中で日が完全に暮れたので野宿をする事になり、翌日にやっと家に戻れると、トニはザラをベッドで休ませた。そして自分も疲れているはずなのに、彼は休む事なくすぐに領主様の城で働けるように手配しに出掛けて行った。

 その後、物乞いだったトニとザラは城で雇ってもらえることとなり、働くようになる。
 トニはうまやで、ザラは部屋の掃除係で、基本二人は城では会えない。仕事を終える時間もまちまちなので、終わった者が先に家に帰り夕食を作って待っている。

 ある日、ザラが城内の部屋の掃除を終えて廊下に出ると、アントワーヌ王太子とばったり再会する。もちろんいつ再会してもおかしくないとザラは思っていたので、気持ちの準備は出来ていた。

 「お久しぶりです、ザラ令嬢」

 ザラは王太子がこちらの事を覚えていたことに驚いた。王太子は、パーティーで会った時と随分印象が変わったように見える。きっと、みすぼらしい格好で使用人をしている自分の姿に同情しているのだろうとザラは思った。

 「お久しぶりです、アントワーヌ王太子殿下」

 ザラのカーテシーをする姿は、使用人の装いにも関わらず、淑女としての気品を十分に纏った美しいものであった。

 「ああ……貴方は本当に美しいですね。何故あのパーティーで気が付かなかったのでしょう。ザラ令嬢、まだチャンスがあれば、私の妃になってくださいませんか?」

 ザラは驚いて何度も瞬きをしながら王太子を見る。まさかこのタイミングで求婚されるとは予想外だった。

 「突然何を? 私の何を見てそんな事を言うのですか?」

 その何の前触れもない申し出は、怪しむ理由としては十分であった。ザラは顔つきを険しくして王太子を見ている。
 
 「貴方の内側から溢れ出る気品を見てです」

 王太子は真剣だった。
 だがザラは鼻で笑う。

 「私の事をよく知りもしないで……貴方も所詮、今まで求婚してきた男たちと同じで、私の見た目しか興味ない。しかもこれは同情ですか? 哀れな女を救うのが趣味ですか? 嗚呼ああ、昔の私は本当にあなたの事を見誤っていた。貴方のように立派な方なら、きっと私の内面を見てくれると信じていました……」

 ザラは背筋を伸ばし、品よく微笑む。その姿は堂々としたものだった。

 「アントワーヌ王太子殿下、身に余るお申し出に感謝致します。しかし、私には既に心から愛する夫がおります。世界一素晴らしい夫です。ですので、お断りいたします。そして、使用人も本日付けで退職いたします」

 ザラはアントワーヌ王太子に背を向けて、その場を去って行く。

 使用人の服を脱ぎ捨て、貧しい身なりへと戻り、足早に城を出た。
 
 ザラが今すぐに会いたいのは愛するトニ。彼女の内面と欠点全てを愛してくれる。彼女に生きるという事を教えてくれた。ザラは煌びやかで豊かな生活が恋しくないと言えば嘘になるが、それは贅沢な生活が恋しいのではなく、生まれ育った環境を懐かしく恋しいといった感情だ。でも、それを捨ててでもトニと一生を共に過ごしたいと思っている。

 トニに会いたくて会いたくて、ザラの足取りは早くなり、家に近づくにつれて駆け出していく。これは初恋の王太子を振ってやったから気持ちが高ぶっているのだろうか? それとも、あの王太子よりも恋しく思える相手に出会えた喜びだろうか?

 ザラは息を切らしながらみすぼらしい小屋の扉を開けると、そこにトニの姿はなかった。だがいつもとは違う光景に目を細める。

 「ここで何をしていらっしゃるの?」

 視線の先にいたのはアントワーヌ王太子だった。

 「君は、私が何も知らないって言ったけど、まったく知らないわけじゃない。君とずっとここで過ごして、どうしようもないくらい君に惹かれていったんだ」

 ザラは目を見開いて驚き、鼓動が速まる。

 何となく王太子が次に何を言い出すか予想がついてきた。

 愚かな予想を自分で潰すように王太子に聞いてみる。

 「まさか……でも、髪の色が……」

 王太子はテーブルの上に置かれたかつらを手に取り、被る。トニの白髪と思っていた髪は、かつらから飛び出た王太子の地毛だった。

 王太子がゆっくりと近づいてきて、ザラの頬に手を当てる。

 「しかも君は、王太子の求婚を袖にしてこんなところに戻ってくるとは……」

 王太子はザラの唇寸前まで顔を近づけて、囁く。

 「どこまで私を夢中にさせるんだ」

 王太子の唇がゆっくりとザラの唇に重なった時、トニと同じ感触がした。

 「トニ……」
 「ああ、そうだ」
 「なぜ?」
 「領主として、いずれ国王となる身ゆえ、民の暮らしを知るために、たまに紛れて暮らしていたんだ。そこに君が現れたんだよ」

 ザラは開いた口が塞がらなかった。胸の鼓動も止まらない。王太子が物乞いの姿をして国民の勉強とは……聞いていた通り王太子は勤勉だったが、勤勉にも程がある。
 
 アントワーヌ王太子がザラの前で跪き、ザラの左手を取る。

 「ザラ、改めて求婚する。私の妻になってもらえますか? そして私が王位に就いた時は、この国を共に治めて欲しい」

 アントワーヌ王太子はザラの薬指に指輪をはめた。

 「私が返事をする前に指輪をはめてますよ? それに、私はもうだいぶ前から貴方の妻です、トニ」

 アントワーヌ王太子は笑った。

 「そうだ、君は私の最愛の妻だ。指輪をするのに返事を待つ必要はないだろう?」

 ザラは薬指にはめられた指輪を見る。それは王家の紋章が刻まれた金の指輪であった。

 「もっと前に指輪を渡したかったのだけど、トニの姿じゃ渡せなかったから。さあ、では城に帰ろう、私の愛する妻。この国の王太子妃よ」

 
 ——のちに、二人は近隣諸国にも噂が届くほどのおしどり夫婦となる。もちろん、その諸国にはザラの実家がある国も含まれていた。

 二人はいつまでも愛し合い、互いを尊重し、城の畑を二人でいじって、たまにする喧嘩も楽しみながら、末長く幸せに暮らしたとさ。



Fin.
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みんなの感想(1件)

jane doe
2024.04.26 jane doe

久しぶりに子供の頃に夢中になった童話を読ませてもらった気分です。ありがとうございます!

桜枝 頌
2024.04.27 桜枝 頌

ご感想頂き大変うれしく思います。もっといい作品が書けるようになろうと励まされます!ありがとうございました。こちらの作品、「小説家になろう」様に投稿した後書きには書いていたのですが、グリム童話「つぐみひげの王様」をモチーフにしています。私はこの童話が大好きでした!

解除
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