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第3章 光と影の女たち / Goddess in the Doorway
第26話 選択の時
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チャイムが鳴ってから、もうしばらく時間が経っていた。
教室に残っているのは数人だけ。
机を片づける音や椅子を引く音が点々と響いている。
廊下の向こうからは、部活へ向かう掛け声が断片的に届いてきた。
ユウは自分の机に散らかったノートをまとめ、鞄へ押し込む。それだけの動作に、思いのほか時間がかかってしまう。
動くたびに、ポケットの中のスマホが存在を主張してくるようだった。
昼休みから何度も覗いては閉じた画面──どれだけ見ても変わらない。
切り抜き動画の羅列。
そこに彼女の姿はなく、ただ笑い声と効果音だけが積み重ねられている。
「…帰るか」
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、鞄を肩にかけた。
帰ったところで気が晴れるとは思えなかった。ここにいても空虚なざわめきが耳に残るだけだ。
教室を出て廊下に足を踏み出す。西日の差し込む窓に、床へ長く影が伸びている。
ふと前方に、プリントの束を抱えて歩いてくる真宮先生の姿が見えた。教壇に立つときとは違い、日常の一部のような表情。
けれどその姿を見た瞬間、胸の奥のもやがかすかにざわめいた。
──今なら。
気づけば、声が出ていた。
「……先生、ちょっといいですか」
立ち止まった真宮が、首をかしげて振り向いた。
抱えていたプリントが腕の中でわずかにずれる。
人の気配が薄い廊下。窓際の床に、西日の影が長く伸びていた。
ユウはその影を踏みしめるように立ち止まり、言葉を探す。しばらくの沈黙のあと、意を決して口を開いた。
「昨日の…あの配信、覚えてますか」
「配信?…ああEWSのこと?ごめんね、観てないわ」
真宮が小さく目を瞬かせる。ユウは続けるように、視線を伏せたまま言葉を重ねた。
「モブだって言われてました。…でも、違うんです。僕は見たんです」
抑えた声の奥に、かすかな震えが混じっていた。
その手は、知らず知らずのうちに小さく拳を握っている。言葉はとぎれとぎれで、それでも止まらなかった。
「昨日の配信…切り抜きや動画、いろいろ見たんですけど」
「…どれにも、彼女が戦ったことが出てなくて」
真宮は静かに首をかしげた。その仕草に押されるように、ユウは声を強めていた。
「ただの背景みたいに扱われてました。…でも、違うんです」
「──あのとき最初に立ち向かったのは、確かに…」
言葉は途切れた。けれど怒りと悔しさは隠せず、その声の端々に滲み出ていた。
真宮は、抱えていたプリントを少し持ち直した。ユウの熱をそのまま受け止めてから、静かに問いかける。
「……それで、城野はどう思ったの?」
声音は淡々としている。けれど、その瞳はただの教師のそれよりも深く、ユウの中に潜む感情を探ろうとするかのようだった。
ユウは視線を伏せながら答えた。
「悔しいです。…消されてるみたいで。彼女が戦ったことを、僕以外、誰も覚えてなくて」
その言葉は、最初こそ抑えていたが、次第に速さと熱を帯びていく。深呼吸をひとつ挟んだあと、ユウは思い切るように顔を上げた。
「信じてもらえないと思いますけど…何度か、声が届いた気がしたんです」
真宮の眉がわずかに動く。
ユウはその反応を見て、さらに口を開いた。
「罠にかかりそうになったとき、名前を呼んだら…彼女、振り向いたんです」
「他の誰にも気づかれてない場面でした。あれは偶然じゃないと思います」
言葉が途切れそうになりながらも、抑えきれずに吐き出す。
「…昨日も。眠ってるとき、名前を呼んだら、指が動いたように見えて」
その声には必死さがにじんでいた。
自分でも馬鹿げていると分かっている。
でも、伝えずにはいられなかった。
「切り抜きには残ってません。でも、僕は見ました」
最後の一言を口にしたとき、ユウの肩はわずかに震えていた。
真宮はしばし沈黙したまま彼を見つめ、それから穏やかに言葉を添えた。
「…言葉が届いた。そう感じたのね?」
ユウは強く頷いた。
「…話してくれて、ありがとう」
静かな声だった。
叱責でも、慰めでもない。ただ、事実を受け止める響き。
「いえ、…聞いてもらってありがとうございます」
♢
夕陽に照らされた廊下を、真宮はゆっくり歩き出した。抱えたプリントの束が微かに揺れる。
その背中は落ち着いたものに見えたが、廊下の端へ消えるまで一度も振り返ることはなかった。
取り残されたユウは、手の中のスマホを握り直す。掌にはじっとりと汗がにじんでいた。
──口にしてしまった。
その後悔よりも強かったのは、胸の奥に浮かび上がる感情だった。
話したことで、むしろ輪郭を持ってしまった思い。彼女を守れるのは自分しかいない──その確信が、初めてはっきりと形を取っていた。
廊下の先を進む真宮の歩調は一定だった。しかし胸の奥には、別のざわめきが確かに残っている。
まさか捜索対象の「接続者」が、自分の教え子だったなんて。
教師としては、守らなければならない存在。
研究者としては、ようやく見つけた対象。
そしてEWSの人間としては──最も触れてはいけない“危険人物”。
プリントの束を抱き直しながら、真宮は心の中で言葉を呟いた。
──なんて巡り合わせなの。
これが運命だというのなら…いったい何の運命なのか、知りたいわ──
教室に残っているのは数人だけ。
机を片づける音や椅子を引く音が点々と響いている。
廊下の向こうからは、部活へ向かう掛け声が断片的に届いてきた。
ユウは自分の机に散らかったノートをまとめ、鞄へ押し込む。それだけの動作に、思いのほか時間がかかってしまう。
動くたびに、ポケットの中のスマホが存在を主張してくるようだった。
昼休みから何度も覗いては閉じた画面──どれだけ見ても変わらない。
切り抜き動画の羅列。
そこに彼女の姿はなく、ただ笑い声と効果音だけが積み重ねられている。
「…帰るか」
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、鞄を肩にかけた。
帰ったところで気が晴れるとは思えなかった。ここにいても空虚なざわめきが耳に残るだけだ。
教室を出て廊下に足を踏み出す。西日の差し込む窓に、床へ長く影が伸びている。
ふと前方に、プリントの束を抱えて歩いてくる真宮先生の姿が見えた。教壇に立つときとは違い、日常の一部のような表情。
けれどその姿を見た瞬間、胸の奥のもやがかすかにざわめいた。
──今なら。
気づけば、声が出ていた。
「……先生、ちょっといいですか」
立ち止まった真宮が、首をかしげて振り向いた。
抱えていたプリントが腕の中でわずかにずれる。
人の気配が薄い廊下。窓際の床に、西日の影が長く伸びていた。
ユウはその影を踏みしめるように立ち止まり、言葉を探す。しばらくの沈黙のあと、意を決して口を開いた。
「昨日の…あの配信、覚えてますか」
「配信?…ああEWSのこと?ごめんね、観てないわ」
真宮が小さく目を瞬かせる。ユウは続けるように、視線を伏せたまま言葉を重ねた。
「モブだって言われてました。…でも、違うんです。僕は見たんです」
抑えた声の奥に、かすかな震えが混じっていた。
その手は、知らず知らずのうちに小さく拳を握っている。言葉はとぎれとぎれで、それでも止まらなかった。
「昨日の配信…切り抜きや動画、いろいろ見たんですけど」
「…どれにも、彼女が戦ったことが出てなくて」
真宮は静かに首をかしげた。その仕草に押されるように、ユウは声を強めていた。
「ただの背景みたいに扱われてました。…でも、違うんです」
「──あのとき最初に立ち向かったのは、確かに…」
言葉は途切れた。けれど怒りと悔しさは隠せず、その声の端々に滲み出ていた。
真宮は、抱えていたプリントを少し持ち直した。ユウの熱をそのまま受け止めてから、静かに問いかける。
「……それで、城野はどう思ったの?」
声音は淡々としている。けれど、その瞳はただの教師のそれよりも深く、ユウの中に潜む感情を探ろうとするかのようだった。
ユウは視線を伏せながら答えた。
「悔しいです。…消されてるみたいで。彼女が戦ったことを、僕以外、誰も覚えてなくて」
その言葉は、最初こそ抑えていたが、次第に速さと熱を帯びていく。深呼吸をひとつ挟んだあと、ユウは思い切るように顔を上げた。
「信じてもらえないと思いますけど…何度か、声が届いた気がしたんです」
真宮の眉がわずかに動く。
ユウはその反応を見て、さらに口を開いた。
「罠にかかりそうになったとき、名前を呼んだら…彼女、振り向いたんです」
「他の誰にも気づかれてない場面でした。あれは偶然じゃないと思います」
言葉が途切れそうになりながらも、抑えきれずに吐き出す。
「…昨日も。眠ってるとき、名前を呼んだら、指が動いたように見えて」
その声には必死さがにじんでいた。
自分でも馬鹿げていると分かっている。
でも、伝えずにはいられなかった。
「切り抜きには残ってません。でも、僕は見ました」
最後の一言を口にしたとき、ユウの肩はわずかに震えていた。
真宮はしばし沈黙したまま彼を見つめ、それから穏やかに言葉を添えた。
「…言葉が届いた。そう感じたのね?」
ユウは強く頷いた。
「…話してくれて、ありがとう」
静かな声だった。
叱責でも、慰めでもない。ただ、事実を受け止める響き。
「いえ、…聞いてもらってありがとうございます」
♢
夕陽に照らされた廊下を、真宮はゆっくり歩き出した。抱えたプリントの束が微かに揺れる。
その背中は落ち着いたものに見えたが、廊下の端へ消えるまで一度も振り返ることはなかった。
取り残されたユウは、手の中のスマホを握り直す。掌にはじっとりと汗がにじんでいた。
──口にしてしまった。
その後悔よりも強かったのは、胸の奥に浮かび上がる感情だった。
話したことで、むしろ輪郭を持ってしまった思い。彼女を守れるのは自分しかいない──その確信が、初めてはっきりと形を取っていた。
廊下の先を進む真宮の歩調は一定だった。しかし胸の奥には、別のざわめきが確かに残っている。
まさか捜索対象の「接続者」が、自分の教え子だったなんて。
教師としては、守らなければならない存在。
研究者としては、ようやく見つけた対象。
そしてEWSの人間としては──最も触れてはいけない“危険人物”。
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