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バックヤード
しおりを挟む「相変わらずマメだなあ・・・。ありえない」
バックヤードで立ったままスープをすくって食べていたら、唯香が呆れたような声を上げた。
「スープジャーにミネストローネとかって、ほんっと見かけ通りの女子ですね」
まだまだ余力があると思われては困るので慌てて否定する。
「いやいや、単にこれ、今朝食べそびれた朝食なの」
すっかり冷めたスープをとっさに温め直してボトルに詰めてしまった。
結局、ほとんど手付かずだった朝食。
「食べそびれた?」
「・・・ええと、ちょっと時間が押しちゃって」
つい、ため息がこぼれてしまう。
今日も会話めいた物がほとんどないまま、身体だけつなげて終わった。
最近、このパターンばかりだ。
爛れているっていうのだろうか、これは。
疲れだけがおりのようにたまっていく。
「唯香さんも休憩できそう?」
軽く頭を振って話題を変えた。
「うん。今なら小夏ちゃんがトリートメントやってくれてるから」
頷きながら、唯香はフィルムを手早く剥いておにぎりにかぶりつく。
「おつかれさま」
今日も予約が詰まっていて、ちょっとした時間の隙間に食事を摂るしかない。
自分もパーマの機械のブザーを気にしながら続きをほおばると、唯香のくぐもった声が耳に入る。
「・・・あのさあ、萌さん」
海苔と、マヨネーズとシーチキンの匂い。
「んー?」
「笠井さんって初めてのひと?」
思わず口の中のものを吹きそうになるのを何とかこらえてのみ込んだ。
それでも少し気管に入ってしまったのでむせて咳き込む。
「あ、ごめ・・・」
申し訳なさげにぽんぽんと背中を叩かれる。
「・・・うん、うん・・・」
ようやく人心地ついたとき答えた。
「ええと、まあ・・・そんなかんじ」
笠井は、この仕事に就いたときに指導してくれた人の一人だった。
十八で美容師業界に入り、がむしゃらに仕事を頑張って、気が付いたら彼が近くにいた。
「萌さん・・・ほんっとまじめですね。まさか正直に答えてくれるとは思わなかった」
唯香のぽかんとした顔に全身の血が一気に巡る。
「仕事場なのにこんな居酒屋で聞くような話振ったの、そっちじゃない」
もう、泣きたい。
スプーンで意味もなく容器の中をかき回す。
「ああ、ごめんなさい。でも、そんな気はしてたんだよねぇ・・・」
「そんなって、なにそれ」
「そういうの、結構好きそうだな笠井さんって。なんか萌さんって紫の上っぽいというか」
まっさらな雪って感じ?
上目遣いの、どこかいたわるような視線にいたたまれなくなる。
「もうはたちだったから!そんなことないから!」
「そこまでは聞いてない・・・っていうか、二十歳になるまで待ったんだ、一応」
もくもくとおにぎりをほおばりながら言うことなのだろうか。
「いやもう、この話もうやめておねがいたのむから」
私たちのいるバックヤードは洗髪ブースより奥で、女性ボーカルの音楽も流しているから、お客様の耳にまで内容は聞こえづらい。とはいえ、話し込んでいるのはわかるだろう。
「そうですね。かなり踏み込み過ぎましたね」
ちょうどよいタイミングでアラームが鳴り誰かが動いてくれた気配がした。
急いでスープジャーのふたを閉める。
「うん、その話題、もうこれきりで」
鏡で軽く化粧崩れをチェックしてから歩き出す。
「はあい」
持てる限りの力を振り絞って接客モードへ切り替えた。
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