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作中作「ファム・ファタール」終章 改稿前原稿

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「貴方は私の婚約者なのでしょう!なのに何故……なぜその様な者と!」
 ゆらゆらと現れたアメシス・リーフデ公爵令嬢の声が静かな宮廷の庭園に響く。その喧しい声に周囲にいる侍従達や貴族の人々の視線が集まってくる。それらは冷たく、鋭く、氷の様だった。

「何故だと?私たちが運命の人であるのだからそれが全てだろう。貴様のような冷たい女では埋められない心を埋めてくれる素晴らしき存在なのだ。君が私を立てない上に、無視して行動し続けた罰だ!」
「……ライトさま」
 震えるアンバーの細やかな手を引き、腕の中に囲い込む。
 首筋に沈む艶やかな髪には、私が誂えた銀の花飾りが煌めいた。その輝きの下にある可愛らしく、温かな肌が彼女の弱さを感じさせ、守らなくてはと克己心を掻き立てる。
 髪のツヤも肌の質も無くし、目の下に真っ黒な隈を作ったアメシス・リーフデにはどれも無い感情だった。気持ちが離れた私へ縋り付いている。そんな愛する先を見つけられなかった彼女は哀れで、可哀想で、みっともなかった。ただ親同士の仲が良かったというだけで結ばれた婚約だったのに何故そんなに私を追うのだ。そう思いながら、蔑んだ瞳を彼女に向けた。

「な、なんてことを!ライト様がそんな……!そんな……!」
 アメシスは幽霊のように薄ら怖い空気を纏い1歩、また1歩と歩みを進めてくる。見開かれた血を思わせる赤黒い瞳が血の気を失っている顔との色のコントラストを生み出し酷く怖く見える。彼女は過呼吸を起こしたかのようにヒューヒューと喉を鳴らす。

 彼女の足元がフラフラとし始めると、見えていなかったアメシスの手元に冷たい輝きが煌めいたのが分かる。

「きゃあっ、刃物!?」
「なんだと!アメシスやめろ!」
 チラリと背後でアメシス・リーフデを見たアンバーが悲鳴を上げれば、ザワザワと声が上がる。
 だが、それは私たちではなく私たちの後ろ。コツコツと響く靴の音の主に向けられたものであった。

「騒がしいな」
 聞いたことがあっても、この様な場には存在するはずのない威厳のある声が後ろから聞こえる。

「ブルシュティン王!?」
 そう言ったのは周囲の誰だったのだろう。

 赤のマントに金や白で作られた礼服で靴音を立てて、現れたのはこの国の王、ブルシュティン・エーデルシュタインであった。
 この国で彼と合間見ることが出来るのは高位貴族か、国の正式な儀式の時のみのはず。春の平和な何も無い日に現れる様な御方ではない。

 こちらに向かってくる後ろから現れた信じられないほど高位の存在に慌てて礼の姿勢を整える。いつもアンバーと会っていたレンガの舗装路を見ているはずなのに、平時よりも圧があるように感じた。

「……表を上げよ。我が娘とその最愛に危機が訪れていると聞いて来たのだが、それはもう危険な状態だったようだ。そやつはその令嬢の恨みを買ったのだな。なんと哀れな」
「わ、我が娘でしょうか?」 
 声をかけるなど許される作法では無いが聞かざるを得なかった。王には1人の息子しかいないのはずなのだ。なのに彼の口からは、我が娘だと?まさか……

「ああ。我が娘だ。今まで発表していなかったがその者は我が娘、アンバー・エーデルシュタインだ」
 そういえば聞いたことがあった。成婚して数年、正妃との間に子が出来なかった頃、王が側妃にすることも出来ない程身分の低い平民の女と作った娘が存在すると。どんな貴族でも聞いたことがあるそれは、あくまでも噂。誰も信じなかったそれがなんと私の隣に控えている少女、アンバーであったらしい。平民にしては教養のあるのも、国王の持つ金の髪も、彼女が特別な存在である可能性を上げていたのに今まで知らなかった。正式な継承権のある子が生まれ育つまで周囲から隠されていたらしい。
 だが、それはアンバーもであったようで彼女は隣で手で口を抑え驚いていた。
 
「本人にすら今まで知らすことも出来ず、済まなかった」
 王が謝った?この国の絶対的存在の彼が、一平民の1人であった少女に?信じられない光景にここにいる者全ての息が詰まった。

 だが、アンバーは違った。
「い、いえ!ですが、お願いがございます!私にこのライト様と婚約を!」
 彼女はこの状況を上手く使おうと動いていた。怯えている私とは違う勇ましい姿は、近くに居てくれたはずなのに距離が離れて行ってしまった気がした。
 
「ああ、わかっている。アンバーには今まで苦労させたからな、そのように手配しよう。彼女はアンバーが我が娘だと知らなかったにしても、殺しかけたのだ。処すことにしよう」
 その低い声に後ろからした大きい呼吸音が止まる。ばたんと人が倒れる音と共に。
 
「では、また後日使いを送る。今日はこの所で失礼する」
 赤いマントを翻し、王はまた彼の住む王宮へ帰っていく。
 コツコツと言う音が聞こえなくなり、姿が見えなくなるまで皆声を出すことが出来なかった。

 アンバー・エーデルシュタインは私へ振り向き、抱きついてくる。
「……良かった!これから私達は離されない関係になるのね!」
「あぁ、邪魔者ももう居ないのだな……」
 彼女の後ろから、真白な顔を青白くし倒れているアメシスが見えたが自業自得であった。愛しい彼女と、新たな地位を手に入れることが出来たと私の心を動かす。
 そんな派手な高揚感が私たちを包んだ。
 素晴らしい2人は素晴らしい人生を辿るらしい。

 アンバー・エーデルシュタインとライト・ユーヴェレンはその後、色々とありながらも幸せに暮らしていく。長く、長く、幸福とロマンスに溢れた日々を過ごしていくのだ。
 彼と彼女の思う幸せな世界で。
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