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本編
乱入
しおりを挟む「どうしてここに?なっちゃん先に帰ってたよね、確か」
佐古は本間の事を意外と気に入って可愛がっているので、たまにそう呼ぶ。だからなのか片桐をわざわざ所属部署まで迎えに出向いた時に、すでに行き先掲示板が帰宅表示になっていた事を覚えていた。
「ん。そうなんだけど・・・。とりあえず、ほんとに混ぜて貰いたいの。ちょっと面倒な男に追いかけられてて・・・」
そういって、するりと本間は背後から佐古の腰に手を回して肩に顎を乗せる。
「多分、右の柱の観葉植物の近くに眉と眼鏡のフレームが濃い坊ちゃんがこっち見てると思うのよね、そいつ」
「片桐、いる?」
肩越しにゆっくりと視線をやると癖のあるスーツを着た男が立ち止まってちらちらとこちらを伺っている。
「いるけど、こっちには来そうにない・・・」
「だろうね。そんな勇気はないさ。おいで」
佐古はするりと優雅にスツールから降りてそこに本間の手を取って座らせる。そして、かわりに右隣へ腰を下ろして親しげに肩に手を回し、ゆっくりと頬に軽く唇を押し当てた。
驚いて目を丸くする片桐に、ちょっぴり肩をすくめた本間が声を低くして尋ねる。
「どう?行った?」
「あ?ああ・・・」
遠目にも悔しそうな顔をして男は出口に向かった。
「でも、しばらくは要注意だね、なんか粘着質そうだったし」
「そうなのよ~。偶然とはいえ、助かったわ・・・」
よしよし、と佐古がその頭をなでる。
「で、どうしたの?」
「営業の赤坂に騙されたのよ・・・」
「赤坂?ああ、池山の所の事務の子?」
親しくはないが仕事の関係上、佐古も片桐も顔の覚えはある。
本間とは同期入社でそこそこ親しかったらしい。
「久々に晩ご飯でも一緒に食べようって言われて来てみたら、合コン会場で。しかもあいつ、場を盛り上げるネタにしてくれて・・・」
「ネタ?」
佐古は本間のために軽いカクテルをオーダーしながら首をかしげた。
「そう。人の不幸は蜜の味ってとこね。私、つい最近彼氏と別れて住所不定なの」
「はい?」
かくん、と片桐が肘を落としかける。
「で、『この子、彼氏の家飛び出して今は駅前のウイークリーマンションに住んでんの~』って、赤坂が言ったもんだから、持ち帰り目的のヤツらが目の色変えてさ。特にさっきの男なんてしつこいしつこい・・・」
たいていの男は、失恋した女は肌寂しいと思い込んでる節がある。しかも一人住まいならなおさら転がり込むチャンスだと色めきだった事だろう。
「ええと、赤坂さんは何がしたかったのかな?」
正直言って、オオカミの群れの中に本間を投げ込んだようなものだ。
「あの子の目当ては幹事の男だったの。だから、合コンは口実」
ことあるごとに身体をべたべた触られて気持ち悪かったと、本間は出されたおしぼりで手を神経質にぬぐう。
「ああ・・・。なるほど。でも、よくそこで堪えたね」
「だって、菱沼商事だったのよ、あっちの面子。池山さんたちが今狙って色々接待している所よね?下手なコトしてご破算になったら嫌だもの」
「菱沼商事・・・」
片桐の酔いもすっかり覚めた。
大がかりなシステム改変の計画があるらしいと池山から依頼されて、水面下で片桐も立石も本筋の仕事とは別に準備していた物件だ。立石の後輩の江口に至ってはその調査のために現在は中国に長期出張している。
そして、春彦が立石たちに介抱された夜に片桐が持ち込んだ佐古への提案書はまさにそれだ。
「ありえない・・・。何考えるんだ」
その後も、獲得のための裏工作は続いている。
「ん。今のあの子には婚活しか頭にないの。それが悪いとは言わないけど、さすがに頭に来たから、呪いをかけようかと思ったものねえ」
「・・・何ののろい?」
「『せいぜい一夜妻』の呪い。でも中身はチャラそうだったから、私が手を汚すまでもなかったわね~」
ふふふ、と本間の目が怪しく光る。
「・・・こわい」
「そうよ、女は強いし怖いの。今更知ったの?」
ふふんと得意げに胸を反らして、カクテルを流し込んだ。
「そもそも、濡れ場に居合わせたくらいで不能になっちゃうなんて、男って繊細すぎて話にならないわあ」
容赦ない爆弾発言に、佐古と片桐は同時に吹いた。
さすがの佐古もそう来るとは思ってもいなかったようで、首を腕で大きくホールドして唸り出す。
「なっちゃーん。いきなり何言うかな~」
「・・・つうか、お前、どこから聞いてたんだよ・・・」
「ん?えっとねぇ・・・。『男相手によく勃ったね、片桐』かな?」
二人の頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。
どこからだ。
どのあたりの話から本間は耳にしている?
「ええと・・?」
「ああ、そうそう。クリームとコンドームがあって良かったね、片桐さん」
にっこり、グロスも綺麗にきらめく唇から、まさにあり得ない台詞がこぼれ落ちた。
「どんな爆弾仕込んでるんだよ、この口は!」
横から片桐も本間の口をふさぎ、きゃーっとかわいらしく身体をくねらせて悲鳴を上げる彼女を佐古も取り押さえ、その騒ぎに、従業員および近くの席に着く人たちは奇異の目で見ている。
「まったく油断ならねえな、聞き耳頭巾」
「いや、聞くつもりはなくて、声をかけるタイミングを計ってたら話がどんどん展開していって・・・」
ごめんね、と両手を合わせて首をかしげられて、男性二人は同時にはーっと息をつく。
「・・・俺は良いけどね、そもそも隠す事でもないから」
「まあねえ。私もまさにそれで揉めてるから、人ごとじゃないわよ」
「何、彼氏が不能?」
「いいえ、逆です。2週間くらい前かな、生理痛で早退したら、彼氏が全裸になって女の乳首咥えてる真っ最中で」
「は?」
「もう、びっくりしたわよ。乳輪が私の3倍くらいある巨乳に顔を埋めてうっとりしてるあのアホ面には・・・」
「ちょっとちょっと、ほ、本間さん?」
あまりにも具体的に表現されすぎて、想像してしまった片桐は赤面する。
「なっちゃん、実は結構呑んだでしょ、さっき」
いくらなんでも、公共の場で若い女の子が口にする言葉ではない。
「まだ、シャンペンとワイン三杯くらいしか飲んでない。至って平常よ。とにかく一番腹が立ったのは、私が一月のセールで買ったばかりのベッドの上でコトに及んでた事よ!」
ぎりっと、歯を食いしばったのが聞こえた。
「そもそもあっちが無一文で転がり込んできたから、生活費の諸々は今まで私持ち、でもシングルだとあまりに狭いからセミダブルでシモンズのを夏のボーナス一括払いで買ったらこのざまよ。ああ、もう馬鹿みたい」
要するに、支払いの済んでいないベッドと言うことで。
「養ってたんだ、なっちゃん・・・」
長い付合いの彼氏がいることはみんな知っていたが、詳しい話まではさすがに男性陣の耳に届いていなかった。
「でも、なんでお前が出て行くんだよ。家主なのに?」
「もう、あそこで寝たくなかったの。さすがに気持ち悪くて嫌だもん。その日はホテルに泊って、翌日、ヤツが出かけている間に速攻でウイークリーマンションに荷物を移したわ、ベッド以外」
「そのベッド、どうするんだよ・・・」
「部屋の契約はまだ残ってるし、実はあっちの収入もそろそろまとまってそれなりに入るはずだから、生さんに弁護士紹介して貰って、慰謝料としてローンごと引き取らせるよう画策中よ」
「できるんだ?」
「あいつ、あれでも今売りだし中のミュージシャンだから」
グループ名を聞いて、二人はああという。
最近、評判の良かったドラマの主題歌でデビューしたはずだ。
「ああ、なるほど・・・」
今までの本間は彼の糟糠の妻だったというわけだ。
「で、相手も売り出し中のグラビアアイドル。わかりやすくて、一瞬で冷めたわね。でももね・・・」
「でも?」
佐古が水を向ける。
「だからって、男と二度と寝たくないとは思わないのよ。あいつは無理だけど、セックスそのものに嫌悪感はないわ」
まっすぐに見つめる本間に佐古は目を瞬かせる。
「そうなんだ?」
「うん、そうなの。あれは趣味の悪いアダルトビデオを見ちゃったって感じでかな。私はやっぱり男の人がそばにいて欲しい。自分より大きな身体にくっついて眠るととても安心するの。私ってつくづく男の身体が好きなのかも。」
あまりにもあけすけな言葉に苦笑した。
「言うねえ」
「なぜかなあ。小さい頃は川の字で寝かされたり二段ベッドで空間を共有するのが子供扱いされているみたいで物凄くいやだったのに、実際は大人になったら二人で眠るのが自然になるなんて。まるで大人の方がひとりが怖いみたい」
「独りが怖い・・・か。たしかにね」
怖いのは独りでいることなのか、それとも。
「俺は雄としての焦りもあったかな」
誰も腕の中にいないことの不安。
「だから、寝てみようと思ったの?立石さんと」
ストレートすぎる質問にぎょっと片桐が目を見開いたが、佐古は気にすることなく応えた。
「う・・・ん。言われてみればそうかなあ。徹は楽だから。徹ならいいかとその時は思ったんだけどね」
数年前に佐古が帰国してからの立石は、常にぴったり寄り添っているように見える。
ただ、それはいつまでも風のない日の湖のように静かすぎて、互いに熱を帯びることは決してなかった。
「でも、楽と、セックスは違ったでしょ」
「残念ながら」
本当に残念だなと、思った。
徹だけで生きて行けたら良かったのに。
「とりあえず酔ったふりしてで無理矢理押し倒して、服を剥がして、触ってはみたものの、ほんっと、盛り上がらない盛り上がらない。その時の徹のなんとも言えない顔と言ったら」
はははと、軽く笑う佐古に同調して良いものか、片桐は困惑する。
こんなメガトン級の秘密を聞かされて、これから立石に会った時に自分はどういう顔をすればいいんだと。
「だって、楽と好きじゃぜんぜん違うもの」
「違うかな。俺、徹のこと結構好きだよ?」
「そりゃ、立石さんのこと大好きなのは見てたらわかるけど、あなたたちが手を繋いで歩いていても、私には小学生の仲良しさんが、遠足でご機嫌に歩いているような微笑ましさしか感じないわ。なんか、生々しい感情がないのよ」
「生々しさねえ」
「むき出しの欲?さっきの男みたいにヨダレたれてるのは行き過ぎだけど、それがないのよね。ああそうだ、狛犬よ、狛犬!!」
「こまいぬ?なにそれ?」
首をかしげる佐古に片桐が助け船を出す。
「・・・神社にいる、アレかよ?あうんの・・・」
「そうそう、二対で参道を挟んでおおむねちょこんと礼儀正しく座ってる獅子みたいなやつ。黒白王子ってそんな感じなのよね。適度な距離で並び立つけど、けっして交わったりしないのよ」
「けっして交わらない・・・」
「うん。だって、佐古さんは立石さんの手を触って、幸せな気分になる?」
「うーん。別に?手は手だから」
「でも、手を繋ぐのもキスをするのも、一つになりたい気持ちの始まりじゃない?立石さんといつでもキスしたりしたい?」
「それはないな」
苦笑混じりに髪をかき上げた。
「だから、違うと思うの。相手を間違えたのよ」
本間はその手を両手で撮って頬に寄せる。
「大丈夫。きっと、そのうち手をつないでいるだけでも幸せな気分になっちゃうような人に出会えるわよ。佐古さんはちょっと色々傷ついて、好きになったときの気持ちをどこかに忘れちゃっただけよ」
「そうかな」
「そうよ」
額を寄せ合って二人で笑う。
「で?盛り上がっちゃった片桐さんはどうするの?」
くるりと振り返って見上げる本間に、いきなり話を振られてどきまぎした。
「え?俺?」
「うん。私は女の人と寝たいと思わないし、酔っても触りたいとも思わないわ。なのに、そこをかるーく乗り越えちゃったのよ、片桐さんは」
「いや、軽くはないと・・・」
これでも、俺は物凄く悩んでいるんだとぼそぼそ反論すると、本間はばっさり切る。
「軽いわよ、ほんとありえないって」
「そうだよな、一晩中いじっていたんだよな。ありえないよな」
「まあー。いやね、一晩中?片桐さんってば、そんな普通の顔して実は絶倫?」
二人が結託すると、手も足も出ない。
「また、何でそっちに話が行くんだよ・・・」
片桐のほとほと困り切った声をあげた。
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