奇しくも人間ですからね。

秋音なお

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 妹が両親を殺してしまったのは、蝉の煩い午後だった。

 俺が家に帰ると、中が不自然に静かだったことを覚えている。恐る恐るリビングへと向かうと、真っ赤に汚れた両親が倒れており、そのすぐ傍で妹が崩れたように座り込んでいた。
 殺した動機は言ってしまえば単純なもので、妹の進路関係のものだった。
 元来、妹は絵を描くことが好きで将来はそれを生業にしたいと言っていたが、両親はそれにひどく反対していた。まるで聞く耳を持たない言わんばかり、なにひとつとして受け入れず、その話題が上がる度に両親と妹は衝突していた。そして今回も今まで同様、ただの衝突で済めばよかったのだが、妹はもう我慢の限界だったらしい。自分の夢を散々に言われ、その心はもう耐えられるほどの余裕がなかった。
 衝動的に台所から包丁を手に取ると、それを一思いに突き刺した。最初は頑固な父親の下腹部、そして続くようにヒステリックな母親の横腹へ。本当は、突き刺すつもりもなかった。ただ包丁を持って、脅すことさえできればそれでよかった。そこには反抗の意思はあれど殺意はなく、あくまで自立心の具現だった。

 だが、妹は見てしまった。
 包丁を持った自身を見て、怯える顔をした両親を。
 その時に、誰かが耳元で囁いたような気がした。

 殺してしまえば、もう呪われるように苦しまなくていい、と。

 緊迫した状況下で、妹はそれを正しく解釈できるはずもなかった。
 悪魔が宿ったかのように、妹の手は動いた。
 だから両親を刺してしまった。

 そしてその手は止まるどころかエスカレートし始める。声以上言葉未満の叫びを聞いて、動物としての狩猟本能が芽生えたのかもしれない。傷を負い、体の自由の効かない両親に対して、何度も何度も刃物を振るった。妹の独壇場だった。十分な抵抗もできない両親へ跨るように、殺すために刃物を刺した。
 そして両親が動かなくなり、死体へと変わり果ててしまった時、ようやく自身の犯した罪について気づいてしまった。汗のように全身を溢れる罪悪感と揺らぐ自尊心に脳内が異常気象を引き起こす。目眩のような感覚が妹を襲い、反抗が犯行に変わってしまった自身への後ろめたさを叩きつけた。
 そうして為す術なく床へ崩れ落ちたところを見つけたのが、さっきの俺だった。

 妹は多くを語らなかった。
 淡々と起承転結をありのままに話すと、あとは困ったようにひどく泣いた。十代の少女が抱えるにはあまりにも大きく重い罪状だ。こんなにも暑い夏だと言うのに、妹の体はひどく震えている。それがあまりにも苦しくて、俺は相槌以外の言葉を返すことができなかった。噎せ返るような血の臭いばかりが脳裏に焼きついていく。

 その臭いで俺もおかしくなってしまったのだろうか。

 あぁ、きっとおかしくなってしまったんだ。「お兄ちゃん助けて」と力なき言葉を吐いた妹を俺は救いたいはずなのに、浮かんだ救済方法は全てが誤ったものだった。
 俺は父親の部屋から糖尿病の薬、母親の部屋から睡眠導入剤をありったけ奪ってくると、それらを全てシートから出す。真白な錠剤が山のように積もっていくと、それを均等にふたつの小山に分けた。大量に積まれた錠剤は、まるで優しさで生まれたモルヒネのようにも思えたが、それはただの幻想であり希望的観念だった。

「心中しよう」

 震える妹の右手に大量の錠剤を手渡しながら、俺はすんなりと言葉を吐いた。ドラマのワンシーンのように、現実味のない響き。これが夢や作り話でフィクションの世界の話だったら、どれだけ俺らは救われただろう。
「……これで、本当に死ねるの…?」
「……あぁ、きっと」
「……じゃあ、お兄ちゃんと一緒に死にたい」
 妹はこくりと頷くと、俺の隣で錠剤を呷った。
 続いて俺も複数回に分けて口へと運び、それをコーラで流し込んだ。数十という量の錠剤だったが感覚が麻痺していたのか、さほど大変ではなかった。オーバードーズと言えば聞こえは良いが、これは俺らの逃避行に過ぎない。あとは胃の中で錠剤が崩壊し、血管を巡って体を蝕んでくれたらいい。俺らにできることは、それを待つだけだ。

「……なぁ」
「……ん?」

「……後悔してないか」
「……後悔?」
「……ほら、心中しちゃうわけだし、やり残したこととか」
「……お兄ちゃん大丈夫だよ。……私、後悔してないよ」

「……そうか」

「……やっぱ嘘。もっと楽しいことをしたかったよ」
「……ごめん」
「……もっと絵も描きたかった。夢だったから」
「……ごめん」

 ……そう、だよな。

「……でも、これでよかったかもしれないよ」
「……そんなわけ」
「……きっとこういう運命だったんだよ」
「……運命」
「……そう。……だから、お兄ちゃんは悪くないよ」

「……そうか」
「……うん」
「……」

「……だから、自分のことを責めないで」

 俺たちは怯えるように抱き合うと最期の言葉を交わし、そのままそれぞれ自身の部屋へと戻った。死に際を見せたくないという、猫のような考え方だ。手に残る妹の体温が部屋へと放散していく中、俺は目眩のような脱力感を感じる。暴力的なそれに脳を奪われ、負けたように体が床へと落ちた。

 もうすぐ死ぬんだと思った。
 あっけないものだ、人の命というものは。
 尊いなんて言われながら、脆すぎる。
 それとも、この脆さがいわゆる儚さなのだろうか。
 わけのわからないことを最後の最後に考えている。

 不自由になり始めた体をねじるように壁を向く。
 妹も、こうやって死んでいくのだろうか。
 この結末は正しかったのだろうか。

 ……正しいわけがない。 

 妹には夢があった。
 その夢を兄ならば叶えてあげるべきだった。
 もう叶わぬ夢だ。
 妹が両親を殺したと言うならば、俺はその妹を殺した。
 俺も妹と同じ、殺人犯だ。
 その罪は重い。
 どうか、地獄に落ちるのは俺だけであってくれ。
 妹は十分に自らが犯した愚かさに胸を痛めた。
 あとは全て、兄である俺が背負おう。
 だからせめて、妹だけは……。

 言葉にならぬ祈りを、閉じた瞼の裏で反復する。
 言葉にするだけ無粋というものだ。
 俺らの弱さは口にしない方がきっと美しい。
 それは曖昧な輪郭だからこそ、二人の心を繋いでいる。

 だから、隣の部屋から落下に似た衝突音がしたのはきっと夏の乱反射。
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