ヤドカリ

のやなよ

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貝殻見~つけた

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 日差しの強い日曜日のある日、車道端の歩道をトボトボと蔵前が歩いていると突然冷蔵庫を開けた様な冷風を肌に感じた。思わず立ち止まり風の吹いて来た方に顔を向けた。すると目の前には薄暗いアーケード商店街の入り口があった。冷風は、その奥から吹いて来ていた。蔵前が目を凝らして見ると通り中央に休憩する為に設けられた赤い布張りの長椅子があった。人が1人座っているのが見える。
 ひと休みさせて貰おうかな……
蔵前の頭の中に、そう考えが浮かんだ。腹も減っていたが、とにかく座りたかったのだ。
「涼しいな~」
再び吹いて来た冷風に蔵前は目を細めた。そして彼の足は自然と涼風の吹く商店街に向かって歩いていた。

            ※

 一方、金田は商店街の通り中央の長椅子に座り、今日何度目かの溜め息をついていた。結婚し子供5人をこの店で育て上げ巣立たせた。これからは、夫婦で旅行にでも行って楽しみながら余生をおくろうかと思っていた。しかし、そうはならなかった。妻が客先に集金に行った帰り道、熱中症であっけなくこの世を去ってしまったのだ。突然やってきた1人生活。寂しい人生を送るのかと思っていたが金田の想像とは真逆の生活が待っていた。
ある日はシャワーヘッドを掛けておく所のネジがゆるみ直そうとプラスドライバーを探すも見付からず。置き場の分かっている売り物のプラスドライバーを使って修繕をした。またある日は、料理を作るのが面倒くさいからとカレーを作り置きしておこうとピーラー探すも見付からず、かといってジャガイモの皮むきを包丁で出来るほど器用ではなかったので、また店のピーラーを使ってカレーをなんとか作った。
「自分で売り上げを上げてりゃ世話ないな……」
それからも、何かある度に金田は物の場所が分からず、どう対処していいか分からず動く度に亡くなっていない妻の名前を呼んでいた。
 きっと、成仏できないと文句を言ってるかな?
そしてもう1つ金田を孤独から遠ざけたのは、店にかかってくる注文の電話だった。皮肉にも妻の命を奪った客先からの注文の電話だったのだ。
しかし数ヶ月後、その電話もプツリと糸が切れた様に鳴らなくなった。
売り上げが上がらなくても商品や棚には埃が積もる。
しなくても誰も文句を言う者はいないが、そこは金田も商人。プライドが毎日の掃除をサボる事を許さなかった。あらかた店内の掃除が終わった金田は店の机の引出しを整理しようと事務机の引出しを引いた。
「綺麗じゃないか……」
思わず金田の口から声が漏れる程整理が行き届いていて金田は何をする事もなく引出しを閉めようとした。
その時、帳面の下から赤い物の一部が見えた。
「何だ?」
手帳サイズの顧客リストだった。筆跡から妻の書いた物だという事が分かった。
「何だってこんな物……」
購入商品個数、日付、各客先の情報、途切れてしまった客先からの注文。電話番号。
金田は妻の影働きがあった事をこの時に初めて知った。
「お前が守ってくれてた店。
私では守れそうにないぞ……」
「何かあったんですか?
あ……貸し店舗」
金田の傍で若い男の声がした。顔を向けると大きなリュックを背負って胸に緑色のゴミ箱を男性が抱えて立っていた。貸し店舗のビラを金田に背を向けてジッと見ている。
「いいな~。
この条件で保証人がいらないのなら私が借りたいのですが……本当に改装工事自由にしていいんですね?」
「あ、いや。
それは私がヤケクソで!」
「ヤケクソ?」
金田が書いたビラを前に男性は機嫌よく笑みを浮かべていたが、金田のヤケクソの意味を図りかねて首を傾げた。
「……冗談です!スミマセン!直ぐに外します!」
「なんだ……冗談ですか」
金田は長椅子から立ち上がるとシャッターに貼ったビラをめくった。男性は金田がビラをめくるのを見届けると疲れた様に長椅子に腰を下ろした。
そして苦笑いを浮かべながら金田に顔を向けた。
「やっぱり、そうですか……
相場の家賃の半値以下ですもんね」
「そうなんですか?!」
金田は思わず男性に尋ねた。
男は金田の質問に瞬きを繰り返している。
 一昔前までは周辺の家賃は、こんなものだと思ってたけどな……
金田は心の中で呟いた。
「この近くで再開発が行われるのは、御存知ですか?」
金田が無言でいたため男が声をかけてきた。
「……はい」
 車道を広くするだとかで、セットバックした土地を金田は最近よく見かけていた。
「それが原因です。
お陰で保証人がいない私が借りられる借家の家賃なんて私の給料じゃ手がでなくて……
やっと住める家を見つけたと思ったんですけど残念です」
膝に置いたゴミ箱に両腕をかけ、男性が笑顔を浮かべて言った。
金田は、めくり取ったビラをポケットにしまう。
「住む所が見つからない?って……」
「勿論、野宿はしてませんよ!
今はマンスリーマンションで寝起きしてます」
男性は両掌を振って否定して自分の状態を簡単に説明してから、会社の名刺を名刺入れから出し金田に渡してきた。
 社名を見ただけでは、何の会社か金田には分からなかったが一応会社員らしい。
 蔵前 正司。
 今、さっき貼ったビラを見てサギもないだろう。
金田は、そう思いポケットの中に押し込んいたビラを握った。
 自分では、どうにも出来ない沈みかけの船だ。
 この若者に任せてみるか……
「貸りて貰えますか?
ただし倍の家賃で!」
突然の金田の申し出に男性は目を丸くした。
 だ、駄目か?
 そうだよな。倍の家賃は駄目だよな?
金田は顔を、うつ向けて後ろ頭を掻いた。
「貸して、いただけるんですか?!」
蔵前が長椅子から立ち上がった。
膝の上に置いてあったゴミ箱が地面に落ちて、その音がクワン、クワン、クワン……と商店街に響いた。
「え?!
倍の家賃ですが借りていただけるんですか?!」
「はい。
契約書を書きましょうか?」
ノリノリで蔵前が話を進めて来た。
「……お恥ずかしい話。私はそういう事に疎くて……」
「それが、普通ですよ!
では、こうしましょう。
そちらのお知り合いの不動産屋さんに仲介を頼みましょう。
お金は多少かかりますが、そちら様もその方が安心でしょうから……」
「それで、お願いします」
金田は、長椅子から立ち上がると蔵前に頭を下げた。
 私も、ここの1室に住むのだから、そう悪い事も出来ないだろう? 
ゴミ箱を上下に振りながら喜ぶ蔵前を眺めながら金田は目を細めた。

齢60にしてシェアハウス生活の幕が開けた金田であった。
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