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9:<水曜日> カツオの出汁キーマカレー
しおりを挟むさらに寒さが増し、木枯らしが小さな庭の落ち葉を舞い上げる。
朝一番でストーブのスイッチを入れた楓は、テーブルに置いていたタブレットを染さんの前へ押し出した。
「これは……?」
「その、提案なのですが。カレーのイベントに出てみませんか?」
タブレットの画面には「カレーフェス」の文字がデカデカと映し出されている。
カレーフェスは、たくさんのカレー屋が一カ所に集まり、各自料理を提供するイベントだ。
お祭り感があって多くの集客が見込めるし、店の宣伝にもなる。
サイトの下には、参加店舗募集と書かれていた。
「場所は、八駅先にある大きな公園だね」
その公園は、楓も知っていた。
前に働いていた会社と同じ駅だが、公園は会社とは反対側に位置する。
開催日は祝日なので、知り合いと鉢合わせることはないはずだ。
「今まで参加した経験はなかったけれど、おもしろそうだね」
ふんわり微笑む染さんは、興味を引かれた様子だった。
「参加するには、このサイトからのエントリーと、カレーの写真が必要みたいですね。いつも店で出す定番カレーと、限定カレーの二つが必要だそうです」
「限定カレー?」
「イベントのために用意するカレーみたいですけど……あ、小さめサイズやテイクアウトできる商品が人気と書かれてあります」
「へぇ、いろいろなカレーを作るのは好きだからいいけど。この店のメニュー、『本日のカレー』だし、定番のカレーがないんだよね」
「あ……」
今になって、重大なことに気づく楓だった。
「え、ええと、その……と、問い合わせてみます」
焦りつつ電話で尋ねてみると、『本日のカレー』で大丈夫だという答えが返ってきた。
ホッと胸をなで下ろす。
「いつもの感じで平気なら、出てみようか。何を出すかは追い追い考えるとして、まずは今日のカレーを作ろう」
棚からスパイスを取り出す染さんは、少し楽しそうだ。
「一人だと、宅配も手が足りないし、イベントにも出づらいからね。楓ちゃんがいてくれて良かった」
笑顔を向けられ、楓はドキドキしながら「お役に立てているなら光栄です」とつぶやいた。嬉しい言葉をかけられ、挙動不審になってしまう。
「今日は何のカレーですか? 冷蔵庫に、お酒に漬けたカツオのタタキが入っているんですけど……」
「和風出汁を使ったカレーを作るよ」
「出汁!?」
「うん。昆布とカツオの出汁だよ。カツオのタタキは挽き肉の代わりにするんだ」
「キーマカレーですか?」
「そんな感じ」
染さんの頭には、もうカレーの構想があるようだった。毎回すごいと思う。
そして、鍋の中には昆布が浸かっていた。
棚から彼の取り出したスパイスは、クミン、マスタード、フェンネルシード、フェヌグリーク。
染さんと一緒に働くうち、楓も少しだけスパイスに詳しくなった。
クミンは、カレーでよく使われる基本的なスパイスだ。四千年以上も前、エジプト文明時代のクレタ島で薬として用いられていたらしい。
セリ科の植物の種で、カレーの香りがする。胃腸や肝臓に良いスパイスだ。
マスタードは、一般的に知られていると思う。市販のマスタードの中にあるつぶつぶしたものだ。これはアブラナ科の植物の種である。普通に使用するぶんには、それほど刺激はなく、香ばしさとほのかな苦みが特徴だ。水と練ったら辛くなるらしい。
フェンネルシードはクミンと形が似ていて、独特の香りがする。こちらも使用するのは種で、五香粉の材料にも使われる。魚料理の臭みを消してくれるスパイスで、消化促進作用もある。
フェヌグリークはつぶ状でマメ科の植物だけれど、普通の家庭ではあまり出会わないスパイスかもしれない。今回使用するのは種だが、葉も「カスリメティ」と呼ばれ、インド料理に使われる。甘い香りがし、古代エジプトでは体に塗って体温を下げたり、お香にしたり、ミイラ製作に使ったりしていた。妊娠中に食べてはいけない。
これらのスパイスとは別で、パウダー状のスパイスも入れるようだ。
染さんは、コリアンダー、ターメリック、チリペッパー、ガラムマサラを皿に移していた。
カウンターを拭きながら、楓は染さんの料理過程を観察する。
ちょうど、昆布を取り出しカツオぶしを入れ、合わせ出汁を作っているところで、とてもいい匂いが漂ってきた。
(染さんは、和食も上手に作れるのでは?)
そんなことを思ってしまう。
カツオぶしが沈んだら、ざるでこして塩で味付けをし、黄金色の出汁が完成する。
普通に飲みたい。
染さんは、出汁の中にマイタケやシメジを入れて茹で始めた。
平行して、フライパンでスパイスをテンパリングし、シシトウやタマネギを炒めている。手際がいい。
にんにくや生姜、トマトを追加して、砂糖やみりんで味付け。細かく刻んだカツオも入れた。
それから弱火にして、パウダースパイスと、ほんの少しの酢を加える。
最後に、キノコ類を茹でていた出汁を丸ごとそこにかける。
軽く煮て、スパイスや塩で再び味を調えたら完成である。
「すごくおいしそう」
「カツオの出汁キーマカレーだよ」
いつものカレーとはまた違い、さらさらの透き通ったスープ。本当にカレーの味がするのか疑問だ。
「はい、楓ちゃんのぶん。食べてみて」
「あ、ありがとうございます!」
朝ご飯の時間である。
ようやく暖まり始めた店内で、炊きたてのご飯の上にかけられたカレーは、白い湯気を上げていた。ふぅふぅと冷ましながら口へ運ぶ。
「んんっ!」
あっさりとして、それでいて香り高い出汁に、ほんのりとスパイスの香るカツオが絶妙に合う。和風だけれど、出汁だけれど、確かにカレーなのだ。
「優しくて、ほっこりするカレーです」
「そうだね、成功かな。寒い日には良さそう」
染さんはキッチンの引き出しからノートを取り出し、何かを書き始めた。
このノートは、彼のレシピ集だ。いろいろなアイデアなメモされている。
「今日のカレーは、カツオの出汁キーマカレーに決まりですね。黒板にメニューを書いてきます」
店の表から階段の踊り場に出ると、相変わらず寒い。
ついでに、階段の下と曲がり角にも看板を置いておく。
「さて、今日も頑張りますか」
接客は相変わらず緊張する。これは、きっと治らないだろう。
仕事に対する自信は持てないけれど、不安に思いながらも、なんとか働けている。
少なくとも、洋燈堂の接客係としては。
楓は、この仕事がわりと好きだった。
カツオの出汁キーマカレーは、お客さんに好評のようだ。
カレーを出すと、皆一様に「え、これのどこがカレーなの?」という顔をするのだが、食べてみればわかる。正真正銘のカレーなのだと。
ウーバーイーツ効果か、徐々にお客の増えてきた洋燈堂を、楓は忙しく歩き回る。
とはいえ、昼過ぎになれば客は引き、落ち着いた時間が戻った。
店が混むのは、昼食時、夕食時なのである。
なので、「買い出しが必要なものはないか」など、まったり確認中。
カレーフェスに出すメニューを選ぶため、楓は「今日のカレー」も撮影しておいた。
どれを出すかは決めていないが、写真があった方が選考しやすい。
この時間帯にはいつも、新メニューを考えたりもする。
「カレー丼」
「いいね、今日のカレーを応用できそうで」
「カレーうどん」
「いいね、今度うどんを買ってくるよ」
楓が何を提案しても、染さんは「いいね」しか言わないので、あまり参考にならなかった。
※
しばらくすると、控えめに入り口のベルが鳴った。
昼と夕方の境目の、中途半端な時間だ。こんな時間帯にお客さんが来店するのは珍しい。
「いらっしゃいませー。あれ、あなたは……)
出迎えようと楓が入り口へ向かうと、そこには寒さで頬を赤くし、制服の上に特大のマフラーを巻いた女子高生が立っていた。
「こんにちは、カレーを食べに来ました」
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