秘密の花園 ~光の庭~

犬飼ハルノ

文字の大きさ
29 / 30
真神憲二と真神勝巳

王国(俊一、覚 『無花果』関連)

しおりを挟む


「The storm was not an angry one anymore.
  Nice steady rain made a lullaby sound on the roof of the cabin. 
  So Margaret got into her bunk.
  She blew out her lamp, curled up inside her nest of blankets and fell asleep.
  The day on The Maggie B. was over.  ・・・」

            (『THE MAGIE B』 Irene Haasより)





 そうっと絵本を閉じて、傍らの子供たちの顔を覗き込む。

 広い寝台に、妹の清乃と、弟の憲二。
 まるで小鳥のように肩を寄せ合って目を瞑り、規則正しい寝息をたてていた。
 どうやらなんとか夢の国へ旅立ってくれたようだ。
 俊一は枕元に腰を下ろしたまま、二人の肩にキルトケットをかけ直す。

「・・・眠ったか?」

 ノックなしで部屋へ滑り込み、忍び足で寝台に近付き覗き込む男の腕には、生まれてまだ数ヶ月の末弟が抱かれていた。

「ようやく・・・な」

 一年ぶりに会う父親に、興奮しないわけはない。
 二人は目をらんらんと輝かせ、俊一にまとわりついた。
 そして寝かしつけるための読み聞かせの絵本は一冊では到底済むはずもなく、次々とせがまれた。
 ついには怪奇ものの昔ばなしを紐解き、化け物が手当たり次第に人々を食べ始める段に至ると、その節回しが気に入ったのか、二人は寝台で跳ねて歌い始めた。

『た~べちゃった、たいらげちゃったー』

 きゃっきゃと清乃と憲二が子犬のように転げ回り、とても昼寝どころではない。

「清乃のおてんばぶりは、まるで山賊だな…」

 実際、海賊になって世界を回りたいと言い出す始末だ。
 今頃、夢の中で憲二と物語の海に乗りだしていることだろう。


「勝己もそこに寝かせて良いか?」
「うん。もちろん」

 腰掛けていた寝台から身体をずらし、憲二の横に赤ん坊の場所を作る。

「・・・お前はよく寝るなあ」

 ちいさな両手を開いてだらりと落とし、安心しきった寝姿につい笑みが漏れた。

「一番、大物かもしれないな」

 傍らに腰掛けた峰岸覚も笑う。
 その穏やかな笑顔に、俊一は見とれた。
 一年に一度と決めた約束の日を待たずに再会できて、天にも昇る気持ちだ。
 実は三日前に俊一がこの別荘へやってくるのにあわせて祖母が覚を呼び寄せ、俊一への早めの誕生プレゼントだと、悪戯っぽく笑った。
 彼女は、俊一と覚の何もかもを理解し、見守ってくれているのだ。


「さとる」
「うん?」

 そっと顎を挙げて唇を差し出すと、ゆっくりと重ねてくれた。
 夢にまで見た、優しい唇。


 もう十八歳になるのだからと、数年間わからなかった覚の居場所も祖母は教えてくれた。
 現在の日本の政財界で活躍している派閥の一つに長田家という、製薬会社を母体にした一族がある。
 彼らは人材育成を趣味と豪語して憚らない。
 血族ばかりだけでなく、これはと見込んだ人間ならば国籍も問わず受け入れ、それぞれに適した教育を施した。
 通称、『長田塾』。
 覚は、真神家で住みこみ家政婦を務めていた母が急逝した後、今は亡き祖父の尽力でそこに籍を置き、現在留学中だ。
 そもそも政財界は網の目のように姻戚関係が張り巡らされている。
 当然のごとく祖母の実家である桐谷家と長田家には代々密接な繋がりがあり、覚と連絡を取るのは容易なことだったらしい。

 しかし、今ここに覚が滞在していることは秘密である。
 父に知られたら、もう、二度と会えないかもしれない。
 そう思うと、ますます離れがたく、子供たちに遠慮して触れ合うだけのキスに焦れてくる。

「もっと・・・」

 呟きは、吐息と一緒に絡め取られた。

 父の惣一郎が、祖父の実質的愛人だった覚の母の峰岸夕子を嫌っているせいで、覚の存在自体を無視されている。
 おそらく、元総領の愛人の連れ子などのたれ死んでいると思っているだろう。
 いや、そうでなければ、気が済まないのだ。

 なぜならば、祖父と峰岸夕子の恋愛は、俊一の生みの母である桐谷光子とその養父である桐谷輝実のただならぬ関係を連想させるからだ。


 光子は古典になぞらえて、紫の上とも、待賢門院とも影で囁かれていた。
 年の離れた養父の娘であり、愛人であった女だと。

 暗部を影で操る化け物と噂された輝実には子供がおらず、気まぐれに何人もの養子を設けては、どれも途中で飽きて放逐していた。
 その中で、唯一残ったのが光子だ。
 こうこ、という名の、照りつける夏の太陽のような娘。
 没落華族の親より買い上げたその日から、全てが変わった。
 齢七つにして、光子は既に王者の風格を備えおり、気高く他を寄せ付けない瞳で人を圧した。
 そして、そんな少女を、輝実は鍾愛した。

 『お前は、私の生神様だよ』

 神のようにあがめ、娘のように慈しみ、いつしか、女のように愛した。

 『私の、私だけのヒカル』

 許されざる愛だと、止める間もなく。



 噂を、知らなかったわけではない。

 ただ、還暦に近い男と少女が心から愛し合うわけがないと信じていた。
 しかも桐谷輝実が亡くなって十年経ち、所詮、生きている者の勝ちだと高をくくっていたのかもしれない。
 郷里でも東京でも女達は誰もが惣一郎の女になりたがり、奢りがあったことも否めない。
 そして結婚してしまえば自然と気持ちも沿うものだと、誰もが言う。
 例外があることを思いもせず。


 結果として、光子は夫婦としての暮しをほとんど許さず、俊一を産んだ喜びを分かち合うことなく息を引き取った。

 そして、惣一郎にひとかけらの情も抱かないままであった事実が、後から後から聞こえてくる。
 認めるわけはいかなかった。
 老人に、負けたなどと。
 一顧だにされなかったなどと。
 己の心の均衡を図るために、遺された俊一に全てを注ぎ込み、溺愛する。

 俊一は、真神あり、光子であった。

 そして、全ての負の感情をはけ口が、後添えの芳恵だった。

 存在そのものを憎み、冷遇した。
 辛いなら、出て行けばいい。
 代わりはいくらでもいる。
 いくら罵っても、ただ泣くばかりの愚鈍さに、憎しみが増した。
 自分のそばに光子がいないのは、芳恵のせいだとすら思った。
 芳恵の産んだ二人の子供たちを無視し、三人目は必ず堕ろせと言い捨てて、それきり一年間放置した。
 そして完全な別れを通告するために、はるばるこのスイスの療養地までやってきた。


 しかし。
 強い憎しみの裏返しがなんであるのか、俊一には見えてきた気がする。

「結局、手放せないんだろうな…」

 子供たちともども生家に返して押し込めさせておくつもりが、祖母から桐谷への移籍と再嫁の提案をされて、動揺したはずだ。
 おそらくは、離縁を翻して復縁を選ぶにちがいない。
 芳恵の代わりは、どこにもいないのだ。
 他人のものになることも許せないなら、それは執着であり、愛ではないのか。

「認めれば、どんなにか楽だろうに」

 
 ただ、お前を、愛していると。


 先ほど惣一郎が芳恵の部屋へ入り、今後の話し合いがもたれていると聞いた筈なのに、赤ん坊だけ連れ出され、別室で待機していた覚に託された。
 それが何を意味しているかなんて、愚問だ。

 結局、二人は離れられない。

 どんなに辛くても、どんなに憎くても、離れることは、出来ないのだ。


「比翼の鳥…」


 覚の呟きを、広い胸に背中を預けて聞いた。
 たしかにそうだ。
 一緒になって、ようやく大空を飛べることに父が気付くのはいつのことだろう。
 芳恵は、それまで耐え続けるつもりなのか。


「俺は、母さんみたいに我慢強くないし、待てない」



 傍らに置いていた絵本の水色の表紙を、そっとなでる。

「どこか、遠くに行きたいな。船に乗って・・・」

 まるで、この物語のように。

「覚と、清乃と、憲二と、勝己。それからお祖母さま。本当は母さんも連れて行きたいけれど…」

 父を残して、どこにも行けないだろう、あの人は。
 優しすぎる、美しい人。
 だから、せめて。


 ふと、指先に柔らかな感触を感じて目を落とすと、いつの間に起きたのか、勝己がちいさな手で指を握って笑っている。
 ちいさなえくぼを頬に浮かべ、さかんに手足を動かし、生き生きとした目で俊一たちを見上げていた。
 つられて、つい笑みが浮かぶ。

「勝己。お前は、俺のものだからな・・・」

 囁きかけると、ますます喜んでばたばたと踊った。

「かわいい、かわいい勝己・・・」

 目を合わせてあやしながらちいさな握手を楽しんでいると、隣で寝ていたはずの憲二がふいに顔を上げた。

「だめ」
「ん?」

 両肘を突いて身体を少し起こし、長い睫をしょぼしょぼと瞬かせながら口を尖らせた。

「ぼくの」
「なにが?」
「かつみは、ぼくの」

 恨めしげな眼差し。

「え?」
「ぼくの、なの」

 引っ込み思案だった憲二が、珍しく譲らない。
 後ろから一緒に覗き込んでいた覚が吹き出して、抱きしめてくれていた腕に力が入る。

「・・・勝己は、憲二のものなんだってさ」

 くっくっくっと、肩に笑いをおとされて、俊一は複雑な気分になる。

「・・・じゃあ、勝己は、憲二のものな」
「うん」

 真剣な眼差しを交わした。

「やくそく」

 細い小指を差し出されて、絡める。

「やくそく、な」

「うん」

 きゅっと、締め合った後、ふいに憲二の力が抜け、ぱたりと頭が枕に落ちた。

「あれ?憲二?」

 慌てて抱き起こすが、反応はない。
 ちいさな寝息が返ってくるばかりだ。

「なんだ・・・。寝ぼけていたのか・・・」

 安堵のため息をついて、憲二を楽な姿勢に寝かせてやった。
 満足げな寝顔に、暖かな気持ちが広がる。
 そばでは、勝己と覚が笑っていた。
 清乃は、夢の中で冒険を楽しんでいる。
 なんて、幸福なことか。


「さとる・・・」
「なに?」

 首をかしげるつれない人の唇に、いま一度自らのそれを合わせた。

「ん・・・」

 唇をかわして、
 息をかわして。
 明日を夢見て、言葉を紡ぐ。


「いつか、みんなで行こうな」

 今は、なんの力もないけれど。 
 いつか、きっと。


 ここは王国。

 寝台の上の、ちいさな領土。

 子供たちだけの、ちいさな、ちいさな国。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話

八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。 古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。

処理中です...