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第一章・はじまりの物語
初撃を終えて
しおりを挟む「……上手くいったみたいだな」
ほぼほぼ制圧された敵の第一陣と、そこで暴れ回る味方軍の武士たちの姿を見ながら、燈が小さく呟く。
蒼に言われた通りに動き、ド派手な一撃で一番槍の役目を掻っ攫った時には、この後に大々的に注目されるのではないか……と思ったものだが、仲間たちは今、自分の手柄を確保することで頭が一杯になっているようだ。
注目はされたが、それは一時的なこと。戦いの最中にああだこうだと手柄を立てた者に声をかける余裕など、兵士にあるわけがない。
味方軍の最後尾で成り行きを見守っていた燈は、全ての展開が蒼の言った通りになっていることに戦慄しながらも、自分がこころを救うために必要な褒賞を得られるだけの手柄を立てられたことに安堵の気持ちを抱いていた。
「うぉ、血の臭いがすげえな……」
そうやって、自分の役目を取り敢えず果たせたことで気分を落ち着かせれば、興奮で気にも留めなかった血生臭さが鼻腔を突いた。
朱に染まる戦場に流れる、狒々たちの血……首を切り取られ、腹を裂かれ、亡骸となった彼らの臓物や四肢が転がっている景色を見た燈の表情が何重にも巻かれた包帯の下で不快そうに歪む。
きっと、おそらく、絶対……この戦は、ほぼほぼ一方的なものだったのだろう。
戦いの跡に転がっている死体は殆どが狒々たちのもので、彼らが如何に蹂躙されたかがその光景から見て取れる。
しかし、人間側の損害も皆無ではない。
無数の骸を晒す狒々たちの間に、点々と見える息絶えた人々の姿を目にした燈は、改めて戦の恐ろしさを実感していた。
「これが、戦争……人間と妖の殺し合い、か……」
以前に髑髏を倒した時には感じなかった、命を奪う恐怖が大蛇のように燈の身を包む。
殺されることは勿論恐ろしいが、殺すこともまた恐ろしい。こうして転がっている人や狒々たちの死体を見ると、その恐怖がより一層強まっていく気がする。
そして、自分はつい今しがた、数え切れないくらいの狒々たちの命を奪ったのだという事実を思い返した途端、暗く冷たい吐き気が込み上げてきた。
「……思ってたより、すっとしねえ気分だな」
人を襲う怪物を打ち倒し、弱き人々から感謝される。それが燈の、最強の武士団を作ろうとする宗正の目標だ。
その夢は、とても素晴らしいものだと思う。嘘偽りなく、燈はそう思っている。
だがそれでも、相手が何者であっても、命を奪う感触というものに快感を覚えることは、彼には出来なかった。
わかってはいる。これから先、何度もこんなことをしなければならないということは。
理解出来ている。妖が生きていれば、何の罪もない人々が食い殺されてしまうということも。
これは悪行ではない。だが、善行と割り切ることも出来ない。要は、燈の気持ちの問題なのだ。
結局は燈自身が敵を斬るという行為に慣れることでしか、この不快な気分は晴れないのだろう。だが、それに慣れ切ってしまうことも、何処か恐ろしいことに思えた。
自分の愛刀である『紅龍』は、一切血を浴びず、刃毀れもしていない。
あれだけの命を一瞬で焼き尽くせるだけの力を自分が有していることを実感した燈の体が、急に寒気を覚え始めた。
大いなる力には、大いなる責任が伴う……何かの映画で聞いたその格言を思い返し、燈は深く息を吐く。
宗正に見初められ、鍛え上げられたこの力は、正しいことに使おう。弱い人々を救うための力として、自分に胸を張れる力の使い方をしよう。
それがきっと、責任を果たすということだ。そう、自分自身に言い聞かせるように思いを抱いた彼の肩を、そっと誰かが叩く。
ビクリと反応し、今が戦いの真っただ中であったことを思い出した燈は咄嗟に鞘に納めた刀を引き抜こうとするが、その行動を予想していたかのように彼の腕を抑え、動きを制止させた蒼は、恐慌する燈を落ち着かせるために声をかける。
「予想以上の戦果だよ、燈。君のお陰で、随分とこちらの損害も減った」
「俺の、お陰……?」
羽織の所々に返り血と思わしき赤黒い染みを滲ませた蒼からの言葉をオウム返しする燈。
遠慮なしの火柱によって敵陣を壊滅状態に追い込んだ燈の初撃を賞賛する蒼は、その一撃が齎した戦果を改めて口に出して解説した。
「戦において、最も被害が出るのは両軍の最初のぶつかり合いの時だ。万全の状態の兵士たちが全力でぶつかり合えば、無数の死者が出るのは当たり前でしょ? でも、燈が突破口を開いてくれたお陰で、僕たちは敵陣へと簡単に乗り込むことが出来た。予想外の一撃を食らった敵を一方的に討ち取ることも出来た。真っ当に勝負をしていたら、こちらにも少なくはない犠牲が出ていたはずだよ。そうならなかったのは、燈のお陰なんだ」
「そう、なのか……? いまいち、よくわかんねえよ」
「……誇って良い。君のお陰で、確かに救われた命があるんだ。その規模に関わらず、戦が起きれば沢山の命が散る。なら、そこで失われる命の数は少ない方がいい。奪った命の分だけ、救われる命がある……今はそう思って、最後まで戦い抜こうよ」
燈の迷いを、苦しみを、見抜いているのだろう。
蒼は戦場に似つかわしくない普段通りの穏やかな口調でそう告げると、ぽんと優しく燈の肩を叩いた。
どんな時でも自分を気遣ってくれる兄弟子に心の中で感謝しつつ、無言で頷くことで返事をした燈に向けて、蒼もまた小さく頷き返すと確認事項を口にする。
「渡した物は食べたかい? 美味しくはないと思うけど、言い訳作りには必要だよ」
「おうよ! んで、あれだけ気力を大量に放出したのになんで動けてるんだって誰かに聞かれたら、気力を回復させる丸薬を服用したからって答えればいいんだよな?」
「うん。怪しまれるかもしれないけど、一応の理由付けがあれば十分に誤魔化しは利くさ。ここからはあまり目立たず、されど椿さんを身請け出来るだけの褒美を貰えるくらいには手柄を立てていこう」
燈が一番槍として大手柄を挙げたように、蒼もまた今のぶつかり合いで相当の狒々を討ち取ったのであろう。
涼しい顔をしているが、呼吸が僅かに乱れている。彼もまた、自分同様にこれが初めての戦であることに気が付き、それでも自分を気遣ってくれていることに再び感謝の念を抱きながら、燈もまた狒々の第一陣の掃討戦に参加した。
「弱い者いじめしてるみたいでいい気分じゃねえが、椿のためだ。それに、こいつらは今までしこたま女を喰ってきたんだ。年貢の納め時ってことで、覚悟しな!」
まだ迷いはある。命を奪うことにも抵抗があるし、一方的な蹂躙に対しての忌避感だって拭えていない。
だが、それでも……守りたいものを守るために、命を奪われた者たちの無念を晴らすために、立ち止まってはいられない。
今は戦う、それだけを考えよう。
そう、自分を納得させた燈は、蒼と共に武神刀を構えて狂乱の戦場を駆け抜けていく。
体を濡らす生臭い返り血の温度も、狒々を斬る時の不快な手応えも、全て心に刻み込もうと決めた彼の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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