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第一章 伯爵家の兄弟

8.“霧の森”と盗賊の正体(2)

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 昼食後すぐに、騎馬六騎と九人の歩兵が森へ入っていった。

 皆不安そうな顔をしつつも、気丈な態度で任務にあたろうとしている。流石だ。兄も見習ってほしい。

 そんな兄は、退屈そうな顔で森に入っていく兵士たちを眺めていた。恐怖も喉元過ぎればなんとやら、だ。

「兄上は行かないのですか?」

 体裁的には行った方がいいよ?と思いを込めて聞いてみる。

「俺が行ったって何になる?兵士らは盗賊や商人の子らじゃなく俺を探すハメになるぞ」

 返ってきたのは的確な自己分析だった。全く、ブレないなぁ。

「兄上はここで静かに見守るというわけですね」
「そうだな……しかし退屈だなぁ」

 ふわぁ、と伸びをしながらあくびをこぼす始末だ。いい加減引っ叩きたくなってきた。

「シリル様」

 その時フィリがそっと声をかけて来た。僕はどうしようもない兄から離れ、フィリと野営地の端へ移動する。

「どうしたの?」
「この森、とても臭います」

 臭う?

 確かに腐敗した植物の匂いが時々漂ってくるけれど、それ以外に特に変わった臭いはしない。

「獣の臭いがするんです。それと森が騒いでいます。何か不快感を訴えているみたいです」
「獣の臭いと不快感……」
「はい。森は他所ものを嫌います。確かに何かが森に住み着いている。だから森は嫌がっている」
「獣の臭いのする何か、って、盗賊よりも危険なんじゃ」

 熊や猪が住み着いているとしたら、それはそれで兵士にとって危険な存在だ。

 森の妖精と言われるエルフの混血であるフィリの感覚は、自然の中では僕よりも優れている。

 “霧の森”からは、時々兵士たちの持つ笛の音が甲高く響いており、捜索は順調に進んでいるようだ。他に危険な動物がいるのなら、早めに知らせておいた方がいいかもしれない。

「フィリ、他に何か感じないか?」
「他には特に何も」

 と、その時だった。

 ぶわりと一際強い風が吹き、森の木々がザワザワと騒がしく揺れた。その音にまぎれて、人の叫び声のようなものが小さく耳に届いた。

「今の声は…?」
「兵士の悲鳴でしょうか」

 僕とフィリが軽く視線を交わした直後、野営地でも残りの兵士たちが騒ぎ出した。

「兵長!今のは……」
「何かあったんですかね?」

 口々に不安そうに声を上げる兵士たちをゲイルが険しい顔で宥める。

「騒ぐな!まだ笛の音に異変を知らせるものはない!」

 兄はと言えば、キョロキョロと辺りを見回し、僕と目が合うとあからさまにホッとした顔をした。まるで母親を見つけた子どもみたいだ……情けない。

 僕はフィリと共にゲイルの元へ駆けつけた。ついでに兄に笑顔を見せておく。

「何かあったのでしょうか?」
「シリル様はどうぞ、テントへお戻りください。何も心配することはございませんよ」
「いえ、そういうわけにも、」
「ゲイルがこう言っているんだから、俺たちはテントへ戻ろう。ここにいても迷惑になるだけだからな!」
「いや兄上はどうぞ残ってください。一応、仮にも、この隊の将ですし」
「なんで?俺だって怖い!」

 クッ、このポンコツヘタレ野郎!!

 ……深呼吸、深呼吸だ、シリル。

「僕は平気です。それよりフィリの話では、ここには盗賊とは別に獣の類が生息しているようです。熊などの危険な生き物かもしれません」

 ゲイルが一瞬フィリの方へ視線を向け、エルフとの混血であることを思い出したのか神妙に頷いた。

「ご忠告感謝致します。兵をやってその旨を伝達させます」

 ゲイルが兵士を一人呼び、伝令を走らせようとした。しかし、結局その兵が動くことはなかった。

「兵長!森から一人帰還します!」

 警戒に当たっていた兵士が叫ぶ。森から足を引き摺るようにして、一人の兵士が飛び出してきた。

 その姿はといえば、まるで地面を転がり回ったかのように泥だらけで、頑丈なはずの鎧は所々凹んでいる。守りの薄い腕や足から出血しているようで、息を切らせた彼は満身創痍ながらも意識はしっかりしているようだった。

「何があった!?」

 ゲイルが叫びながら怪我をした兵の元まで駆けていく。僕とフィリも後に続いた。

「ゲホッ、ゲホ…!兵長、申し訳、ありません!」
「一体どうしたんだ?」
「な、何かわかりませんが……突然襲われましたっ」

 やっぱり熊かな?と僕は負傷した兵の傷を眺めた。腕に鋭い裂傷が斜めに数本走っている。咄嗟に顔を庇ってできた傷だろう。

 恐怖に青ざめた顔を痛みに歪めながらも、必死に状況説明を行う。

 それによると、間隔をあけて森に入った兵士たちは、時折笛を吹きつつ森の奥を目指して進んでいた。

 しかし突然、木立の合間から何かが飛び出して来て襲われた。笛で危険を知らせる間もなかったのだと。

「そういえば先ほどから一切笛の音がしませんね」

 僕がそう言うと、その場の空気が一瞬で凍りついてしまった。

「まさか全員やられたと?」
「いえ、笛の音で居場所を特定されるのを避けているのかも」
「うまく隠れているかもしれませんな」

 ゲイルは願うようにそう言うと、森の方を睨んだ。

「すぐに捜索隊を出す。無事なものを見つけ連れ戻すのだ!」

 はい、とゲイルの命を受けて動き出そうとする兵士に、僕は待ってと声をかけた。

「これ以上数を減らすわけにはいきません。ここの守りが薄くなる。だからフィリに行ってもらいます。フィリなら強いですし、森の中でも迷いません」

 本当は僕も行きたかったけど、そんなこと言い出すわけにもいかない。

 しばし悩んで、ゲイルは渋々了承した。他の兵士たちは戸惑っていたが、兵長が許可を出したために口を出すことはなかった。

 すぐさま行動しようとするフィリを呼び止める。

「フィリ」
「はい?」
「【アングィス】」

 軽く魔力を練り上げ右手を上げて名を呼ぶと、袖口からクネクネと白い蛇が一匹顔を出した。

 つぶらな瞳は赤く、時折チョロチョロと舌を伸ばしている。

「この子を連れて行って。僕の目になるから」
「わかりました」

 フィリが手を出すと、蛇は体をくねらせてフィリの細くて白い手首にクルリと巻き付く。そしてフィリは特に振り返りもせず森の中へ姿を消した。

 その様子を見ていたのはゲイルだけだったが、不審げに眉を顰めていたので、僕は人懐こくニコリと笑って誤魔化した。

「兄上には秘密にしてください。僕には少し魔力があるんですけど、そんなこと知ったら兄上はまた落ち込んでしまいますから」
「は、はい。ですが、」

 ゲイルの言いたいことは僕も理解している。

 この国で、蛇を使う魔術は忌み嫌われている。

 その証拠にゲイルは、まるで汚物でも見るような顔を僕へ向けていた。

 やれやれ、と僕は内心で溜息を吐く。蛇を使う魔術を嫌う原因を作ったのは、魔王と呼ばれていた前世の僕だ。魔王だった僕はよく蛇を使役していた。僕のお気に入りの生き物なのだ。理由は特にない。強いて言えば可愛いからかな。

「別に害はありませんよ。僕は蛇が好きなんです……それだけですよ」

 追求される前に僕はその場を離れた。まあ、伯爵家次男である僕に、疑問を抱いたとしても深追いはしてこないだろう。

 さて、僕は放置していた兄のメンタルケアに向かうとするかな。

 情けない顔で呆然としている兄を、少しでもマシな伯爵家長男にすることが僕の使命だ。
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