指先はこいねがう 〜禁忌のケモノ少年は軍人皇子に執愛(とら)われる〜

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It's a new world I start, but I don't need you anymore.

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「あの人が――王族……?」

 モモセは呆然と呟くしかない。

 分からなかった、男の中に流れるベゼルは貴族のものだった。

 もちろん王族は貴族階級に属するから、わからなくても無理はないのだ。モモセに非があるわけではない。ただそれが、今まで一度もモモセが触れたことのない、少し異質なものであったのは事実である。モモセがウルドに屈さずにはいられなかったのは、彼が王族だったからなのだ。神の血統は王族のみに従う神聖な獣。半身を流れる血が、モモセにそのように促した。けれど、モモセは、その高貴な血統に連なってはいない。

 王族、

 そんな高貴な人がモモセに触れた、汚らわしい、不可触民に。

「本当に、あの人は王族なんですか」

 喘ぎが洩れる、モモセは目の前を霞ませながら訊ねた。

「なんだ、お前。そんなことも知らずに補佐になろうとしてたのか?」

 カルシスは呆れの混じった声を出す。

 肯定、返ってきたのは肯定だ。目の前が真っ暗になるのを感じた。

 貴族だったらまだウルドの厚意を受け入れられたというわけじゃない。ただ王族だ、国を治める一族、もしかすると王になるかもしれない人、彼の身体は彼だけのものではなく、彼の意思で穢れていいものでもまたない。

 どうしてそんな人が、こんな卑しい仔どもを拾ったんだ。

 どんな立派な理由や志があったって、そんなことはしてはいけなかった。彼は自身の貴さと、責任をきちんと考えるべきだった。

 罪だと、モモセは感じた。あの人に自身を触れさせる、これはもはや、罪だ。

 そんなとき、足音と共に聞こえてきたのは、今最も聞きたくない声だった。

「――モモセ!」

 低い韻律、ウルドの声。水平に立てた右の掌を心臓に当て忠誠を誓うカルシスとシェスタ、そしてヒタキを映した瞳が、最終的にモモセに向けられる。

 モモセは反射的に後ずさった。

 いつものことだ、気にした様子もなくウルドはモモセの手首を掴むと広い胸の中に抱き込む。
 そうして男は安心したように息をつき、モモセに訊くのだ。

「モモセ、大丈夫だったか?」
「離――っして!」

 この彼の腕の感触を、匂いを、知っていいモモセではない、その権利はない。最初からそんなことは明らかだった、なのに改めて突きつけられる、その事実が痛い。

 涙が眦を伝い、廊下に落ちる、ひとつふたつ。このまま泣き続けて躯を枯らして、そのまま死んでしまえたら。

 あなたに逢ってたった七日だ。それなのに、そのたったそれだけの時間でおれはこんなに泣き虫になった。今までこのように泣くことなどなかった。他人の体温など知らなかったから。

 もしそのまま知らずにいられたら、モモセはどれだけ、平穏でいられただろう。

 それが責任転嫁だと気づいている、けれどモモセは思わずにはいられなかった。理不尽に男を詰って、その罪悪感に首を吊れたらと心底考えた。

 なのに、モモセをその罪悪感に駆り立てるのがウルドなのに、逃げることを赦さないのもまたウルドなのだ。

「モモセ、どうした? 泣かなくていい、家に帰ろう」

 反射的にモモセは首を振っていた。困惑した声で、ウルドがまたモモセ、と疑問調で呼ぶ。

「行かない」

 帰らない、ではない。行かない、だ。あそこは決して、モモセの帰る場所ではない。帰る家にしていい場所ではない。

 涙に濡れた声でモモセは慟哭した。

「じゃあどうするんだ」
「スラムに帰る……!」

(帰りたい、帰らせて)

 孤独に、生に執着することだけが唯一だったあの場所。

 他に何も考えずに生きていけたことは、少なくともモモセにとっての不幸ではなかった。

 幸せだったか、と訊かれると是とは言えない。
 けれど、そこでなら、生きていける。

「帰りたい……」

 顔を覆った手は濡れて、嗚咽に痙攣する喉が痛む。

 スラムに、

 でも、それをウルドが許可するはずもないことをモモセはもう知っていた。
 この願いはすでに一度切り捨てられている。

 モモセは見つかってしまった、この男に。見つかってしまったから、もう逃れることはできない。

 案の定、ウルドはにべもなくモモセの望みを断ち切った。

「それは、赦さないと言ったはずだ」

 責める声音にモモセは懸命に考えた。どこかに、ウルドと離れられる方法があるのではないか。そしてふと思い出す。ヒタキが口にしていたこと。それにあらん限りの力で縋る。

「ヒタキ……っ!」

 突然矛先を向けられた少年は、ぴっと肩を跳ねさせてひっくり返った声で応えた。「なにっ!?」

「りょ、寮があるって言ったよね!? タダだって、言ったよね……!?」
「い、言った、言ったけどもぉ……!」

 ヒタキはウルドにちらちらと何度も視線をやった。言いよどむのは、男の咎めを受けないか心配しているからだ。あらゆる面で、モモセがこの男の逆鱗だということは判明してしまっている。普段は温厚な男が肯定したとしてどのような態度に出るかヒタキは恐れた。「で、でもさ、せ、っかくウルドが住んでいいよって言うならさぁ、広くてきれーなとこのがさぁ、」

 モモセはヒタキの説得めいた言葉を最後まで聞くことはなく、ウルドへと向き直る。

「おれ、寮に入る……っ」

 寮には入れば頻繁なウルドとの繋がりは切れる。けれど少なくとも学校にいれば、モモセに目を掛けてくれた彼に、報いたことにもなるはずだった。

 涙の膜の向こうにいるウルドは、苦しげに顔を歪めていた。ヒタキとの会話が脳裏をよぎった。
 けれどもう止められない、止めるつもりもない。

「――それが、お前の願いか」

 モモセは顎を引き、頷いた。

 そうか、低い声で男は呟く。「……そうまでして俺から離れたいか」

 モモセは目を見開いた。

 不意に腕を引かれ、気づけばそのままきつくきつく、モモセは抱きしめられていた。人目が、あがこうとしても、軍人の力にモモセがかなうはずもない。身を屈めた男の顔が首筋に埋まり、吐息が掛かる。モモセは身体を震わせた。いやだと、主張しているような抱擁は幻だと必死に言い聞かせた。

「……あなたとずっと一緒にいたら、きっとおれは死んでしまう……」

 その言葉に、今度は男が瞠目する番だった。それは以前仔どもが口にしたものと変わり映えしない悲鳴に過ぎなかったのに、その文脈が決定的に異なっていたせいで男の古傷を確実に射貫く結果になった。

 だからどうした、と男は言えたのだ。帰るぞ、と言えば、モモセはこれ以上聞き分けのない幼児のように言い募りはしなかっただろう。ただ、その黒い瞳に隠しきれないウルドへの失望を乗せただろうが。

 けれど、拒絶の台詞は喉に張り付いて、剥がれない。


(――嗚呼、カナン)


 吐き出した吐息は果たして音になっていたか、どうか。

 彼女は黄金の瞳を持っていた。その輝きは永遠に喪われた。人間の愚かな恋心のせいで。
 この生きた漆黒の輝きを、男は今度こそ喪うわけにはいかないのだ。


「――――お前の、望むように」


 囁く声はひどく切なかった。

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