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第10話 目覚めた場所
しおりを挟むぱちぱちとたき火の爆ぜる音が耳を鳴らす。ミリエルはそっと自分の体の上に掛かる毛布を持ち上げて身を起こした。
どうやら自分は知らない間に眠ってしまっていたようだ。
「ん、朝? じゃなくて夜?」
森の中は薄暗くて時間がよく分からない。ちらちらと見える光は暗いので夕方なのか星空なのか遅い時間のようだ。さすがに次の日の朝ということは無いだろう、多分。
あったことを思い出そうとする。
川に落ちたことは覚えている。それから変な場所に招かれて神様からの使命を伝えられたことも思い出した。で、それから何があって今こうしているのかが分からなかった。
分からないことは人に訊きなさい。学校で学んだことをミリエルは実践することにする。いつも自分と一緒にいる声に訊ねた。
「何があったの?」
訊ねると声はすぐに答えてきた。相変わらず豆な人だと思う。もう一緒にいるのも当たり前になってきた。
『お前は川に落ちたんだ。それからクレイブがすぐに飛び込んで助けに来た』
「あんたは何もしなかったの?」
『ああ、すぐにクレイブが来たからな。俺のすることは無かった。お前から余計なことはするなと言われていたし、俺としてもあいつの活躍を見たかったからな。見事な泳ぎだったぞ。あいつ漁師もしていたのか?』
「知らないわよ。まったく……」
川で溺れそうになった。危ない目にあったのだ。少しは機転を利かせて余計なことをしても良いと思うが、そんな機転をこいつに期待するのは無駄だし筋違いというものかもしれない。
ミリエルは不満を飲み込んで思考を進めた。
それよりも声の主はミリエルの意識が飛ばされて神のお告げを受けたことには気づいてないようだ。
『どこか行ってた?』と訊ねても『気を失ってたんだろ』としか返ってこなさそうだし、ミリエルはそのことについては訊かないことにした。
自分だけがあの場所に招かれたことには何か意味があるのかもしれないし、相手の知らないことを知っていることはいつか交渉に使えるかもしれない。それになにより自分だけが知っているという優越感があった。
『お前、悪い顔をして何を企んでいるんだ?』
「何も」
悪い顔をしていたなら気を付けないといけない。邪悪な人間と思われても困る。真顔になることを意識していると耳に声が届いてきた。
内からの声じゃなくて今度は外からの声だ。幼い頃から聞き慣れた助けてくれた父の声だった。
「起きたか、ミリエル。川で魚とバトルをしていたらお前が流されてきたからびっくりしたぞ」
「ん? 魚?」
聞こえた方に顔を向けてみると、父が座っている前で火が炊かれて魚が焼かれていた。ただの魚ではない。とても大きな魚だった。
『あの魚もモンスターなのか?』
「知らない」
ミリエルに魚の種類なんて分からないが、ともかくおいしそうな魚だ。
良い匂いが風に乗って届いて少女の鼻を刺激した。ミリエルは肩から体を包んでいた毛布を落としてたき火に近づいていった。
するとなぜか父がうろたえた様子を見せて、ミリエルは不思議に小首を傾げて立ち止まった。
「パパ、どうかした?」
「いや、お前も少しは成長したかと思ったが、まだ子供なんだと思ってな」
「ん? んー、変なの」
父の態度を疑問には思ったが、それよりも自分も火に当たりたい。ミリエルは歩みを再開する。なぜか体がちょっと冷えるのだ。川に落ちたせいだろうか、体がちょっと冷えてたまらない。毛布を置かなきゃ良かった。そう思って腕をさする。
「!!」
そこでミリエルは気が付いた。冷えるなと思ってさすっていた自分の腕の下、その下の体に何も着ていないことに。気が付いたミリエルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「な、なんでわたし何も着ていないの!?」
今度はうろたえるミリエルの代わりに父が落ち着いた声で答えた。
「だってお前、川で流されていただろ。父さんも川に飛び込んだからな。だからこうして火を起こして服を乾かしているんだ。ついでに魚も焼いて一石二鳥。わはは」
見ると、火の傍で服が吊るされて乾かされていた。魚を焼いている火の傍で。ミリエルは不満に顔を顰めた。
「魚臭い!」
「ミリエル!?」
「くしゅん!」
「冷えるのか? ほら、毛布にくるまって温まりなさい」
「ん」
ミリエルは受け取ろうとして気が付いた。父が差し出したのは自分が付けていた毛布だった。彼もその下は何も着ていなかった。
『これが勇者クレイブか。勇者だな!』
「感心しないで! もう服着てよ!」
「服は今乾かしているところだと言っただろう。まだ濡れているから今着ると風邪を引くぞ」
「もう~、そこで正座しなさい!」
「はい?」
「そこで正座して娘に頭を下げて謝るのだ!」
「ミ……ミリエル?」
ミリエルはもう何だか面倒になってきてしまった。いろいろあって混乱していた。
父は訝し気にしながらも言われた通りに正座をして頭を下げた。今の後半の台詞は中の人が勝手に言ったことだ。ミリエルの意思ではないが、父の視線から逃れることが出来たのでどうでも良く思えた。任せることにする。
それよりも自分はこれからどうするか考えないと。とりあえず自分の毛布を取りに戻るか。そう決めて足を動かそうと意識したところで足が勝手に動いた。
望む方向とは違って、正面に向かって上げられて下ろされる足。少女の足が父の頭を踏んだ。
ミリエルはさすがにびっくりして声が上ずってしまった。
「ちょっとあんた、何やってるの? 娘にこんな真似をしてただで済むとは思わんだろうな。ええ!?」
また声が勝手なことを言っている。ミリエルはもうどうしていいか分からなかった。父は平身低頭、謝る。
「すまん、お前がそんなに怒るとは思わなかった。お前ももう10才になるんだもんな。恥ずかしいよな」
「勝手に喋らないでよ!」
「っ!」
今のは中の人に言ったのだが、父は自分が言われたと思ったようだ。びっくりしたように肩を震わせた。ミリエルは困ってしまった。
「えっと……」
声がやっと中に引きこもって伝えてくる。
『お前もクレイブに言いたいことがあるのだろう。俺の時には着替えや風呂であれほどまでにこだわってたもんな』
「あんた、あの時のことを根に持ってるの?」
『俺はただお前を手伝ってやっただけだ。それより父に言いたいことがあるなら言ってやったらどうだ? 俺は黙って見ててやるぞ』
「むむー…………」
声の態度が気に入らないが、何かを話さないといけない。ミリエルは頑張って言葉を絞り出した。
「これから……気を付けて……よね?」
「ああ、気を付けよう」
父が素直に聞いてくれてミリエルはとりあえず安堵するが、中の声は留まらなかった。
『生ぬるいのではないか? もっと言ってやってもよいと思うぞ? ここに他に人はいないし、せっかくクレイブがここにこうしているのだからなあ!』
ミリエルはさらに踏み込もうとした足を慌てて自分で引いた。中の意思に不満をぶつける。
「もういいの! 何でわたしがこんなことしないといけないの……」
中の人は勇者として有名な父と交流できて楽しいのかもしれないが、自分はこんなことをしたいわけじゃなかった。
「あんた、パパのことをどう思っているの?」
『俺はクレイブのことは好きだぞ。一緒にいて楽しい奴だと思っている。今も楽しんでいる。このゾクゾクする気持ちは何というのだろうな。他の奴では味わえん気持ちだ』
「まったく……あんたがパパのことを好きなのはよく分かったけどさ」
「ミリエル……?」
「顔上げんな!」
「ふがっ」
いけない。今度は自分の力で力いっぱい踏んでしまった。父の頭を。
ミリエルは申し訳ない気持ちでそっと父の頭から足をどけて地面に下した。
「ごめんなさい、パパ」
「いいんだ。父さんはお前が良いと言うまでこうして地面に頭を付けておくよ」
「…………」
中の人が声を押し殺して笑っているのが気に入らない。ミリエルは不満に鼻息を鳴らしてから踵を返し、自分の毛布を掴んで体に羽織って戻ってきた。
「もういいよ」
「ああ」
「その体の物は隠してよ!」
「おお」
危うく蹴り上げてしまうところだった。変な足癖が付いたら困ってしまうと思うミリエルだった。
そうして親子で落ち着いてたき火を囲んで数分後。綺麗な火を眺めていると、父が一言呟いた。
「お前も母さんに似てきたなあ」
どういう意味なんだろう。気になったが。
「ほら、焼けたぞ」
「うん。うまー」
魚が美味しかったのですぐにどうでもよくなってしまった。
二人でもりもり食べて、大きかった魚はすぐに骨だけの魚となっていった。
軽く食事を済ませて服が乾くのを待ってから着て、火の後始末をする。
もう狩りを続ける時間でもない。父の後をついて森の入口まで戻ると、空はすっかり夜空となっていた。
星が明るく瞬いているので、先が見えないほど暗いわけじゃない。
二人で馬を飛ばして帰宅の途に就いた。夜風もまた気持ちいい。
ミリエルは草原で立ち止まって綺麗な星空をのんびりと見たかったが、父が馬を飛ばすので仕方なく急いでついていった。
帰宅した二人を母ソフィーはにこやかな笑顔で出迎えた。
「あなた、遅くならないうちに帰ってって言ったわよね」
「ああ、晩御飯の時間までには帰るとな」
「今何時?」
「ごめんなさい」
「そう、分かってるならいいの。ミリエル、パパはわたしと話があるからあなたは先に手を洗ってらっしゃい」
「うん」
ミリエルは素直に手を洗いに行く。父と母が何を話し合うのかは知らないが、大人の話に首を突っ込むほどミリエルももう子供ではない。
邪魔にならないようにすることぐらいは出来た。
手で水の冷たさを感じていると内なる声が話しかけてきた。
『さすがは勇者クレイブが選んだだけはある。あの神官の女も迫力があるな』
「プロポーズしたのは母さんかららしいよ」
『それはまあ、あの男も大変だったのだな』
大人同士は何か通じ合うものがあるようだ。子供にはピンと来なかったが。
今日の晩御飯は魚料理だった。
ミリエルは今度狩りに行くときは自分も少しは動物を仕留めようと思ったのだった。
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