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第一章 伯爵家の兄弟

6.盗賊退治へ(3)

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 早朝にヴェリエ城を出た僕たちは、日暮れと共に街道脇の空き地に野営することにした。ちょうどそばに川が流れているためだ。

 “霧の森”には明日の昼頃に着く予定である。

「フェリクス様とシリル様はこちらのテントを使用してください。フィリ殿は手狭ですがあちらのテントを」

 兵たちが手際よく設営してくれたテントを指し、ゲイルがにこやかに言った。伯爵家の紋章であるケルベロスが描かれた大小のテントは、それなりにしっかりした造りだった。

「私は必要ない」

 フィリは眉を顰めて、小さなテントを一瞥した。ゲイルが不思議な表情で首を傾げる。

 僕はゲイルに向けて口を開く。

「フィリは“森の妖精”と人間の混血なんです。だから囲われた場所より自然の中を好みます」
「“森の妖精”……」
「そうです。人間がエルフと呼ぶ種族です」

 僕の説明にゲイルは目をパチクリと瞬いて改めてフィリを見やる。

 燻んだ金の髪と緑の目、尖った耳はエルフの特徴だけど、混血であるフィリの耳はどちらかと言えば人のそれに近かった。

「ただの伝説としてしか知らないが、本当にエルフ族は存在しているんですね」
「そうです。いるところにはいると思います。まあ、ちょっと照れ屋なところがありますから、人前に出ることは殆どありませんが」

 フィリと出会ったのは二年前、例によってヴェリエ城の裏の森の中だった。

「混血であるということですが、シリル様はどのようにして彼女とお知り合いに…?」

 ……さて、僕は時々城を抜け出しているわけだけど、今までそのことについて言い訳を考えて来なかった。見つからないだろうと鷹を括っていたためだ。

「ゴホン、そう言うわけだから、その小さいテントはゲイル兵長が使用してください」

 ニコリ。

 伯爵家次男の、「それ以上聞くな」を発動。ゲイルは愛想笑いを浮かべ、口を閉じた。権威というのは、時々魔力よりも役立つことがある。僕はそれを大いに実感した。

 その後僕は、長時間の騎馬に疲労した兄を連れて、大きなテントへ入った。

 中はそれなりに広く、左右に簡易的なベッドが設置され、中央にはテーブルとイスまであった。テーブルの上には軽食として新鮮なフルーツが置かれ、テントの隅には洗面用の水が入った桶まで用意されていた。

「兄上、夕食前に顔でも洗ったらどうです?砂埃で汚れているでしょう」
「ああ、そうだな。シリルは随分と乗馬慣れしているな」

 ニコリ、と笑ってはみたけど、兄に「それ以上聞くな」は通じない。

「僕はよく城の敷地内で馬に乗っていますから。好きなんですよ」
「そうか。俺とは大違いだ」

 こちらの意を汲んで心を寄せてくれる馬という生き物を、僕はとても好きなのだ。基本的に馬は人を思い遣るので、兄が乗馬が下手な理由は兄自身にある。いつまでもおっかなびっくりしていれば、僕が馬でもうんざりする。

「汚れを落としたら夕食にしましょう。兄上、僕は野営は初めてです。どんな食事が出るのか楽しみです」
「そういえば俺も練兵で一拍したきりだな。しかしあまり期待はするな。こういう時の食事は大して美味いわけではない」

 酒が飲みたいな、と呟く兄を急かし、顔を洗って装備を解くとテントから出た。

 兵士たちは炊事をするもの、周囲を警戒するもの、装備を脱ぎくつろぐものとそれぞれの行動をとっている。

 装備を解いたものも、数時間後にはまた装着して警備にあたる。役割を分担し、順番に休息をとる手筈となっているはずだ。

 いくつかある焚き火のひとつへと近付き、地面に腰を下ろしたところで、ゲイルが食事を運んできてくれた。木の碗に具沢山のスープと、保存の効く硬いパンだけの質素な食事だったが、丸一日行軍した体に染みた。

 前世では腹一杯という方が少なかった僕には、十分満足のいく食事だったけど、兄はやっぱり不服そうで、その表情は終始暗かった。

 そしてそんな兄に、一般の兵士たちが悪感情を抱いていることがヒシヒシと伝わってきた。

 連れ出さずにテントで食事をとるべきだったか、と今になって後悔する。

 行軍中もそうだったけど、やっぱり兵士たちは兄を良く思っていない。ポンコツだなんだと言われている兄が大将などと認めたくないのだ。

 それにたかだか盗賊捕獲程度に、本来必要のない歩兵として同行させられた彼らはうんざりしている。

 マズイなぁ。

 これでは伯爵の後継ぎとしてとてもよろしくない。いずれこの兵たちを率いることになるのは兄だ。

 少しでも良いから、なんとかして兵たちの信頼を得る方法はないだろうか。

 僕は兄の補佐に回ると決めた時から、常々考えてきた。

 伯爵を継ぐ上で、個人の突出した能力が必ずしも必要になるわけではない。そういうものを兄に期待するのは、期待するだけムダであり、その結果こちらも期待しただけ失望する。

 じゃあ何をもって家臣を統率するのかと問われると、それは単に志だ。

 兄にとって伯爵を継ぐ強い心や意志があれば、そこに感化される人間は必ず出てくる。武の力が欲しければそれを持つ人を、知の力が欲しければそれを持つ人を仲間にすればいい。

 その第一歩がこの任務となればいいんだけど。

 食事を終えた兄は、僕以外と会話を交わすのを避けるかのようにテントへ戻っていった。

 そんな調子で、隊は翌日昼、予定通り“霧の森”に接する街道へと辿り着いたのである。
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