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28. 王太子の仮初めの婚約者
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マーレーン伯爵からの提案にアロイスは理解できず、戸惑っている。
「何を言い出すんだ、お前は? そんな見境の無い話ないだろ」
マーレーン伯爵はアロイス王太子の勢いに陰りが出たのを感じ取り、調子を上げてきた。
「殿下はラヴィニアとご婚約ください。そして、シルビアはルイス王子と。それであれば、養子縁組は白紙にせず、持参金も払いましょう。彼女の親族に伯爵位以上の者はこの私しかいない。私しか彼女が王家と結婚できる資格を与えられる者はいない。あなたがこの条件を飲めば、シルビアは生涯恵まれた環境で生活が出来、かつ、あなたもシルビアのそばにいられる最高の条件です」
「お前、腐ってるな」
マーレーン伯爵はアロイスの言葉に苦々しい表情を見せて鼻で笑った。
「小僧には世の中がまだわかっていない。一族の長は時には冷酷にならなくてはいけないもの。さあ、どうする? シルビアを劣悪な修道院に入れるか、あなたの信頼するルイス王子の元に嫁がせるか」
アロイスも、ルイスも、追い詰められた表情をしている。こんな事決断出来るわけがない。二人には私を修道院に行かせる判断は出来ないだろう。アロイスには背負う大きな責務がある。私を切り捨てれば、マーレーン伯爵に脅されることなく、いくらでも婚約者に相応しい令嬢が現れるだろう。
私が決断しなければ……。
そう思って声を上げようとした時、扉が開いた。そこにはルイーザ王女とバラド国王がおり、ユルゲンを従えていた。
「アロイス、ラヴィニア嬢と婚約を。ルイス、あなたはシルビア嬢と婚約なさい。ユルゲン、すぐに婚約破棄の書類と、婚約誓約書、それと証人となる大司教をお呼びして」
「姉上! 何を——」
「これが今選択できる最善の選択です。それともシルビア嬢に惨めな余生を送らせる? その剣も収めなさい。他の貴族が見たらあなたの評判を下げる」
ルイーザ王女はいつになく険しい顔つきだった。
ユルゲンと大司教が部屋に入ってきて、すぐに婚約破棄と、新たな婚約が成立した。マーレーン伯爵が満足そうなのは当たり前だが、ラヴィニアまでも大喜びであった。
「ラヴィニア嬢……あなたはルイス王子に一目惚れをしたのではなかったかしら……?」
私は思わず聞いてしまった。
「え? ああ、ええ、ルイス王子は素敵よ。でもまさかアロイス王太子殿下があんなに麗しい方だったなんて……」
そう言って頬を染めてアロイスを見つめるラヴィニアに呆れてしまった。まさか、広間でルイスにアテンドされながら、こんな表情や発言を直接ルイスにしていたのではないかと思うと、ふつふつと怒りが湧いた。
「まさかルイス王子にそれを言ってませんよね?」
「え? さあ、どうだったかしら? 私だってルイス王子と婚約できなかったのは残念よ。でもこれが貴族の結婚なんだから仕方ないでしょ? 自分がアロイス王太子殿下と結婚出来ないからって、私にあたらないでくれる」
そうだ。この子はこういう子だ。まともに話してもこちらの心が搔き乱されて、嫌な思いをするだけ。
アロイスに目を向けると、額に手をあててうなだれていた。そこにルイーザ王女が近づき、声を掛ける。
「アロイス、話があります。来なさい」
「公では姉であろうと王太子殿下だ」
アロイスが珍しくルイーザ王女に牙を向けて反抗的になっている。だが、結局ルイーザ王女とバラド国王に違う部屋に連れて行かれてしまった。
マーレーン伯爵もラヴィニアを連れて部屋を出て行こうとする。だがその前に私の元まで上機嫌でやって来た。
「ルイス王子と結婚して、女児を沢山産め」
開口一番に放たれた言葉に唖然とする。
「……何をおっしゃってるかが解かりかねます」
「王族の娘は政治取引に使える。お前をルイス王子と婚約させたのはそのためだ。売れる娘を産め」
「あなたは女を何だと思っているんですか」
マーレーン伯爵の次から次へと出される発言に、吐き気を催すほどの嫌悪感に苛まれた。
「お前はそもそも王太子の仮初めの婚約者だ。王太子が成長して子を成せるようになったなら、お前の婚約者としての出番は終わりだろ」
ラヴィニアが横でくすりと笑ったのが聞こえた。
「ちゃんとお前の目的も達成できるよう、代わりにルイス王子と婚約させてやったじゃないか。そんな目で見てないで感謝するべきだ」
そう、この婚約は当初は私も打算的な考えで承諾している。ウェリントン家を再興するため。
マーレーン伯爵の口車に乗った時点で、利用されるのはわかっていた。でも、私はアロイスを愛してしまったし、伯爵に抗う日が来るとすれば結婚後だと思っていた。
アロイスとなら乗り越えられる。伯爵にだって対抗出来る。そう信じていたのに……その前に壊されてしまうなんて。
黙る私を置いたまま、マーレーン伯爵とラヴィニアは部屋から出て行った。
私の肩に優しい温もりを感じた。振り返れば、ルイスが私の肩に手を乗せて、苦しそうに微笑んでいた。
「兄上と君に結婚して欲しかった。本当だ。その為にもラヴィニアとの婚約も進めようとしてた……」
「ええ、ルイス。わかってる。本当にありがとう」
ルイスは私を抱きしめて、私の肩で涙を流している。
「ルイス? 泣かないで」
「ごめん。しばらくこのままで……」
私はルイスの背中をさすってあげる。
「兄上が広間に現れた瞬間、ラヴィニアの関心は兄上にしかなかった。周りを見れば、あんなに私に手紙や姿絵を送ってきていた令嬢達が、皆完璧に成長した兄上を見て夢中になっていた。そして、その短い時間だけで、マーレーン伯爵に婚約前提だった付き合いの白紙を言い渡された。スペアの私の役割は終わったんだ……」
「ルイス……」
「こんな状況になって、真っ先に考えてあげるべきは君と兄上の気持ちなのに……自分の感情ばかりが湧きあがって、更に嫌になっている。本当に……私は……クズだ」
ラヴィニアとマーレーン伯爵がルイスに取った態度など容易に想像がつく。もし目の当たりにしていたら、私もアロイスも憤慨しただろう。元々傷つきやすいルイスには耐えがたかったはず。
私はしばらくルイスの背中をさすったり、優しく叩いてあげて落ち着かせる。何か気持ちが晴れる話題に変えようと、ルイスの大切な友人の事を聞いてみた。
「ルイス、そうだ、あなたの親友の話を聞かせて。いつか紹介してくれるって言っていたあの人」
ルイスは突然泣き止み、私の肩を握ったまま顔を上げた。
「アルタン! そうだ、今何時だ?」
「アルタン?」
「そう、彼女の名前がアルタン。今夜迎えに行く約束なんだ。しまった、すぐに行かないと」
「まって、ルイス。アルタン? その名前、ハイステップの人間なの?」
「そうだ。詳しくはあとで話すから、行かなきゃ」
「待って、私も行く」
「え?」
「連れて行って。紹介してくれる約束よ。それは今日がいい」
「あ、ああ……よし、わかった。急ごう」
私とルイスは急いで馬を走らせて王都の酒場へ向かって行った。ルイスはこの様子だと“アルタン”の名に気が付いていない。私の勘違いの可能性もある。だが、とにかく一緒に行って確認しなくては……。
♢
ルイーザ王女は、アロイス王太子とバラド国王をルイ国王の部屋に連れて行った。
「国王陛下、お加減はいかがですか?」
ベッドで眠る国王は、相変わらずぴくりとも動かない。ルイーザ王女は溜息をこぼし、二人を連れて寝室から出て、隣の執務室へ移る。王太子とバラド国王はソファに座り、ルイーザ王女は窓際に立ち、外を眺めている。
ルイーザ王女の視線の先には、馬を走らせて王宮を出て行くルイス王子とシルビアの姿が見えていた。
「アロイス」
「王太子殿下だ」
アロイス王太子はルイーザ王女の目を一切見ようとしない。
「いいえ、アロイス、聞きなさい。ラヴィニア嬢は仮初めの婚約者」
「仮初めの婚約者?」
やっとアロイス王太子は顔を上げてルイーザ王女を見た。
「そう、結婚はしない。とにかく書類だけで時間が稼げるなら、今はマーレーン伯爵の言う通りにしてあいつを泳がせなさい」
「だが、時間を稼いで何をすれば」
「あなたはルイスとシルビアを追いかけるの」
「姉上?」
ルイーザ王女は扉に近づいて行き、ユルゲンを部屋に入れる。
「ユルゲン、話しなさい」
「は」
ユルゲンはアロイス王太子に身体を向け、報告を始める。
「ルイス王子の侍従をしていた際、気になることがあり、私が殿下の元に戻った後は別の者に隠密の護衛をさせていました。ルイス王子はハイステップの人間と毎晩のように会っております」
「国交がないハイステップの人間と? あいつは何を考えているんだ」
「それが、マーレーン伯爵の密輸の問題が関係しております」
「密輸? マーレーン伯爵が?」
「はい。ルイス王子はマーレーン伯爵の家から密輸に関する裏帳簿を持ち出し、ハイステップの人間に渡しました。その者はそれを持って今夜殿下の元に来る予定だったのですが……」
「予定だったが? どうした」
「ハイステップの人間は本日マーレーン伯爵の指示を受けた者によって捕まっておりました。おそらく伯爵はルイス王子が証拠を持ち出していたことも承知です」
アロイス王太子は大きな溜息をついて額をおさえた。
「ルイス……あいつは……ユルゲンもなぜ黙っていた」
それにはルイーザ王女が答える。
「ユルゲンをルイスの侍従にしたのは私です。なのでルイスの件に関しては私がユルゲンを管轄していました。あなたが目覚めた後も、この件はあなたが目覚める前に起きた事なので引き続き私が対応していたのです。それで、あなたに報告するタイミングは私が指示するとユルゲンに伝えていた為、ユルゲンはあなたに伝える時期を待っていました」
アロイス王太子はため息をついてユルゲンを見る。
「では、ユルゲンは今後は私以外の人間の指示は受けないように」
「承知いたしました」
ルイーザ王女は話を続ける。
「ルイスにハイステップの者が捕まったと伝えようと彼を探していましたが、まさかこんな展開になるとは私も思いませんでした。アロイス、さきほどルイスとシルビアが馬で出かけました。王都の酒場に向かっているはずです。すぐに支度をして追いかけなさい」
「姉上、追いかけて、その後は?」
ルイーザ王女はバラド国王を一瞥し、唇を噛み締める。
「国王は目覚めた」
ルイーザ王女は突然そらごとを言い出す。
「いえ、目覚めては……」
当然、アロイス王太子もバラド国王も困惑していた。
「目覚めた事にします。国政は私が代理で行っておきますので、あなたはルイスと共にこのまま王宮を出なさい。ハイステップまで行けば、あちら側の裏帳簿があるはずです。取引相手は既にルイスと酒場にいたハイステップの者が帳簿を見てわかっているはず」
「姉上!?」
驚くアロイス王太子と、目を見開いてルイーザ王女を見るバラド国王がいた。
「ルイーザ……」
ルイーザ王女にはバラド国王が自分の名を呼ぶ声が聞こえていたが、彼をまともに見れなかった。
「国王はきっとこの日の為に生きていてくださった。亡くなっていないなら、この国の統治者は国王陛下。目覚めたことにすれば、あなたが少しの間王宮を離れても問題はない」
「しかし、姉上は」
「私も行き遅れた甲斐があります。国王が国政を行っているかのように上手く取り繕っておきますので、見つかる前に、あなたとルイス、そしてシルビア嬢でマーレーン伯爵を追い詰める解決策を見つけて帰ってきなさい」
「姉上……」
「これは王太子の責務を放棄しているのではなく、責務を果たすのに必要な行動です。マーレーン伯爵の不正を暴き、国民に必要となる妃を迎え入れるのです。そしてあなたも……」
「私も……?」
「王太子であろうと、アロイスとして幸せになる権利があります。足掻きなさい」
バラド国王が立ち上がった。
「王太子、行くぞ」
「バラド国王?」
「王太子をルイス王子の元へ送り届けたら、私はそのままアウルムへ戻る」
バラド国王はアロイス王太子に話しかけながらも、ルイーザ王女を見つめていた。
「バラド……」
バラド国王はルイーザ王女のもとに近づき、愛おしそうに髪に触れる。不意に頬にあたる指が熱く、ルイーザ王女の胸を焦がした。
「ルイーザ、伝えていなかったことがある」
「なに?」
「お前を愛している」
「私は……バラド……今はまだやるべき事があってアウルムへは行けない」
「問題ない。待つのは得意だ」
バラド国王はルイーザ王女の髪にキスをしてから、アロイス王太子、ユルゲンと共に部屋を出て行った。
ルイーザ王女は窓際に立ち、外を見て待つ。暫くしてから、アロイス王太子とバラド国王、そしてジルベールとユルゲンらしきフードを深く被った男達が馬を走らせて出て行く様子が見えた。
締め付けられる胸をおさえながら、バラド国王の姿が見えなくなるまで、窓の外を見つめ続けていた。
「何を言い出すんだ、お前は? そんな見境の無い話ないだろ」
マーレーン伯爵はアロイス王太子の勢いに陰りが出たのを感じ取り、調子を上げてきた。
「殿下はラヴィニアとご婚約ください。そして、シルビアはルイス王子と。それであれば、養子縁組は白紙にせず、持参金も払いましょう。彼女の親族に伯爵位以上の者はこの私しかいない。私しか彼女が王家と結婚できる資格を与えられる者はいない。あなたがこの条件を飲めば、シルビアは生涯恵まれた環境で生活が出来、かつ、あなたもシルビアのそばにいられる最高の条件です」
「お前、腐ってるな」
マーレーン伯爵はアロイスの言葉に苦々しい表情を見せて鼻で笑った。
「小僧には世の中がまだわかっていない。一族の長は時には冷酷にならなくてはいけないもの。さあ、どうする? シルビアを劣悪な修道院に入れるか、あなたの信頼するルイス王子の元に嫁がせるか」
アロイスも、ルイスも、追い詰められた表情をしている。こんな事決断出来るわけがない。二人には私を修道院に行かせる判断は出来ないだろう。アロイスには背負う大きな責務がある。私を切り捨てれば、マーレーン伯爵に脅されることなく、いくらでも婚約者に相応しい令嬢が現れるだろう。
私が決断しなければ……。
そう思って声を上げようとした時、扉が開いた。そこにはルイーザ王女とバラド国王がおり、ユルゲンを従えていた。
「アロイス、ラヴィニア嬢と婚約を。ルイス、あなたはシルビア嬢と婚約なさい。ユルゲン、すぐに婚約破棄の書類と、婚約誓約書、それと証人となる大司教をお呼びして」
「姉上! 何を——」
「これが今選択できる最善の選択です。それともシルビア嬢に惨めな余生を送らせる? その剣も収めなさい。他の貴族が見たらあなたの評判を下げる」
ルイーザ王女はいつになく険しい顔つきだった。
ユルゲンと大司教が部屋に入ってきて、すぐに婚約破棄と、新たな婚約が成立した。マーレーン伯爵が満足そうなのは当たり前だが、ラヴィニアまでも大喜びであった。
「ラヴィニア嬢……あなたはルイス王子に一目惚れをしたのではなかったかしら……?」
私は思わず聞いてしまった。
「え? ああ、ええ、ルイス王子は素敵よ。でもまさかアロイス王太子殿下があんなに麗しい方だったなんて……」
そう言って頬を染めてアロイスを見つめるラヴィニアに呆れてしまった。まさか、広間でルイスにアテンドされながら、こんな表情や発言を直接ルイスにしていたのではないかと思うと、ふつふつと怒りが湧いた。
「まさかルイス王子にそれを言ってませんよね?」
「え? さあ、どうだったかしら? 私だってルイス王子と婚約できなかったのは残念よ。でもこれが貴族の結婚なんだから仕方ないでしょ? 自分がアロイス王太子殿下と結婚出来ないからって、私にあたらないでくれる」
そうだ。この子はこういう子だ。まともに話してもこちらの心が搔き乱されて、嫌な思いをするだけ。
アロイスに目を向けると、額に手をあててうなだれていた。そこにルイーザ王女が近づき、声を掛ける。
「アロイス、話があります。来なさい」
「公では姉であろうと王太子殿下だ」
アロイスが珍しくルイーザ王女に牙を向けて反抗的になっている。だが、結局ルイーザ王女とバラド国王に違う部屋に連れて行かれてしまった。
マーレーン伯爵もラヴィニアを連れて部屋を出て行こうとする。だがその前に私の元まで上機嫌でやって来た。
「ルイス王子と結婚して、女児を沢山産め」
開口一番に放たれた言葉に唖然とする。
「……何をおっしゃってるかが解かりかねます」
「王族の娘は政治取引に使える。お前をルイス王子と婚約させたのはそのためだ。売れる娘を産め」
「あなたは女を何だと思っているんですか」
マーレーン伯爵の次から次へと出される発言に、吐き気を催すほどの嫌悪感に苛まれた。
「お前はそもそも王太子の仮初めの婚約者だ。王太子が成長して子を成せるようになったなら、お前の婚約者としての出番は終わりだろ」
ラヴィニアが横でくすりと笑ったのが聞こえた。
「ちゃんとお前の目的も達成できるよう、代わりにルイス王子と婚約させてやったじゃないか。そんな目で見てないで感謝するべきだ」
そう、この婚約は当初は私も打算的な考えで承諾している。ウェリントン家を再興するため。
マーレーン伯爵の口車に乗った時点で、利用されるのはわかっていた。でも、私はアロイスを愛してしまったし、伯爵に抗う日が来るとすれば結婚後だと思っていた。
アロイスとなら乗り越えられる。伯爵にだって対抗出来る。そう信じていたのに……その前に壊されてしまうなんて。
黙る私を置いたまま、マーレーン伯爵とラヴィニアは部屋から出て行った。
私の肩に優しい温もりを感じた。振り返れば、ルイスが私の肩に手を乗せて、苦しそうに微笑んでいた。
「兄上と君に結婚して欲しかった。本当だ。その為にもラヴィニアとの婚約も進めようとしてた……」
「ええ、ルイス。わかってる。本当にありがとう」
ルイスは私を抱きしめて、私の肩で涙を流している。
「ルイス? 泣かないで」
「ごめん。しばらくこのままで……」
私はルイスの背中をさすってあげる。
「兄上が広間に現れた瞬間、ラヴィニアの関心は兄上にしかなかった。周りを見れば、あんなに私に手紙や姿絵を送ってきていた令嬢達が、皆完璧に成長した兄上を見て夢中になっていた。そして、その短い時間だけで、マーレーン伯爵に婚約前提だった付き合いの白紙を言い渡された。スペアの私の役割は終わったんだ……」
「ルイス……」
「こんな状況になって、真っ先に考えてあげるべきは君と兄上の気持ちなのに……自分の感情ばかりが湧きあがって、更に嫌になっている。本当に……私は……クズだ」
ラヴィニアとマーレーン伯爵がルイスに取った態度など容易に想像がつく。もし目の当たりにしていたら、私もアロイスも憤慨しただろう。元々傷つきやすいルイスには耐えがたかったはず。
私はしばらくルイスの背中をさすったり、優しく叩いてあげて落ち着かせる。何か気持ちが晴れる話題に変えようと、ルイスの大切な友人の事を聞いてみた。
「ルイス、そうだ、あなたの親友の話を聞かせて。いつか紹介してくれるって言っていたあの人」
ルイスは突然泣き止み、私の肩を握ったまま顔を上げた。
「アルタン! そうだ、今何時だ?」
「アルタン?」
「そう、彼女の名前がアルタン。今夜迎えに行く約束なんだ。しまった、すぐに行かないと」
「まって、ルイス。アルタン? その名前、ハイステップの人間なの?」
「そうだ。詳しくはあとで話すから、行かなきゃ」
「待って、私も行く」
「え?」
「連れて行って。紹介してくれる約束よ。それは今日がいい」
「あ、ああ……よし、わかった。急ごう」
私とルイスは急いで馬を走らせて王都の酒場へ向かって行った。ルイスはこの様子だと“アルタン”の名に気が付いていない。私の勘違いの可能性もある。だが、とにかく一緒に行って確認しなくては……。
♢
ルイーザ王女は、アロイス王太子とバラド国王をルイ国王の部屋に連れて行った。
「国王陛下、お加減はいかがですか?」
ベッドで眠る国王は、相変わらずぴくりとも動かない。ルイーザ王女は溜息をこぼし、二人を連れて寝室から出て、隣の執務室へ移る。王太子とバラド国王はソファに座り、ルイーザ王女は窓際に立ち、外を眺めている。
ルイーザ王女の視線の先には、馬を走らせて王宮を出て行くルイス王子とシルビアの姿が見えていた。
「アロイス」
「王太子殿下だ」
アロイス王太子はルイーザ王女の目を一切見ようとしない。
「いいえ、アロイス、聞きなさい。ラヴィニア嬢は仮初めの婚約者」
「仮初めの婚約者?」
やっとアロイス王太子は顔を上げてルイーザ王女を見た。
「そう、結婚はしない。とにかく書類だけで時間が稼げるなら、今はマーレーン伯爵の言う通りにしてあいつを泳がせなさい」
「だが、時間を稼いで何をすれば」
「あなたはルイスとシルビアを追いかけるの」
「姉上?」
ルイーザ王女は扉に近づいて行き、ユルゲンを部屋に入れる。
「ユルゲン、話しなさい」
「は」
ユルゲンはアロイス王太子に身体を向け、報告を始める。
「ルイス王子の侍従をしていた際、気になることがあり、私が殿下の元に戻った後は別の者に隠密の護衛をさせていました。ルイス王子はハイステップの人間と毎晩のように会っております」
「国交がないハイステップの人間と? あいつは何を考えているんだ」
「それが、マーレーン伯爵の密輸の問題が関係しております」
「密輸? マーレーン伯爵が?」
「はい。ルイス王子はマーレーン伯爵の家から密輸に関する裏帳簿を持ち出し、ハイステップの人間に渡しました。その者はそれを持って今夜殿下の元に来る予定だったのですが……」
「予定だったが? どうした」
「ハイステップの人間は本日マーレーン伯爵の指示を受けた者によって捕まっておりました。おそらく伯爵はルイス王子が証拠を持ち出していたことも承知です」
アロイス王太子は大きな溜息をついて額をおさえた。
「ルイス……あいつは……ユルゲンもなぜ黙っていた」
それにはルイーザ王女が答える。
「ユルゲンをルイスの侍従にしたのは私です。なのでルイスの件に関しては私がユルゲンを管轄していました。あなたが目覚めた後も、この件はあなたが目覚める前に起きた事なので引き続き私が対応していたのです。それで、あなたに報告するタイミングは私が指示するとユルゲンに伝えていた為、ユルゲンはあなたに伝える時期を待っていました」
アロイス王太子はため息をついてユルゲンを見る。
「では、ユルゲンは今後は私以外の人間の指示は受けないように」
「承知いたしました」
ルイーザ王女は話を続ける。
「ルイスにハイステップの者が捕まったと伝えようと彼を探していましたが、まさかこんな展開になるとは私も思いませんでした。アロイス、さきほどルイスとシルビアが馬で出かけました。王都の酒場に向かっているはずです。すぐに支度をして追いかけなさい」
「姉上、追いかけて、その後は?」
ルイーザ王女はバラド国王を一瞥し、唇を噛み締める。
「国王は目覚めた」
ルイーザ王女は突然そらごとを言い出す。
「いえ、目覚めては……」
当然、アロイス王太子もバラド国王も困惑していた。
「目覚めた事にします。国政は私が代理で行っておきますので、あなたはルイスと共にこのまま王宮を出なさい。ハイステップまで行けば、あちら側の裏帳簿があるはずです。取引相手は既にルイスと酒場にいたハイステップの者が帳簿を見てわかっているはず」
「姉上!?」
驚くアロイス王太子と、目を見開いてルイーザ王女を見るバラド国王がいた。
「ルイーザ……」
ルイーザ王女にはバラド国王が自分の名を呼ぶ声が聞こえていたが、彼をまともに見れなかった。
「国王はきっとこの日の為に生きていてくださった。亡くなっていないなら、この国の統治者は国王陛下。目覚めたことにすれば、あなたが少しの間王宮を離れても問題はない」
「しかし、姉上は」
「私も行き遅れた甲斐があります。国王が国政を行っているかのように上手く取り繕っておきますので、見つかる前に、あなたとルイス、そしてシルビア嬢でマーレーン伯爵を追い詰める解決策を見つけて帰ってきなさい」
「姉上……」
「これは王太子の責務を放棄しているのではなく、責務を果たすのに必要な行動です。マーレーン伯爵の不正を暴き、国民に必要となる妃を迎え入れるのです。そしてあなたも……」
「私も……?」
「王太子であろうと、アロイスとして幸せになる権利があります。足掻きなさい」
バラド国王が立ち上がった。
「王太子、行くぞ」
「バラド国王?」
「王太子をルイス王子の元へ送り届けたら、私はそのままアウルムへ戻る」
バラド国王はアロイス王太子に話しかけながらも、ルイーザ王女を見つめていた。
「バラド……」
バラド国王はルイーザ王女のもとに近づき、愛おしそうに髪に触れる。不意に頬にあたる指が熱く、ルイーザ王女の胸を焦がした。
「ルイーザ、伝えていなかったことがある」
「なに?」
「お前を愛している」
「私は……バラド……今はまだやるべき事があってアウルムへは行けない」
「問題ない。待つのは得意だ」
バラド国王はルイーザ王女の髪にキスをしてから、アロイス王太子、ユルゲンと共に部屋を出て行った。
ルイーザ王女は窓際に立ち、外を見て待つ。暫くしてから、アロイス王太子とバラド国王、そしてジルベールとユルゲンらしきフードを深く被った男達が馬を走らせて出て行く様子が見えた。
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