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初任務な皇弟⑵
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もう終わったこととして心の奥に封じ込めたはずの熱が荒ぶる。もう終わらせたこととして蓋をしたはずの記憶が脳裏を駆け巡る。煮えたぎる怒りのせいでアクリュスの手に持つ大鎌が小刻みに震えた。
しかし、今は目の前にルグランジュがいる。そのことを思い出した彼女はすんでのところで踏みとどまると、小さく息をついて彼に目を向けた。
「十秒だ。後ろを向いて迷いを捨てろ」
淡々と告げると、ルグランジュは小さく頷いて彼女に背を向けた。
「セグルク伯爵、こちらを向いてくださる?」
ルグランジュが背を向けたのを確認して変声の魔導具を解除したアクリュスは、鈴のような声でセグルク伯にだけ聞こえるように囁いた。
急に声が変わった彼女に驚いているセグルク伯と目を合わせると、アクリュスはおもむろに仮面を外した。
「わたくし、セレスティナ=フラウデンは決してあなたを許さないわ」
セグルク伯にしか聞こえない声量に、あらんかぎりの怒りや憎しみを込める。光の魔導具で明るく照らされている部屋の中で、彼女のアイスブルーの瞳の色が一瞬だけアクアマリンとローズクォーツのオッドアイに見えた。
すぐに仮面をつけ直したアクリュスだったが、セグルク伯は彼女から目を離すことができなかった。つい先日、帝国議会で皇帝への忠義を示した若い女伯爵。«社交界の花»と呼ばれる淑女の鏡たる麗しの女伯爵。皇帝からも声をかけられ、多くの貴族男性の憧れの的である女伯爵。そんな彼女が«仮面の死神»と呼ばれる帝国軍の精鋭などとは誰も考えがつかない。ましてや、皇弟と共に己の命を苅りにくるとは。
そして彼女がセレスティナとしてセグルク伯に告げた言葉。なぜ気づいたのかは分からない。ただ気づいた以上、彼女は最後まで終わらせるだろうとセグルク伯は恐れおののいた。彼女の異常なまでの執念。それを肌で感じ取った
セグルク伯は声にならない悲鳴を上げた。
十秒が経ち、ルグランジュがゆっくりとセグルク伯の方を振り向いた。迷いを捨てた青い瞳は感情を圧し殺しているよにも見える。そのことにアクリュスは一抹の不安を覚えるが、今は見なかったことにした。
背筋が凍りそうな雰囲気を纏った彼は、そっと両手をセグルク伯のこめかみに添える。まるで時間が止まったかのように周囲の音が消えた。部屋に吹き込んでいた夜風も止み、微塵も動くものはない。ルグランジュに支配されたような空間に、アクリュスは末恐ろしいものを感じた。
(呑まれる……)
暗殺においても社交においても年の割に人生経験豊富な彼女でさえ身動きが取れない。縫い付けられたようにセグルク伯の首に大鎌をかけているだけ。もしも今がルグランジュの訓練の最中で、彼女の首にスカーフが巻かれていたのなら、それは容易く取られていただろう。
「貴様のような人間など兄上の帝国には不要だ」
感情が全くこもっていない声でそう告げたルグランジュは、怯えるセグルク伯をただの置物を見ような目で見ている。何の前触れもなく彼はセグルク伯のこめかみに添えた両手から魔法を放った。音も光も発しない魔法を直接浴びたセグルク伯は一瞬で事切れる。力が抜けたせいで、でっぷりとした身体がぐたりと深緑の背もたれに沈みこんだ。泡を吹く暇さえ与えられなかったのか、まるで寝ているかのようだった。
ルグランジュが魔法を放ち終え、動けるようになったアクリュスはセグルク伯の検死をする。確実に息絶えたことを確認した彼女は大鎌を小さくしてホルダーにかけた。そのままベルトのポケットから取り出したマナキャンセルを床に放る。ルグランジュとアクリュスが使った魔法の痕跡が消え去ると、彼女は床に落ちている二つのマナキャンセルを回収し、ルグランジュに声をかけた。
「帰るぞ」
何も言わないルグランジュを従えてイノデス伯爵邸を出る。すっかり暗くなった空は雲に覆われており、月一つ浮かんでいない。暗闇の中、暗視の魔導具を取り出した彼女は少し歩みの遅いルグランジュの手をひいて路地を歩く。
ルグランジュの殺し方は完璧だった。魔法で脳を大きく揺らして酷い脳震盪を起こしたのだ。本来、脳震盪はしばらく時間を置けば回復するような症状だが、無理やりかつ普通ではあり得ないほどに揺れたせいで即死。後から死体を見ても殺されたようには見えない。音も光も臭いもない。ただあるのは死のみ。
これを初回でやってのけたルグランジュは、暗殺者としての才能があったのだろうか。手をかける時のあの雰囲気。時空でさえも支配してしまうような覇気に、殺気は微塵もなかった。にも関わらずアクリュスでさえも動けなくなるような空気を作り出したルグランジュ。
ルグランジュは一言も喋らない。アクリュスが立ち止まってもそれに気付かずルグランジュは正面から彼女に衝突した。心ここにあらずといった様子の彼を見てアクリュスはため息をつく。
(やはりこうなったわね……)
初任務を終えた第十三番隊の暗殺者たちは全員、任務からの帰りが遅い。例外なくサポート役がつけられるものの、初めて人を手にかけたショックから精神状態が不安定になるのだ。情緒不安定とはわけが違う。まるで魂が抜けたかのように足取りが覚束なく、目は虚ろ。光の消えた目は焦点が合わず何を考えているか分からない。
ルグランジュはまだマシな方かもしれない。自分の足で歩くことができ、アクリュスの声に僅かだが反応を示す。
アクリュスのときは酷かった。当時七歳だった彼女は、殺すときに大鎌を使った。黒い仮面と白い頬にベッタリとこびりついた鉄の臭いのする紅を手で拭い、それを目にした瞬間、両親の死と恐怖を思い出してしまった。そこからは大変だったと当時サポート役についていたタナトスは語る。急に呼吸が浅く、荒くなったと思えばガタガタと小刻みに震え出してお父様、お母様、とうわ言のように繰り返す。錯乱状態に陥ったアクリュスは辺りに飛び散った大量の血を目にして狂ったように大鎌を振り回し始める。慌ててタナトスが大鎌を奪って小さな身体を抑えつけるも、仮面の奥の目は焦点が合わず虚ろなまま。動かなくなった彼女を抱えてタナトスは詰所に戻った。
当時のことを当の本人は覚えていないのだが、回復した後話を聞いた彼女はタナトスにひたすら謝っていた。
(帰宅が遅くなるわね)
元の魔力量が少ない彼女には、二人を転移させる分だけしか魔力が残っていなかった。これが一人であれば詰所の小部屋まで転移して濡れタオルで身体を吹き着替えた後、もう一度転移して帰宅する。しかし、ルグランジュは自力で転移できそうにない。このまま歩いて帰るわけにもいかないため、アクリュスは彼ごと転移することにした。
転移魔法は魔力の消費は多くはないが、高度な技術と想像力が必要になる。転移したい場所を一つのずれもなく想像し、そこに転移したいものを余すことなく魔法で送り込まなければならない。少しでも想像が不十分であれば転移先はずれるし、緻密な魔力操作ができていなければ身体の一部が欠けることもある。危険と隣合わせであるが、非常に便利な魔法だ。だが、使える人間はそうそういない。想像はできても魔力操作の技術が追い付かない者がほとんどなのだ。また、完璧に想像できなければならないため、転移先は限られる。アクリュスの場合、フラウデン伯爵邸と裏口と、第十三番隊の詰所の小部屋の二つだ。
「ルグランジュ、目を閉じておけ。転移する」
ルグランジュが大人しく目を閉じたのを確認すると、アクリュスは転移を発動させた。二人は闇の中で転移の光に包まれると、一瞬にしてその場から消え失せた。
後には静寂だけが残っていた。
しかし、今は目の前にルグランジュがいる。そのことを思い出した彼女はすんでのところで踏みとどまると、小さく息をついて彼に目を向けた。
「十秒だ。後ろを向いて迷いを捨てろ」
淡々と告げると、ルグランジュは小さく頷いて彼女に背を向けた。
「セグルク伯爵、こちらを向いてくださる?」
ルグランジュが背を向けたのを確認して変声の魔導具を解除したアクリュスは、鈴のような声でセグルク伯にだけ聞こえるように囁いた。
急に声が変わった彼女に驚いているセグルク伯と目を合わせると、アクリュスはおもむろに仮面を外した。
「わたくし、セレスティナ=フラウデンは決してあなたを許さないわ」
セグルク伯にしか聞こえない声量に、あらんかぎりの怒りや憎しみを込める。光の魔導具で明るく照らされている部屋の中で、彼女のアイスブルーの瞳の色が一瞬だけアクアマリンとローズクォーツのオッドアイに見えた。
すぐに仮面をつけ直したアクリュスだったが、セグルク伯は彼女から目を離すことができなかった。つい先日、帝国議会で皇帝への忠義を示した若い女伯爵。«社交界の花»と呼ばれる淑女の鏡たる麗しの女伯爵。皇帝からも声をかけられ、多くの貴族男性の憧れの的である女伯爵。そんな彼女が«仮面の死神»と呼ばれる帝国軍の精鋭などとは誰も考えがつかない。ましてや、皇弟と共に己の命を苅りにくるとは。
そして彼女がセレスティナとしてセグルク伯に告げた言葉。なぜ気づいたのかは分からない。ただ気づいた以上、彼女は最後まで終わらせるだろうとセグルク伯は恐れおののいた。彼女の異常なまでの執念。それを肌で感じ取った
セグルク伯は声にならない悲鳴を上げた。
十秒が経ち、ルグランジュがゆっくりとセグルク伯の方を振り向いた。迷いを捨てた青い瞳は感情を圧し殺しているよにも見える。そのことにアクリュスは一抹の不安を覚えるが、今は見なかったことにした。
背筋が凍りそうな雰囲気を纏った彼は、そっと両手をセグルク伯のこめかみに添える。まるで時間が止まったかのように周囲の音が消えた。部屋に吹き込んでいた夜風も止み、微塵も動くものはない。ルグランジュに支配されたような空間に、アクリュスは末恐ろしいものを感じた。
(呑まれる……)
暗殺においても社交においても年の割に人生経験豊富な彼女でさえ身動きが取れない。縫い付けられたようにセグルク伯の首に大鎌をかけているだけ。もしも今がルグランジュの訓練の最中で、彼女の首にスカーフが巻かれていたのなら、それは容易く取られていただろう。
「貴様のような人間など兄上の帝国には不要だ」
感情が全くこもっていない声でそう告げたルグランジュは、怯えるセグルク伯をただの置物を見ような目で見ている。何の前触れもなく彼はセグルク伯のこめかみに添えた両手から魔法を放った。音も光も発しない魔法を直接浴びたセグルク伯は一瞬で事切れる。力が抜けたせいで、でっぷりとした身体がぐたりと深緑の背もたれに沈みこんだ。泡を吹く暇さえ与えられなかったのか、まるで寝ているかのようだった。
ルグランジュが魔法を放ち終え、動けるようになったアクリュスはセグルク伯の検死をする。確実に息絶えたことを確認した彼女は大鎌を小さくしてホルダーにかけた。そのままベルトのポケットから取り出したマナキャンセルを床に放る。ルグランジュとアクリュスが使った魔法の痕跡が消え去ると、彼女は床に落ちている二つのマナキャンセルを回収し、ルグランジュに声をかけた。
「帰るぞ」
何も言わないルグランジュを従えてイノデス伯爵邸を出る。すっかり暗くなった空は雲に覆われており、月一つ浮かんでいない。暗闇の中、暗視の魔導具を取り出した彼女は少し歩みの遅いルグランジュの手をひいて路地を歩く。
ルグランジュの殺し方は完璧だった。魔法で脳を大きく揺らして酷い脳震盪を起こしたのだ。本来、脳震盪はしばらく時間を置けば回復するような症状だが、無理やりかつ普通ではあり得ないほどに揺れたせいで即死。後から死体を見ても殺されたようには見えない。音も光も臭いもない。ただあるのは死のみ。
これを初回でやってのけたルグランジュは、暗殺者としての才能があったのだろうか。手をかける時のあの雰囲気。時空でさえも支配してしまうような覇気に、殺気は微塵もなかった。にも関わらずアクリュスでさえも動けなくなるような空気を作り出したルグランジュ。
ルグランジュは一言も喋らない。アクリュスが立ち止まってもそれに気付かずルグランジュは正面から彼女に衝突した。心ここにあらずといった様子の彼を見てアクリュスはため息をつく。
(やはりこうなったわね……)
初任務を終えた第十三番隊の暗殺者たちは全員、任務からの帰りが遅い。例外なくサポート役がつけられるものの、初めて人を手にかけたショックから精神状態が不安定になるのだ。情緒不安定とはわけが違う。まるで魂が抜けたかのように足取りが覚束なく、目は虚ろ。光の消えた目は焦点が合わず何を考えているか分からない。
ルグランジュはまだマシな方かもしれない。自分の足で歩くことができ、アクリュスの声に僅かだが反応を示す。
アクリュスのときは酷かった。当時七歳だった彼女は、殺すときに大鎌を使った。黒い仮面と白い頬にベッタリとこびりついた鉄の臭いのする紅を手で拭い、それを目にした瞬間、両親の死と恐怖を思い出してしまった。そこからは大変だったと当時サポート役についていたタナトスは語る。急に呼吸が浅く、荒くなったと思えばガタガタと小刻みに震え出してお父様、お母様、とうわ言のように繰り返す。錯乱状態に陥ったアクリュスは辺りに飛び散った大量の血を目にして狂ったように大鎌を振り回し始める。慌ててタナトスが大鎌を奪って小さな身体を抑えつけるも、仮面の奥の目は焦点が合わず虚ろなまま。動かなくなった彼女を抱えてタナトスは詰所に戻った。
当時のことを当の本人は覚えていないのだが、回復した後話を聞いた彼女はタナトスにひたすら謝っていた。
(帰宅が遅くなるわね)
元の魔力量が少ない彼女には、二人を転移させる分だけしか魔力が残っていなかった。これが一人であれば詰所の小部屋まで転移して濡れタオルで身体を吹き着替えた後、もう一度転移して帰宅する。しかし、ルグランジュは自力で転移できそうにない。このまま歩いて帰るわけにもいかないため、アクリュスは彼ごと転移することにした。
転移魔法は魔力の消費は多くはないが、高度な技術と想像力が必要になる。転移したい場所を一つのずれもなく想像し、そこに転移したいものを余すことなく魔法で送り込まなければならない。少しでも想像が不十分であれば転移先はずれるし、緻密な魔力操作ができていなければ身体の一部が欠けることもある。危険と隣合わせであるが、非常に便利な魔法だ。だが、使える人間はそうそういない。想像はできても魔力操作の技術が追い付かない者がほとんどなのだ。また、完璧に想像できなければならないため、転移先は限られる。アクリュスの場合、フラウデン伯爵邸と裏口と、第十三番隊の詰所の小部屋の二つだ。
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