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第一章 自転車になったお兄ちゃん
第1話 結菜と新しい自転車 1
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田中結菜はごく普通の少女だ。
彼女は中学を卒業した春休み、親に新しい自転車を買ってもらった。
今までの通学は歩いていける距離だったので、自転車は特には必要なかった。
この春休みが終わったら通うことになる高校は少し遠い距離になるので、通学に必要になるからと入学祝いに買ってもらったのだ。
本格的なサイクリングやスポーツに使うような高価で特殊な物ではない。ありふれたシティサイクルと呼ばれる通学用にも指定された庶民の一般的な自転車だった。
だが、突如としてその普通だと信じていた自転車に異変が起こったのだ。自転車が喋ったのだ。なぜか兄の声で、
「結菜、お兄ちゃんは自転車になったみたいだ」
「はあ?」
結菜には意味が分からなかった。
なぜ兄が自転車になるのか。
兄は眼鏡をかけたオタクで女の子にもてなさそうだったけど、決して自転車になるような変な人ではないと思っていたのに。
それにこの自転車も普通の自転車だと思っていたのに。
兄、悠真は妹の思考を読んだかのように答えてきた。
「結菜、お兄ちゃんだってもてるんだぞ。彼女だっているんだ。姫子さんといって可愛らしいお嬢さんでたまに一緒に写真を撮ったりしてるんだ」
「それはお兄ちゃんの脳内の彼女でしょ。って、そんな妄想よりもどうして自転車になったのよ」
「分からん。……わけが分からん……」
わけが分からんと言いたいのはこちらの方だった。
少し自転車を調べてみる。やはりどこからどう見ても普通の自転車だった。怪しいところなどどこにも無かった。
変な装置とかも付いていなかった。
「お前、お兄ちゃんのいうことを信じろよ」
「だって、何を信じろって言うのよ」
「俺は何故だか自転車になったんだ」
「知らないよ」
正直、結菜にはお手上げだった。何をどうしろというのだろうか。
こんな事態を他人にどう説明したらいいかも分からないので、結菜は時間が解決してくれることに期待して気にしないことにした。
それから数日後の朝。
春休みの終わりが近づいた頃。兄の姿が見えなくなったと少し騒ぎになった。
家族は最初のうちこそ騒いでいたが、手のかかるいたいけな女子供がいなくなったわけでなく、旅行好きで普段は大学の寮の方で暮らしている兄がふらりとどこかへ出かけるなど珍しいことでもなかったのですぐに気にされなくなっていた。
結菜は真実を知っていたが、彼は状況が掴めるまで自転車のことは他人には黙ってて欲しいと言ってたし、結菜も自分が兄のことで変な子だとは思われたくなかったし、そもそも兄が自転車になったなどとどう説明すればいいかも分からなかったので状況を丸投げすることにした。
変わらないまま日は続く。そして、春休みが終わった。
通学の朝が来た。新しい学校に通う朝だ。
結菜は新しい高校の制服を着て出かける準備をした。通うのは特にレベルが高いわけでも低いわけでも何かで有名なわけでもないごく普通の高校だ。
制服も普通の高校生らしい地味で平凡なセーラー服だ。まあ、学校に通うのにお洒落を気にしてもしょうがない。精一杯鏡の前で変なところが無いか確認する。
鞄を持って我が家の軒下へと向かう。
そこに結菜の新しい自転車が止めてある。
兄はまだここにいた。我が家の軒下に。変わらない自転車の姿のままで。
自転車はしみじみと感慨深げに呟いた。
「今日は入学式か。結菜も高校生になったんだなあ」
「お兄ちゃんはまだ自転車になってるの?」
「ああ、俺はいつまで自転車なんだろうな。春休みに姫子さんと遊べなかった……姫子さんも今日入学式なんだ。お前と同い年だからな。彼女は頭が良くてお金持ちで名門の女子高に通うんだ。ああ、名門の女子高の制服を着た彼女に会いに行きたい」
「お兄ちゃんの脳内妄想の彼女はどうでもいいけどさ。そんなに会いたいなら自転車こいでその学校まで行こうか?」
「いや、こんな姿で会っても驚かせるだけだからな。彼女は臆病で繊細なんだ。きっと会えば逃げてしまうだろう」
「臆病で繊細で金持ちで頭の良い名門の女子高のお嬢様がお兄ちゃんと付き合うとは思えないけど……想像は自由よね」
「想像じゃないぞ。俺が言っていることは全て事実だ。俺が自転車になっていることも姫子さんのこともだ」
「まあ、自転車になっていることは分かるけどさ」
「それより時間はいいのか? ここへ来てから結構経つぞ」
結菜はリビングにあった時計の針を思い出す。
時間はそれほど良くはなかった。来てすぐに出発したい気分はやまやまだった。
ただ躊躇していたのだ。自分の自転車に乗ることに。
結菜は制服のスカートの裾を摘まんで目の前の自転車をじっと見つめた。
「よくはないけど、わたしが座っても変な気を起こさないでよね」
「お前、男は女なら誰でもいいと思ってるだろ。それは間違いだぞ。お兄ちゃんは姫子さん一筋なんだ。お前が座っても何とも思わん」
「もう!」
それはそれで女としての魅力が無いと言われているようで面白くない。自分だってもう高校生なのだ。恋の一つもあっていい年頃なのだ。
兄もそれぐらいのことは理解してくれないと困る。
結菜は不満の態度で学校指定の鞄を無造作に籠に放り込み、自転車にまたがって地面を一蹴りして発進していった。
彼女は中学を卒業した春休み、親に新しい自転車を買ってもらった。
今までの通学は歩いていける距離だったので、自転車は特には必要なかった。
この春休みが終わったら通うことになる高校は少し遠い距離になるので、通学に必要になるからと入学祝いに買ってもらったのだ。
本格的なサイクリングやスポーツに使うような高価で特殊な物ではない。ありふれたシティサイクルと呼ばれる通学用にも指定された庶民の一般的な自転車だった。
だが、突如としてその普通だと信じていた自転車に異変が起こったのだ。自転車が喋ったのだ。なぜか兄の声で、
「結菜、お兄ちゃんは自転車になったみたいだ」
「はあ?」
結菜には意味が分からなかった。
なぜ兄が自転車になるのか。
兄は眼鏡をかけたオタクで女の子にもてなさそうだったけど、決して自転車になるような変な人ではないと思っていたのに。
それにこの自転車も普通の自転車だと思っていたのに。
兄、悠真は妹の思考を読んだかのように答えてきた。
「結菜、お兄ちゃんだってもてるんだぞ。彼女だっているんだ。姫子さんといって可愛らしいお嬢さんでたまに一緒に写真を撮ったりしてるんだ」
「それはお兄ちゃんの脳内の彼女でしょ。って、そんな妄想よりもどうして自転車になったのよ」
「分からん。……わけが分からん……」
わけが分からんと言いたいのはこちらの方だった。
少し自転車を調べてみる。やはりどこからどう見ても普通の自転車だった。怪しいところなどどこにも無かった。
変な装置とかも付いていなかった。
「お前、お兄ちゃんのいうことを信じろよ」
「だって、何を信じろって言うのよ」
「俺は何故だか自転車になったんだ」
「知らないよ」
正直、結菜にはお手上げだった。何をどうしろというのだろうか。
こんな事態を他人にどう説明したらいいかも分からないので、結菜は時間が解決してくれることに期待して気にしないことにした。
それから数日後の朝。
春休みの終わりが近づいた頃。兄の姿が見えなくなったと少し騒ぎになった。
家族は最初のうちこそ騒いでいたが、手のかかるいたいけな女子供がいなくなったわけでなく、旅行好きで普段は大学の寮の方で暮らしている兄がふらりとどこかへ出かけるなど珍しいことでもなかったのですぐに気にされなくなっていた。
結菜は真実を知っていたが、彼は状況が掴めるまで自転車のことは他人には黙ってて欲しいと言ってたし、結菜も自分が兄のことで変な子だとは思われたくなかったし、そもそも兄が自転車になったなどとどう説明すればいいかも分からなかったので状況を丸投げすることにした。
変わらないまま日は続く。そして、春休みが終わった。
通学の朝が来た。新しい学校に通う朝だ。
結菜は新しい高校の制服を着て出かける準備をした。通うのは特にレベルが高いわけでも低いわけでも何かで有名なわけでもないごく普通の高校だ。
制服も普通の高校生らしい地味で平凡なセーラー服だ。まあ、学校に通うのにお洒落を気にしてもしょうがない。精一杯鏡の前で変なところが無いか確認する。
鞄を持って我が家の軒下へと向かう。
そこに結菜の新しい自転車が止めてある。
兄はまだここにいた。我が家の軒下に。変わらない自転車の姿のままで。
自転車はしみじみと感慨深げに呟いた。
「今日は入学式か。結菜も高校生になったんだなあ」
「お兄ちゃんはまだ自転車になってるの?」
「ああ、俺はいつまで自転車なんだろうな。春休みに姫子さんと遊べなかった……姫子さんも今日入学式なんだ。お前と同い年だからな。彼女は頭が良くてお金持ちで名門の女子高に通うんだ。ああ、名門の女子高の制服を着た彼女に会いに行きたい」
「お兄ちゃんの脳内妄想の彼女はどうでもいいけどさ。そんなに会いたいなら自転車こいでその学校まで行こうか?」
「いや、こんな姿で会っても驚かせるだけだからな。彼女は臆病で繊細なんだ。きっと会えば逃げてしまうだろう」
「臆病で繊細で金持ちで頭の良い名門の女子高のお嬢様がお兄ちゃんと付き合うとは思えないけど……想像は自由よね」
「想像じゃないぞ。俺が言っていることは全て事実だ。俺が自転車になっていることも姫子さんのこともだ」
「まあ、自転車になっていることは分かるけどさ」
「それより時間はいいのか? ここへ来てから結構経つぞ」
結菜はリビングにあった時計の針を思い出す。
時間はそれほど良くはなかった。来てすぐに出発したい気分はやまやまだった。
ただ躊躇していたのだ。自分の自転車に乗ることに。
結菜は制服のスカートの裾を摘まんで目の前の自転車をじっと見つめた。
「よくはないけど、わたしが座っても変な気を起こさないでよね」
「お前、男は女なら誰でもいいと思ってるだろ。それは間違いだぞ。お兄ちゃんは姫子さん一筋なんだ。お前が座っても何とも思わん」
「もう!」
それはそれで女としての魅力が無いと言われているようで面白くない。自分だってもう高校生なのだ。恋の一つもあっていい年頃なのだ。
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