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しおりを挟む「部長こっちです」
ゆずは先に立って焼きそばのある雑貨屋の方に部長を案内する。雑貨屋は商店街の入り口辺りなので少し距離があった。
「待て真白、一緒に歩こう」
部長がすぐ横に並ぶ。
三盃商店街の真ん中あたりを二人で歩いていると声がかかる。
「あれ?ゆずちゃん、彼氏かい?」
「もう、西村のおばさん、そんなわけないです。こちらは会社の上司で…」
「どうも、城ケ崎です」
部長は名刺まで取り出そうとしている。
「あの、部長。紹介なんかしなくていいですから」
もう、化粧品店の西村さんは噂好きなので、嫌な予感がする。
「いいから、部長早く行きましょう…」
ゆずは部長の手を取った。
「どうした?」
「もう、部長がカッコよすぎるから困るんです。いいから行きますよ」
恥ずかしさでおかしなことを言ってしまう。
「おい、ゆず。隣の奴は誰だ?」
また‥‥ひびきまで、どうしているのよ。
「どうも、城ケ崎です。真白さんとは会社が同じで‥‥」
「ゆず、まさかお前の?」
「‥‥っな、わけないでしょ!ひびき、いいから黙っててよ‥‥」
ちょっと、わたしが男の人と歩いたらそんなに珍しいわけ?
「もうすみません。部長‥‥そこです。わたしが部長の彼女だなんて思われたら迷惑ですよね。わたし焼きそば買ってきます」
ゆずは急いで部長から離れる。
焼きそばは雑貨屋の狩野さんが担当だ。雑貨屋は駅から一番近いところにあって‥‥
「おじさん、焼きそば2つ」
「ゆずちゃん、ご苦労さん。はい、大盛りにしとくよ。お父さんの分だろう?」
「ええ、まあ‥‥狩野のおじさんありがとう」
手伝いをしていることは知っているからか、お金を渡そうとしたら断られた。
「ついでにこれも持って行きな」
おじさんは炭酸水2本も袋に入れた。
ゆずは急いで部長のところに戻ると、商店街を出て駅前にあるベンチまで歩いた。
「これどうぞ」
ゆずは、大盛りの焼きそばを渡すとついでに炭酸水も隣に置いた。
「ありがとう。そうだ、お金…」
「大丈夫です。これサービスだったんでお金払ってませんから…」
ゆずは肩をすくませて笑う。
「そうか…何だか真白に飯おごってもらってばかりで悪いな。この前の弁当のお礼もまだなのに…」
「お礼なんて…お腹空いた…部長のびちゃいますから早く食べましょう」
「ああ、そうだな」
ふたりでベンチに座って焼きそばを食べ始めた。
「うん!うまい。こんな所で食べるの久しぶりだ。俺、好きだな…」
真白ゆず、君が好きだ。
太陽はそう言いたかった。
「えっ?ええ、わたしも‥‥去年は手伝いはしたけど、後片付けとかで忙しくて結局、疲れて家に帰ってお茶漬けをかきこんで‥‥あっすみません」
部長‥‥今、好きって言いましたよね?
ゆずは幸せ過ぎてきっと頭の回路がおかしくなったと思う。
これは夢なの?夢なら覚めないで‥‥恐る恐るその言葉を口にする。
「あの…好きなんです」部長。その一言が言えない。いや、言ってはいけない。
「おい、真白‥‥お前まさか俺を?」
慌てて首を振る。
そんなわけないですよね。いいんです。わたし部長のそばにいれるだけで幸せなんですから…‥
いけません。つい、雰囲気にのまれてしまいました。
「わたし焼きそば大好きなんです。部長もそうですよね?」
「ああ、もちろん焼きそばが好きなんだ。うまい」
太陽は焼きそばを口にほうばった。
急いで食べたのでのどに詰まる。
慌てて炭酸水を喉に流し込むが、強烈な炭酸の刺激が喉で弾けて今度はむせた。
「ゴホッ、ゴホッ‥‥ヘッ、ン…」
「部長大丈夫ですか…」
ゆずは部長の背中をさする。
「すま、ん。ゴホッ‥‥」
「いいんです…」
ゆずの手のひらが何度も背中を行ったり来たりして、浴衣ごしに彼女の鎖骨が見えた。
太陽は我慢できずゆずの腰を引き寄せた。彼女の華奢な体がグイっと太陽の腕に寄りかかって彼女の柔らかな胸が押しつぶされた。
「真白…君が、」
目の前にゆずの顔があった。
彼女の瞳は、いつもと違って金色や緑が混じったすごく複雑な色合いで‥‥ゆるめに結った髪からおくれ毛が…‥
おまけに浴衣の裾がめくれて太腿がちらりと見えた。
太陽はそのあまりの色香に声を失う。
ああ…すごくきれいだ。真白、お前は最高に可愛い!
なのに声が出てこない。
ゆずは彼の琥珀色のような瞳に見とれた。
キラキラ光りあまやかな色合いの瞳に見つめられてゾクリとする。
ああ…罪作りなほど魅力的。
うなじに手をまわされて、顔を上向かされる。
彼の唇がゆっくり近付いてきて…‥ゆずは耐え切れず目を閉じた。
周りのざわめきが一切締め出される。
飛び出そうなほどドキドキしている心臓の音だけがドクンドクンと響いている。
彼の唇が重なった。温かな唇がそっと触れると、許しを請うかのようにほんの少し離れた。
わたしがじっとしているのを感じると部長はまた唇を押し当てて来た。
あのわたしをいつもこき下ろすいけない唇が、わたしの唇をとらえて離さない。
そう、わたしの心をとらえて離さない。いけない部長…‥あくまの部長…‥
でも、今夜は…‥今夜だけは…‥
「真白…‥」
彼が吐息のように名前を呼ぶ。
そしてもう一度唇が押し付けられた。
ああ…わたし部長とキスしてる…‥‥
脳が興奮と動揺でクラッシュしそうになった。
その時…‥
「おい、やめろよ。ゆず大丈夫か?お前ゆずの上司なんだろう?そんなことしていいと思ってるのか」
ひびきが叫びながら走って来るとゆずと部長を引きはがした。
ゆずは寝ぼけたような声で叫ぶ。
「ひびき!」
「ゆず、行こう。こんな奴放っておけ」
「ひびき違うってば、部長は喉を詰まらせて…もう放しってってば!」
ひびきは握ったゆずの手を放そうとはしなかった。
ぐんと強い力で引かれゆずはひびきに抱きつく格好になった。
「もう、ひびきったら、痛いじゃない!」
ひびきはにやついている。
「‥‥ゆず、お前浴衣似合ってるな。これからスーパーで福引やるから手伝え」
「でも‥‥」
「真白さん、俺はもう帰るから行って手伝えばいい。今日はありがとう。楽しかった。じゃあ失礼する」
太陽は急いで立ち上がると、焼きそばの入っていた空き容器をもって駅のごみ箱に向かって歩き始めた。
「あっ、でも…」
太陽はもう振り向かなかった。
「部長すみません。じゃあ、また会社で、失礼します」
ゆずは仕方なく挨拶をするとまた商店街の方にひびきを去って行った。
あいつは彼女の男か?
あんなに必死で…‥
俺にもそんな頃があった。
でも、今は違う。俺にはもうそんな気持ちはない。
それなのにどうしてキスなんかした?
あの男から彼女を奪い取ってしまいたい?
まさか…‥
そんな情熱は今の太陽にはない気がした。
それに、あんなに若くて情熱的な男の方が彼女には似合っている気もした。
太陽は駅前でタクシーを拾うと自宅に帰った。
「コマ帰ったぞ。たみ子さん今日もありがとう」
「いいえ、とんでもありません。夕飯は?」
「ああ、すみません。途中で知り合いに会って済ませて来たんです。用意してもらった食事は明日食べますので…」
「ええ、煮物とやき魚ですので大丈夫ですよ。ではわたしはこれで、あっ、それからコマですけど、今日は暑かったせいか食欲がなかったみたいで、明日病院に連れて行った方がいいかもしれません」
「ええ、わかりました。ありがとう。じゃあ、気を付けて、週末はゆっくり休んでください」
「はい、ではおやすみなさい」
「コマどうした?」
「にゃーん…」
コマは太陽に抱き上げられるといつものようにスリスリされた。
”太陽さんこそどうだったんですか?僕なんかよりずっと元気がないように見えますが?”
「コマやっぱりゆずに告白するのはやめることにした。彼氏がいたんだ。今日はそれがはっきりわかった」
「にゃにゃ?」
”おかしいな?ゆずちゃんに彼氏がいたっけ?”
いつも動物病院に行って豊先生が言っている。『一体いつになたら家の娘は結婚するやら…』
たみ子さんが言う。『近頃の女性は結婚が遅いって言いますからね。心配ないですよ』
『だといいんですけど‥‥』
そんな話をしていたはず…‥
「名前はひびきって言うらしい。彼女は呼び捨てたんだぞ!ひびきって‥‥」
おまけに俺達がキスしているところに割り込んで‥‥いや、あれは間違いだ。もう忘れろ!
「にゃー」
”そんなに嫉妬するくらいなら、やっぱり告るしかないんじゃ…”
コマは喉をごくりと鳴らした。
「それにしても、ゆずの浴衣姿‥‥可愛かったな。しまった。スマホで写真撮ればよかった。くっそ…‥」
太陽は取り返しのつかない失敗をしたと悔やんだ。
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