1 / 18
1.私のうしろに立つ妹
しおりを挟む
デビュタントのドレスとは、なんて厄介な裾なのだろう……。
まるで孔雀の尻尾のように裳裾が長いので、同じデビュタントで溢れる混雑した広間では、誰かに踏まれないよう裳裾だけを左手で抱えながら立っていた。
「いいこと、ユリアとアリス。陛下にご挨拶したあとは、決して背中を見せて退出してはいけませんよ」
父の妹で付き添い役の叔母ブルックラー伯爵夫人は口酸っぱく何度もこのセリフを繰り返す。
この日を迎えるまでは、深く気にも留めず軽く流しながら聞いていたが、今この厄介なドレスの裳裾を抱えながら、それは無理かもしれないと心の中で呟いていた。
「ユリア、まさか皇太子殿下の気を引こうなどとは思っておりませんよね?」
私に声を掛けるアリスは、相変わらず真冬の凍てつく風のように抑揚なく淡々と刺してくる。いつからこんな可愛げがなくなったことか。
「当然、思ってる」
私の返事に、淑やかで品が良いと評判のアリスは、小さく舌打ちをした。
「やめなさいよ。性格悪いのバレるわよ」
「ユリアが諦めればやめます」
「諦めないわ」
「……そう。チッ」
目の端で私のうしろに立つアリスを一瞥すれば、アリスは私の手元にある裳裾を見ていた。
……こいつはきっと、裳裾を広げた瞬間踏むつもりだ。
私と同じ月白色の髪を持つ、今は妹のアリス。
アリスは緩いくせ毛の髪が肩までしかないため、本来社交界デビューする女性なら結い上げるべき髪を、彼女だけはおろしている。
何度も周りは説得したが、大人しいくせに意思の強いアリスは髪をそれ以上伸ばそうとしなかった。
ぱっちりとした二重の奥に光るアリスの薄いエメラルドグリーンの瞳は、どんなにコイツが可愛げなくとも、認めざるを得ないほど宝石のように美しい。
キツめの顔の私と対照的に、アリスは少したれた目から愛くるしい女性的な柔らかさが現れた容姿だった。
「ユリアと私、どちらが皇太子殿下の心を射止めるかしらね」
「アリス、まさかあなたまで皇太子殿下を狙ってるの?」
「皇太子殿下というよりも、ユリアが狙い定める男性です。ユリアが嫁ぎ先を見つけてしまったら困りますから」
思わず振り返った私に、アリスは余裕たっぷりの微笑みを向けた。
私達の一連のやり取りを見ていたブルックラー伯爵夫人は呆れかえっていた。
「二人ともよしなさい。ほんと、この子達ったら中身が真逆ですぐぶつかるんだから」
アリスと張り合っていれば、どうやら順番が近づいてきたようで、宮殿の係官達が私達の左腕から裳裾を受け取り、背後へ美しく広げて整え始める。
ヴォードランド帝国皇族の待つ部屋へと入って行くと、飛び込んできたのは私達を品定めする視線。
そして漏れ聞こえるギャラリーからの「「「おぉ」」」といった感嘆の声が、私に自信を取り戻させてくれた。
……一時的に。
社交界デビュタントの私達は、まるで花嫁のような真っ白で純真無垢なドレスを身に纏い、そのドレスの裳裾は私の価値を示すために、仰々しいほどに背後に長く伸びている。
そして頭には白く大きな羽飾りを身につけ、家の富を誇示した。
皇帝皇后陛下に気に入られ、皇太子殿下の興味を必ず惹く。
そして、皇太子妃になるの。
私は背筋を伸ばし、出来るだけ優雅に、堂々と歩みを進める。
「あれがフレスラン公の公女姉妹。お二人とも姿絵の通り、陶器のような美しい玉肌だ。ユリア嬢の結い上げた髪は、珍しい月白色の髪色と相まってヴィーナスそのもの。あの碧眼の大きな瞳と目が合えばどんな紳士だろうと吸い込まれてしまうだろう」
「アリス様も桃色の頬と唇が白い肌に映えてなんと可愛らしいこと。あんなに顔が小さく、愛らしいお顔立ちなのに、背丈は170くらいあるのかしら」
「姉妹揃って皇太子殿下の最有力花嫁候補ね」
そうよ。その座を勝ち取るために努力してきた。
私の背も165センチと低くはないけど、アリスの方が背が5センチ高くスタイルが良いので、負けないために高いヒールを履いて出来る限り背筋を伸ばした。
この日のために南の離島インダルシア自由都市から最高級の化粧品を取り寄せもしたのだから。
「フレスラン公国公爵令嬢、ユリア・グローヴァー公女殿下」
まずは姉の私から呼ばれ、皇帝皇后両陛下の御前で普段よりも深いカーテシーをする。
両陛下の背後を半円状にぐるりと囲むように皇族や重臣達がびっしりと立ち、全員が私に注目していた。
気圧されるとはこういう事だろう。
取り戻しかけていた自信は、皇族の私に向けてくる無機質で感情の読めない寒々しい視線を前に、呆気なく消え去った。
皇帝陛下の横にはダレン皇太子殿下が姿勢良く立ち、こちらをまっすぐに見ている。
肖像画で見ていた通りに、前髪はセンターパートで分けて耳上まで一直線に切り揃えており、襟足は刈り上げた清潔感溢れるショートカット。
容姿はすっきりとした切れ長の目元に、深い緑の瞳、まっすぐに通る綺麗な鼻筋と薄い唇。
金糸の刺繍を前立てや襟や袖口に豪華にあしらった、膝上まである漆黒の宮廷コートと白いズボンに黒のロングブーツ姿。皇室の一員である証の鮮やかな青のサッシュが肩から斜めにかけられ、漆黒の色によく映える。
服の上からでもわかる鍛えられたたくましい身体とは裏腹に、肌の色は透明感のある白さ。
だけど、こんなにもこの日の為に努力して準備をしてきたにも関わらず、憧れのダレン皇太子殿下から向けられる視線は完璧に感情を制御したもの。
あまりにも美しい御姿と人間味のなさに、あそこに立たれているのは皇太子殿下ではなく彫像なのではないかとさえ思えてきた。
いや、彫像の方がマシだった。
あの私にまったく興味を示さない男性は紛れもなくダレン・オルブライト皇太子殿下。
「ユリア公女よ、こちらへ」
皇帝陛下に呼ばれ前に歩み出した時に裳裾に違和感を感じたが、時すでに遅し。
あんなにも背後のアリスを警戒していたはずなのに、不覚を取った。やはり裾を踏まれたのだ。
見事に陛下並びに皇族方の目の前で足がもつれ、前方に転げた。
まるで孔雀の尻尾のように裳裾が長いので、同じデビュタントで溢れる混雑した広間では、誰かに踏まれないよう裳裾だけを左手で抱えながら立っていた。
「いいこと、ユリアとアリス。陛下にご挨拶したあとは、決して背中を見せて退出してはいけませんよ」
父の妹で付き添い役の叔母ブルックラー伯爵夫人は口酸っぱく何度もこのセリフを繰り返す。
この日を迎えるまでは、深く気にも留めず軽く流しながら聞いていたが、今この厄介なドレスの裳裾を抱えながら、それは無理かもしれないと心の中で呟いていた。
「ユリア、まさか皇太子殿下の気を引こうなどとは思っておりませんよね?」
私に声を掛けるアリスは、相変わらず真冬の凍てつく風のように抑揚なく淡々と刺してくる。いつからこんな可愛げがなくなったことか。
「当然、思ってる」
私の返事に、淑やかで品が良いと評判のアリスは、小さく舌打ちをした。
「やめなさいよ。性格悪いのバレるわよ」
「ユリアが諦めればやめます」
「諦めないわ」
「……そう。チッ」
目の端で私のうしろに立つアリスを一瞥すれば、アリスは私の手元にある裳裾を見ていた。
……こいつはきっと、裳裾を広げた瞬間踏むつもりだ。
私と同じ月白色の髪を持つ、今は妹のアリス。
アリスは緩いくせ毛の髪が肩までしかないため、本来社交界デビューする女性なら結い上げるべき髪を、彼女だけはおろしている。
何度も周りは説得したが、大人しいくせに意思の強いアリスは髪をそれ以上伸ばそうとしなかった。
ぱっちりとした二重の奥に光るアリスの薄いエメラルドグリーンの瞳は、どんなにコイツが可愛げなくとも、認めざるを得ないほど宝石のように美しい。
キツめの顔の私と対照的に、アリスは少したれた目から愛くるしい女性的な柔らかさが現れた容姿だった。
「ユリアと私、どちらが皇太子殿下の心を射止めるかしらね」
「アリス、まさかあなたまで皇太子殿下を狙ってるの?」
「皇太子殿下というよりも、ユリアが狙い定める男性です。ユリアが嫁ぎ先を見つけてしまったら困りますから」
思わず振り返った私に、アリスは余裕たっぷりの微笑みを向けた。
私達の一連のやり取りを見ていたブルックラー伯爵夫人は呆れかえっていた。
「二人ともよしなさい。ほんと、この子達ったら中身が真逆ですぐぶつかるんだから」
アリスと張り合っていれば、どうやら順番が近づいてきたようで、宮殿の係官達が私達の左腕から裳裾を受け取り、背後へ美しく広げて整え始める。
ヴォードランド帝国皇族の待つ部屋へと入って行くと、飛び込んできたのは私達を品定めする視線。
そして漏れ聞こえるギャラリーからの「「「おぉ」」」といった感嘆の声が、私に自信を取り戻させてくれた。
……一時的に。
社交界デビュタントの私達は、まるで花嫁のような真っ白で純真無垢なドレスを身に纏い、そのドレスの裳裾は私の価値を示すために、仰々しいほどに背後に長く伸びている。
そして頭には白く大きな羽飾りを身につけ、家の富を誇示した。
皇帝皇后陛下に気に入られ、皇太子殿下の興味を必ず惹く。
そして、皇太子妃になるの。
私は背筋を伸ばし、出来るだけ優雅に、堂々と歩みを進める。
「あれがフレスラン公の公女姉妹。お二人とも姿絵の通り、陶器のような美しい玉肌だ。ユリア嬢の結い上げた髪は、珍しい月白色の髪色と相まってヴィーナスそのもの。あの碧眼の大きな瞳と目が合えばどんな紳士だろうと吸い込まれてしまうだろう」
「アリス様も桃色の頬と唇が白い肌に映えてなんと可愛らしいこと。あんなに顔が小さく、愛らしいお顔立ちなのに、背丈は170くらいあるのかしら」
「姉妹揃って皇太子殿下の最有力花嫁候補ね」
そうよ。その座を勝ち取るために努力してきた。
私の背も165センチと低くはないけど、アリスの方が背が5センチ高くスタイルが良いので、負けないために高いヒールを履いて出来る限り背筋を伸ばした。
この日のために南の離島インダルシア自由都市から最高級の化粧品を取り寄せもしたのだから。
「フレスラン公国公爵令嬢、ユリア・グローヴァー公女殿下」
まずは姉の私から呼ばれ、皇帝皇后両陛下の御前で普段よりも深いカーテシーをする。
両陛下の背後を半円状にぐるりと囲むように皇族や重臣達がびっしりと立ち、全員が私に注目していた。
気圧されるとはこういう事だろう。
取り戻しかけていた自信は、皇族の私に向けてくる無機質で感情の読めない寒々しい視線を前に、呆気なく消え去った。
皇帝陛下の横にはダレン皇太子殿下が姿勢良く立ち、こちらをまっすぐに見ている。
肖像画で見ていた通りに、前髪はセンターパートで分けて耳上まで一直線に切り揃えており、襟足は刈り上げた清潔感溢れるショートカット。
容姿はすっきりとした切れ長の目元に、深い緑の瞳、まっすぐに通る綺麗な鼻筋と薄い唇。
金糸の刺繍を前立てや襟や袖口に豪華にあしらった、膝上まである漆黒の宮廷コートと白いズボンに黒のロングブーツ姿。皇室の一員である証の鮮やかな青のサッシュが肩から斜めにかけられ、漆黒の色によく映える。
服の上からでもわかる鍛えられたたくましい身体とは裏腹に、肌の色は透明感のある白さ。
だけど、こんなにもこの日の為に努力して準備をしてきたにも関わらず、憧れのダレン皇太子殿下から向けられる視線は完璧に感情を制御したもの。
あまりにも美しい御姿と人間味のなさに、あそこに立たれているのは皇太子殿下ではなく彫像なのではないかとさえ思えてきた。
いや、彫像の方がマシだった。
あの私にまったく興味を示さない男性は紛れもなくダレン・オルブライト皇太子殿下。
「ユリア公女よ、こちらへ」
皇帝陛下に呼ばれ前に歩み出した時に裳裾に違和感を感じたが、時すでに遅し。
あんなにも背後のアリスを警戒していたはずなのに、不覚を取った。やはり裾を踏まれたのだ。
見事に陛下並びに皇族方の目の前で足がもつれ、前方に転げた。
3
あなたにおすすめの小説
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
悪役令嬢として断罪された聖女様は復讐する
青の雀
恋愛
公爵令嬢のマリアベルーナは、厳しい母の躾により、完ぺきな淑女として生まれ育つ。
両親は政略結婚で、父は母以外の女性を囲っていた。
母の死後1年も経たないうちに、その愛人を公爵家に入れ、同い年のリリアーヌが異母妹となった。
リリアーヌは、自分こそが公爵家の一人娘だと言わんばかりにわが物顔で振る舞いマリアベルーナに迷惑をかける。
マリアベルーナには、5歳の頃より婚約者がいて、第1王子のレオンハルト殿下も、次第にリリアーヌに魅了されてしまい、ついには婚約破棄されてしまう。
すべてを失ったマリアベルーナは悲しみのあまり、修道院へ自ら行く。
修道院で聖女様に覚醒して……
大慌てになるレオンハルトと公爵家の人々は、なんとかマリアベルーナに戻ってきてもらおうとあの手この手を画策するが
マリアベルーナを巡って、各国で戦争が起こるかもしれない
完ぺきな淑女の上に、完ぺきなボディライン、完ぺきなお妃教育を持った聖女様は、自由に羽ばたいていく
今回も短編です
誰と結ばれるかは、ご想像にお任せします♡
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します
その国が滅びたのは
志位斗 茂家波
ファンタジー
3年前、ある事件が起こるその時まで、その国は栄えていた。
だがしかし、その事件以降あっという間に落ちぶれたが、一体どういうことなのだろうか?
それは、考え無しの婚約破棄によるものであったそうだ。
息抜き用婚約破棄物。全6話+オマケの予定。
作者の「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹が登場。というか、これをそっちの乗せたほうが良いんじゃないかと思い中。
誤字脱字があるかもしれません。ないように頑張ってますが、御指摘や改良点があれば受け付けます。
あなたがそう望んだから
まる
ファンタジー
「ちょっとアンタ!アンタよ!!アデライス・オールテア!」
思わず不快さに顔が歪みそうになり、慌てて扇で顔を隠す。
確か彼女は…最近編入してきたという男爵家の庶子の娘だったかしら。
喚き散らす娘が望んだのでその通りにしてあげましたわ。
○○○○○○○○○○
誤字脱字ご容赦下さい。もし電波な転生者に貴族の令嬢が絡まれたら。攻略対象と思われてる男性もガッチリ貴族思考だったらと考えて書いてみました。ゆっくりペースになりそうですがよろしければ是非。
閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*)
何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?
覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる