天のゆりかご獣のすみか

犬飼ハルノ

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カササギ

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「萌さん。タオルの件で業者さんが二時くらいに伺いますって、電話がありましたー」
「あ、はい。ありがとう唯香さん」

 店の外の窓に洗剤を吹き付けて乾拭きしながら、答えた。
 明日からここでの仕事が始まる。
 駅近くの商店街の一角にあるこの美容室が経営難に陥ったのをオーナーが知り、居抜きで買い取って新しい支店に決めた。
 ここはマンションの一階に立ち並ぶテナントの一つ。
 隣は珈琲店、その隣に雑貨屋、そしてパン屋。
 お昼ご飯の確保に困らないのがありがたい。
 機材の配置は変わらないが内装はがらりと変えた。
 知人のつてをたどってアンティーク家具を少し入れて、居心地の良い空間を作れたと思う。
 あとはこの町に馴染めるかどうかだ。

「じゃあ、ちょっとだけポスティングして、あとは業者さんの対応してからにしようかな」
「なにも萌さんやんなくても、小夏ちゃんと私で回れると思うけどな」

 ふわふわとカールした茶色の髪がよく似合う唯香は私の一つ下。仕事の手際が良くて接客のスキルはかなり高い。
 正直、彼女が店長の方が向いていると思っているし、オーナーにも打診したが断られてしまった。

「明日が本番なんだから、みんな体力温存しとかなきゃ」
「それ、萌さんに返しますー」

 ちょっとじゃれ合いながらガラス磨きを楽しんでいると、背後から声がかけらた。

「あの・・・」
「はい?」

 二人で同時に振り向くと、小柄な女性が立っていた。

「ここ、また美容室なのかしら」

 年齢は七十代後半から八十代前半と言った感じで、少し背が曲がり、痩せ気味の足がとても細い。

「・・・あー。そうです。また美容室なんですよ。経営者は違うけど」

 明るい声で唯香が答えている間にそっと店内に入り、チラシと名刺を取りに戻った。

「初めまして。『pica pica』の店長で八澤萌と言います。よろしくおねがいします」
「ぴか・・ぴか?」

 看板は完成しているが、それだけでは何の商売をしているかわかりづらいかもしれないことはわかっていた。

「はい。カササギって意味です。可愛いらしくて覚えやすいかなと思いまして」
「カササギ…。ああ、鳥のマークがついているのはそういう意味なのね」

 店名のバックにカササギのシルエットを入れていることに、名刺を見て気付いてくれたようだ。

「はい。明日から開店しますので、もしよろしければご利用ください」
「あの・・・。図々しいことは承知で言うのだけど、今日お願いできないかしら」
「え・・・」

 まじまじと顔を覗き込んでしまった。
 思わず口をついて出てしまったのだろう、老婦人も困惑している。

「あ、失礼しました。今日は・・・」

 機材は揃っている。
 朝一番で少し予行練習をしてみたから足りないものはないが、髪を染めたりパーマをするのは時間的に無理だ。

「ごめんなさい、カットだけでもいいの。前はここからもうちょっと行ったところの美容室へ通っていたのだけど、さいきんどうにも膝が痛くて・・・」

 話を聞くと、このマンションの住人だった。
 ローズ色の綺麗なプリーツスカートの裾からのぞくすっかり細くなってしまった足。
 祖母の最晩年と重なり、ついに言ってしまった。

「わかりました。準備があるので店内で少しお待たせしてしまうことになりますが、よろしいですか?」

 目の端で唯香が口をぱくっと開けたのが見えたけれど、もう後戻りはできない。

「ありがとう!ごめんなさい、とても助かるわ」
「どうぞ、こちらへ。足元お気を付けくださいね」

 扉を開けて、ソファへ案内した。

「準備するんでちょっとお待ちくださいねえ。緑茶と紅茶とコーヒー、どれがお好みですか?」

 後ろからついて来た唯香がお客様に愛想よく話しかけてくれた。

「お気遣いありがとう。・・・緑茶をお願いして良いかしら」

 やや緊張した面持ちで小さな体をちょこんとソファにのせるさまは、おとぎ話の神様のようでどこか可愛らしい。

「はい、かしこまりました」

 にっこり笑って奥のキッチンに向かって歩き出すとき、こっそり私に囁いた。

「萌さん、ほんっとお年寄りに弱いですね。わかっていたけど」
「ごめん・・・」
「貸しですよ~。隣のコーヒー奢ってください」
「ありがとう」

 今夜は焼き肉をおごろうと心に決めた。
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