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しおりを挟む城ケ崎太陽はいつもの朝を迎えた。
支度をして朝食を済ませるとコマをひょいと抱き上げた。
「コマ、今日もいい子にしてろよ。帰ったらまた一緒に寝ような」
「にゃーん‥‥」
コマはその言葉が分かってるとでも言いたげに返事をした。
太陽はそっとコマを下ろすとお手伝いのたみ子の方を向いた。
「たみ子さんコマの事よろしくお願いします。もし何かあったら真白先生のところにお願いします」
「はい、坊ちゃん大丈夫ですよ。コマは最近落ち着いてますし、何かあったらすぐご連絡しますから」
「ああ、頼んだ。なるべく早く帰るようにするから、じゃあ行って来る」
「はい、行ってらっしゃいませ」
太陽はコマの方を向くとまぶしいほどの笑顔を向けながら手を振った。
そして今日も仕事場であるオーヴァーシーズの部長のデスクに座って仕事を始めるのだった。
「真白!またか?ちょっと来い!」
城ケ崎部長は今日も声が大きい。
部長は、ちらりと顔を上げるとすぐにまたパソコンに顔を戻した。
また今日もわたしに何かしでかしたんでしょうか…‥
でも部長、そんなあなたが魅力的に思えるわたしはおかしいんでしょうか?
そのきりりとした眉、シャープな目元、真っ直ぐ整った鼻、少し苛立ちを抑えたそんな顔でさえわたしにはたまらないのです。
ゆずは声にならない声で言う。
この会社は港町駅からすぐの複合ビルの5階に事務所がある。
事務所はワンフロアになっていて各部署がパテーションで区切られているだけの小さな会社だ。
営業の田中さん、仕入れ物流の佐藤さん、企画担当の林さん、同じシステム部の松野さんそれぞれの面々が顔を上げる。
部長が大きな声を出すとそこら中に響くのだ。
何しろ社員12人ほどの小さな会社なのだ。
朝から予定していた荷物の納品が遅れると分かって余計に苛立っているのだろうか。
真白ゆずは、同じ室内のシステム部のパテーション越しから部長の顔を伺うと思わず胸が高鳴る。
だが、明らかに部長は怒っているらしいのだが‥‥
「はい、すぐに部長」
ゆずはすぐに駆け足で部長のデスクに向かった。
「あの、何でしょうか?」
「真白、この書類はなんだ?」
城ケ崎部長は、忙しいらしくパソコンから目も離そうとはしない。
「このデータはいつのを参考にした?」
「はい、前任の方が残していたものを使いましたが、それが何か?」
「よく見ろ!これは5年も前のデータだ。そんな古いデータが当てになるか?それにこれを作るのに朝からかかっていたよな」
「すみません、そんなところまで確認しなかったので‥‥」
まったく、部長の目はいくつあるんだろうか。わたしが今日は朝からこれにかかりっきりな事をどうして知っているのだろう。
「いいからすぐに作り直し、終わるまで昼休憩なしだ。急いでやれば十分出来るはずだ」
やっと端正な顔立ちの部長の顔が上がったと思ったら、その切れ長のクールな視線が突き刺さる。
ひぇっ!
部長それって武器です?…‥女のハートを射抜くレーザー光線か何か?
ゆずの脳内でハートマークが炸裂した。
「で、でも、後20分で12時ですが‥‥」
ドキドキを押し隠して言葉を喉から押し出す。
「それがどうした?」
部長の視線は微動打せず口角だけが少し持ち上がった。
「…‥‥くっ!部長あなたは悪魔です‥‥」
わたしの心を惑わす悪魔。
そして仕事となると容赦ない彼。そんな意味も含めて部長は悪魔なのだ。
「まだ何かあるのか?」
「いえ、すぐにやり直します」
ゆずは急いで自分のデスクに戻るとパソコンを立ち上げた。
真白ゆず、24歳。この会社に入って1年半。大学を卒業してパソコンが出来るからとオーヴァーシーズインポートに採用された。
この会社は海外のワインやチーズ、食品などを取り扱う輸入専門の会社だ。
入社したての頃はよく嫌味を言われた。
何でもこの会社も経営が苦しく少しでも経費節減の為にとデータ部と総務部を兼ねたシステム部門に力を入れることになり、前に働いていた事務員が2人やめさせられたらしく、ゆずは事あるごとに自分の為に犠牲になった人がいることを忘れるなと先輩に言われた。
でも、そんなことはゆずにはまったく関係ない話なのだったが‥‥
ゆずはいつも人に遠慮する癖があって、それでも結構意地っ張りで負けず嫌いなところもあるのだが…‥
元からいたデータ管理の冴島さんはとても頭のいい人で、どんな仕事もテキパキとこなし、ゆずにも優しく色々教えてくれた。
そして今ではゆずは、営業事務のデータ管理を任されるようになっていた。
もともとオーヴァーシーズは早くからイタリアのワイン生産地と提携を組んだり、チーズもその地方でしかない特別な品を取り扱ってきた会社だった。それが強みだったのだが、ここ最近の不況のあおりを受けて売り上げががた落ちになっていた。
そして、とうとう不渡り手形を出してしまい、半年ほど前桐島コーポレーションから手を差し伸べられたというわけだ。
きっと桐島コーポレーションはオーヴァーシーズの持っているワインの仕入れ元が欲しいのだろう。
そして城ケ崎太陽が、この会社にコンサルタントとして会社再生のためにやって来たのだった。
城ケ崎太陽は桐島コーポレーション社長の息子だが、両親は早くに離婚して彼は母と一緒に暮らすことになり母親の性を名乗っていた。
それに父には新しく結婚して出来た息子もいて、太陽は桐島コーポレーションの一員になるつもりはなかった。
ただ、あまりにもしつこく父親から頼まれて、仕事としてこの会社の再生を引き受けただけだった。
彼はアメリカでいくつもの倒産寸前の会社を立て直してきた実績を持っていた。
彼は社長の西園寺の希望を聞いてくれてとにかく1年間会社立て直しに尽力すると約束した。
そして桐島コーポレーションの社長は、オーヴァーシーズが立て直せれば桐島コーポレーションの傘下に入るのではなくグループ会社としては桐島グループに入るが、会社そのものは孤立した一つの会社として扱うという破格の申し出をしてくれた。
桐島社長とすれば二ューヨークから帰って来た息子の仕事の応援をしたいらしい。
そんな事もあって城ケ崎太陽が桐島社長の息子であることは社内の人間には内緒にすることになった。
オーヴァーシーズの西園寺社長は3代目で、初代つまり彼の祖父が立ち上げた会社を自分の代で潰すことだけは避けたかったらしい。
今は社員と一丸となって今必死に会社再建に力を注いでいるのだった。
太陽は入社すると部長と言う肩書を与えられ、会社全ての見直しをすると声高らかに宣言した。
その宣言通り、営業は今までの顧客の見直し新たな顧客の開拓などをすぐに行うよう指示した。
仕入れ物流はシステムを駆使してなるべく仕事量を減らすことにした。
システム部はもともと冴島だけで、仕事の分量が増える分は総務と一緒になることで協力することになった。
システム化すれば人事や総務の仕事は激減するからだ。
そのためゆずの仕事は営業事務すべてを管理することになり、目も回るような忙しさだった。
ゆずは、間違ったデータを作り直しながら思う。
こんなに忙しいのに、少しミスしたくらいであんなに怒鳴らなくても…‥
「真白、大丈夫か?」
冴島さんが声をかけてくれる。
「はい、何とか頑張ります。ありがとうございます」
冴島さんは部長と同じくらいの年で、優しい雰囲気を持つ顔立ちの人だったが、まったくゆずの恋愛対象になるような人ではない。
「真白さん、何か手伝おうか?もうすぐお昼だし‥‥」
向かいのデスクから声がした。松野さんだ。
松野さんは32歳。もとはこの会社の事務全般を受け持っていた人で、城ケ崎部長の指示で元システム部と総務部が一緒になって松野さんもシステム部に配属された。
彼女はもう結婚していているが、仕事は絶対にやめられないからと冴島さんに教えてもらいながらパソコンを必死で勉強している努力家だ。
それに親切で真面目なのでゆずも松野さんが好きだ。
「いえ、松野さんありがとう。大丈夫ですから」
ゆずは松野さんに頭を下げる。
もう!部長ときたら…‥
だが、そんな部長は、ゆずのドストライクなみに好みのタイプで、彼がこの会社に入った日から、きりっと整った顔立ちで均整の取れた体躯を持つ彼に異常なほど惹かれてはいるのだが…‥
でも、部長のあの怒鳴り声を聞けば、そんな気持ちも危うくなっていい気もするのだが‥‥
ますます彼に惹かれていく始末…‥
もう…‥彼のあの冷ややかな切れ長の目に、見据えられたら怒られているというのにかかわらずゆずの胸はまるで高校生のようにときめいてしまう。
部長、あなたはやっぱり悪魔なのでは…‥
ゆずはひとりデスクで悶えそうになる。
でもこんな気持ちになったとしても、だいいち部長がわたしなんか相手にするとも思っていないし…‥
それに基本的にあんな気ぜわしくイライラの人は苦手だし…‥
わたしだって、そんなつもりないから。
ゆずは一人妄想に踏ん切りをつけるとまたパソコンに向かった。
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