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8. 兄と弟
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アロイスから贈られた菜園はまるでウェリントン家の菜園を再現したようだった。
毎朝この菜園に来るのが楽しみで、冬の凍えるような朝でも欠かさず来ては菜園の手入れをした。
「楽しそうだね」
作業に夢中になっていたら突然声を掛けられ、振り返るとルイス王子が寒そうに腕を抱えて立っていた。
「ルイス、おはよう。寒いならこっちに来て一緒にしましょう。身体が温まるわよ」
手袋をはめた土だらけの手で手招きすると、ルイスは白い息を吐きながら嬉しそうに笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
土いじりなんて王子様は嫌がるかと思ったけど、ルイスは意気揚々と私を手伝ってくれた。
「冬でも虫の害があるんだね」
「少なくはなるんだけど、冬は寒さで虫が隠れて見つけ辛くなるから、こうして葉の裏や根本を見て都度駆除していかないといけないの」
屈んで葉を裏返しながら確認する私の姿を、ルイスは横で一緒に屈んでにこにこと微笑みながら見ていた。
「ご令嬢が虫を探すなんて初めて見る光景だ」
「見てないで、ほら、ルイスも探して」
「ああ、はいはい」
「冬の野菜は寒さに耐えることで甘みが増すのよ」
「シルビアは本当にたくましいなあ……。ねえねえ、最初に収穫したのは私に食べさせてよ」
「最初の収穫物はアロイスに食べさせてあげる約束なの。でもルイスにもちゃんと食べさせてあげるからね」
「アロイス……。そうか、そうだよな。二人は婚約している」
最初の収穫野菜がそんなに食べたかったのか、ルイスの声のトーンが少し暗くなった気がしたが、すぐにいつもの明るい笑顔を向けてくれたので、気のせいだったと思うことにした。
ルイスは立ち上がり、菜園の端を指差した。
「あっちも見たいな」
「なら行ってみましょうか」
私は立ち上がろうとした瞬間、うしろによろけて倒れそうになる。
「おおおおおっと!」
咄嗟に手を前に伸ばしたが、掴むものはなく、その代わりルイスが軽々と私の腰を支えて助けてくれた。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。大丈夫よ」
ルイスは私の腰に回した腕と手をしばらく離さず、なぜか数秒間黙ってこちらを見つめていた。
「ルイス? もうちゃんと立てたわ。ありがとう」
「ああ、良かった」
ルイスはパッと私から離れた。
やはり成人男性の身体はたくましく、咄嗟のことでもあんなに軽々と倒れる人間を支えられることに感心した。
あの腕がアロイスだったら……。なぜかそんな事を想像してしまい、突然胸がトクトクとおかしなことになってきた。
「ほら、行こうよ」
ルイスの声で我に返り、手袋を外して道具を物置に片したら、菜園の端へと向かって二人で歩き出す。
「ねえ、いつの間に兄上をアロイスと呼ぶように?」
「え? ああ、少し前からかしら」
「それはシルビアから言い始めたの?」
「そっ、そんな恐れ多い事、自分から言い始めるわけないじゃない」
「だよね。やっぱり兄上がそう呼ばせてるんだね」
「呼ばせてるって言い方だと何だか違う気もするけど……」
ルイスは突然コートを脱いで私の肩に掛けた。
「菜園の作業を終えたら急に体が冷えた」
「え? じゃあルイスが着ておくべきよ」
「シルビアの身体の方が大事だ」
「何言ってるのよ。王子の身分の方が大切に決まってるじゃない」
「ははは、そんなことないよ。じゃあ、こうしない?」
「何?」
「私は身体を温める運動をしよう」
そう言ってルイスは私の肩と両足を掴み、軽々と持ち上げて歩き始めた。
「ルッ、ルイスッ!? 恥ずかしいからっ! こんなの誰かに見られたら誤解を招く! 降ろして!」
「嫌だね」
ルイスはケラケラ笑いながら私を抱きかかえて歩く。そして時折王宮の方をちらちらと気にして見ていた。
「ルイス、本当に降ろして。私そろそろルイーザ王女とお約束の時間なの」
「ああ、王太子妃になるための教育か」
「そうよ」
「もういっそ王太子妃になるのをやめたらいいんじゃない?」
「何言ってるのよ。人の事はいいから、ルイスもそろそろ婚約者探しなさいよ。マーレーン伯爵のラヴィニア嬢は? 貴方に恋をしているし、とても可愛らしいわよ?」
「ラヴィニア嬢? 興味ないね」
「きっと会えば興味を持てるわよ。社交シーズンが始まったら紹介するから」
ルイスは立ち止まり、私をゆっくりと降ろした。
「王宮に戻ろう。姉上に会うには手を洗って、ちゃんとしたドレスに着替えないと」
急にルイスはそっけなくなり、先に王宮へと歩き始めてしまった。
私はルイスのコートを脱ぎながら後を追う。
「ルイス、このコート」
ルイスは振り返ることなく返事をした。
「それは部屋まで着ておいて。あとで誰かに君の元まで取りに行かせる」
ルイスは何を考えているのかわからない。でも今は何だかルイスに声を掛けてはいけないような気がして、少し距離をあけてルイスの後ろをついて行った。
王宮に近づくにつれ、こちらを見て立つ二つの人影に気が付く。
「アロイス……?」
人影は私を、というよりも、ルイスを睨みつけているアロイスと、侍従のユルゲンの姿だった。
アロイスの前まで辿り着くと、ルイスは嬉しそうに両手を広げた。
「これは兄上、お仕事はよろしいのですか?」
「お前が挑発してたんだろ」
「何のことやら。しかし兄上は窓からずっとこちらを見ていたという事ですか?」
「見ていたのではない。目に入ったんだ」
侍従のユルゲンは私に近づいてきて、私が手に持つルイス王子のコートを、目で渡すように訴えてくる。
私はユルゲンにコートを預けると、彼はゆっくりと二人の王子のもとまで戻り、ルイス王子にコートを差し出した。
ルイス王子がユルゲンの手から荒々しくコートを取って羽織っていれば、今度は王宮の中からルイーザ王女までも出てきた。
「見苦しい姿を見せるのは今すぐやめなさい」
ルイーザ王女の声でその場の空気がより一層凍てついた。
「ルイスは公の行事以外でも人目のある時はアロイスの事は王太子殿下とお呼びなさい。殿下は今は国王の正式な代理です」
ルイーザ王女は続けてアロイスの方を見る。王太子への敬意は表しながらも、その顔は姉が弟に怒る表情であった。
「王太子殿下、午後に来客の予定があるのでそれまでにお仕事を終わらせてください」
二人の王子はお互いに目も合わせず、黙って王宮の中へと戻って行く。
残された私にルイーザ王女の氷のような視線が突き刺さった。
「シルビア嬢、少し早いですが、すぐに授業を始めます」
「はい……」
私は、菜園作業の疲労で少し眩暈がしたが、何とかルイーザ王女の後をついて行った。
毎朝この菜園に来るのが楽しみで、冬の凍えるような朝でも欠かさず来ては菜園の手入れをした。
「楽しそうだね」
作業に夢中になっていたら突然声を掛けられ、振り返るとルイス王子が寒そうに腕を抱えて立っていた。
「ルイス、おはよう。寒いならこっちに来て一緒にしましょう。身体が温まるわよ」
手袋をはめた土だらけの手で手招きすると、ルイスは白い息を吐きながら嬉しそうに笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
土いじりなんて王子様は嫌がるかと思ったけど、ルイスは意気揚々と私を手伝ってくれた。
「冬でも虫の害があるんだね」
「少なくはなるんだけど、冬は寒さで虫が隠れて見つけ辛くなるから、こうして葉の裏や根本を見て都度駆除していかないといけないの」
屈んで葉を裏返しながら確認する私の姿を、ルイスは横で一緒に屈んでにこにこと微笑みながら見ていた。
「ご令嬢が虫を探すなんて初めて見る光景だ」
「見てないで、ほら、ルイスも探して」
「ああ、はいはい」
「冬の野菜は寒さに耐えることで甘みが増すのよ」
「シルビアは本当にたくましいなあ……。ねえねえ、最初に収穫したのは私に食べさせてよ」
「最初の収穫物はアロイスに食べさせてあげる約束なの。でもルイスにもちゃんと食べさせてあげるからね」
「アロイス……。そうか、そうだよな。二人は婚約している」
最初の収穫野菜がそんなに食べたかったのか、ルイスの声のトーンが少し暗くなった気がしたが、すぐにいつもの明るい笑顔を向けてくれたので、気のせいだったと思うことにした。
ルイスは立ち上がり、菜園の端を指差した。
「あっちも見たいな」
「なら行ってみましょうか」
私は立ち上がろうとした瞬間、うしろによろけて倒れそうになる。
「おおおおおっと!」
咄嗟に手を前に伸ばしたが、掴むものはなく、その代わりルイスが軽々と私の腰を支えて助けてくれた。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。大丈夫よ」
ルイスは私の腰に回した腕と手をしばらく離さず、なぜか数秒間黙ってこちらを見つめていた。
「ルイス? もうちゃんと立てたわ。ありがとう」
「ああ、良かった」
ルイスはパッと私から離れた。
やはり成人男性の身体はたくましく、咄嗟のことでもあんなに軽々と倒れる人間を支えられることに感心した。
あの腕がアロイスだったら……。なぜかそんな事を想像してしまい、突然胸がトクトクとおかしなことになってきた。
「ほら、行こうよ」
ルイスの声で我に返り、手袋を外して道具を物置に片したら、菜園の端へと向かって二人で歩き出す。
「ねえ、いつの間に兄上をアロイスと呼ぶように?」
「え? ああ、少し前からかしら」
「それはシルビアから言い始めたの?」
「そっ、そんな恐れ多い事、自分から言い始めるわけないじゃない」
「だよね。やっぱり兄上がそう呼ばせてるんだね」
「呼ばせてるって言い方だと何だか違う気もするけど……」
ルイスは突然コートを脱いで私の肩に掛けた。
「菜園の作業を終えたら急に体が冷えた」
「え? じゃあルイスが着ておくべきよ」
「シルビアの身体の方が大事だ」
「何言ってるのよ。王子の身分の方が大切に決まってるじゃない」
「ははは、そんなことないよ。じゃあ、こうしない?」
「何?」
「私は身体を温める運動をしよう」
そう言ってルイスは私の肩と両足を掴み、軽々と持ち上げて歩き始めた。
「ルッ、ルイスッ!? 恥ずかしいからっ! こんなの誰かに見られたら誤解を招く! 降ろして!」
「嫌だね」
ルイスはケラケラ笑いながら私を抱きかかえて歩く。そして時折王宮の方をちらちらと気にして見ていた。
「ルイス、本当に降ろして。私そろそろルイーザ王女とお約束の時間なの」
「ああ、王太子妃になるための教育か」
「そうよ」
「もういっそ王太子妃になるのをやめたらいいんじゃない?」
「何言ってるのよ。人の事はいいから、ルイスもそろそろ婚約者探しなさいよ。マーレーン伯爵のラヴィニア嬢は? 貴方に恋をしているし、とても可愛らしいわよ?」
「ラヴィニア嬢? 興味ないね」
「きっと会えば興味を持てるわよ。社交シーズンが始まったら紹介するから」
ルイスは立ち止まり、私をゆっくりと降ろした。
「王宮に戻ろう。姉上に会うには手を洗って、ちゃんとしたドレスに着替えないと」
急にルイスはそっけなくなり、先に王宮へと歩き始めてしまった。
私はルイスのコートを脱ぎながら後を追う。
「ルイス、このコート」
ルイスは振り返ることなく返事をした。
「それは部屋まで着ておいて。あとで誰かに君の元まで取りに行かせる」
ルイスは何を考えているのかわからない。でも今は何だかルイスに声を掛けてはいけないような気がして、少し距離をあけてルイスの後ろをついて行った。
王宮に近づくにつれ、こちらを見て立つ二つの人影に気が付く。
「アロイス……?」
人影は私を、というよりも、ルイスを睨みつけているアロイスと、侍従のユルゲンの姿だった。
アロイスの前まで辿り着くと、ルイスは嬉しそうに両手を広げた。
「これは兄上、お仕事はよろしいのですか?」
「お前が挑発してたんだろ」
「何のことやら。しかし兄上は窓からずっとこちらを見ていたという事ですか?」
「見ていたのではない。目に入ったんだ」
侍従のユルゲンは私に近づいてきて、私が手に持つルイス王子のコートを、目で渡すように訴えてくる。
私はユルゲンにコートを預けると、彼はゆっくりと二人の王子のもとまで戻り、ルイス王子にコートを差し出した。
ルイス王子がユルゲンの手から荒々しくコートを取って羽織っていれば、今度は王宮の中からルイーザ王女までも出てきた。
「見苦しい姿を見せるのは今すぐやめなさい」
ルイーザ王女の声でその場の空気がより一層凍てついた。
「ルイスは公の行事以外でも人目のある時はアロイスの事は王太子殿下とお呼びなさい。殿下は今は国王の正式な代理です」
ルイーザ王女は続けてアロイスの方を見る。王太子への敬意は表しながらも、その顔は姉が弟に怒る表情であった。
「王太子殿下、午後に来客の予定があるのでそれまでにお仕事を終わらせてください」
二人の王子はお互いに目も合わせず、黙って王宮の中へと戻って行く。
残された私にルイーザ王女の氷のような視線が突き刺さった。
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「はい……」
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