わたしたちの庭

犬飼ハルノ

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初めての恋

 王宮までの道中の事は覚えていない。
 エスコートされて馬車に乗り、隣に座ったアーロンに時々質問されて答えてを繰り返しているうちに着いたような気がする。
 あとから追いついたブルーノ家の人々と合流してホールに入場し、色々な人と引き合わせられて挨拶をしているうちに、拝謁の時間になり、デビュタントの女性たちの列に並ぶ。
 周囲の貴族たちからの容赦ない視線とざわめきにフィリスはしばらく耐えた。

『あれが、ウエスト家の長女』
『病気療養と聞きましたが……」

 国王を始め王族たちへの挨拶をなんとか乗り切り、ほっと息をついて歩き出すと、アーロンが待っていた。

「行こう」

 またエスコートされて足をすすめる。
 自分は教わった通りにきちんと歩けているだろうか。
 香水や葉巻の匂い、アルコール。
 着飾った貴族たちに、飲み物を配る侍従たち、そして警護の騎士たち。
 これほど多くの人がいる場に来たのは初めてで、フィリスは混乱した。
 空気が、足りない気がする。
 ブルーノの丘に早く戻りたい。
 でも、ブルーノ家の人々に恥をかかせてはだめだ。
 弱気な自分と叱咤する自分が交互に現れては消える。
 懸命に歩いているうちに、楽隊が音楽を奏で始めた。

「フィリス嬢」

「はい」

「ダンスを一緒に踊ってくれますか」

「はい。……喜んで」

 社交上の決まり文句だと思っていた。
 だが、アーロンは心から嬉しそうに笑った。
 
「あの」

「うん」

「私、練習以外で踊ったことがなくて……。ブルーノ伯爵令息にご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」

「男性と踊るのは初めて?」

「いえ。……昨日、ヤング伯爵が最後の練習に付き合ってくださいました」

「……ああ、彼は次姉の夫だから仕方ないか。でもまあ義兄は上手いって評判だから負けないよう頑張るよ」

 まるでフィリスとずっと知り合いだったかのように屈託のない様子のアーロンに驚いている間に、一曲目が始まる。

「ほら、大丈夫。僕に任せて」

 ふわりと体が浮いた。
 そして、彼の手に導かれて自然と足はステップを踏む。

「うん。君は勘がいいね。迷惑どころかとても上手じゃないか」

 褒められて、どうしたらいいかわからなくなった。
 思わず顔を伏せると、腰を引き寄せられ、回転させられた。

「……っ」

「ほら、見てごらん。シャンデリアの光が綺麗だろう」

 抱きかかえられるようにしてくるりくるりと回るうちに、フィリスは無性に笑いたくなってきた。

「ふふ。そうですね。キラキラしていて、まるでお星さまみたいです」

 思わず手を伸ばしたくなる。
 なんだかとても楽しくて。
 そのまま二曲目も躍った。
 アーロンにリードされると、まるで自分は小鳥になったかのような気分だ。
 駆けて、回って、笑って。

「ほら、君の瞳の中に光が降りてきてるよ」

 鼻と鼻が付きそうなくらい近くに顔を寄せられ、フィリスはじっとアーロンを見た。

「貴方様こそ」

 アーロンの瞳は東の国からやって来た青い磁器に似ている。
 その冷たいような柔らかなような青と緑のはざまに吸い込まれそうだ。
 フィリスは瞬きを忘れた。

「フィリス」

 気づけば演奏は終わっていて。
 フィリスの両手は空になっていた。

「え……?」

 目の前にアーロンが跪いている。
 胸に手を当て、片膝をついて、うやうやしく一礼した後、フィリスを見上げた。

「結婚してくれないか」
 
 磁器を指ではじいたような、繊細な声。
 彼の瞳の輝きにまた、心を奪われる。
 差し出された手にフィリスは恐る恐る指先を重ねた。

「私で良ければ喜んで……」

 言葉の途中でアーロンは立ち上がり、フィリスを抱きしめ、額に口づけをした。

 途端に、周囲から拍手が上がる。
 アーロンに強く抱きしめられて、フィリスは夢見心地だった。

 まさか、こんな。

 もう何も考えられない。

 もう既に婚約しているのに。
 国中の貴族が揃った王宮のホールの真ん中で。

 恥ずかしさと嬉しさと、小さな不安と。
 
 胸は早鐘のように打ち、全身が赤く染まる。

「かわいいな、きみは」

 瞼に口づけられ、立っていられなくなりしがみついた。

 ただただ。
 フィリスは初めての恋をした。



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