グローヴァー姉妹の選択

さくらぎしょう

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10.私のルームメイトは皇太子殿下

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 近衛宿舎の食堂は、配膳式ではなく、各自トレーを持って厨房前のカウンターまで食事を受け取りに行き、好きな席で食べ、空いた食器は自分でまた厨房まで持っていく形式だった。

 食堂はすでに訓練や職務を終えて一日の疲れを蓄えた男たちの香りで充満していた。

 むせ返るほどの男、男、男、男の香り……。

 嗅覚を刺激するというより、心をざわつかせるもの。一定の距離を保てと本能が訴えてくる。

 私が意識しすぎなのか?

 私は夕食を早々に終えて部屋へと続く殺風景な廊下を歩く。

 ……ダレン皇太子殿下と二人で。

「あの……殿下」

「なんだ」

「そういえばなぜ、殿下のルームメイトが私なのでしょうか」

「そんなこともまだわからないのか?」

 ダレン皇太子殿下がバンっと部屋の扉を開けた。
 私が殿下の顔を見上げると、少し機嫌悪そうに顎先で中に入れと合図している。

「し……失礼します……」

 部屋の中に入れば、ダレン皇太子殿下は扉に耳をあて外の気配を確認してから私のそばまできた。

 すでに男だらけの部屋から脱出したはずなのに、脱出したために一番触れてはいけない香りを濃く感じている。

 近衛の宿舎に来てから、やたらと男性を意識するようになってしまった。
 こんなこと、今までも、海軍にいた時も皆無だったのに……。
 
 きっかけはたぶんこの方。
 
 ダレン皇太子殿下のそばにいると、蝶が花に惹き寄せられる気持ちがわかるような、とても甘い空気に変わる。
 
 殿下の媚薬のような汗の香りなんてものが漂えば、甘美すぎて心臓が破裂しそうになる。

 生まれて初めて知る感情。

 それからというもの、他の男たちの香りも気になるようになってしまい、しかし彼らの香りは距離を保つよう心が警告してくる。

「お前の身体が特殊なのを知っているのが私だけだからだ」

 殿下の声に正気を戻した。

「お気遣いくださったのですか?」

 あの日話した、フレスラン公爵家の特殊な身体は秘密だという事をどうやら覚えており、守ってくれているようだ。

「あ、ありがとうございます」

「だが、さすがに妻でもない女性と同室なのは私も困る。だから、ここでの女体化は絶対するなよ」

「まあ、さすがにここでは私も女になりたくないです」

「よし」

「あ、あの、殿下、しかしですね」

「なんだ?」

「実はボンパルト伯爵家で開かれる舞踏会で、マイルースのエルダンリ王太子と踊る約束をしておりまして、さすがにもうお断りする事も出来ず、その日は外出許可を頂けないでしょうか」

「もちろんだ。私も直衛の者も、その舞踏会には参加する予定だった」

「え」

「マイルースの王女をエスコートすることになっている。私が行くのだから、直衛も行くに決まってるだろ。
 そうだな……では、行きは予定通り私の直衛としてボンパルト伯爵邸に向かおう。
 あちらについたら、お前は体調不良ということにして帰したことにする。着替えなどをアリステアに準備させておくから、伯爵邸の一室で着替えて参加すればいい」

「あ、ありがとうございます」

 殿下はすぐに視線を逸らしてクローゼットを開け、着替え始めた。

 殿下の着替えを眺めるのもおかしなことで、私も背を向けて自分のクローゼットを開けて着替え始める。

 背中越しにダレン皇太子殿下が着替えながら話しかけてくる。

「マイルースは続く干ばつで国内が不安定になり始めている。王女との結婚も、エミルの父である大神官からの相談で決心した。
 リスクのある結婚で、直衛を増やす必要があるんだ。だからといって直衛は誰でもいいわけではない。
 お前には必ず相応しい夫を見つけてやる。だから、しばらく協力してくれないか」

「私などを直衛に選んでいただけたのは光栄なお話ですが、殿下が私に夫を見つけてくださるよりも前にアリステアが女として結婚してしまえば、私が男としてフレスランを継ぐことになってしまいます」

「男として生きるのは嫌なのか?」

「男が嫌とかではなく、フレスラン公に相応しいのはアリステアだからです」

「随分自分を過小評価しているのだな。だがもし、アリステア自身が心から女性になりたいと思っていたら、それでも男になれと言うのか?」

「え?」

 思わず振り返ると、ダレン皇太子殿下はすでに着替え終え、裾の長いナイトシャツに黒いガウンを羽織った姿でこちらを見ていた。

「女として生きたい。あの者は確かそう言っていたが。それでも、ユリアスはアリステアを男として生きさせたいのか?」

 アリステアは、本当に女として生きたくて言っているのだろうか?

 だとしたら、なぜ?

 記憶を巡らせても、それらしい答えは見つからない。

 やはり私達の問題はそういうところではないはず。

「恐らく、アリステアも私と一緒です。自分の中に確固たる性別があるわけではなく、この世の理が男か女かで区切られ、授かるものが変わるため、相応しい性別を選択せざるを得ないだけです」

 今度はダレン皇太子殿下が私を見つめたまましばらく黙り込んだ。

「お前と話していると面白いな……」

「光栄です」

「確かに、この世は男で生まれるか、女で生まれるかで大きく変わる。
 私は生まれた時から男だが、もし今性別が選択できると言われたら、やはり男を選ぶ。別に相続の話ではなく、単純に心が女にはなれないからだ」

「心が女になれない……?」

「お前たちは男の時と女の時は一体どんな感情で過ごしているんだ?」

「別に……男の時も女の時も、同じ気持ちです。言葉使いや所作には性別の違いを意識しますが」

「しかし、どうしようも出来ない感情もあるだろう」

「どうしようも出来ない感情? 怒りとか、悲しみとか?? それこそ性別関係ありますか???」

「いや、そうではなく、うーん、そうだな……たとえば……胸が高鳴る相手はどちらかとか」

「胸……」
 
 ダレン皇太子殿下と目が合えば、胸が高鳴るどころか心臓が止まりそうになった。

 私の中に湧き上がる、この野生的な衝動や欲望が、もしや見透かされているのだろうか。

 ダレン皇太子殿下はプイッと私から目を逸らしてしまった。

 本当に見透かされて、気持ち悪がられたのかと不安になる。

「……やめておこう。今の質問もよく考えれば相手の性など関係ないのかもしれない」

「ええ???」

 ダレン皇太子殿下の話の意図がまったくわからず顔を覗き込むと、殿下は少し顔を赤くしているような気さえして、思わずもう一度「え」と声が漏れてしまう。

 一瞬目が合った殿下は、やはり顔を赤くし、目が若干潤んでいる気がした。そして、すぐに顔を逸らせば、こちらに向けた耳までも赤い。

 その表情や仕草に、私も顔を赤らめるほど心拍数を上げてしまった。

「と、とにかく、お前の結婚もアリステアの件も私がどうにかしてやるから、しばらく私の指揮下で働くことだけに集中しろ」

「は……はい」

 ダレン皇太子殿下は一度もこちらに視線を戻すことなくベッドに入ると、背を向けて寝てしまった。

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