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鬼児は日向に誘う
イザク 5
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鳴門海峡を泳ぎきった。
途中、渦潮に遭った時には、いささか冷や汗をかいた。全身にオーラを漲らせ、潮目とは反対方向に抜き手を切り続け、なんとか凌いだ。
渦潮が収まってしまえば、海峡を泳ぎ横断することは、萬丈には難しくなかった。
雲隠れした藤刀の分家筆頭の男を殺害しに、四国へ向かった。
そこで、待ち伏せされた。SATのようだったが、確証はない。
執拗な敵部隊の追撃から逃れるため、鳴門海峡を利用した。敵は、萬丈が渦潮に呑まれて死んだと判断したのか、あっさりと引き上げた。
宗謙から、無用な戦闘は極力避けろ、と言われていた。
標的だけを殺す。ここにきて、徐々にそれが難しくなってきていた。
奈良の山中に用意したアジトに戻ると、リカルドが白いカッターシャツにアイロンをかけているところだった。
「よう」
「おかえり、萬丈。戻りが遅かったから、心配していたよ」
「アイロンをかけながらか?」
「そうさ、こうしている時が一番落ち着くからねぇ」
「ふん、口の減らないやつだ」
萬丈はウェットスーツを脱ぎ捨て、床下の納戸からビールを取り出した。ソファに寝転がった。瓶の口を咥え、歯で外した栓を吐き出した。
「さすがに手馴れているな」
ビールを呷りながら、リカルドのアイロンの手際を誉めた。
「俺と出会う前はクリーニング屋だったと言っていたよな」
「弟だよ、店をやっていたのは。僕はそれをたまに手伝ってたってだけ。まったく、いつも話半分にしか聞いてないね、君は」
「アイロンがけと射撃だけは、器用な男か」
叔父の経営する射撃場で、銃を覚えた。その腕を叔父に買われ、射撃場で客相手に教練もやっていたというリカルドの話は、覚えている。
「あと、レディの扱いもだね」
「女は、一人いればいい。何人誑かそうと、その一人と出会えなけりゃな」
リカルドがアイロンの手を止めた。
「君がそんなことを言うとはね。なにかあったのかい?」
「別に」
咲が死んだ。
報せてきた遊佐は、気を回したつもりだろうが、余計な世話だった。
女は一人いればいいというのは、咲の死とは関係なく、一貫した萬丈の考えだ。
「それより、いよいよ御三家の尻にも火が点きはじめたようだ」
「待ち伏せにあったかい」
「そこそこ精強な部隊だった」
「フリーダから、連れて行った兵員で、八人の損耗が出たと報告があったよ。警官隊の包囲網を抜けるのに手間取ったらしい。で、まともに藤刀の軍とぶつかった。兵数の不利を考えれば、犠牲が八人ってのは善戦した方かな」
フリーダは、戦士としても指揮官としても、凡庸である。
その点、フリーダが一時《いっとき》連れていた鬼の子は、戦士の天稟があった。しかしフリーダはそれを見抜けなかったようだ。
子供を子供としか見ない。そういう凡庸さは、どうしようもない。天稟とは生まれ持ったものなのだ。
戦場で少年兵だったフリーダを拾い、育てた。天稟はなかったが、資質は十分にあった。
フリーダは生きながらに死んでいた。生への執念と、死を恐れぬ気持ちを同居させていた。
それは天稟とは別の、戦士に必要な資質だ。
「考えごとかい?」
「いや。損耗を出したことに、変わりはない」
「相変わらず自分の娘には厳しいねぇ」
「関係ねえよ」
空になったビール瓶を、リカルドに投げつける。リカルドは難なくキャッチし、呆れながらも瓶をキッチンに捨てに行った。
宗謙の息のかかった者の中に、内閣人事局長がいた。
その男は、警察庁次長の前歴から、地方署にそこそこ影響力を持っていた。
これまで宗謙は、その男を介して警察の動きをある程度コントロールしてきた。
フリーダが警察の包囲に捕まったのは、そうした裏工作が通用しづらくなってきた、ということだ。
御三家が、身内に敵がいると勘づいてもおかしくない頃合いだ。宗謙に辿り着くのも、時間の問題かもしれない。
しかし宗謙は、それよりも海外の動きを注視していた。
閻家が妙な動きを見せている。他にも、虫が湧かないとも限らない。
「由里ちゃんも苦労しているみたいだよ」
リカルドがキッチンから戻って来た。
遊佐には情報収集や宗謙との連絡役の他にも、町中や特定施設に設置された監視カメラなどのセキュリティに細工する仕事もやらせていた。
近頃の監視カメラは、Wi-FiやSIMカードを利用したオンライン式のものも多い。そういったセキュリティに、外部から介入し、妨害工作を施すのだ。
標的がオフラインセキュリティに守られた場所に引きこもったこともあったが、なにかしら方法はあった。
ウィルスを仕込んだUSBを使う物理的な方法から、RDP(リモートデスクトッププロトコル)を利用していれば、それを踏み台にするといった方法もある。
案外、インターネットに直接接続していなければ安全だ、と考えている人間は多い。
その辺の隙も、なくなりつつあるようだった。
それだけ、御三家が追い詰められてきている、ともとれる。
「遊佐にはできることだけをやれ、と伝えておけ。無理に動けばこちらに隙ができる。まぁ、あいつはそれぐらい承知しているだろうが」
「そうだね」
「フリーダには、補充の兵を送っておけ」
「了解」
思いつくことは、それぐらいだった。
宗謙や遊佐の裏工作が封じられようと、兵員が欠けようと、危機感はない。
滅びる時は、滅びればいい。重要なのは、それまでの生を、謳歌できるかどうかだ。
ソファから起き上がり、アイロンが仕上がったばかりのシャツを横からかっさらい、袖を通す。リカルドは苦笑するだけだ。
「出かけるのかい?」
「腹が減った。町へ行ってくる」
萬丈はアジトの山小屋を出た。
シャツは、まだほのかに温かかった。
途中、渦潮に遭った時には、いささか冷や汗をかいた。全身にオーラを漲らせ、潮目とは反対方向に抜き手を切り続け、なんとか凌いだ。
渦潮が収まってしまえば、海峡を泳ぎ横断することは、萬丈には難しくなかった。
雲隠れした藤刀の分家筆頭の男を殺害しに、四国へ向かった。
そこで、待ち伏せされた。SATのようだったが、確証はない。
執拗な敵部隊の追撃から逃れるため、鳴門海峡を利用した。敵は、萬丈が渦潮に呑まれて死んだと判断したのか、あっさりと引き上げた。
宗謙から、無用な戦闘は極力避けろ、と言われていた。
標的だけを殺す。ここにきて、徐々にそれが難しくなってきていた。
奈良の山中に用意したアジトに戻ると、リカルドが白いカッターシャツにアイロンをかけているところだった。
「よう」
「おかえり、萬丈。戻りが遅かったから、心配していたよ」
「アイロンをかけながらか?」
「そうさ、こうしている時が一番落ち着くからねぇ」
「ふん、口の減らないやつだ」
萬丈はウェットスーツを脱ぎ捨て、床下の納戸からビールを取り出した。ソファに寝転がった。瓶の口を咥え、歯で外した栓を吐き出した。
「さすがに手馴れているな」
ビールを呷りながら、リカルドのアイロンの手際を誉めた。
「俺と出会う前はクリーニング屋だったと言っていたよな」
「弟だよ、店をやっていたのは。僕はそれをたまに手伝ってたってだけ。まったく、いつも話半分にしか聞いてないね、君は」
「アイロンがけと射撃だけは、器用な男か」
叔父の経営する射撃場で、銃を覚えた。その腕を叔父に買われ、射撃場で客相手に教練もやっていたというリカルドの話は、覚えている。
「あと、レディの扱いもだね」
「女は、一人いればいい。何人誑かそうと、その一人と出会えなけりゃな」
リカルドがアイロンの手を止めた。
「君がそんなことを言うとはね。なにかあったのかい?」
「別に」
咲が死んだ。
報せてきた遊佐は、気を回したつもりだろうが、余計な世話だった。
女は一人いればいいというのは、咲の死とは関係なく、一貫した萬丈の考えだ。
「それより、いよいよ御三家の尻にも火が点きはじめたようだ」
「待ち伏せにあったかい」
「そこそこ精強な部隊だった」
「フリーダから、連れて行った兵員で、八人の損耗が出たと報告があったよ。警官隊の包囲網を抜けるのに手間取ったらしい。で、まともに藤刀の軍とぶつかった。兵数の不利を考えれば、犠牲が八人ってのは善戦した方かな」
フリーダは、戦士としても指揮官としても、凡庸である。
その点、フリーダが一時《いっとき》連れていた鬼の子は、戦士の天稟があった。しかしフリーダはそれを見抜けなかったようだ。
子供を子供としか見ない。そういう凡庸さは、どうしようもない。天稟とは生まれ持ったものなのだ。
戦場で少年兵だったフリーダを拾い、育てた。天稟はなかったが、資質は十分にあった。
フリーダは生きながらに死んでいた。生への執念と、死を恐れぬ気持ちを同居させていた。
それは天稟とは別の、戦士に必要な資質だ。
「考えごとかい?」
「いや。損耗を出したことに、変わりはない」
「相変わらず自分の娘には厳しいねぇ」
「関係ねえよ」
空になったビール瓶を、リカルドに投げつける。リカルドは難なくキャッチし、呆れながらも瓶をキッチンに捨てに行った。
宗謙の息のかかった者の中に、内閣人事局長がいた。
その男は、警察庁次長の前歴から、地方署にそこそこ影響力を持っていた。
これまで宗謙は、その男を介して警察の動きをある程度コントロールしてきた。
フリーダが警察の包囲に捕まったのは、そうした裏工作が通用しづらくなってきた、ということだ。
御三家が、身内に敵がいると勘づいてもおかしくない頃合いだ。宗謙に辿り着くのも、時間の問題かもしれない。
しかし宗謙は、それよりも海外の動きを注視していた。
閻家が妙な動きを見せている。他にも、虫が湧かないとも限らない。
「由里ちゃんも苦労しているみたいだよ」
リカルドがキッチンから戻って来た。
遊佐には情報収集や宗謙との連絡役の他にも、町中や特定施設に設置された監視カメラなどのセキュリティに細工する仕事もやらせていた。
近頃の監視カメラは、Wi-FiやSIMカードを利用したオンライン式のものも多い。そういったセキュリティに、外部から介入し、妨害工作を施すのだ。
標的がオフラインセキュリティに守られた場所に引きこもったこともあったが、なにかしら方法はあった。
ウィルスを仕込んだUSBを使う物理的な方法から、RDP(リモートデスクトッププロトコル)を利用していれば、それを踏み台にするといった方法もある。
案外、インターネットに直接接続していなければ安全だ、と考えている人間は多い。
その辺の隙も、なくなりつつあるようだった。
それだけ、御三家が追い詰められてきている、ともとれる。
「遊佐にはできることだけをやれ、と伝えておけ。無理に動けばこちらに隙ができる。まぁ、あいつはそれぐらい承知しているだろうが」
「そうだね」
「フリーダには、補充の兵を送っておけ」
「了解」
思いつくことは、それぐらいだった。
宗謙や遊佐の裏工作が封じられようと、兵員が欠けようと、危機感はない。
滅びる時は、滅びればいい。重要なのは、それまでの生を、謳歌できるかどうかだ。
ソファから起き上がり、アイロンが仕上がったばかりのシャツを横からかっさらい、袖を通す。リカルドは苦笑するだけだ。
「出かけるのかい?」
「腹が減った。町へ行ってくる」
萬丈はアジトの山小屋を出た。
シャツは、まだほのかに温かかった。
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