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 午後からも仕事は順調にはかどり、冴島さんとゆずは定時で仕事を終えると予約してある駅前のほろ酔い処に向かった。

 「真白、危ない!」

 ゆずは急いで会社のあるビルを出て、走って来た自転車とぶつかりそうになった。

 「きゃ!」

 冴島がゆずの腕を引っ張ってくれたおかげで、ゆずは自転車とぶつからずに済んだ。

 「冴島さんありがとうございます。びっくりした‥‥あっ、助かりました」

 ゆずは冴島に抱きつくような格好になり、慌てて彼から離れた。

 そして落としたビンゴゲームのセットの入った紙袋を急いで拾う。

 「良かったよ。真白が怪我しなくて、大丈夫か?さあ、俺につかまれ」

 冴島さんは男らしく腕を取ってゆずを引き寄せる。

 「ええ、もう大丈夫です。さあ急ぎましょうか」

 ゆずは、冴島の腕を振りほどいた。


 ほろ酔い処に着くと席の確認と料理やお酒の段取りをお店の人と打ち合わせしていると、あっという間に時間がたったらしく、会社の人がパラパラやって来た。

 順々に席に案内して、後は部長と社長を待つだけになる。

 冴島さんは、もう少し前からビールを飲み始めていてゆずはくぎを刺す。

 「冴島さんあまり飲み過ぎないで下さいよ。私たち進行役なんですから、社長が来られたら挨拶をしてもらって始めますから」

 「もちろんだよ。真白も少し飲んだら、緊張してるんだろう?ほら…」

 彼がビールをコップに注いでゆずに渡そうとする。

 「すみません。わたしお酒苦手なんで…」

 ゆずは彼が渡そうとしたコップを手で遮って断る。

 「えっ?真白じゃあ今夜何を飲むんだ?お前今日は宴会だぞ。そんな事言わずにビールや酒くらい付き合えよ。なっ!」

 もういい加減にしてほしかった。

 でも、ここでむきになっても仕方がないだろう。

 ゆずは笑ってごまかす。


 そこに社長と部長が揃って現れた。

 みんなが席についたので真白は社長に挨拶を頼む。

 「みんな仕事ご苦労様。今夜はオーヴァーシーズ70重年の祝いの席だ。本当はもっとにぎやかにやるつもりだったんだがすまん。でもみんなのおかげで会社もかなり利益を上げて盛り返してきている。もう少し頑張ればきっと年末にはもっと大盤振る舞いが出来ると確信している。ささやかだが今日は無礼講で楽しんでくれ」

 社長は早々と話を切り上げた。

 みんな料理にお酒にと話を咲かせ始めた。

 ゆずは一応幹事と言うこともあって、みんなにビールを持って回ち始めた。

 一言二言言葉を交わしながら、次々と席を回って行く。

 松野さんも一緒に挨拶に回ってくれた。

 「真白さん全部お任せでごめん。ビンゴはわたしがやろうか?」

 「いえ、いいんです松野さんお疲れでしょう?今日はもうゆっくりしてください。どうせビンゴ回すだけですから、商品は後日に渡すことにしてますから」

 「そう?悪いわね。ありがとう」

 松野さんは挨拶に回り終えると自分の席についた。


 社長の隣には部長が座っていた。

 まず、社長のグラスにビールをついだ。

 「西園寺社長今日はありがとうございます。おかげでみんな息抜き出来たみたいで喜んでます」

 「真白か。こっちこそ幹事ご苦労様。もういいからゆっくり飲んでくれ」

 「はい、適当にやってますから」

 ゆずは冴島を指さす。

 「そうか、あいつも幹事か…こりゃ大変だな」

 社長がプッと笑った。


 続いて部長にビールをすすめる。

 「部長お疲れ様です。今日は無理されたんじゃないですか?ありがとうございます」

 「いや、それよりご苦労様。大丈夫か?」

 部長は冴島さんを見て聞いた。

 「ええ、冴島さんお酒強いみたいですし、それに後はビンゴゲームだけですから」

 「そうか、手伝いが必要なら言ってくれよ。それに昼はごちそうさま。久しぶりにおいしい昼食だった」

 「いえ、こちらこそ昨日はありがとうございました」

 ゆずはそこで席を立った。


 「皆さん、意識がはっきりしているうちにビンゴゲームやりまーすよ~」

 ゆずはみんなに用紙を渡すと、ビンゴの小さな回し車をまわして、次々に番号を言う。

 穴が3個4個と開くうちに場は盛り上がって来た。

 「一番にビンゴが上がった方には、なんと社長から特別ビンテージワインを頂いていますのでお楽しみに‥‥」

 次々にビンゴと声が上がり、順番に景品が何かを告げて行く。

 冴島さんもビンゴをまわして協力してくれた。

 「一番最初にビンゴを上がった方は、企画担当の林さんです。林さん、記念にこれをかけていただきますか?林さんどうぞ‥‥」

 ゆずは紙袋から鼻めがねを取り出した。

 林さんは30代の女性で企画を担当している人だ。

 「いつもありがとうございます」

 「こちらこそ、ビンテージワインなんて社長ありがとうございまーす」

 ゆずが林さんに鼻めがねをかけると一気に場は盛り上がった。

 林さんは恥ずかしそうにしたが、とても楽しそうだった。

 みんなスマホを片手に写真を撮る。

 そんな楽しい時間が過ぎてそろそろお開きの時間になった。


 「冴島さん、社長に声かけてくださいよ」

 「ああ、社長挨拶をお願いします」

 「ありがとう冴島君。それではそろそろ時間のようなのでこれで今日の飲み会はお開きとします。みんなそれぞれ二次会など行くだろうがくれぐれも気を付けて帰ってくれ。今日はありがとう」

 社長が挨拶を終え、ゆずが最後にみんなに声を掛けた。

 「それでは、皆さんそれぞれ適当なところで解散としますので、ビンゴの景品は来週会社でお渡ししますのでよろしくお願いします。ではありがとうございました」

 「でも景品が後回しなんて‥‥」誰かの声が上がる。

 「すみません。頂いたのがビンテージワインでもし落としたりしたらと思ったので。本当にすみません」ゆずが謝る。


 「みんな今日は飲んでるし後でどうして持たせたんだって事になるかもし知れないじゃないか‥‥なあ、真白さんご苦労様」一人の社員が助け舟を出す。

 「真白さんご苦労様…」他の社員からも声がかかった。

 ゆずはほっとして大きく息をついた。

 心臓がドクドクして久しぶりに脈打つ鼓動が早くなった。

 助け舟を出してくれたのが部長だったから、ゆずの心はうれしさで跳ね上がる。


 そしてみんな席を立ち始めた。

 「真白、俺達も飲み直そう。いいだろう。今日は二次会行くんだろう?」

 案の定冴島さんが誘ってきた。

 「冴島さん悪いけど父も待ってるし、それに家に帰ってやることがあるから、すみませんけど先帰らせてもらいます」

 「何だよ。いいじゃないか今日くらい。さっきも助けてやったじゃないか」

 ああ…冴島さんの悪い癖か?他の社員情報によると彼は酒を飲むとしつこくなるらしいのだ。

 「ええ、さっきは本当に助かりましたけど、それとこれは違う話で‥‥」

 こんな事なら転んでいた方がましだったとゆずは思う。

 冴島さんはしつこく誘ってくる。

 ゆずが逃げようとすると腕をつかまれた。

 もうほとんどの社員が席を立っていて‥‥社長は何人かの営業の人たちを二次会に行くらしくもう出口に見えた。


 ああ‥‥誰かいないの?残っているのは‥‥

 さっきも心臓がドクドクしたせいか、息が苦しくなる。

 こんなことなかったのに…少し疲れてるのかな。最近父の為にと少し無理していたのは確かだったが‥‥


 「冴島さん。彼女も用があると言ってるんだ。今日はこの辺りで返してやったらどうか?」

 ゆずははっと顔を上げた。

 そこには、あの麗しのわが君…違う。部長がいて‥‥

 彼は冴島さんを睨みつける。

 冴島さんは雰囲気を感じ取ったのか‥‥

 「まあ、これ以上言ってもどうせ飲みに行かないんだろう?いいよ真白、もう帰れば…」言葉を濁した。

 「冴島さんせっかく誘っていただいたのにすみません。部長もありがとうございました。では、失礼します」

 ゆずはこの時とばかり立ちあがった。

 そして急いでビンゴゲームなどの荷物を持つとほろ酔い処を後にした。



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