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I am a living thing which kneels down to you.
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しおりを挟むウルドは椅子に浅く腰掛け、こつこつと指先で机を叩いていた。だらしなく背もたれに預けられた身体、宙を仰ぐ眼差しは険しく、クーフィーヤに隠された眉間には深い皺が刻まれていることだろう。
重厚な光沢を放つ執務机のしたでは、同じく神経質な軍靴の爪先が床を踏み鳴らしている。それに苛立たしさを増幅され一旦は動作を止めるものの、無意識のうちにすぐにまたそれは再開された。
「みっともない、貧乏ゆすりはやめなさいよ」
呆れた声が傍らに立つ男から投げかけられるが、無視。こつ、とまた爪が当たる。
「いつまでもいらいらしているんだったら、練兵場にでも行ってくれないですかねぇ。こっちもそんなあんたとふたりっきりじゃ気詰まりだ。時間が惜しいってんなら、さっさと対策を練らないといけねぇでしょ」
傍若無人に意見を言うのは、ウルドの部下であるルナーラルという男である。軍服はあってないようなものと着崩し、同じく上司に対する言葉遣いも、軍人らしいところがまるでない。異人から買い取った片眼鏡をかけた目はいつも笑んでいて細く、まぶたの下にある瞳の色を誰にも教えなかった。
「理事長のくそジジイが気に食わないのはわかるけどさあ、アンタが今することはいつまでもイラついてることじゃないわけでしょ。それとも、何か別の理由でもあるのかな」
「…………分かっている」
沈黙の末の応えだったのは、後者の理由も多分にふくまれていたからだ。
しかしそれはいま考えることではなく、目下注力しなければならないことに意識を集中させる。
度し難し、といった調子で、ウルドは唸った。
「だがここまで腐っているとは思いもしなかった。管理体制がずさんすぎる。あの学園は、楽しくお遊戯をするための公園などでは決してない」
「そうでしょうとも」
ルナーラルは同意とばかりに頷いた。少々、過剰表現気味に。
彼は今日、上官のウルドとともに幼年学校へと足を運んでいた。校内で頻発していると聞く失踪事件について、真偽をふくめ伺いたいと先触れを三度ばかり出していたのだが、すべて実際に足を向けると説明責任のある理事長はいつも雲隠れしている。
四度目ともなる今日にもなると、もともと気が長い方ではないふたりは揃って忍耐を切らした。もはや事前連絡不要と強襲をしかけ、ようやく面談かなったのだった。
そこで知った事実は、呆れかえるばかりなものだった。
まず、問い詰めた理事長は知らぬ、存ぜぬを貫き通した。さらに前もって連絡をよこさなかった非礼を責め立てる始末である。冷静に対応できたのが奇跡といってもいいほどだ。
かわりに保安局の自室に戻ってきてから、ため込んでいた怒りを一気に爆発させる羽目になったわけだが。
学校では、隷属階級獣種の学籍名簿も作られていなかった。いついなくなってもいいように、意図的にそうしていた節さえある。理事は、ひいてはそれを黙認していた配下の運営陣にも――隷属階級の獣たちは、事実上学生として認めていなかったのだ。
当然のように、名簿にはモモセの名前もなかった。
俺の推薦と知っての無礼か、とウルドは訊ねたが、『博愛は結構だが、今一度ご自身の身分を考えられてはいかがか』と返される。
出自も才も分からぬ少年の偏重は風紀の乱れに繋がる――とそこはもっともらしく彼は苦言を呈するのだった。
『兄君も最近は離宮にお籠りのようですし、ご兄弟揃っていったい何をお考えなのだか――』
ウルドは兄の動向は知らないが、だとしても、それとこれはまったくの別問題であり論点のすり替えにすぎない。その話ならば部族議会で持ち出すべき話題だった。
国庫から無償で居場所と知識を提供している以上、やすやすと逃げ出されても困るし、その知識を犯罪にでも使われるならばなおさら困る。彼らをきっちりと管理するのは学校の務めのはずだったし、それを取りまとめるのはウルドが所属するのとはまた別の部署だ。
「俺は、教育部の役人じゃあない」
ウルドはぼやいた。どういうつもりだと理事を問い詰め、即刻学籍簿の作成を命じたが、本来それはウルドの役目ではない。彼のすべきことはいなくなったと思しき仔どもたちの捜索である。
理事からは、そんな仔どもはいない、報告もない、と突っぱねられてしまったが。もとより学校という場所に息苦しさを感じ、失踪する隷属層は珍しくない。それが獣種の仔ともなれば、誰も探そうなどとは思わないし、なおさら表には上がりにくくなってくるだろう。
ウルドはこれまでモモセを探す延長で頻繁に幼年学校を訪れる機会があったが、ホズミに言われるまでそのようなことが起こっているとはまったく気付いていなかったし、子どもたちから聞かされることもなかったのだ。
しかしよくよく訊ねてみるとそのようなことがある、というのは確かなようで、これまでそれを何か事件性のあるものとして捉えてはいなかったのだ。
ただの学生たちの気まぐれならよし、何か事件性のあるものならば本腰を入れて調査をする必要があるが、何のたくらみが裏にあるにせよホズミが意図的に忠言を寄越すくらいだ、後者の気配が濃厚である。
名簿がないため、まずは失踪した子どもが誰なのか、それがいつから始まったのか、子どもたちに聞きこむ必要があった。
「教育部も、いい顔はしないだろうねぇ」
いささか楽しげに、ルナーラルは言った。ウルドが他部署の業務を侵犯していることは確かである。もとより幼年学校は独自の閉鎖空間を作り上げている。普通ならば厳重な抗議がいくところだが、ウルドの持つ地位のせいで、彼には直接何かを言い立てることはできない。
「あたしもあなたの世話係じゃねぇんだけどね」
かわりに苦言をもらうのはルナーラルの役目で、それを彼は他の業務の何よりも楽しみにしているのだった。『報告できるような問題はない』『名簿は作るので手を引け』『あの皇子は何を考えてるんだ』という持ちこまれるすべての案件は、彼が窓口になって引き受けている。そもそも捜査自体は保安部の領分で、無能を舌鋒でやりこめるのは、彼の趣味だ。体面は皮肉としてウルドに奏上するが、内情はこんなものである。
「でも、補佐がやっと見つかるみたいで、安心だ」
「……モモセのことか」「他に誰がいるってんです? あたしはごめんだ」
そもそもあの子どもを補佐にする、と息巻いていたのはウルドのほうだ。それをしらじらしく訊いてくるとは。ルナーラルはようやく肩の荷がおりると、大げさに息をつく。確かに彼は男の部下だが、補佐になるような地位ではない。ウルドが補佐を持たないばっかりに今まで律儀に遠慮していたが、本当はルナーラルだとて補佐官のひとりや二人、いたっておかしくないのである。
ウルドは煩そうに顔を顰めた。
「……早急に名簿を作らせろ。教育部も、こんな管理を見逃しやがって。怠慢にもほどがある。作るつくると言いながら、のらりくらりと逃げるのが目に見えている。期日を出させろ。越えるならば俺が作ると言え」
「あそこは最初から改正には反対だった連中だそうじゃないの。気づかないふりをしたいのも当然だ」
「事実、どうでもよすぎて知らなかったといったこともありうる。改正から三十年たつのに、この国はまったくかわらないみたいだな。お飾りの法律らしい」
「ないほうが良い、が大多数の貴族の意見だろうしね」
あなただって同じだ、とルナーラルは薄く笑う。
彼はもちろんモモセの出自を知っているし、上官の行き過ぎた執着も重々承知している。
「あなただって、正義の人というわけではない。あの仔どもがあなたにとって大切だから、わざわざこうして動いている」
執務机に寄りかかり、ルナーラルは上官を横目に、あえてそう言ってやった。男は真顔でルナーラルを見つめた。
西日が差している。部屋は赤と黒に満ちている。図星をさされ怒られるかと思ったが、予想に反して上官は静かな声を出した。すっと視線が外される。
「……ホヅミは一体どこに消えた?」
「──調べさせてますが、まったく捉まらないねぇ。経営してる娼館のいずれかに隠れてるんじゃないです?」
「臭うだけ臭わせて……、何か企んでるな」
「あの人が何かを企んでなかったことなんて、一度だってなかったじゃない。腹ん中に、いつも悪意を飼っている男だ」
「引き続き、調べろ。見つけたらどんな罪状でもいいから、引っ張れ。埃しか出ない身体だ。協定は破棄だ」
「あい、さー」
おどけて敬礼、異国のふざけた言葉遣いも、いつものことなので咎められることもない。
「明日また学園に行く。聞き込みだ、ついてこい。担当班を組織しておけ」「それはもちろん。でもそれ、あなたがする仕事じゃあないんだけど。あたしもね」
「俺がこの件に関して譲ると思うか」
「動機が不純なんだよなあ……」
ルナーラルは溜息を吐いたが、その口元には笑みを乗せたままだ。
「そうだ不純だ。何が悪い? そもそもこの椅子に座っているのだって、あの子のためだ。目的は果たされたが、まだ役に立つ。こうでもしなけりゃ今更俺があの子に会いに行く理由もないからな。僥倖だと思っておく」
椅子に踏ん反り返った男は悪びれた様子もない。だから別段それを本当に咎めるつもりがあったわけでもないのだけれど、ルナーラルは軽く上司の逆鱗を蹴っ飛ばした。
「でもあの子からはあんたの匂いが薄れてたよね。どころか……他の男に上書きされてる」
途端、ピタリと動きを止めた男から、次の瞬間蒼白い怒気が噴出した。あまりに鮮烈な怒りのベゼルが荒れ狂う物理的な疾風となってウルドを取り巻く。
それが他者に、元凶であるルナーラルに向けられなかっただけまだ分別があったようだが、寝た子を起こすに十分だったらしい。
「ああ、クソ、ラシャードめ、余計なことをしくさって」
心底忌々しげに、地獄の底を浚うような声音で男は低く唸りを上げた。
「あのベゼルは知っている。炎虎の族長だ。あの御仁のベゼルなら、確かにまとっていても不審には思われんだろうな」
「まあなにぶん男女問わず好色なお方だし、学問に出資を惜しまないですからねえ」
誰かの手つきであること、それ自体はなんの問題でもない。高位の者が下位の者の身を抱くことは、男同士においては庇護と忠誠を意味する儀式になる。
だがそれが、モモセであれば話は別だ。
西の砂漠の民族であるその男が都を訪れているという話は聞かないので、なんらかの術を使ったのだろうが、それでもそれがモモセの体内から臭うというのははらわたが焼けるほどの不快さがある。
「教師としては当然のことをしたと思うけどね、彼は」
「俺の友人としては最低だ」
「どちらにせよ、またあなたが上書きしちゃったじゃないですか。いやぁ、そのときのラシャードと言ったら」
「ふん、それくらいせねば溜飲が下がらん」
当然のような顔で言うが、そのせいでどれだけラシャードが頭と胃を痛めることになるか、知っていて無視しているのだろう。
同じ貴族でも王族の持つベゼルを纏っているのと、それ以外とでは大きく意味が異なる。
それを見越してのラシャードの采配であったのに、それらをすべてウルドは見越した上で、無にしたのだった。
「また明日もあの子に会いに行くつもり?」
「当たり前だろう」
ルナーラルは激怒していた三日前のラシャードを、幸の薄そうないとけない少年の、警戒心にまみれた表情を思い出す。
可哀想にと思えども結局彼にできるのは忠告までで、それが王族たる無神経さのあるウルドに通用するのは滅多にないのだ。
彼はウルドの執着をよくよく知っている。
ラシャードもそうであったはずなのだが、やはり常日頃からの関わり出なかった分、その計算結果にいささかの差異が出たらしい。
この狂気じみた男が、寮に逃げ込まれたくらいで諦めるものか。
世界の理すら足蹴にするほど、血筋からしてかの一族は≪神の血統≫に狂っているのだから。
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